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5授業

 人形劇の後、いくつかの夜が巡り、朝が回ってきた。

 あんなことがあっても、魔術師と私、加えて先生の距離にさほど変化はない。

 魔術師は、私に魔道具の試作の手助けを頼む。先生は彼と、館の他の人達を見守り、何かあれば口を出す。私は、魔術師に従い、先生の言うことに頷き、従順に日々を送る。

 ただ。行動にはならずとも。

 心証が変化するのは、どう足掻いても止めようはなかった。




「今日は魔法の授業をしようか。せっかく素晴らしい君の魔力、活用しないのは世界の損失だからね!」


 広い作業場ではなく、魔石に触れた時と同じ雑多な室内で、席に着く私を前に、魔術師は本を片手に持って明るく宣言した。

 えー、魔法の起源は人間の発祥よりも古く、魔力は妖精の構成物の半分、精霊に至ってはほとんどを占めており、世界の創生にも関わっているとのお話がありますが…とつらつら述べてから、魔術師は唐突に本を置いた。


「まあ難しい歴史はどうでもいいよね!とりあえずは実践、兎にも角にも実践、何をおいても実践!というわけで初歩の魔術に挑戦してみましょう!」


 とはいえ成り立ちを理解するのも良いことなので君に教科書をあげよう、暇になったら呼んでね、と渡してくる。


「おやおや?何か聞きたそうなお顔!質問は随時受付中です、どうぞ!」

「あの…魔術と魔法は、何が違うんですか?」

「なんていい質問!君さては秀才だね?それではお答えしましょう!簡単に言えば魔術とは、人間が使う魔法です!」


 この世に生きる大抵の生き物は魔力を持っている。

 妖精フェアリー族や森人エルフ族は自身の魔力を使って法則を無視した奇跡を引き起こせるが、人間という種族はそもそもの魔力量が少なく、自分の魔力のみでは到底魔法を使えない。

 故に、魔力を宿した石や素材を媒介として、魔力を補う。そうして魔法を再現したものを、魔術と呼ぶ。

 開発された魔術の中には人の魔力を介さず素材の魔力だけで完結できるものもあり、その構築式を応用して道具に組み込んで、使用者の魔力行使無しで奇跡を編み出すものが、魔道具である。


 以上を魔術師は口達者に説明し、ニコニコの笑顔で私の手を握った。


「僕にも魔力はありますが、それは大変微々たるもの!君には遠く及ばない!だからこそ君には魔術を扱えるようになってほしい!そうして僕に見せてほしい、これまでの価値観を破壊し、想定を超えた魔術というものを!人の未知の領域を!君ならできる!だって天才だもの!」

「…本当に…私でも、できるでしょうか」

「君にしかできない!君は僕の救世主だ。どうか哀れな僕に手を差し伸べてはくれまいか!」

「…私にできることなら…全部、あなたに捧げます」


 唐突に魔術師が手を離した。

 スッと身を引き、姿勢を正して顎に手を当てて私を見下ろす。長身だから視線が遠い。

 薄い笑みのまま静止して、何かを狙うように、魔術師は猫目を細めている。


「…魔術師様?」

「良い台詞だ」

「え」

「でもざーんねん!君のものは君のもの、僕のものは僕のもの!どれだけ焦がれようと混合することはないのさ!」


 一瞬で平常の明るさに戻ると、魔術師は「さてさて実技を始めよう!まずはこの杖を持って火を灯すところから」と白い木で作られた小さな杖をいそいそと取り出した。先端に赤い色の宝石がくっついている。これが人間の魔力の少なさを補完するのだろう。


「魔力を操るためには精神力、言い換えれば心の有り様が非常に重要です。そこで難問!実は、君は魔力があっても魔術には向いていない。勿論理由があります、分かるかな?」

「理由…」


 魔力があっても、魔術を扱えない理由。

 答えが見つからず黙りこくる私を、魔術師は急かすことなく見守っている。情けなくて震えそうになる声をどうにか制して答える。


「…わ…分かりません」

「いいねえ!ちゃんと伝えられるその姿勢、非常に好感が高い!ではでは正解発表。単純に、君は、感情を御しようとし過ぎている」

「…!」

「今も、君の瞳は灰色のままだ。前までは慣れない環境で落ち着かない状況にあったから心が荒れやすかったんだろうね。でも今は多少慣れて余裕がある。だからいつもやっているみたいに感情を抑え始めた。それじゃいけない!魔術を扱う時は素直に、リラーックスするのが必須!雑音は必要ないのです!」


 感情を、抑えない。

 これまでの人生とは真逆の指針。

 思わず懐を探りお守りを握りしめた私に、魔術師は「でもでもどうかご安心!そんな君にぴったりのプレゼント!」と距離を取り戸棚を漁って、瓶を持ってきた。

 瓶の蓋には銀の鎖のようなものが巻き付いている。中身には、薄ぼんやりとした煙を漂わす黒い球体が入っていた。


「これは使用者の悩みを仕舞い込める水晶玉と、絶対に破れない鎖です!どっちも僕作!これを使えば余計な思考に惑わされることなく素直になれるでしょう!」

「悩みが、無くなるんですか?」

「そうそう。僕も使ったことがあるけど、とーってもスッキリするよ!その後物凄い倦怠感に襲われて丸一日動けなくなったけどね!」

「は、反動があるんですか?」

「まあ代償は付き物だよね!使うかどうかは君次第!」


「使わせる訳ないだろう」


 陽気な提案を遮るのは、例によって底を這う低音。


「えーっ先生そんな頭ごなしに」

「お前には任せられない」

「あれっ思ったより怒ってる」

「…彼女に魔術を教えるのなら私が担当する。お前は早く自分の責務を果たしなさい」

「まーたそうやって僕を邪魔者扱いして!僕だってライラくんに魔術教えたい!魔術使うとこ見てみたい!」

「…なら見てみればいい」


 そう会話して、先生は私に柔らかく杖を握らせる。そうして落ち着いた声で目を閉じて深呼吸するように指示した。

 戸惑いつつ目を閉じる。当初は忙しなく思考が飛び交っていたが、ある時肩に何かが触れた。宥めるように一定の間隔でぽん、ぽんと叩かれる。

 そのリズムに合わせて何度か息を吸って吐くと、次第に手の感触が鋭敏になってきた。それと同時に、指先から何かが伝わってきた。暑いような、冷たいような、不思議な流れ。

 初めての感覚のはずなのに、何故か、とても身に馴染む。

 その流れを追いかけるように声は言う。従うと、流れが固い壁のようなところにぶつかるのを感じた。

 壁を壊すのではなく、包むようにと彼は導く。

 壊さず、包む。

 途端に、手の先が熱くなった。びっくりして瞼を開く。


 杖の先で、炎が燃えていた。


 魔術師が無言で腕を組む。

 対して先生は、「初回で成功とは。素晴らしい」と穏やかに私を褒めた。そして、今度は逆の手順を踏むように言う。今度は短時間で行えた。炎は順当に勢いを失い、最初から何もなかったように消えた。

 先生は私から杖を受け取り、魔術師に差し出す。


「…やってみるがいい」

「先生は拷問官か何か?」


 笑顔のまま、魔術師は杖をもらう。あっという間に火がついた。しかしそれは。


「んもうやだなあ、こんな蝋燭にも満たない火を晒すのやだなあ。悲しいかなこれが僕の全力。ああやだやだ!」


 小さな、とても小さな火だった。


「身のほどを知りなさい。お前のやるべきことは別にある」

「分かりましたよ分かったよ、僕は黙ってお仕事してればいいんでしょ、魔力のない人でも誰であっても使える魔道具をばんばん作って国民の皆々様に豊かな生活をご提供するのが僕のしーごーと。分かってますって」


 魔術師は拗ねたような仕草で、しかし朗らかな笑みを全く歪めることなく部屋から出て行こうとする。その背中に、先生は声をかけた。


「お前が、手を加えていい原石じゃない」

「んもー分かってるってー。先生の言う通り!先生はいつも正しいんだから!」


 それじゃ、ライラくん、臨時教師は退散するよ。これからは先生と一緒に頑張ってね、と魔術師は手を振る。止める暇もなく彼は長髪を揺らし軽やかに駆け去っていく。

 短い沈黙の後、先生は口を開いた。


「…魔力を初めて使ったんだ。君が思う以上に疲労は溜まる。今日はこれでおしまい。また明日から、君が望むなら魔術を教えよう」

「…ありがとうございます」


 どうして、先生は魔術師に厳しいのか。どうしていつも彼を追い払うのか。…引き離そうとするのか。そんな嫌な思考を押し潰すために私は深呼吸をして、魔術師の残した教本を抱えて部屋に帰った。




 部屋にこもって本と睨めっこしていたら、豚頭のコックさんが呼びにきてくれた。

「君は痩せすぎだからねえ、いっぱい食べてほしいんだ」とのこと。


 確かに、幼少から食事は制限していた。

 何より、美味しいものを食べるのは幸福への近道。最低限の食事のみ摂り、嗜好品など不必要なものを与えないよう、管理されていた。だから少食だしどんな味でも見た目でも飲み込める。

 故に、度肝を抜かれていた。


 広い食堂の広いテーブルの上で圧倒的な存在感を放つデザート。分厚いパンケーキが何層も重ねられた外面を蜂蜜とクリームと数種類の果物がドレスみたいに装飾している。信じられないほどの糖分。


「魔術の授業で疲れただろう?好きなだけ食べておくれねえ」


 コックさんは大きなお腹を揺らしながらおっとりと指し示した。

 気圧されつつ礼をして席につく。目の前だとより大きい。恐る恐るカトラリーを手に掘削を始めた。


「い、いただきます」

「召し上がれ」


 口に入れた瞬間に分かる。綿より柔らかい生地。淡白とは対極にあるクリーム。甘酸っぱい赤い実。

 今までの人生で摂取した甘味の総量を軽々と超えたと錯覚するほどの代物だった。

 こんな贅沢なものを私が食べていいのだろうか、ちらりと思考が過ぎる。

 しかし出されたものを残す訳にはいかない。必然的に一口が大きくなる。

 忙しなく運んでいると、「詰まらせないようにねえ」とお茶を勧めてくれる。爽やかな香りのする紅茶は飲み口がすっきりとしていてお供にぴったりだった。


「…ごちそうさま、でした」


 思っていたよりあっという間だった。

 半ば放心状態にある私に、テーブルのそばに立つコックさんは「ああ、本当に、なんて素晴らしいんだろう」としみじみと呟いた。


「君は本当に、美味しそうに食べてくれるねえ。なんて作り甲斐があるんだろう。ああ、もう…胸がいっぱいで、お腹が空いてきたよ」

「…い…一緒に、何か…食べますか?」

「ああ、ああ、お誘いしてくれるのかい?なんて嬉しいんだろう。勿論、喜んでお受けするよ。君と食事ができるなんて、どれだけ満たされることか!」


 豚頭を振り、コックさんは、非常に感動した様子で「それじゃあちょっと待っていておくれ、今、準備をするからね。そうして一緒にご飯を食べよう」と、厨房ではなく何故か廊下に向かって歩き出そうとする。

 そこに声がかかった。


「…いい加減にしなさい。お前は自分の役割を弁えていないのか」


 決して恐ろしくはない、低音。けれど、そこには確かに叱責や呆れ、失望が込められていた。

 音もなく現れた先生は、コックさんを真正面から見つめる。互いに仮面を被っているから表情は分からない筈なのに、どちらも反応は明確だった。


「ああ、でも、本当にお腹が空いたんだよ。この子と一緒にご飯が食べられたら、どれだけ幸福か」

「…重症だな。立て続けに、全く…度が過ぎる」


 哀れっぽくコックさんは訴え、先生は首を振って否定した。


「こちらへ来なさい。調整すれば少しは落ち着くだろう」

「ああ、そんな…ひもじいよ…」


 先生に腕を取られ、コックさんはしょんぼりと食堂から連行されていく。入り込む隙のない展開に呆然とする私に、退室する直前、先生は仮面の下から視線を投げた。


「見苦しいところばかり見せてごめんね。しばらくすれば落ち着くから、心配する必要はないよ」


 見苦しくなんてないです。

 即座にそう答えられたら良いのに、私の口は空回るばかりで、彼らの行動を押し止めることなど、到底叶わなかった。

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