3魔道具
魔術師が一人喋っている。
「さーてそれではリクエストです!ペンネーム気障男さんより、”彼女への求婚用に、一瞬で蕾から花開く花束が欲しい”とのこと!それでは早速試してみましょう、聖堂霊地の土を基とした専用のフィルムで包み、根っこを落とさないように気をつけまして…!」
「”お慕いしています”」
「…はいここで受け取って!」
「は、はい」
「おおっみるみるうちに枯れていく!実験は失敗だ!成長促進が効き過ぎた!」
魔道具の製作部屋…というより、会堂とでも呼ぶべき広さの場所で、私は魔術師と相対していた。
魔術師から大仰に渡された花束は、私の手に触れた途端に蕾から開花を始めたが、その速度が留まることはなくあっという間に茶色い枯葉に変貌してしまった。
「諦めずに続いてのリクエスト!ペンネーム腰痛が痛いさんより!”あったかくなる揺り椅子があると嬉しいねえ”ですって!それではやってみよう、こちら座面に火の竜の鱗を敷き詰め怪鳥ドゥルドゥーの羽毛で覆った自慢の一品!製作期間三日!」
「座ればいいですか?」
「待ってね、これはちょっと危ないから僕が試すよ。さあて結果は…キャーッお尻が燃えるーッ!」
「こ、こちらを…!」
「いやああ助かった!火力調整機能を要検討だね!」
尻に火がついた様相で飛び跳ねる魔術師に、彼がかつて開発し現在市場で販売中の「擦ると冷たくなる石板」を差し出すと、命の恩人かの勢いで礼を言われた。
「…あ、あの…」
「さーてさてお次のリクエスト!ペンネーム空を自由に飛びたいなさんより!”空中遊泳できるなんかを作ってくれ”!お答えしましょう何にでも!こちらの靴には風見鶏の羽を取り付け妖精の粉をふんだんにかけました!試作第一号!ちょっと履いてひとっ飛び行ってくるね!死んだらごめん!空の彼方へさあ行くぞ!」
「や、やめてください!」
「ごめんごめん冗談冗談、死なない死なない」
物騒な内容に慌てて引き留めようと手を伸ばしたら、優しく掴まれて笑顔で宥められた。
現在私は、魔術師の「実験」の手伝いをしている。
かつて条件として出された文言。「魔術の実験に人間が必要だから、娘さんを貸していただきたい」。
呪いめいた魔術の実験体として人体に何がしかの改造を施していくに違いないと、私も父も思っていた。
違った。魔道具の試作品の使い心地を確かめる、その手助けの役だった。
この館に来て二日目となる今朝。メイドさんに揺り起こされ真新しい服に袖を通し、昨夜の食事と同じくコックさんに見守られつつも一人でご飯を食べ終わったその瞬間に、魔術師が「やあやあおはようそれじゃあ早速お手伝いしてもらおうか」と快活に現れた。
とうとう実験体としての役目が始まるのだと覚悟を決める私を、魔術師は作業場に案内し、そこで彼の作り出した魔道具の試運転の相手を務めることとなった。
魔道具は、薪を焚べずとも燃え続ける暖炉だったり、侵入者の検知ができるガーゴイルだったり、地元にいた頃にも見たことがある。どれも耐久性があって長持ちするが、不思議なもので、過激に叩き続けて壊したり使い過ぎて壊れたりすると、一律にスイッチが作動し瞬時に灰と消え去ってしまう。跡形も残らない。だから修理の必要はなく、新品を迎えるしかないのだ。
大抵は家事や雑事の短縮ができる便利な、大衆向けのもので、今まさに編み出されようとしている「誰かの絵空事をピンポイントで叶える道具」はあまり見たことがなかった。
どんな道具一つ作るのにも並々ならぬ研鑽が隠されていて、魔術師は試用の度に飛んだり跳ねたり暑がったり冷たがったり、悲鳴を上げつつ己の体を張って効果を確かめていた。
どんなに上手くいかなかった試作品も、彼は全て取っておいて保管している。
彼曰く。
「失敗は成功の母!どんどん挑戦して経験値を貯めよう!失敗しちゃったもうダメだと気落ちする必要などないのです。後の糧になりますから。全ては過程と結果に過ぎないというわけですね」
らしい。
私もそれに続こうとしたが、「これとかは危ないから君は見ていておくれ。大丈夫、僕は特殊な訓練を受けているからね、適材適所だよ」とやんわり遠ざけられて、少しもどかしかった。
この家に置いてもらう以上、どうにか彼の役に立てないか、と思わずにはいられなかった。
「いやあ、やっぱり相手がいると違うねえ。一人でやってると何が良くて何が悪いのか分からなくなってくるんだよね!君は救世主だよ、よっライラ様!有能!最高!」
「そ、そんなことは…」
彼はいちいち言動が大袈裟だ。そういう性質の人だから慣れるしかないとは思うが、冗談の称賛でもこそばゆいことに変わりはない。
右往左往する私を笑顔で眺めてから、魔術師は「それじゃあ、次の件に移ろうか」と宣言する。
「君の目を調べさせていただきたい。大丈夫、今日は発動条件を洗い出すだけだからね」
作業場より狭い室内に移る。
あちこちに物が溢れ、何に使うのか想像もつかない色味の品が散らばっている。その中をすいすいと進み、魔術師は白い椅子に私を腰掛けさせた。
その周りを歩き回りながら彼は人差し指を立てて喋り出す。
「君は感情で瞳の色が変化する。質問させていただこう、それは一色かい?それとも抱く感情によって色も変わる?」
「…変わります。嬉しいと黄色になります。楽しいと橙色で、わくわくした時はそれに薄く赤が混じったような色で…」
「なるほど、昨日は嬉しかったんだねえ」
「…っ」
「少し混ざったね、紫かな?これは?」
「…ど…動揺でしょうか…」
「なるほど」
まじまじと見られている。お守りを出す隙もない。
こんなことは今までになかった。誰もが気味が悪いと目を逸らし、腫れ物に触るように扱った。自分自身でさえ、必要でなければ鏡を見るのも嫌だというのに。
深呼吸をする。平常を保つため何百回と繰り返した対処法。いつものように気を鎮めようとしたら、肩に手を置かれた。
「駄目だよ」
「え?」
「僕が見ている。むざむざ消してしまうなんて酷いじゃないか」
驚くほど近くで細められた彼の瞳が覗いている。声も近い。「感情を抑えようとしないで。本当の君を見せて欲しい」と、誘うように囁く。
彼の髪の毛先が手に触れている。何の穢れも宿していないような、純白の色。
女の私よりも長く、元々そういう毛質であるというよりは手をかけられていない故といった印象で、無造作に束ねられている。
彼の凝視を避けるようにそっちを目で追ったら、容赦無く視界に回り込まれた。どこを向いても純粋なブラウンアイから逃れられない。
壁の時計の針音がやけに遅く感じられる。数分しか経っていないのに、何時間も観察されていたような気がした。
「…うん、なるほど!」
唐突に魔術師が離れた。
「ありがとうございました。いやあ実に興味深い。やっぱり新しいものを知れるのはいいねえ。お疲れ様でした!」
「お…お疲れ様でした」
「昨日も言ったけど、君が感情を乱しただけで周囲に不幸を振り撒くなんてのはとんだ迷信だ。だから何も心配せずいっぱい笑って楽しんでくださいね」
「…ですが…私の母は、私の、せいで…」
「故人になられた?」
何の躊躇いもなく、魔術師は質問した。怖々頷くと、明るい調子で「偶然だよ」と否定される。
「人が死ぬのは自然の摂理だ。よくあること!いちいち気に病んでいたら前には進めない!君も切り替えて今この時を堪能しよう!」
思考が錯綜し、一瞬の間を置いて、善処しますとどうにか答えた。
「さてさて、じゃあ次の件だ。推測するに君には魔力があると思われますが、それがどの程度なのか検証してみましょう!」
じゃじゃあんと擬音を口で言い、魔術師は白濁色の石を持ち出した。掌より少し大きいくらいのサイズで、魔術師の手の上でほんのりと光沢を帯びているように見える。
「魔石の一種です。これに触るとその対象者がどの程度魔力を持っているかが見えます」
「不思議な石ですね」
「魔力の結晶だからね!どんな原理も跳ね除ける万能の一端なのさ!じゃあお手を拝借」
魔術師に指示されるまま手を差し出す。そっと石が乗せられた。研磨されていて触り心地が良い。
そんな呑気なことを考えていられたのも一瞬だった。
「っ!」
「ほう」
部屋中が、瞬間的に光で満たされた。咄嗟に目を瞑って、数秒してから恐る恐る眼を開く。
掌の上に発光体がある。白い光、だけでない。人間の色覚にある全ての色がかわるがわる発せられているかのようだった。
とにかく、眩しくて間近で見ていられない。
顔を背けた私に、魔術師が眼鏡をかけさせてきた。黒いレンズがはまっている。ようやく視界が落ち着いた。
魔術師はいつの間にかお揃いの色眼鏡をかけ、顎に手を当ててじっと石を見つめている。
薄い笑みを浮かべて、狙うように、じっと。
胸の奥がざわめくような感覚に急かされて声をかける。
「…あ、あの、これは」
「素晴らしい!」
パッと表情を切り替えた。初めて顔を合わせた時から変わらない、陰りの一つもない顔。
私から石を取り上げ、途端に光源の消えた部屋で、互いに眼鏡を外してから彼は太陽みたいな笑顔で謳う。
「君は天才だね、一体どれだけの魔力を誇っているというのか!いやあ今まで名を残した魔術師が皆木っ端に思えてくるね!」
「そんなまさか」
「まさかと言いたいのはこちらだよ、全くこんな才能隠し持っちゃって、このこの!君はどこまで僕に幸運を運んでくれば気が済むんだか!」
「幸運…」
幸運を運ぶ。真逆のことしかできなかった私が。この人に。
全くの無意識だった。普段必死で気を付けていたくせに、完全に気を抜いていた。
彼は、私の顔を見て、動きを固めた。
どうしたんだろうと瞬いて、その瞬間の自分の口角が下がったことに気づく。
すなわち。さっきまでは、口角が上がっていた。
微笑。
何があろうとそれだけは絶対にしてはいけないと、かつてあんなに怯えていたのに。
驚きの後、不安が押し寄せてくる。これから先発生するかもしれない不幸についてではない。否、それもあるが、それよりも圧倒的に目を引くものがあった。
魔術師から、表情が消えていた。
それまでずっと笑顔で、朗らかで、何一つ暗いものなんてないと振る舞っていた人が、一切の感情を晒さず、空虚な面持ちで私を見下ろしていた。
冗談を交えた明るい言動と豊かな表情、陽気な高い声のしない魔術師は、まるで別人のように冷淡で、あまりにも、端正だった。
「あ…あの…」
「かーわーいーいー!」
突然の大声とドアを破る音に肩が跳ねる。
それを叫んだのは勿論魔術師ではない。
山羊頭のメイドさんだった。
彼女は私の前に突進してくると、両手を広げて「ねえねえ、ハグしていい?ダメ?だったら頭を撫でるだけでも…!」とじりじり距離を測ってくる。
何を言っているのか、今まで聞き耳を立てられていたのだろうか、覗かれていたのだろうか、と混乱する私の背後から、「先生、早く連れていってくださいよ」と平坦な声がする。
彼に呼ばれた先生は、少し間を置いてから現れた。慌てた様子で部屋に走ってくると、メイドさんの肩に手をかけ、「怖がらせてごめんよ」と私に謝罪し、暴れる彼女を部屋の外に連れ出そうとする。
去り際、魔術師に声をかけた。
「エルム。今日はそのくらいにしておきなさい」
「勿論そのつもりですよ。邪魔過ぎてお話にならない」
「…全く…忌々しい…」
低い声でぼやくと、興奮するメイドさんを羽交い締めに引きずりながら先生は消えていった。
完全に二人がいなくなってから、ふう、と魔術師が息を吐く。そうして前触れもなく笑顔に戻った。
「やあやあごめんねびっくりさせて!なんだか調子が狂っちゃったみたいだ。今日はこのくらいにして、君は自由に過ごしてくださいな。僕は作業場でお仕事に戻ります!何かあったら声をかけてね、コックさんに言うのでもいいよ。先生とメイドさんは忙しいから今日はそっとしておいてね」
ではではまた明日、と魔術師は何事もなかったかのように別れを告げる。
それにどうにか挨拶し、私はもやもやとした思いを押し込めながら客間に足を向けた。
ぼんやりと先程の反省をしつつお守りを磨いていたら、豚の仮面を被ったコックさんが呼びにきてくれた。
朝食と同じく、相席する人は誰もいない。
実家でも食事はいつも一人だった。わざと旨くならないように調理されたものを摂取するだけの作業。
しかし現在、私は研究熱心なコックさんに「美味しいかい?」「硬くないかい?」「お口に合えばいいんだけどねえ」と絶えず質問を投げかけられていた。
無論、美味しい。こんなに味の濃いものを食べたのは母が存命だった頃以来かもしれないと思うほど感動している。
だからこそ気が引ける。
魔術師にも先生にも、私が正の感情を抱いたところで何の悪影響ももたらさないと諭されている。私などよりよほど博識な人達がそう言うのだから、きっと正しいのだろうと納得する気持ちもある。
でも一方で、この十六年間で刻み込まれた常識が警告している。お前のせいで優しい彼らが死ぬかもしれないぞ、それでもいいのか、と脳裏で囁き続けてくる。
故に手放しで乗り切れない。
「…美味しくないかい?」
「い、いえ!とんでもないです。とても良いお味で…」
悲しそうな問いかけに慌てて下味が染み込んだ肉と付け合わせの野菜を頬張る。味の感想を求められたことなんて経験がないからどう答えたらいいのか正解が分からない。
まごつく私を前に、コックさんは豚の顔を揺らして何度も頷く。
「うんうん、腕の見せ所だねえ。期待しておくれ、食べた瞬間に思わず笑みが溢れるような、そんな料理を作ってみせるとも」
「わ…私のためにわざわざそんなお手間をかけてもらう訳には…どうぞ魔術師様に提供なさってください」
「エルム?駄目だよ、味なんてどうでもいいと思っているもの。栄養が取れれば充分と割り切っているからねえ」
ちょっと落ち込んだ様子でコックさんは語って、お腹が空いたなあ、とふくよかな腹に手を添えて切なそうに呟いた。
「私に構わず…食事をとってください。もう食べ終わりますから」
「お気遣いありがとうねえ。でもただの口癖だから気にしないでおくれ。あの子もそう、君にたくさん触れようとしてくるだろうけど、無視していいからねえ」
「は、はい」
メイドさんの話だろうか。
確かに、今朝起こされた時も「なんで床に座って寝てるの?それよりも、ああ、綺麗なお肌!綺麗な髪!触っていい?梳かしていい?もーっと可愛くしましょうね!」といきいきしていた。
触れそうになった瞬間に先生が現れて「弁えなさい」と脅すから実際に触れることはなく、身支度の準備を一部手伝ってもらっただけだけど、あんまり丁寧に扱われて居心地が悪かったのを覚えている。
「…あの…コックさんとメイドさんは、お名前は、なんというんですか?」
昨日聞きそびれてずっと気にしていた。
この館には、メイドさんとコックさん以外にも働いている人がいる。
しかし、その全員が真っ白い無地の円形の仮面を被っていて、服装も全く同じ。口がきけないというため話したこともないから、まるで覚えられない。
彼らの方も私に関わってくることなく一切の興味も持っていないようで、いつ見ても黙々と自分の仕事に励んでいる。
彼らと距離を縮めるのは難しいだろうけど、コックさんとメイドさんは話もするし、何よりお世話になっている。名前も知らないままにはしておきたくない。
「興味を持ってくれるのかい、ありがとうねえ」とコックさんはおっとり礼を述べてから、首を振った。
「でも、名前はないんだ。料理をする人とだけ覚えておくれ。あの子の方も、君の生活の手伝いをする人とだけ認識してくれればそれで大丈夫だからねえ」
「…そんな…」
思わず出た私の声に反応することなく、コックさんは空いた皿を片付け始める。
その規則正しい動きを目にしながら、私は言い表せない違和感が滲んでいくのを感じていた。