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2/20

2忠告

 もしかしたら、運命だったのかもしれない。




 一月前、本当は、遠出するのは妹ではなく私の予定だった。


 妹ローザは、地道なことが嫌いだった。

 幼い頃から派手好きで観光やお洒落に目がなく、家庭教師の堅苦しい作法や覚えることの多い授業を欠席するのは当たり前。あとでお姉様が要点まとめて教えてくれればいい、と見切りをつけていた。

 だから、支援関係にある教会のお手伝いなど行くはずもなかった。


 伯爵家と古くから繋がりの教会は、定期的に慈善活動を行なっていた。活動内容は催事の裏方や地域の清掃、一人暮らしの老年の方の家を訪問して話し相手になったりなど地味なものが多く、父からその手伝いを打診された時、妹は表面上は素直に頷いたが、後に「お姉様が行って。変装したらバレないでしょ」と私に告げた。


 妹の髪色は見事な金色、私のは金というよりベージュに近い。目の色は、妹は青、平常時の私は濃い灰色。

 系統としては離れていないと言えなくもないが、同一人物と言い張るのは厳しい。

 しかし、あまり人前に出ない私と、父の目がない時は決まって都に遊びに行っている妹の容姿は人々からの認知度が低く、偽るのは容易だった。


 万が一何かあって瞳の色が変わったら困るから、さほど人と顔を合わせない掃除の担当を買って出て(誰もやりたがらない区分のためすんなり収まった)、活動が終わった後の慰労の集会も断り続けた。

 「愛想がない」「なんだか不気味だ」「お高くとまっている」と遠巻きに囁かれるのを聞きつつも、妹の格好をして黙々と働くのを何年と継続していたら、ある日声をかけられた。


「いつもお手伝いありがとうございます。近いうちに、国境沿いへ魔兵残骸の回収作業をしに行くのですが、あなた様もご参加いただけませんか?」


 魔兵とは、先の大戦の立役者であり、最大の功労者である魔導兵器である。

 「救国の魔術師」によって製造されたもので、彼らの投入で戦況は一気に逆転、圧倒的な勝利へと導いた。

 私の住む土地や都市部は大戦下でも平穏そのものであり、物が品薄になるなんてことすらなかったが、国境近くの地域はやはりダメージを受け、戦後十年近い今でも一部は人が住めない状態になっている。

 そこの復旧活動に行こうという事務的な誘いだ。と思ったのだが、


「…遠方なら誰の目を気にする必要もないでしょうから」


 修道女である彼女は、綺麗な笑顔でそっと呟いた。

 私はただ、目を伏せて感情を抑えるのに必死だった。


 家を離れて羽根を伸ばす。選択肢になかった。何故なら許されるはずがないからだ。

 私は「忌み子」で「罪人」で、人並みに喜んだり楽しんだりしてはならない存在。私が笑えば誰かが怪我をするかもしれないし、幸せを感じれば誰かが死ぬかもしれない。そういう得体の知れない生き物。

 十六年間、私を家に置いて育てた伯爵家に恩義を返すべきで、反抗などあり得ない。

 それなのに。彼女の誘いを受けた私の胸は踊っていた。

 だから良くなかったのだ。

 修道女の彼女は、私を勧誘した数日後に事故で腕を切断された。


 耐えきれず、見舞いに赴き、「あなたが怪我をしたのは私のせいなのだ」と訴えたくなるのをどうにか抑えて理由のない謝罪を繰り返す私に、彼女は。

 深く、ため息を吐いた。


「酷い仕打ちだこと」

「…え」

「噂は本当だったのですね、ルズベリー伯爵の傀儡娘に関わったものは不幸に見舞われる、と」


 言葉が出なかった。


「…国境にはどうぞお行きになるといいでしょう。ちょうど人手も足りなくなったことですし」


 柔らかな声に反して刺々しい口調に、私は再度謝罪して逃げるように退室する他なかった。


 せめて彼女の分まで、労働に徹する。入り混じる感情を押し潰してどうにか決意した私に、「教会の慈善団体が遠くまで出かけに行く」と聞きつけた妹が言った。


「旅行?いいなあ、私が行ってくる。お姉様は留守番してて」


 妹の遠出を心配した父も同行し、二人は出かけていった。

 そうして、魔術師との邂逅に至った。






 私は、魔術師の顔を呆然と見上げていた。

 彼は私の顎に手をかけ顔を持ち上げさせたまま、瞳を見つめている。猫に似た円らな目は、まるで世界で一番美しいものを見つけたとでも主張するように熱を帯びていた。


「や…やめてください」


 必死で声を絞り出す。絶対に抱いてはならない感情を閉め出すために事実を羅列する。


「これは呪われたものです。このままでは不吉なことが起こります。あなたに…危険を及ぼしてしまう」

「そうか、それは楽しみだ!何事も経験だよね!大丈夫、僕とーっても頑丈だから!」

「死んで、しまうかもしれないのです…!」

「本望だよ」


 絶句する私に、魔術師はにっこりと微笑みかけた。


「こんなに尊いもののために死ぬなら何も未練はないさ」

「そんな…」

「気にすることないよ!君から悪いものは感じない。今まで何か悪いことが起きたのならそれは偶然の一致に過ぎない、君に落ち度なんて一切ない!」


 私は悪くないと、魔術師は断言した。そんなはずはないのに、どうしてかその言葉は私の胸の内にスッと入り込んできた。

 無言のまま、私達は至近距離で見つめ合う。混じり気のないブラウンの瞳は時が止まったように私から逸らされることはなかった。


「離れなさい、エルム」


 低音が響く。


 私の正気を戻し、場の雰囲気を正したのは、仮面の男性の介入だった。

 彼は左手を使って空中で何かを掴むような動きをする。途端に、間近にいた魔術師が仰け反った。

 ゆったりとしたローブを纏う魔術師には指輪や腕輪、耳飾りといった装備品(装飾用ではないのかどれも華美ではなかった)が多量についており、彼の震えに応じてカチャカチャと音を立てる。


「あだーっ!ちょっと先生!空気読んでくださいよイタタタタ!」

「何が空気だ。うら若いお嬢さんに気安く触れるものじゃない、穢らわしい」

「んもー相変わらず厳しいんだからー!」


 全身に痛みが走っているかのように痙攣していた魔術師は、男性が腕を下ろすと何事もなかったように姿勢を戻し、「いやあお目汚し失礼しました」とケロッと謝罪した。


 取りなすように息を吸った後、仮面をつけた黒髪の男性は、右手で持っていた私の荷物を掲げて「机に置いておいて良いだろうか」と改まった口調で私に問いかける。慌てて私は「運んでくださりありがとうございました」とそれを受け取った。大波が寄せる内心を抑えるべく、頭を下げて一度視界を仕切り直す。

 礼に首を振ってから男性は魔術師に向き直り、苦々しい声で言う。


「エルム。距離感を弁えなさい」

「はあい、すみませんでした。戒めよう、先生の言うことは、ぜったーい!」


 魔術師が先生と呼ぶ人。となると彼は使用人ではなくて、魔術を教えてくれた先生、というわけだろうか。

 私の視線に気づいたのか、魔術師は「ひょっとして気になる?」と首を傾げ、男性のそばにすすすと近寄って腕を絡ませると、明るい調子で宣伝する。


「こちら、僕の良心にして、僕の理想である先生です。僕が物心ついた時から面倒を見てくれてるから、頭が上がらないんだよね!君も先生って呼んでいいよ!」

「…ふざけたことを…」


 男性の声は穏やかだが、相変わらず低い。仮面の下で怒った顔をしているのか呆れた顔をしているのかは分からないが、少しうんざりしていそうな感じがあった。

 男性はため息を吐いてから、「名前はないよ。好きなように呼んでもらって構わない」と告げる。困ったので、魔術師に倣って「先生」と呼ぶことにした。


「さてさて、聞きたいことは色々ありますが。とにかくこれを確認しようか」


 魔術師は、ニコニコの笑顔を向けて、私に真正面から問いかける。


「君は、ここに僕のお手伝いをしに来てくれました。当初は一泊二日のお手頃日数でお預かりする予定だったけど、正直気が変わった。僕は君が欲しい」

「な…」

「どうだろう、君はいつまでここにいてくれる?」」


 こてり、と首を傾げて、彼は私から、狙うような猫目を離さない。

 先程短く声を上げ、今にも制止をかけてきそうな人の姿を視界の端に認めながらも、私は、喉を震わせた。


「…魔術師様が望む限り、どうかここに、置いてください」

「ありがとう、ライラくん。生涯君を大切にすると誓うよ」


 そんな言葉のやり取りを前に、仮面の人は、どうしようもないように肩を落とした。




「君のお世話担当を紹介します!一人目!いつも出会いを求めているメイドさん!」

「ああ可愛いお嬢さん!ハグしてもいいかしら!?」

「やめなさい」


「二人目!いつもお腹を空かせているコックさん!」

「痩せているねえ、クッキーをあげようねえ」

「ちゃんと食べて良い原料で作ってあるか確認してきなさい」


 魔術師が声高に紹介し、当人が行動を起こそうとするのを先生が止める。

 細身のメイドさんと肥満気味のコックさん。どちらも先生と同じような仮面をつけていた。ただし形状が少し違う。先生の仮面は丸く、不思議な紋様が刻まれているが、メイドさんのは山羊の頭のような形を、コックさんのは豚の顔のような形をしていた。


「何かあったら僕か、先生か、メイドさんかコックさんに言ってね!その他の人に話しかけちゃダメだよ、口がきけないから!」

「わ、分かりました」


 戸惑いつつも返事をした私に、魔術師は満足そうに頷く。その両脇でメイドさんとコックさんも同じようにうんうんと首を振っていた。

 機を見計らったように、先生が口を挟む。


「…エルム。そろそろ作業場に戻りなさい」

「ええ、もう?まだまだお喋りも足りないしご案内もしてないし…」

「今日は彼女も長旅で疲れているだろう。詳細は明日になってからでいい」

「でもお…」

「エルム」


 先生の声が一段と低くなる。


「答えなさい。お前は何のために生きている」

「はあい、それはもちろん、国民の皆々様の”笑顔のために”です!」

「なら、さっさと行きなさい」

「はーい…それじゃあライラくん。また後でね!」


 そして魔術師は姿を消す。と思いきやまた戻ってきた。


「そうそう、ご注意を一点。この家のどこで過ごしてもいいし、気に入ったものがあったら貰っていいし、冷蔵庫の中身は全部食べていいけど、これだけは守ってほしい」

「なんでしょうか」


「地下室には近寄らないで」


 にこやかな表情も明るい声色も変わらないのに、何故か圧迫感があった。

 平静を装って了承した私に、魔術師は満面の笑顔を向けると、最初に登場した時と同様、白い長髪をたなびかせ軽やかに走り去っていった。


「お着替えしましょ、可愛い服をたーっくさん持ってくるわ!その気取りのない素朴な服も素敵だけど、あなたに似合うドレスがきっとわんさかあるもの!」

「嫌いなものがあったら言っておくれ。いっぱいご飯を食べさせてあげようねえ」


 山羊頭のメイドさんと豚頭のコックさんは私を気遣い、口々に言いながら、自分の仕事をするために客間を離れていく。

 残されたのは私と、先生。


「…気力はまだ残っているかな」


 突然聞かれて一瞬詰まるが、「はい」と返事をする。きっと私に対して何かあるのだろう。魔術師への態度からも分かるように、この人は多分厳格だ。

 密かに身構える私に、しかし先生は穏やかな低音で「座っておいで。お茶を持ってこよう。それから、あなたの話を詳しく聞かせてほしい」と何の害意を滲ませることなく導いた。




「…相当、苦労をされたのだろう」


 先生は労いの気持ち以外を感じさせない優しい声をかけてくる。

 対面に座り、不思議な味のするお茶を飲みながら、私は自身の目について説明をしていた。バレてしまった以上、早々に害悪性を共有しておく必要があった。


「魔術師様は、偶然と仰られましたが…でも、私の身には…何かが、あると思うのです。私が良い類の感情を抱くことで、周囲に不幸を振り撒いてしまう何かが…」

「…それは、ないだろうね」

「ど、どうしてですか」

「例えば、エルムは毎朝水を飲む。ある時不運に遭って、そういえばとふと思い出す。不運が起こるのはいつも水を飲んだ後。ということは、己に不運が降りかかるのは、水を飲んだせいだ…あなたに刷り込まれているのはそういう論拠だ」

「で、ですが…異国の昔話に、聞いたことがあります。瞳の色が変わる種族が行動した時、世界に厄災が訪れたと…」

「それは妖精族の話だよ。彼らは魔力の昂りによって目だけでなく姿そのものを変え、あらゆる魔法を操った。人との戦争でその姿を見せたから、人の伝承では不吉なものとして扱われたんだ」


 先生は首を振り、「それに。人間である以上、感情一つ抱いただけで命を奪うなどと、そんな現象は起こせない。人間の体はそれほど強力な魔力は宿せない」と続ける。


「確かに、あなたの目は不思議で特別なものだ。おそらくあなたは人間の中でも突出して強い魔力を持っているのだろう」

「魔力…私に、ですか?」

「この世に生きる大抵の生物は微少なりとも魔力を携えている。あなたの場合、魔力量が人並み外れていた。その影響と考えて良いだろうね」


 いずれにせよ、あなたのせいではない。

 魔術師と同じことを、先生は口にする。

 泣きそうになって目を伏せた。

 私が落ち着くまで、先生は何も言葉を発さず待っていた。

 やがて顔を上げた私に、意を決した様子で「今は受け入れにくいかもしれないが」と切り出す。


「…エルムは、あなたに甘言をかけるだろう。だが、それは、自分自身のため。あなたの構造を調べ、あなたの瞳が何かに応用できないか考え、新たな魔道具を生み出すため。魔道具を作り、国に提供し、金品を得て次なる技術の発展に繋げ、国民に貢献するため…それ以外はない」

「……」

「悪いことは言わない。早く逃げなさい。あなたの目が解剖される前に。信用できる魔術団体を紹介しよう。外国だけど、あなたほどの魔力があれば丁重に歓迎されるだろう」

「…私は…魔術師様に何をされても、構いません」


 私の言葉に、先生は沈黙した。仮面を被っているのに、その下の顔が気落ちしているのが雰囲気で感じ取れた。


「あんな男に、心を許してはいけない」


 ぽつりと、低い声が呟いた。


「あなたが気に掛ける価値などない。人心を持たず理解もできず、自分勝手で短慮に行動し、何を引き起こすかも見通せない。誰とも関わらず引きこもって一人遊びをしている。何より…」


 彼は仮面をつけている。それなのに、強い視線を悟らずにいられなかった。


「何人の命を奪ったかも分からない、大量虐殺の大罪人だ」

「…私も罪人です。…お揃いですね」

「…冗談も言うんだね」


 ふっ、と雰囲気を緩めて、先生は私から顔を逸らした。そうして空になったカップを回収して立ち上がる。


「食事の準備ができたら呼びにくるよ。それまでゆっくりお休み」

「ありがとうございます」

「当然の応対だ。感謝されることじゃないよ」


 先生は穏やかに否定して、客間から退室していく。


「…お願いだから。早く逃げなさい。酷い目に遭う前に。取り返しが、つかなくなる前に」


 去り際の低い忠告に、私は頷くことも首を振ることもできず、背の高い後ろ姿を見送った。




 深夜。豪華な夕食も快適な入浴も済ませた、しばらくの後。

 柔らか過ぎて落ち着かないベッドの上から離れる。

 壁際に腰を下ろして膝を抱える。その方が馴染みがあった。実家の寝床は、固くて冷たかったから。


 静寂の中で、じっとお守りを見つめる。

 遠い遠い昔、外出先で遊んでくれた親切なおじいさんにもらったものだ。普段は丸く、鏡みたいに風景を映す二つの宝石が嵌められた、蓋付きの手鏡コンパクトミラーみたいな形状をしているけど、私が願うと不思議なことに姿を変える。

 鏡石を目に持つ、土色のお人形。

 小さい頃から、彼だけが遊び相手だった。


 母からもらった絵本を開く。かつて妹に見つかって粗末に扱われたせいでボロボロになってしまった、私の宝物。

 魔法使いが出てくるおとぎ話。

 それを音読しながら、人形遊びをするのが、寝る前の日課。

 傍から見たら幼児のようだと鼻で笑われる行為には違いないけど、それだけが、何も考えず浸れる、唯一の拠り所だった。


 人形の目に私の瞳が映っている。

 濃い灰色。変わりない、安心できる色。それ以外、許されてはいない色。


 けれど魔術師は、色の変わった瞳を、美しいと言った。

 許されないと念じても。どうしても、あの熱が離れてくれなかった。

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