「傀儡娘ライラ・ルズベリー」
ルズベリー伯爵には二人の娘がいる。
一人は平凡な、秀でた要素もない有象無象の令嬢に過ぎない。
しかし、もう一人は特異性を持って生まれた娘だった。
その娘の名はライラという。
幼少より彼女についての情報は遮断され、現実味もない噂ばかりが膨らんでいた。
関わると不幸になるとか、母親を呪い殺したとか、顔を見ると死ぬとか。
僅かばかり接触したことのある人間によれば、彼女はひたすらに人と目を合わせるのを避け、定型文しか口にせず、己の心情を語ることは一切なく。
加えて確かなのは、ルズベリー伯爵によって彼女は秘匿されているということ。
故に、ついたあだ名が傀儡娘。
微小な事実から勝手な憶測が交わされ、噂に尾鰭がつき。
「伯爵が、亡き妻に似た相貌の娘を、誰の目にもつかぬよう家に閉じ込め、日の下に晒せない方法でどろどろに溺愛している」などという妄想が、貴族間でまるで真実のように共有されていた。
ルズベリー伯爵はその噂にかなり参っていたらしい。
元々豪胆とは程遠い男だ。偉大な父の影に隠れ、妻に献身的に支えられることでようやく成り立っていたような人間。
だからこそ、彼らの死後、残された娘達に依存するであろうことは容易に推測できたし、実際ライラへの例の噂もそれが根拠となっていた。
とはいえ所詮は伯爵の内輪話。
世界への影響など、無きに等しい。
それなのに。
ライラは、私の息子の世界へとズカズカと踏み込み、中心人物として据えられるまでに至った。
私の息子は、最高傑作と言って差し支えない出来だった。
生まれた時に悟った。この子はアッシュフォルス公爵家の当主として申し分ない、否、歴代最も相応しい人物になると。
そんな私の期待を、息子は上回っていった。
全てを器用にこなし、謀を隠し持ちつつ一切違和感のない笑顔を振り撒き人に好かれ、それを誰に疑われることもなかった。
成長したら、王族に続く者として、国の中枢として、公爵家の名を背負い、十全に己の定めを果たすだろう。
アッシュフォルス家の繁栄。それが一族の最大の目的であり、我々はそのために生きて、命を繋いでいる。
その使命を、全うするだろうと。
その期待は、裏切られた。
息子は、魔法を題材にした演劇を目にしてから、異国に存在する魔術というものに時間を割くようになった。
思考は理解できる。息子は何でも思い通りにこなせる人生を送ってきた。しかし魔術は複雑で難解、容易に極められるものではなく、息子の知的好奇心を満たすものだった。
ただそれだけの話。
楽しいのは最初だけ、いずれ冷静になって見切りをつけるだろう。
だというのに、一向に魔術から離れなかった。
挙げ句の果てに、公爵家を捨てた。
私の管轄外で夫の心象を誘導し、言動を操作し、「絶縁」という単語を口にさせた。
事態を把握した時には愕然とすると同時に感動を覚えた。
やはり息子は逸材であり、身内相手であろうが利用するのに躊躇いもしない、一族の典型であると。
そして、それを悟った私は、安心した。
息子はどこまで行っても一族の人間であり、例え生きる立場を変えても決してそこから脱却することはないと。
国境へと身を移した息子の噂を耳にする度に、その確信は強まっていった。
息子は、「魔術師エルム」を名乗っていた。
要するに、その「役」を演じることにしたのだ。
元来観劇と演劇を好んでいた。息子は、魔術の探究と並行して、美しい夢の物語を現実で描くことにした。そういうことだろう。
"魔術師エルムは、国境にて人々の貢献に努めていた。
国境付近の戦争に徴用された同僚に売られ、拷問にかけられた。
拷問を受け、心を折られ、国のために大好きな魔術を利用し、兵器を作らされた。
終戦後、兵器を産んだ己の罪に苛まれ、他者との交流を絶った。
一人で生きていたが、やがてそこに少女が訪れる。
特異性を持つ、不思議な存在。エルムは彼女に心を惹かれ、かつての傷を癒やされる。
しかし、幾つもの魔道具を生み出し、魔力を費やした反動で、エルムは倒れる。
その隙を少女の生家に目をつけられ、乗っ取られそうになるが、愛の力によってエルムは復活し、部外者を追い出す。
そうして絆を深めた二人は、幸福な結末を迎える。"
大方、そんな筋書きだろう。
称賛すべきは、周囲の人間の心を手玉に取り、己の道筋を整えたことに加え、少女の道行きも操ったことか。
調べたところ、少女は、幼少の頃に息子と会ったことがあった。少女が己の特異性を解明すべく父親に連れられ方々の医師を巡っていた時期。息子の参加した劇場の徒歩圏内と、少女が足を運んだ医院の場所が被る。
その時点で、息子は少女、ライラに目をつけていたのだろう。
物語の主人公、「エルム」の相手役として。
息子は人形作りの名手でもある。成長した娘の近辺に、己の人形を潜ませ、動かし、彼女の運命を操ったのだ。
ライラが己と出会うまで希望など一縷も抱けぬよう、仲の良かった修道女を事故に遭わせたのも。
修道女の穴埋めとして、国境行きをライラに課したのも。
国境を訪れたライラを敷地まで入り込ませるため、常は侵入者を撃退するよう森に仕掛けられている魔道具を「その日たまたま不調になった」ように配備するのも。
固く閉ざされているはずの館の門を、「偶然」開け放っていたのも。
全ては息子の筋書き通りだったというわけだ。
伯爵領と国境付近で情報を収集し、材料を統合し、予測がついた。
息子が「物語の相手役」以外に、本質的には何を望んでライラを手中に収めたのかも、容易く想像できる。
娘は特異な体を持っていた。伯爵に魔術師の館へ召集され、面と向かった時に気づいた。娘は堂々と振る舞ってはいたが、ところどころで瞳の色が変わっていた。微量の変化しかない上、途中から我が息子が参戦してきたからそちらに気を取られ、他の有象無象は気付きもしなかっただろうが、私の目は誤魔化せない。
ライラが特異体と知れたその時点で、完全に腑に落ちた。
息子は、魔術の発展のため、いずれ国を相手として交渉できるほどの魔術を作るために、ライラでの実験を目論んだのだ。
息子は、やはり、私の思い通りの人間だった。
己の望む未来のためならば手段を選ばない。そしてそれを周囲には悟らせない。気付けるのは、我々のような同族のみ。
エルムとしてライラを愛していたとしても、息子の中には彼女への愛など一欠片もない。何故なら息子はエルムという「役」を演じているだけだからだ。物語が完結すればその関係も終了する。
ならば、もう少し時間が経てば息子も帰ってくることだろう。
救国の英雄として地位を築き、名目上とはいえ伴侶も手に入れた。この先魔術を極めれば、エルムとして得られるものは、何もない。
変化がなければ、息子も冷めるはずだ。
きっともうすぐ戻ってくる。エルムという名前を捨て、本来の姿として、私の元へ。
それなのに。
待てど暮らせど、全く気配がない。
公爵を継ぐ年齢としては、そろそろ頃合いだというのに。
エルムの代行人である、私と夫の姿を真似ただけの下品な二人組とは度々顔を合わせ、魔道具の流通についての会話もするが、私的な話を聞き出そうとしても一切情報を落とさない。私達の容姿を模倣しているだけのことはある。優秀な下僕として息子は彼らを使役しているようだ。
何にせよ。こちらからは動向を伺いにいけない。
終戦の際、王家を交え、エルムと既に協定を結んでいる。館への立ち入りは御法度。破れば王の兵が出張ってくる。大した能もないくせに口だけは達者な連中だ。相手にするのは時間の無駄。
公爵家としては、動けない。
ならば。私も息子の例に倣おう。
休養期間を確保してから、偽名を名乗り、ボロを纏い、国境へと単身旅立った。
「先生いけないんだー、立ち入り禁止区域に入ったら危ないからダメなんだよ!」
「心配ありがとう。でも私は頑丈だから危なくないよ。それに、あれを立てたのは私だから私が入るのはいいんだ」
「でもエルムも入ってるじゃん!前に死んでたし頑丈じゃないからダメでしょ」
「エルムは死んでいないよ。供給が止まったせいでそんな噂が流れていただけだ。元気だから安心しなさい」
「ねえ、先生、どうして最近はいっぱい街に来てくれるの?」
「少し、調査をね。湖の先の地質を改めて調べているんだ。そこは本当に危ないから近づいてはいけないよ」
「何調べてんのー?」
「魔力の浄化の余地はないか、再生できないかどうか。…少し前向きになったから、再考する余裕ができた。良い傾向だよ」
「先生って自分しか意味わかんないことよく言うよね!」
平民の子供達が黒髪の男を囲んで質問攻めをしている。背の高い男だ。息子と同じような背格好に、息子と同じような声質。背を向けているから顔は見えないが、おそらく顔立ちも似ているのだろう。
見咎められないよう、静かに離れる。一度訪れた時の記憶を頼りに、森に入り込んだ。
以前と同じく、侵入を阻む魔道具は解除されていた。息子が館に移り住んだ当初は、人間を使って様子を見に行かせたら「顔のない恐ろしい人型に容赦無く追い出された」というのに、私が見る限り何の追っ手もなかった。
ライラが来て以来、怪しまれぬよう回収でもしたのだろう。違和感を覚える箇所は徹底的に排除しているようだ。全く抜け目のない。
広い森を、少しずつ進んでいく。次第に声が聞こえてくる。
「ではでは、先生との待ち合わせ場所に行って参ります!夜ご飯までには帰ってくるよ。ライラくんと一秒でも離れるのは心苦しいけれど、魔力の強い君が彼の地に行ったらひょっとしたら悪影響を受けるかもしれないし。これも大切なお仕事…ていうか贖罪…!心残りを払拭するべく奮闘して参ります!」
「はい。お帰りを待っています、何があろうと」
「あわわ抱きしめたくなるからやめて」
「…抱きしめるのは…駄目なんですか?」
「駄目じゃないです」
茶番のようなやり取りをしながら、男女が寄り添い合っている。エルムとライラ。運命的に結ばれた二人。
その運命が息子によって描かれたものなど、娘は知りもしないのだろう。
木陰に隠れる私に些かも気付かず、エルムが出ていく。だらしのない笑顔が浮かんでいるが、内心は全く違うことを考えているのだろう。家族以外を相手にしている時の私と同じように。
足音が完全に消えてから、立ち上がり、何も知らない彼女の元へ向かった。
娘は花の世話をしていた。枯れているらしい茶色い葉に細い手を当てると、一瞬のうちに緑へと色が戻る。やはり特別な力があるらしい。息子が目にかけただけのことはある。
そういえば、娘の妹に枯れた花を渡されたことがある。実に無礼な令嬢だった。得体の知れない姉とまた別方向で、他人に疎んじられるタイプだろう。
そんなことを思いながら、娘に声をかけた。
「ご機嫌よう、ルズベリー伯爵の娘」
「…!」
「不埒な男に騙されている状況を見過ごせず、本日は貴女へのご説明に参りました。どうかお耳を傾けてくださいませ」
不意を突かれたせいか、娘の目の色が劇的に変化している。しかしそれも錯覚かと思うような瞬く間に、濃い灰色の膜が降りてきた。
警戒心を解くため親身な表情を作って名乗り、エルム…否、私の息子についての話を開始する。
本当は屋内での対話を想定していたが、娘の有り様を目にして居ても立ってもいられなかった。
全ては仕組まれたことであり、エルムの軌跡は息子の描いた物語であり、貴女はその登場人物…言うならば操り人形に過ぎないということ。
エルムはあくまで「役」であり、エルムを演じている息子の内心には、貴女への感情は微塵も存在していないこと。
このまま行っても、貴女には、いずれエルムを放棄した息子によって捨てられる道しかなく、今のうちに自ら身を引くのが賢明であるということ。
娘はじっと、黙って私の話を聞いていた。
話し終えてもしばらくは沈黙を保っていたが、やがて、私と目を合わせた。
輝くような、銀色の瞳。そこでチカチカとまばらに浮かぶ、多様な色。
「人形で構いません」
「…へえ」
「私の全てはエルム様のものです。彼が命尽きるまで、物語が幕を下ろすまで、私は隣にあり続けます」
「それが現実ではなくても、ですか」
「はい。何があろうと、私は、エルム様をお慕いしています。……そのように、ご夫人に、お伝えください」
虚を突かれた。
一度、目の当たりにしたあの方は、そんな風にびっくりした顔はなさりませんでしたよ。と、娘は穏やかに付け加える。
返す言葉もなく、もつれる足で館を後にした。
「そうですか」
公爵夫人は、私の報告に無表情で頷いた。
「以前見た時の印象と同じ。随分と聡い娘のようですわね。替え玉を見破るとは」
そう。
公爵夫人は、私のように感情に振り回されたりなどしない。衝動的に行動するなど、もってのほか。
いつでも完璧で、何があろうと乱されはしない。
息子…公爵夫人の一人息子。彼にとっての「エルム」が、現実に描き出した理想の姿なら、「私」は、公爵夫人が気まぐれに描いた彼女の「ありうべからざる姿」だ。
顔は彼女そっくりに変えられているし、体格も、声も、同質のものを選ばれた。
彼女は、心から楽しむ表情を顔の動きで作れても、それを実際に鏡で見たときに、「楽しんでいる自分」として捉えることはできない。自分が自分である以上、一生、その姿は拝めない。ならば他人に投影して見てみるのがいい。そんな思惑で、私は彼女に起用された。
私は、彼女の影でしかない。そんな私が、彼女に感情移入し、息子の出奔に傷つき、遠くで幸せになった息子へやりきれない感情を抱き、息子の恋人に対して疎ましいと思い、どうにか排除できないか、別れさせられないか画策するなど…彼女への冒涜でしかなかった。
しかし、彼女は私の目を見て、無表情に言う。
「興味深いですわね。もし私が並の人間であったなら、きっとお前のようになったのでしょう。実に有意義な姿を見られました」
「…差し出がましい真似をしてしまい、本当に…」
「顔を上げなさい。私はそれが見たくてお前を雇用したのです。感謝こそあれど叱責など有り得ません」
もっとも、生まれてこの方、他人に感謝の念など抱いた試しがありませんが、と薄い唇で呟いた。
「いずれにせよ。お前が介入しようと何の変化も生まれることはないでしょう。気に病む必要はありませんわ」
「…ありがとうございます」
けれど、と冷たい声で続けられて、全身が震える。
「これ以上、あの魔術師に関わろうとしたところで何の成果も得られないでしょう。無意味なことをするのはやめなさい」
「…はい」
夫人が、彼を息子と呼ぶことは、ない。
魔術師エルム。夫人の息子である、生まれた時から私も見てきたあの子は、本当に、娘ライラを愛しているのだろうか。
喜怒哀楽の表現を完璧に操り、さざ波一つ立つことのない内心を宿すこの女性の、血を分けた子供なのだ。
愛する振りなど、お手のものだろう。
それでも良いと、あの娘は言い切ったわけだが…。
以前夫人の侍女として、館に付き添った時にあの娘を目にした。あの時も堂々とはしていた(夫人に解説されなければ、瞳の色など注視もしなかっただろう)が、張り詰めている気配もあり、現在と随分顔つきが違っていた。
エルムに愛され、安心を得て、もはや揺らぐことは無くなったようだった。
その愛が、「魔術師エルム」という「役」が舞台上で演じているだけのものかもしれなくて、本物の彼のものかどうかを見定める手段などないというのに…。
思い悩む私を、夫人はじっと見つめている。まるで鏡を覗くように、瞬きも見逃すことのないように。
やがて下がりなさいと言われて、私は頭を下げ、すっかり暗くなった部屋の外の闇に混じるように足を踏み出した。
「私」はちょっとエルムへの期待値が高すぎる。
金髪碧眼の女の子が森に入り込んできたのでちょっとワクワクして門を開けて入りやすいようにしただけで深読みされたらたまったもんじゃないですよもう。
入れ切れなかった裏話
ライラの本当の平常時の瞳の色は、濃い灰色ではなく銀色
感情を押し潰し心を無に保とうとしている状態に濃い灰色になり、毎回そのタイミングで鏡を見ていたので「平常時は濃い灰色」であると勘違いした
伯爵領にある教会は定期的に慈善活動として、魔兵残骸の回収作業を行うという名目で人を集め国境に行っている
国境付近は大戦の跡地であり魔力の満ちた不安定な土地であるためか事故が起きやすく、上記の参加者の中にも行方不明者を出している
それと同時期に、近隣の人身売買組織の懐が潤ったりする