16集結
魔術師は、完璧に明るい雰囲気を絶やさなかった。
うんうん、確かに彼の言う通りだったね、大体僕のせいだった、でも僕一人だけの責任じゃないし、起きたことは仕方ない、切り替えて前に進むしかないんだ。
多分切り離しの順番が悪かったんだね、最初に冷静で効率的な部分を切っちゃったから、怒りを得体の知れないものと捉えちゃったんだ、冷静さを取り戻して向き直ってみればなんてことない、ただの非を認めたくない子供の言い訳だった。恐れるに足らなかったんだよ、全くもう僕ったら!
何よりもう八年も前のことだし。国境の浄化はできる限り、最大限に施行したし、付近の皆様にはお詫びの品も献上したし!時効だよ時効!
饒舌に語り、さあ上に戻ろうと壊れた人形を抱えて歩き出す。
先生と目が合った。おそらく、彼も私と同じ気持ちを持っていた。
何か。何かを、掛け違えてしまったかのような、言いようのないわだかまり。
しかしそれをどう指摘すればいいのか分からず、黙って魔術師の後ろについていく。
やがて、メイドさんとコックさんの牢屋にまで戻ってきた。
二人は、綺麗な笑顔の魔術師を目にして、顔のない顔を私と先生に向けた。質問したいような空気を漂わせていたが、魔術師の「さあさあライラくんここが正念場だ。頼り切りになってしまって悪いけど最後の鎖の解放、お願いします」という勢いに押し負け、言い出すことは叶わない。
四度目となる魔力行使。滞りなく、遂行させる。
鎖が解け、開かれた牢屋。魔術師は気安い態度でメイドさんとコックさんに近寄ると、彼らの肩を抱き、「じゃあ君達もお役御免だ。あとは僕に任せてゆっくり休んでくださいな」と労う。
二人は顔を見合わせてから、魔術師に告げた。
「人間を、諦めたんだね、エルム」
「絶望して、仮面を被ることにしたのね、エルム」
「んもう、意味深なこと言わないの!僕は今失っていた心を取り戻して人間として生まれ変わるところなんだから!感動的な場面だよ?泣いていいよ?」
当然、二人の損傷した顔から、涙は一粒も流れ落ちてこない。それを笑顔で見つめてから、有無を言わさず魔術師は二人の黒水晶を取り外す。
止める隙もなく、石は割られた。二人の人形は呆気なく地面に膝を折った。魔術師は人形達を優しく寝かせて、大きく伸びをする。
先生は、さっきからずっと私を見ている。
「さてさて!ここに魔術師エルムが大復活いたしました。正確には生まれ変わりました!いやあお付き合いいただきありがとうございました。全て皆々様のおかげです。これまでの無感情から一変、怒りも悲しみも宿した僕はまさに完全無欠!キャーッ!カッコイイーッ!」
「…エルム」
「先生もありがとうございました。あっそういえば先生の”道徳”も回収しないとね。やだー!一つ残ってるじゃないですか、まだ完全じゃなかったってこと!?お恥ずかしい!穴を掘っては入りたい!ではでは最後に先生の良心を戻して幕引きといたしましょう、準備は宜しいかな先生!」
「…彼女の」
「なあに、ライラくんのお話?いやはや全くライラくんには助けられました!まさに救世主!この世に舞い降りた天使か女神かその正体は!?そう!人間にして強大なる魔力の持ち主ラ」
「目が」
先生の震え声に、ようやく魔術師は私を振り返った。
一瞬だけ目が合って、視界がずれてしまった。
崩れ落ちる私を、魔術師が抱き止める。
純粋な茶色の瞳を見開いて、彼は私を見下ろした。
「…何それ」
「…どう…見えて、るんですか…?」
「目の…色が…薄いのかな、表現すれば、淡い、銀色…かな…キラキラしてる、けど…今にも消えそうで…危うい…」
「…大丈夫です。先生の、中にある心も、戻さないと…まだ、あと、一回…」
「…ねえ、何、君に何が起こってるの。君は、今、どういう状態なの」
「…よく、分かりません…」
最初に、鎖を溶かした時。私は体の芯が大きく揺らがされるような感覚を得て、目眩を起こした。
二回目は、うまくいった。そのはずだった。魔力を浪費せず、短時間で、体に負担もかかっていない。
三回目。二回目よりも手慣れて、一瞬で終わらせた。
でも、内部に生じた歪みは、どうしても治ってくれなかった。
四回目。さっきは、失敗しないようにするので精一杯だった。
どうにか達成できたけど、立っているのがやっとで。
先生にバレてしまうほど、取り繕えなかった。
「…だから言ったんだ。お前は、彼女を蔑ろにして…!いつかこうなると分かっていた、だから何度も僕は」
「先生」
「お前は何度過ちを繰り返せば」
「先生助けてください。方法が分かりません」
先生の声が勢いを失う。
霞む視界では、よく見えない。けれど、見下ろしてくる彼の顔に、笑みはないのは見て取れた。
一点の曇りもない、明るく、朗らかな声が消え失せている。誰が相手でも人懐こく、恐れを知らないような、そんな態度が霧散し、彼はひっそりと私を抱えていた。
縋るように、囁いてくる。
「治し方を教えて。眼球の代替品ならいくらでもある。どんな魔石も素材も使う。だからどうか」
「…ごめんなさい…私は人間だから、きっとそれじゃ、治りません…」
「じゃあ、どうすればいいの」
彼は、微かな音で、心根を紡いでいく。
ああ。どうしてこんな時に。僕は、本当に。最低だ。
君を救いたいのに。今すぐ動かなきゃいけないのに。
君の瞳が美しくて、見惚れている。
ああ。ごめんなさい。
こんな僕が人間であるはずがなかった。
嘘をついたんだ。本当は何も変わっていないのに、生まれ変わっただなんて。
さっき彼を、怒りと悲しみを、取り戻した時、僕は愕然とした。
確かに苦味はあった。募り募った後悔の念が流れ込んできた。
でも。堪え切れない程じゃなかった。
割り切って、隠し通せる程度のものだった。
あんなに、彼は苦しそうだったのに。結局その程度だったんだ。
僕の性根は何も変化していない。人間じゃない、冷血な化け物のままだ。
ああ。ごめんなさい。
こんな最低な男のところになど、来なければ良かったのに。
「いいえ。あなたは、私の最愛の人です」
「僕は人間じゃない」
「いいえ。だって、あなたは」
私のために、涙を流してくれているじゃないですか。
魔術師が、瞬いた。
雫が落ちてくる。それに初めて気付いて。
彼は、拒絶の声を上げた。
「いやだ、そんなの」
「エルム様」
「忘れないでなんて言わない。安らかになんて言わない。幸せでありますようになんて、言わない!そんなの許さない!」
何のことを言っているのか、すぐに察しがついた。
私の大好きな絵本、人形のおとぎ話。
人形と、魔法使いが、死に別れる最後の場面。
心などないとされていた人形が、涙を流して、別れを悼んだ。
人形は、魔法使いに乞うた。僕のことを忘れないでと。魔法使いが安らかに眠れるように祈った。
魔法使いは、それに応えた。人形がずっと幸せであることを、願った。
どちらも最終的に、別れを受け入れ。ただお互いを思って、終幕とした。
魔術師は、それを、いやだと言っている。
許さない、と。
別離を、受け入れないと。子供のように駄々を捏ねて。
「…ああ。ごめんなさい」
「どうして君が謝るの」
「だって私は、今、こんなにも幸せだから」
きっと私の幸せの分だけ、彼は不幸になるのだろう。
微笑む私を、彼は呆然と見つめている。
彼の涙が、私の頬に落ちてくる。冷たいけど、温かい。私には十分過ぎるほどの結末だった。
肩に、人と変わらぬ温度を宿す手が触れた。
「…彼女は、魔力を使い過ぎた。その影響が肉体に支障をきたしている。ならば、魔力を補えばいい」
「どうやって。人間が魔力を補給する術なんてない。そもそも人間には補給するほどの魔力はない。そりゃ、僕の微々たる魔力でも捧げられるならそうしたいよ!でもできないじゃないか!」
「ずっと考えていた。どうして彼女は、人並みならぬ魔力を持っているのか、それを容易く使用できるのか」
「講釈はいい!何が言いたいんだ!」
「ずっと、幼い頃から操っていたんだ。だから魔力を使うのに手慣れていた。魔力は、使えば使うほどその容量を増す。彼女には最初から圧倒的な才能があったんじゃない。長い時間をかけて、育て上げてきたんだよ」
先生が、私の服のポケットから、取り出した。
私のお守り。景色を映す宝石が組み込まれているから鏡にもなって、毎夜遊び相手として小さな人形に姿を変えて、何があろうと私のそばにあったもの。
これには、君の魔力が溜め込んである、と低く呟いた。
「…ごめんね。君の嫌がることはしないと言ったのに。君の大切なものを、僕は壊すよ」
先生が、優しい声で謝ってくる。それに返す言葉を見つけられず、私は、彼を見守った。
次いで、先生は狼狽する魔術師に、声をかける。
「エルム。ちゃんと、彼女を大切にするんだよ」
言い終わると同時に、彼は、自らの心臓部に手を突き刺した。
そこから、水晶玉を引きずり出す。
鎖でがんじがらめにされた結晶。それと、私のお守りとを、衝突させた。バチバチと何かが迸り、激しい抵抗を浴びせ、お守りは傷一つもつかず、それでも先生は力を緩めず。
自らの手がひび割れ、崩れ出しても、押し続けた。
痛々しくて見ていられず、私は思わず手を伸ばして。触れかけて、直前。
外部からの干渉を拒絶する鎖は、あっさりと、限界を超えた障害物を破壊する。
何があっても、壊れず、歪むこともなかったお守りが、砕けた。
途端に、周囲に力の流れが放出される。七色、否、人の視認できる全ての色が、光を帯びた粒子が、舞い踊る。行き場を求めて轟々と音を立てていたそれは、やがて場所を見つけたのか一点に収束し始めた。
私の、元へと。
耐えきれず、私は、意識を闇の中へと落とした。
白い髪が見える。
老人でなければ珍しい色の、柔らかな手触りの髪。
「どうして…髪を切ってしまったんですか?」
「え…邪魔だったから…」
「…好きでしたのに…」
「先生どうしよう僕もう髪切れなくなっちゃった」
「…お前達は何の会話をしているんだ…」
呆れたような低音が耳に滑り込んできて、私は一気に我に返る。
身を起こすと、そこが私のベッドの上であることが分かる。魔術師は椅子に座って私の手を握っていて、先生は彼の後ろに立ち腕を組んでいた。
先生のどこにも、異常は見受けられない。服を着ていて見えないが、胸部に穴が空いている気配はしないし、ひび割れ砕けたはずの腕も、何の変化もない。
もしかして全部夢だったのかと混乱する私に、魔術師はぎこちなく笑いかけた。
「大丈夫、現実だよ」
「…何が…どうなったんですか…?」
「魔力を限界を超えて使った君は倒れかけた。それを補うために、君の宝物を犠牲にした。ごめんね」
白い灰のような粉が入った小瓶を渡される。
私のお守りの、残滓。
受け取り、両手で握りしめて、彼の切実な謝罪に首を振る。
大事な、大事なものではあったけど、致し方のないことだった。そうと分かっていても、幼い頃からいつだって、どんな辛い日にも人形遊びの相手になってくれたのを思い出して、息が詰まりそうになって慌てて「先生の方は、手は、どうだったんですか」と話題を変える。
「ついでに先生の腕も一本ダメになったけど、忘れちゃいけないのは僕は稀代の魔術師であるのと、あの人は僕の最高傑作だってこと」
簡単には全壊しないし、修復もできる。
噛み締めるように言ってから、魔術師は私を覗き込む。そこにあるのは純粋な輝きではなく、様々な思考が絡み合った苦渋だった。
「ごめんね。君に辛い思いをさせた。君が危険な目に遭うなら、僕は心なんていらないんだ。だから、お願いします。苦しかったら言ってください。一人で頑張ろうとしないでください」
「…先生の中にあった心を…戻したんですか…?」
今の彼のあり方が先生によく似ていて、私は思わず質問で返す。すると、彼は首を振って否定した。
「鎖がついてるから、先生のは僕じゃどうにもできない」
「じゃあ、私が」
「お願いだからやめてください。もうあんな思いはしたくありません」
そう言って、ふと彼は視線を落とした。
そうか、皆、これが嫌だから失敗を嫌悪するんだね、と、得心がいったように呟く。その声色に明るさはなく、落ち着いた音程は、本当に先生のものと酷似していた。
気落ちした様子の彼を、背後から先生は無言で見つめている。仮面がないからその表情がよく見える。まるで成長する子供を見守る親のように優しげだった。
「おおーい、飯持ってきたぞーい」
「なんだったら着替えも手伝うザマス〜、女同士だから気兼ねないザマス」
「バッカモーンお前の本体は男じゃろがい」
「生まれてからずっと女として生きてきたから女ザマス!それにもう独立したから関係ないザマスよ〜!」
騒がしい二つの声が部屋を訪れてきた。
金髪のご主人と黒髪の奥方。魔術師に切り分けられた心を戻されても自我を失わなかった彼らは、何ら変わることなく息の合ったやり取りをしていた。
…そう。彼ら以外の、私と交流のあった人形は、動きを停止した。
もう、話すことはできない。
目を伏せる私の耳に、おっとりとした声が飛び込んできた。
「病み上がりだからゆっくり食べておくれねえ」
「着替えの手伝いはワタシの仕事でしょう?ようやく普通に接せられるようになったんだから!」
若々しい女性の声も、付随してくる。
呆気に取られる私の前に、コックさんとメイドさんは現れた。
顔のない顔をそのままに、誰に制止されることなく私に歩み寄ってくる。
思わず腕を伸ばして彼らの体に触れた。相変わらず冷たい。しかし、動いている。
かつての別れ際の細々とした願いを思い出し、上体を伸ばしてメイドさんの硬質な体を抱きしめた。彼女は一瞬固まったが、すぐに優しい力加減で抱きしめ返してくれた。続けて、私は穏和な雰囲気で見つめているコックさんに手を差し出す。彼はちょっと驚いたものの、意図を悟って互いにしっかりと握手をした。
「良かった…でも、どうして」
「彼らは、元々自分で動けて喋れる人形だからね」
「そう、だったんですね。心を分け与えられる前から、こんな風に…」
「違うよ。君のおかげだ」
「え?」
かつて仮面に隠されていた二人の顔を、目を逸らすことなく見つめ、魔術師は静謐に語る。
「君と出会ったから、君と過ごした日々があったから、彼らに心が芽生えたんだ。一人芝居でしかなかった僕らに、君が干渉して、僕とは異なる、全く想定していなかったものが生まれた。彼らが今こうして話せているのは、全部、君の功績なんだよ」
言い換えれば。ずっと閉じ込められて、世界から遮断されていた彼らは、そうはならなかった。
三階に封じられていた少年、地下室に監禁されていた彼、生まれたばかりだった少女は、全て、魔術師の元に収まった。宿木である人形に何の痕跡を残すことなく、綺麗に。
私から離れ、奥方と小競り合いをするメイドさんと、ご主人からご飯の盆を奪おうとするコックさん。それらを低音で一喝する先生。
彼らを前にする魔術師は、どこか嬉しそうだった。今までの太陽のような笑顔とはまた違う、はにかむような仕草。
横顔を見つめていると、彼はそれに気づいて、私の手を握る力を込めた。
「君の、おかげだ」
「私は、あなたが好きだっただけです」
「…ありがとう。ライラくん」
噛み締めるように言って。彼は静かに微笑んだ。
もしエルムが心の一部を回収しない状態(底抜けに明るい魔術師モード)のままで、ライラが同じ状況に陥ったら、「おやまあ大変!良さげな治療器具作るからちょっとお待ちになってね」って感じで製作に入ってあれこれ試作して間に合わなかったりするので危なかった
先生は基本エルムの監視役で彼が気に食わない言動をしたらお仕置きする力を指輪を介して行使していましたが、いざという時はエルム本人の意志には逆らえない設定にされているので本当に危なかった