15回収
地下室の入り口まで戻ってきた。
魔術師は、変わらず無表情で、私を待っていた。
「やあ。話は聞けたのかな」
「はい」
「そう。それで、失望したの?」
「いいえ」
「そう」
良かった、と、何も良くなさそうな声色で呟く。
「それじゃあ、話をしようか。君はこれからどうしたいのか」
「…魔術師様は、どうされたいですか?」
「さあ。それは僕の考えることじゃない」
「そうやって思考放棄するから、いの一番に切り離されるんだろう」
私の後方から聞こえてきた低音に、彼は眉一つ動かさずに「こんにちは先生」と挨拶をした。
先生は、仮面をつけていない。隣に並ぶと本当に似ている。彼が歳を取れば先生のようになるのだろうと容易に想像できた。
無表情の彼と、険しい顔をした先生が向き合い話し出す。
「彼女は最奥まで行ったよ。たった一人で。危険な目に遭ったらどうするつもりだったんだ」
「危険なんて何もないでしょ。彼女に危害を加えるものがどこにあるの」
「ここ、ここ!僕はちゅうちょしないよ!この子に負けたくないからね!」
彼は、先生の足元で主張する彼女に目線を落とした。蛇の仮面を被った少女は元気に手を挙げて、私を指しながらぴょんぴょん飛び跳ねる。
「僕が一番この子にふかいかかわりを持ってるんだから!なんたってこの子が来てから僕は生まれたんだからね!君たちには負けないよ!」
「何これ」
「お前が作ったんだろう」
「そういえばそうだね。先生以外が出入り禁止になった頃僕が地下室にこもって何やってたかって言ったら、これの調整だった」
そういえば、一時期全く魔術師の姿を見かけないことがあった。どうやら彼女の製作に取り組んでいたらしい。
じゃあ実験にちょうどいいね、と言って、唐突に魔術師は少女の服を捲り上げた。
小さな体の心臓部に、黒い水晶玉がはまっている。しかし、メイドさんの時に見たものと違う箇所があった。
銀の鎖が直接、縛り付けられていた。
魔術師はその鎖に触れ、指輪を光らせる。しかし、何も起きることはない。次いで鎖ではなく、水晶玉に触れようとして、電撃が走ったような音がして弾かれた。
「無理だね。取れない」
「諦めるのが早過ぎる」
「じゃあ先生がやってみたら」
「私の指輪はお前が回収しただろう。今の私は、何の力もない人形だ」
「そう。じゃあやっぱり不可能だ。ライラくん。諦めよう。鎖は取り付けたら不可逆。これで僕は現状の僕に固定されたことが確定した。多分君が一番苦手なのが今の僕だろうけど仕方ないから諦めて」
私は、彼の抑揚のない言い分を聞きつつも、手を伸ばしていた。
黒い水晶玉は、外面はひんやりとしている。しかし意識を集中させれば、その内部に熱が秘められているのが分かる。
その熱を徹底的に遮断するのが、銀色に輝く鎖だ。一つ一つは円形で、互いに交差することで繋ぎ合わされている。その隙間に指を差し入れた。
破壊を拒絶する、強固な力。でも、流れがある。その流れに乗せて送り込めるものはある。
「あつーい!あついよ!」
「が、我慢は、できなさそうですか?」
「できるよー!」
溌剌とした返事だ。しかし早急に終わらせようと、私は目を閉じてひたすらに手元の感覚に心を寄せる。
破れないなら、溶かしてしまえばいい。そんな単純な発想からの試みだけど、どうやらうまくいったようだった。
ぼとりと。鎖だった鈍色が落ち、伴って水晶が割れた。
途端に、少女が糸を切られたように座り込み。ぐらりと魔術師の体が揺らいだ。同時に、魔力を使って消耗した私も体勢を崩す。
慌てて両腕で人間を受け止めて、先生はゆっくりと地面に膝を下ろした。
「…大丈夫?辛いかい?」
「あ、ありがとうございます、平気です」
「僕も平気です!いやあ、ライラくんの天才っぷりには参るねえ」
耳元で聞こえた声に、息が止まるかと思った。
無我夢中でそちらを見やる。聞き覚えのある声、最近は、全く耳にしていなかった、底抜けの明朗さを宿した声。
魔術師は、私と目が合うと、「やあやあ。何度見ても綺麗だね」と微笑んだ。
「…取り繕う余裕は戻ってきたみたいだね」
「んもー先生ったら無粋なこと言って!まあ実際道化じみた言動をなぞってるに過ぎないから反論はできない!ごめんねライラくん。君が聞いてきた通り、僕は心のない化け物…!人の言葉を喋って捕食する怪物みたいなやつ…!」
「そんなこと、ありません」
「あら?」
きっぱりと否定した私に、魔術師は目を瞬かせる。
今、目の前にいる彼は、知らないのだ。最奥にいるあの人とは遮断されているから。もう既に、その会話は決着がついているのを。
「なになに、僕の知らないところで何かあった?仲間外れはやだよ?」
首を傾げて楽しそうに聞いてくる。毛先が僅かに揺れる。髪が短い状態で、明るい彼を目の当たりにするとかなり新鮮だった。
それに気を乱されながらも、私は深呼吸をして提案をする。
「一緒に、行きましょう。あなたの心の欠片を、元に戻すために」
地下室を再び潜っていく。蛇の仮面を被った少女の人形は、動きを停止したため椅子に座らせ休ませた状態で残してきた。
魔術師と、私、先生の並び順で、先ほど戻って来た道を再び進んでいく。
最初に顔を合わせたのは、あの二人組。
「おお!早速戻ってきたか!」
「ついに自由になるザマス〜!」
「おやおや、お元気そうで何より」
魔術師は喜ぶ両親の姿とにこやかに再会を祝しつつも、疑問を呈する。
「でもでも、僕に帰還したらもう外出られないですよ?それでも問題なさそうです?」
「見とれ見とれ、あっと言わせてやるからの〜!」
「合体してからのお楽しみザマス〜!」
「すごい自信だあ」
疑問符を顔に浮かべつつ、それじゃあライラくん、お願いしてもよろしいかな、と魔術師が促す。さっき彼女が倒れかけたのを見ていなかったのかと険しい顔になる先生に「大丈夫です」と伝え、私は前に出た。
先ほどと同じように、私は牢屋を封じる鎖に手を触れ、魔力の流れに干渉する。
先ほどよりも短時間で、堅牢はくさびを失った。
嬉々としてご主人と奥方が牢屋を蹴破る。物を壊すなと叱る先生に平謝りしてから、彼らは手を合わせた。
「よしよし、合体作業に入るぞ〜!」
「鎖はついてないから外し放題ザマス〜!」
「自我失いますけど本当に大丈夫そう?まあいいならいいや。それでは参りましょう、合体ッ!」
意気揚々と二人は、自ら服を捲り心臓部にある水晶玉を露出させる。
魔術師は容易に取り外し、煙を漂わせるそれを自らの額に勢いよく当てて割った。
一呼吸の間に、煙が霧散する。石から色が抜け、透明な破片となって散らばった。
魔術師の体が揺らいで、膝をつく。が、すぐに立ち上がった。
「…うーん、懐かしい感覚!」
「やったぞおお!」
「念願の、完璧な自立ザマス〜!」
「うわあなんか勝手に動いてる」
二人組から、魔術師の心の一部は解放された。そのため、元の自我のない人形に戻り、先の少女のように機能を停止するはずが、どういうわけか二人には何の変化も見られない。胸に穴を空けつつも手を取り合って喜んでいる。
最初こそ「うわあ」と驚いていた魔術師は「まあ天才の作った人形だしそういうこともあるよね。解剖したい」と納得した。先生はそれらを唖然と見つめている。
私は、安堵の息を吐き出した。
最奥から戻ってくる道で、二人は、私に主張した。
我々は、既にエルムから分離した、別個体となっている。心とは、他者との間で育まれるもの。外交役として多くの人間と干渉してきた我々は、他の人形と違い、自我が確立しているのだ、と胸を張った。
だから、エルムが水晶玉を抜き取っても、我々には何の影響もないのだ、と。
「てことは何かな、君達はこれからも何も変わらず顔役として働いてくれるってことかな?」
「全く仕方ないのうバカ息子め!」
「コネを維持してやるザマス〜!」
「ああ、もう親子の体裁はいいから。自我が芽生えられた以上、これからは雇用主として接していただきたい。あと僕の前では仮面をずっとつけてほしい」
「お、おう」
「世知辛いザマス…」
しょんぼりとする二人に、魔術師は笑って「冗談ですよ。これからもよろしくお願いします」と和やかに頭を下げる。調子を取り戻して二人組は「安心したぞいファッファッファ!」「肝が冷えるザマスオーッヒョッヒョッヒョ!」と特徴的な笑い声を上げた。
奥へ奥へと進み、続いて、更なる暗がりの牢屋の前に辿り着いた。
仮面は見えない。先ほど別れて地上へと離脱している夫妻二人組と違い、彼らは常に手放すことはなかったはずだけど、もうつける意味もないと放棄したのだろうか。
魔術師は、その二人の顔を目にして、笑顔を消した。
「…やあ、エルム」
「久しぶりね」
「うん」
短く頷き、彼は牢屋を素通りしようとする。慌てて呼び止めようとする私に、彼は猫目を細めて諭してきた。
「ごめんね、この子達は最後に回そう。いやあ、なんたって、彼らは僕の食欲と性欲…!まだ先があるのにお腹が空いて力が出ないってことになったら困るし、興奮して君を犯そうとするってことになっても困る。ので、先に進みましょう」
「な…」
「構わないよ。でも、お願いだから、必ず迎えにきておくれ」
「ここで、待っているから」
絶句する先生と私の代わりに、コックさんとメイドさんは反論の一つも上げることなく了承する。
再び笑顔に戻ると、魔術師は私と先生の手を取り、強引に奥へと引き連れて行った。
揺れる視界の中、檻の向こうで、顔のない顔で、彼らは私たちをじっと見送っていた。
最奥の扉。
そこに到着して、魔術師はようやく腕を離した。
「先生も行くんです?多分相性最悪だと思われますが」
「…ここまで来たんだ。お前だけ行かせるわけにもいかない」
それに、と先生が私を見下ろす。
私がこの中にいる人と話を終え、部屋から出てきた時。先生はひたすらに大丈夫だったか、嫌な思いはしなかったかと問いかけてきた。何も怖いことなどなかったと答えれば、驚愕の面持ちで首を振っていた。
けれど、君だからこそ何事もなかったのだろうと納得し、「もしかしたら君のおかげで彼は変わったのかもしれない」と推測を口にしていた。
それを確かめるためにも、今度は同行する、と決意をあらわにしている。
「じゃあ行こうか」
何の躊躇もなく、魔術師は扉を開けた。
途端に、鎖の音が響く。
もし鎖で縛られていなければ魔術師は殺されていただろう、そのくらいの怒気と殺意を滲ませて、彼はこちらを睨みつけていた。
次々に、罵声が浴びせられる。「消えてしまえ」「お前のせいで」「よくもそんな呑気な顔で」考えるよりも先に出しているような、細切れで脈絡のない怒号。
そんな中を悠々と歩いて近寄り、魔術師は懐から何かを取り出して彼の口に被せる。声が一気に聞こえなくなった。
よしよし静かになったねえ、と魔術師は腰に両手を当てた。
彼の口には、狂犬につけるような轡が取り付けられていた。
鉱石の目で睨め付けられ、「怖い怖い」と全く怖くなさそうな声色をしながら魔術師は私の隣に戻ってきた。
「よくこんなのと話せたねえライラくん」
「…全くだ。何の変化も見受けられない」
平然と佇む魔術師と、眉を寄せる先生に、彼はギリギリと口を引き締める音を鳴らす。
自分自身に対する、怒り。私を相手にしていた時とは比較にならない気配で、彼は身を震わせていた。
彼はひどく苦しそうで、どうにかできないかと思わず足を踏み出して、
「うんうん、こうして見て改めて思ったけど、やっぱりあれは抹殺した方がいいんじゃないかな」
「…そうだな」
軽々しい提案に、ぎょっとして振り返る。魔術師は顎に手を当てて思案のポーズを取り、先生もその物騒な発言にあろうことか同意を示していた。
「戻してもきっと邪魔になってまた切り離すだろうし。同じことを繰り返しても仕方ない。というわけで先生、僕あれを消去できる道具を作ってこようと思います」
「や、やめてください!」
「どうしてかなライラくん。理由を教えていただける?君はあれに何を見出した?何の生産性もない、ただ喚いて気を散らすだけの雑音だ。ない方が良いと思うなあ」
必死で、思考をまとめる。
あの人は、あの心は、悪いものじゃない。消すべきものじゃない。それをどうやって伝えたらいいのかを考えて、どうしたら魔術師を説得できるか考えて、私は、口に出していく。
「…あのひとは、あなたに、必要なんです」
「ほう」
「あのひとは、確かに、怒ってもいるでしょう。でも、同時に、悲しんでいるんです。あなたを許せないっていう思いもあるけど、でも、それだけじゃなくて…複雑で、入り混じっていて…だから、それは、あなたが…」
ああ、そうだ。
繰り返し、何度も聞いた言葉。彼が追い求めて、突きつけられて、諦めたもの。
その答えに違いなかった。
「あなたが、人間である証なんです」
「…なるほど」
効果的な台詞だ。そう呟いて、魔術師は無表情で彼を見やる。
声を封じられ、それでも暴れていた彼は、既に勢いを失っていた。私から出た言葉を耳にした瞬間に、力が抜けてしまったようだった。
「ならしょうがないね」
魔術師は私と共に、再び彼の前に歩み寄る。今度は、彼は睨まなかった。
彼の手を壁に繋ぐ鎖に、私は指をかける。既に二度、同じ挑戦をしている。初回は魔力を無駄に消費して立ちくらみをした。二度目はそれより短時間で、体勢を崩すこともなく。
三度目は、最適解を行えた。
鎖が解けて、彼の両手が解放される。地面に倒れ込む彼を、先刻自身が先生にされたように、魔術師が受け止めた。
「…君を戻したら、僕は変わっちゃうのかな」
「…ずっと遠ざけて、逃げてきた、その代償を払うだけさ」
自由になった手で口輪を取り除き、彼は自ら黒い水晶を晒け出す。
魔術師はそれに、祈るように額を寄せると、石を割った。
弱々しく人形が、床に崩れ落ちる。
魔術師は膝をついた状態でしばらく静止していたが、やがて「なあんだ」と呟いて立ち上がった。
「こんなものか」
彼の顔には、一点の崩れもない、綺麗な笑みが浮かべられていた。
エルム仮面メンバー!
暴食担当!豚仮面のコック!
色欲担当!山羊仮面のメイド!
傲慢担当!獅子仮面(ほぼ素顔)の主人(父)!
強欲担当!狐仮面(ほぼ素顔)の奥方(母)!
怠惰担当!熊レリーフ(開かずの三階部屋)の少年!
憤怒担当!竜の扉(地下室の最奥)の試作人形(黒髪)!
嫉妬担当!蛇仮面の生まれたて幼女!
総監督兼良心担当!紋様仮面の先生(黒髪)!
皆合わせてエルムの七大罪+α!
奴らの仮面は空気穴一つない。人形だからできたこと
ちなみに嫉妬が生まれた最大の原因は「魔力に富み魔法の才能に溢れたライラへの嫉妬」ではなく「(魔力でお守りを巨人化させた際)ライラの肩を抱いて宥めている状況の先生」を目にしたから