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1出会い

「お姉様、私の代わりに拷問を受けてくれるでしょ?だってそもそも罪人なんだから、構わないじゃない」


 妹は断られるなんて微塵も思っていない顔で言う。それに反論する気も起きず、私は無言で支度を始めた。


 妹が旅行先でとある魔術師の敷地に入り込み、勝手に花を摘んだのは一月前のこと。

 どうやらその花は魔力に満ちた不思議なものだったらしく、茎を折った途端に周囲の植物が全て枯れ果ててしまった。妹は飛び上がり悲鳴を上げ、異変を察知して駆けつけた父に涙ながらに「こんなつもりではなかった」と訴えた。

 父は落ち込む妹を哀れに思い、どうにか許してくれるように家主に持ちかけた。

 家主は「心中お察しします。しかしあなた方のせいでこちらが不利益を被ったのは事実。何かしらの弁償はしてもらいましょう。そうだ、ちょうど魔術の実験に人間が必要だったので、あなたの娘さんを貸していただきたい」と条件を出した。


 その館に住まう魔術師は、先の大戦を逆転勝利に導いた救国の英雄であり、近年急速に世間一般に定着した数多の魔道具の開発者であり、後世に名を残す偉大な存在だったが、黒い噂もまた絶えなかった。

 魔術の実験体ということは、拷問紛いのことをされるに違いない。

 怪我一つしたことない妹が、そんな得体の知れない人間のところに身を捧げに行くはずなどないのは当然で、父が溺愛する彼女の身代わりとして私を差し出すのもまた明白だった。


 魔術師から条件を提示され、準備のためと称して妹と共に家に帰ってきた父は、留守番していた私に命令した。


「妹の代わりに、お前が魔術師のところに行きなさい。ようやく役に立てる時が来たのだから、光栄に思うこと」


 厄介払いができてせいせいする、と目線で語っていた。


 生まれてから十六年、ある理由のせいで、父は一度も私を認めたことはない。

 前伯爵である祖父が亡くなった際も、母が妹を産んで事切れた際も、降りかかる災難の全てはお前が原因だと私を睨みつけ、「罪人」と罵倒し、決して私を子供扱いすることはなかった。

 もし私を家から追い出せるなら即座に実行していただろう。けれどそれはできないから、必要以上の外出を禁止し、厄介者として蔑み続けた。


 妹もまた、そんな父の姿を見て育った。私を見下し、嫌なことは私に押し付け、何かあれば「お姉様のせい」「お姉様がやって」とあらゆる面倒事の後始末を放棄した。


 家の使用人もまた、私を疎んじていた。必要以上に近づいてくることはなく、「不気味」で「早くいなくなってほしい」と陰で言い合っていた。


 その家に私の居場所はなかった。だからだろうか、哀れな実験体になりに行く目的であってもこの家を離れられるということに、安心感を覚えたのは。


 私は粛々と準備を整え、宝物であるボロボロの絵本を大事に荷物に入れてから、魔術師の館を訪れた。

 送迎の馬車の御者は私を気味悪そうに一瞥し、私を降ろすと早々に帰ってしまった。


 その館は、深い森を抜けた先にあった。最早城と形容しても違和感のないような大きさで、至る所に老朽の影が見えている。魔術師が名を上げた大戦の後、長らく放置されていた建物を買い取り住み着いたという噂だった。


 彼についての噂は他にも色々ある。

 年嵩は中年で恰幅が良く、獅子のように長い髭を生やしている。

 性格は自信過剰で傲慢、相手が貴族だろうが偉そうな態度を崩さない。

 金にがめつく、魔道具の流通に圧力をかけている。

 愛妻家なのか、常に妻と思しき女性と行動を共にしている。

 彼の住まう館では、人の悲鳴が絶えない。

 怪しげな実験を繰り返し、兵器や怪物を量産している。

 などなど…。

 不思議なのはどれも噂の範疇に過ぎず、実際会ったことのある人の話が出回っていないということか。

 いずれにせよ、曲者であることには違いないだろうが。

 どんな人であっても、逃げるわけにはいかない。


 何があろうと、感情を乱してはならない。

 戒めを今一度、固く込める。

 常に懐に携帯しているお守りを覗く。二つ組み込まれた鏡石に、見慣れた濃い灰色の目が映っている。よし、大丈夫、と言い聞かせた。


 深呼吸をし、固く閉ざされた門に手を触れたら、向こう側からギイと鈍重な音を立てて動く。現れたのは不思議な紋様の入った仮面をつけた黒髪の男性。服装から見るに使用人だろう。

 挨拶のため頭を下げる。


「ライラと申します。本日からよろしくお願いいたします」

「…失礼。あなたはどなただろうか」


 穏やかで、優しそうな低い声だった。少しほっとして自己紹介を続ける。


「ルズベリー伯爵家の者です。先日、こちらの敷地内への侵入のみならず草花に損害を与えた弁償として人体を提供することになりました。その人体です」


 返事がない。仮面のせいで表情は見えないが、動揺している様子が見て取れる。不安が込み上げてくる。お守りを探ろうとする手を握りしめて抑える。


「…ひょっとして…何か、行き違いがありましたか…?」

「…いや…その件なら私も承知している。実際に現場も目撃した。が、あなたは…侵入した娘さん本人じゃないだろう?」

「はい」


 そのことか。

 父に教えられた通りに、淡々と言い訳を口にする。


「魔術師様は、ルズベリー家の娘を提供するようにと仰られました。後継ではありませんが、私も娘には違いありません。故に、名乗りを上げました。私はどのような扱いをされても構いません。なので、どうかこの身でご勘弁ください」


 男性は絶句していた。


「…それは、本当にあなたの意志か。強要されたものではないのか」

「…違います」


 意思など、最初から私には存在しない。だからこれは嘘ではない。


「…ならば…何故、あなたは身代わりになろうと思い至ったのか、理由は教えてもらえるかな」

「理由は、単純です」


 父に教えられた通りに、答える。


「私は、ローザの姉です。間違いをした妹の償いをする義務があります」

「…そんな義務はないよ。あなたがどれだけ妹思いであろうと、贖うべきは本人に他ならない」

「これは私の独断専行です。どうかお認めください。罰ならば私に与えてください。どんな実験をされようが、文句は申しません。お好きに扱いください」

「何故、罰を受ける必要があると?」

「私はルズベリー家の汚点で、罪人です。本来ならば許されるはずのないものを、温情で見逃されました。ここまで育てていただきました。ですので、人生をかけて償う必要があります」

「…犯した罪とは?」

「答えられません。当家の機密にあたります」

「…そうか」


 男性は緩く首を振り、納得がいっていない様子だったがそれ以上は追及してこなかった。

 その代わり、嫌なことを口にした。


「ならば、このまま帰りなさい。償いなどしなくて良い。そもそも実験などという曖昧な条件を提示したのが間違いなんだ」

「…私は、気にしません。何をされても良いのです。ですのでどうか…」

「…家に帰りたくない理由があると、そう考えても宜しいかな」

「そんなことは…」


 どう答えればいいか分からない。父は、魔術師を「魔術以外に興味のない、人を人とも思わぬ冷血」と評していた。だから、訪問者の境遇など気にせず、嬉々として実験に取り組むだろうと。仮に他の人間に事情を掘り下げられてもこれくらいの問答ができれば十分だろうと、それ以上教えてくれなかった。

 気が乱れて無意識にお守りを取り出して目を落とす。灰色が見えて安心し、無礼だと我に返って慌てて仕舞った。


 黒髪の男性は穴一つない仮面越しにしばらく私を見下ろしていたが、やがて「…ひとまず中に入っていただこう」と私の荷を取り上げ、先導する。

 荷物を誰かに運んでもらうことに落ち着かなく掌を触りつつ、私は彼の後ろに続いて石畳を歩き、広い玄関を抜けて館の中に足を踏み入れた。


「おっ!やって来たねえ!」


 途端に響く、底抜けに明るい声。

 階段の上から踊るような足取りで、その人は駆け寄ってきた。白い髪が靡いて羽のように錯覚する。あっという間に眼前に立つと、私の両手を取ってぶんぶんと回した。


「やあやあよくぞいらっしゃいました!長旅ご苦労様でした、さぞお疲れでしょう!おもてなしは何がよろしい?魔法?はたまた魔術?いっそ魔道具?」

「えっ…」

「エルム。やめなさい。困っているだろう」


 仮面の男性に叱られて、その人は「ごめんごめん」と振り回すのをやめる。でも手は離してくれなかった。

 人懐こい笑みを浮かべて、彼は朗々と告げる。


「自己紹介が遅れましたね、僕はエルム。例の魔術師です」


 まだ若い男性。青年と言ってもいいかもしれない。どれだけ多く見積もっても二十代だろう。背は高い方で、体格は細身。でも不健康な細さではなく、握ってくる腕を見ても筋肉が全くついていない訳でもなさそうだ。

 若者には珍しい白色の髪は長く、背中まで無造作に伸びている。瞳の色は濃い茶色で猫のように丸く、キラキラした輝きを宿して私を眺めていた。


「今日から君の預かり人になります。どうぞよろしく!」

「よ…よろしくお願いします」


 この人が、魔術師?

 見た目もさることながら、態度も予想と全く異なる。


「じゃあとりあえず今日はゆっくりしてくださいな、お部屋を用意したからそっちに行こうか。気に入っていただけるといいけど!」


 出立前。父は、魔術師は人権など意に介さず、嬉々として実験を始めるだろうと吐き捨てた。それがお前に相応しい処遇だとも。

 私とて、二度と日の目を拝めなくなる覚悟をしていた。館の地下牢にでも閉じ込められても仕方ないと。

 それなのに、手を引かれて案内された部屋は驚くほど贅沢な客間だった。


「どうでしょう、どうだろう、気に入ってもらえたかな?おっとごめんね、お名前を教えていただける?」

「あっ…も、申し訳ありません。ライラと言います」

「よろしくね、ライラくん。来てくれて本当にありがとう、全身全霊で歓迎するよ」

「…か、歓迎…」


 裏など感じさせない明るい声で言われ、私は言葉に詰まる。今までどこに行こうと歓迎された記憶などなかった。

 忙しなく目を泳がせていると、不意に彼が「おやまあ」と声を上げた。


「瞳の色が変わっている」

「…っ!」


 青ざめた。

 咄嗟に俯こうとして顎に手を添えられ、動きを封じられる。

 まじまじとした視線を注がれて、後悔が止まらなかった。


 父が私を疎む理由。あまり外に出してもらえなかった訳。幼児の頃、医師に忌み子と断じられた記憶。


 私は、感情が大きく乱れると、瞳の色が変化する。


 大抵の揺らぎなら色が入り混じる程度で済むが、度が過ぎると、完璧に全体の色が変わってしまう。

 原因は、分からない。同じ特徴を持つ人を見たことも聞いたこともない。ただ、異国の昔話に、瞳の色が変化する種族の記述があった。彼らが動く時、世界には厄災がもたらされた、という伝承も。

 それと同じように。私も、瞳の色が完全に変化した後、特に嬉しいことがあって変色した後には、必ず身近に不吉なことが起きた。


 祖父が死ぬ一週間前、母親にこっそり絵本を買ってもらえたのが嬉しくて私の瞳は黄色に染まっていた。

 母が死ぬ二日前、出産という概念が分からず床に伏せる母を心配し声をかけた私に、母は「大丈夫よ。もう少ししたら元気になるから、そうしたらきっと、一緒に外へ遊びに行きましょう」と約束した。その時の私の瞳は青色だった。


 その二つの事件以外にも、歓喜や幸福によって私の瞳の色が変わった後には大小問わず周囲に不幸が降りかかった。


 故に父は命じた。この娘に喜びを感じさせるな、と。

 許されるなら処分するか、遠ざけたかったのだろう。だがあまりにも不可解な生き物故、下手に触って事故が起きる可能性を恐れ、父は飼い殺しという選択をとった。

 忌み子を誕生させたとなれば伯爵家の名前に傷がつくし、瞳以外は普通の人間と変わらないから、私は十六年間、人目を避け、感情を制御することに努めてひっそりと生きてきた。

 心に波をもたらす行為を遠ざけ、鏡の確認が癖になるほど監視し、制約し続けてきた。


 それなのに。こんなところで油断して、発動させてしまうなんて。


 耐えきれずぎゅっと目を閉じた私に、魔術師のため息が聞こえてきた。

 ため息は、今までも何度となく聞いてきた。失望、苦悩、憤り、どれもが私を萎縮させるものだった。

 けれど。何故か、今の音はどれとも違って聞こえた。


 恐る恐る目を開いた私に、魔術師は「ありがとう、瞼を持ち上げてくれて」と微笑み、真正面から逸らすことなく見つめて、


「ああ、なんて美しい瞳なんだろう」


 陶酔するようにそう言って、嘆息した。

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