後編:青の絶望と希望、そして未来への……
--アズールは、ほんの少しの夢から……、在りし日の記憶を思い出す。
それは、彼が他国へ旅立つ、数ヶ月前のこと。
「ねぇ、アズ」
アズールは、学校の校庭にある木製のベンチに座って、絵を描いていた。
そこは、彼にとって、誰にも邪魔されず、一番、居心地のいい場所。
セラが、彼を見つけ、声を掛けた後、そのまま彼の横に座る。
「ん……、何?」
「貴方が前に言っていた、私達の思う青が綺麗の違いの意味、そろそろ教えて欲しい」
幼き日のあの時と同じような光景が、ここで蘇る。
(あぁ、そういえば、あの質問に対して、まだ答えを言っていなかったな)
空を見ながら、アズールは返事をする。
彼女が、幼少期から疑問に思っていたことを、再度、口にした。
考えた末、そろそろ答えを出してもいいだろうと思ったアズール。
「セラは、空に映っている青を見て、どう思った?」
彼は解説に入る前に冷静な顔で、セラに、唐突な質問をした。
「え? そりゃあ……、普通に綺麗だなぁとしか……、考えてなかったと思う」
彼の質問に対し、セラは戸惑うも、素直に答えるしかなかった。
「まぁ、単純とはいえ、セラの言うことも、間違いじゃないな」
「えぇ〜、単純ってなによ……。単純って」
「その単純でも良いんだよ。それが、俺の知っている、セラの良いところでもある、素直さだから」
彼女は、失礼と言わんばかりの膨れっ面な顔で怒りそうになるも、案外、すぐに諫めた。
それを、少しでもわかってくれる彼のことが、セラにとって好きになったのだから。
アズールは、絵を描くことを一旦止め、空を仰ぎ、ようやく、彼の答えを説明し始める。
「俺のいう青の綺麗は、もっと複雑なんだ。なんだろう……、まるで心の鏡を映すかのような感じだ」
「心の、鏡?」
「例えば、今は透き通るような清々しい青を見せているけれど、夕方は、赤と青の入り混じりが、明日に会えてもどこか寂しさを映る時がある。夜は、深い黒に近い青を出している時、星が輝いていたら、まだ、ロマンチックかもしれない。けれど、何もない暗闇の青だと、不安や怖さも知る。空も、海と似たような感覚なんだ」
「なんだが、ナルシストみたいなセリフね」
セラは、彼の見解を聞いて、クスっと微笑しながら感想を言う。
そんな彼女の表情を見たアズールは、ちょっと不貞腐れている。
「別に良いだろ……。芸術は、そんなもんだ。けど、それを映し出せる美しさや儚さが、俺にとっての青の綺麗と言える理由だから」
「ふふっ、そうね……。そういうところ、アズらしいけど」
「……」
「私は、そんなアズも、大好きだよ」
セラの笑顔を見せる姿は、子供の頃から、ずっと変わらなかった。
大人になったら、人は変わるという。
だが、セラからの接し方や見守る姿は、大人になっても、そっと寄り添ってくれる。
--セラ、ありがとう。俺は、嬉しかった。お前の温かさに、いつも……。
(……!)
テーブルの上で伏せていたアズールは、ようやく目を覚ました。
上半身を起こし、気づけば、窓の外は、月明かりの夜。
(俺、今……、懐かしい夢を見たな……)
セラとの思い出の温かさが、まだ、彼自分の身体に感じている。
(俺が、セラに惹かれるようになったのは、彼女だけが、唯一、どんな俺であっても受け入れてくれるから。俺の良いところ、悪いところ、全てを知った上で、俺の傍に、いつも居てくれたから)
白い薔薇は、まだ染まっていないが、アズールは、その長い戦いに挑むしかない。
--俺が、ただただ、自身の追い求めている「青」を……。
◇ ◆ ◇
--「青い薔薇」を作り始めてから、一週間後……。
「やった……遂に……」
アズールは、ようやく「青の薔薇」を自分で作ることに成功した。
念の為、何度でも彼女のお見舞いへ訪れる予定がある時用まで、勢いで予備も作っておいている。
「手作り」という人工のものだが、それらしい形には、なんとかなった。
アズールの求める青の色を手にした喜びが、心から想いを爆発している。
だが、歓喜の声を上げるのも束の間……。
--ドンドンドン! ドンドンドンドン!
ドアのノック音が、普段と違い、荒く激しい音が、慌ただしく聞こえる。
(なんか、騒がしいな……)
「ウォーターマンさん、早く、ドアを開けてください!」
「ん? 何だ? こんなに急いで……」
「ハァハァ……、ウォーターマンさん、電報です!」
「え? 電報?」
(まさか……!)
彼は、不穏な予感を感じ、すぐに届いた電報を開く。
マリアからの知らせで、セラが、そろそろ危ないと書かれていた。
彼女の容態が、危篤状態の知らせだった。
アズールは、すぐに支度し、彼女が見たいと願っていた「青い薔薇」を一本持って、家から飛び出す。
(セラ……今、俺が行くから、まだ生きてくれ!)
彼は、鉄道の交通などを利用するも、なかなか進まないことに、焦りから出る汗が、一向に止まらない。
無事に目的地まで着いて、セラの顔を見れるまでと、出来上がったばかりの「青い薔薇」を持ちながら、祈るぐらいしか出来なかった。
なんとしても、彼女が生きている姿をと、大病院まで駆けて行く。
「セラ!」
アズールは、ノックもせず、扉を盛大に開け、大声で彼女の名を呼ぶ。
恐る恐る、セラが横になっているベッドへ、少しでも近づこうにも、彼の呼吸が荒れてなかなか進めない。
セラは、起き上がることは愚か、もう、ほとんど息が出来なくなっていた。
けれど、彼が持っていた一輪の「青い薔薇」を、彼女は薄らと見つめていた。
「ア……ズ……」
それを見送ることが出来たセラは、薄らとアズールに笑みを浮かべ、その一言を最期に、力を尽きてしまった。
「セラ……? なぁ! セラ!」
アズールは、セラを呼びかけていても、反応をしない姿に呆然としたまま立ち尽くす。
「残念ながら、この時間を持って……」
彼は、医者に死を告げられた瞬間、声が出ず、震わせていた。
最期まで傍に居たマリアも、セラの死に、部屋中に響くぐらい、嘆き悲しんでいる。
「そんな……」
彼女は、息を吹き返すこともなく、もう二度と、ここへ帰ってくることはなかった。
--セラの葬式当日。
この日は、薄いホワイトグレーの曇り空。
チャペルでのお祈りを済ませ、彼女の墓地で、滞ることもなく、厳かで静かに、埋葬の儀式を執り行われている。
参列したのは、彼女の家族をはじめ、親族、彼女と親しかった友人や近所の住人たちも来ている。
(セラ……)
アズールも、キチンと身支度を整えた黒の紳士服で、献花に訪れていた。
白い百合の花束に、彼が作った「青い薔薇」も一つ添えて。
重く長い時を経て、儀式が終わり、アズールは、家に帰る前にマリアに挨拶しようと、向かおうとする時だった。
それぞれのグループで彼女と過ごした思い出話に浸る中、一人だけ面倒な顔をして話している人物がいる。
紛れもなく、セラの父親、マティス・アスター。
あの悪魔の元凶が、他の参列した彼の職場の同僚に、くどい愚痴を散らしていた。
「セラも、くたばれやがって。せっかく前の婿が死んで財産を手にした後は、別の婿との再婚で、くっつけさせようと思ったのに、未亡人という理由で、相手から断られるわ、全く使いものにならない奴だった」
マティスの部下に当たるメンバー達や関係者など周りは、彼の暴言に対して、反論や意見すら、何も言えず無言のまま。
誰も止められない、彼に逆らうことが出来ないせいで、彼の文句は一向に収まらず、更に続ける。
「アイツなんて、所詮、俺の駒使いにしか過ぎん。アイツが嫁に行ってもらって、財閥ごとワシのものになるなら手段なんて選ばんからな! ずっとワシの操り人形みたいに生きればいいものを……」
フンっと鼻で人を嘲笑うように鳴らし、愚痴を止めること知らず。
そのことを付近で聞いたアズールは、怒りの方向へ沸々と湧いている。
(セラを操り人形だなんて……。よくも……)
父親らしいことは一切無く、非道な性格のマティスの言動に、アズールは、怒りに任せて彼のところへ歯向かう。
「ん?」
「テメェ、さっきからセラを……」
「んぁ? あぁ〜……、誰かと思えば、お前、セラの横にいるアズール(屑)じゃないか。なんか文句あるんか?」
「……せねぇ」
「なんだ? なーんにも言えない生意気な小僧が、ワシのところにズカズカと来やがって。ホラよ、さっさと、どっか行った」
「……本当に、許せねぇ」
鬱陶しそうに、手で追い払う仕草をするマティス。
(ジジイの前に行動をすると、怖気が止まらないけど、もう、昔の俺とは違う!)
馬鹿にしたように見る彼に、アズールは、静かに抗戦の蓋を切る。
より前に出て、マティスの身につけている黒ネクタイごと襟を掴み、溢れ出した怒りの言葉を発する。
「別に、俺のことを屑だろうが、糞だろうが、どうでもいい。セラを侮辱することだけは、許さねぇ! セラは、お前の道具なんかじゃねぇよ!」
「はぁ? 侮辱なんかじゃない。事実を言ったまでだ。結局、お前もセラと同じ、一生、無能で屑の生き方だからな」
「無能なんかじゃねぇ! セラを馬鹿にするな!」
マティスの台詞を被せるように、アズールの怒号は収まらないまま、怒りの感情を更に続けて叫ぶ。
「どんな境遇だろうと、彼女なりに懸命に生きてきたんだよ! お前みたいな傲慢な生き方なんかじゃない!」
アズールは、セラの分の悔しさに滲み、更にヒートアップして殴りかかろうとした時……。
「アズ! やめなさい!」
「--ッ!」
二人を前に、大声で制止したのは、マリアだった。
「けど……!」
「アズ、もういいから……、これ以上、やめて」
マリアは、アズールの腕を掴み、彼女の瞳から涙を静かに流している。
セラの墓前で、喧嘩を見られると思うと、彼女が悲しむと思ったのだろう。
それを見た彼は、ふと我に返り、殴りそうになった手を下ろし、マティスのネクタイを掴んだ手も離したが、その場で立ったまま拳を握り締め、心の中で悔しがっていた。
しかし、マリアは、アズールだけでなく、マティスにも忠告を掛ける。
「それと……」
「あ゛ぁ? なんだ?」
「貴方も、愚痴を吐くのも大概にしなさい! 墓前の前でグダグダと文句言って……大人げない。周りが迷惑してますよ!」
「……フン! ったく、邪魔が入りおって……」
マティスも、舌打ちした後、忌々しい表情で墓地から離れ去った。
他の取り巻きも、騒動にならなくて済んでホッとしたものの、すぐに彼を追わないと敵にされ、潰されると思い、気まずそうに一緒に去る。
マリアが怒っているところは、滅多に見ない上、マティスが悔しそうに去るとも、アズールは思わなかった。
「……」
「アズール」
「おばさん、ゴメン……。さっきは申し訳なかった」
二人が残り、マリアは、アズールの横に、そっと寄り添う。
彼の怒りは、まだ収まっていないが、これ以上、マリアに迷惑を掛けるのがいけないと感じて、素直に謝る。
「……セラに対する父親の暴言を聞いて、悔しかった。けど、俺が怒りに任せたばかり、手を出そうと」
「ううん、そんなことないわ。あの子も幸せだと思う」
「え?」
「確かに、暴力を振るうのは、何があってもいけません。特に、セラの墓前だから、彼女が悲しむでしょ?」
「はい……」
「だけど、セラの為に怒ってくれて、私は嬉しかった。セラのこと、今でも愛してくれているのが嬉しかったのよ。ありがとう」
マリアは、ほんの少しの笑みを見せ、彼を慰めた。
「申し訳ないけど、私、この後のこともあるから、お先にね」
「えぇ、お気をつけて……」
悲しみを感じても、今は、泣くことすら出来なかったアズールは、このまま、彼女が去るのを見送った。
誰も居なくなった今、アズールは、未だ、セラの墓の前で、ずっと立っていたままだ。
薄い曇り空からどんよりした鈍色の雲に変わり、雨が次第に強く降り出している。
「セラ……」
何を思い返しても、あの明るい笑顔を見せる彼女は、もう居ない。
大切な人を失い、取り返しのつかないことになってしまったアズールは、何も考えられなく、彼女の墓標を虚な目で見つめている。
「ゴメン……。俺が……、俺が、一番……。もっと……、お前を」
十何年も待たせ、彼女を迎えにいけなかったことに対し、アズールは、雨に打たれながら、後悔の念に駆られたまま、顔を伏せて立ち尽くしていた。
--灰色になる「青」は、こんなにも虚しく色褪せ、悲しみが濁るものなのか……。
--セラが亡くなってから、一週間が経ったある日。
(俺は、やっぱり、無力だ……)
何をしても、身に入らないと無気力なアズール。
キャンパスを前にしても、ずっと、何かを見つめるようなボーッと虚無な目で見たり、背けて俯いたりと……。
とにかく、絵を描くことすら、ままにならない。
一週間の間に、一度だけ、マリアが、アズールの家へ訪れてきた。
やつれている彼の事が、子供の頃と同じように、心配だったのだろう。
しかし、彼に用があったのは、これだけではなかった。
彼女曰く、アスター家を離れ、田舎にある実家に帰るとのこと。
つまり、夫であるマティスと、熟年離婚をすると決めたそうだ。
「私が、離婚を決心出来たのは、アズールのお陰よ」
セラの葬儀の時、アズールが父親に立ち向かったことがきっかけで、改めて心を動かしたと、彼女は言う。
今に始まったことではなく、数々の暴言や、浮気など日々の積み重なり、今回、セラが亡くなった時の暴言が、一番の決定打だった。
現在は、その離婚裁判の真っ只中だ。
長い戦いの中でも、彼女は有能な弁護士を捕まえたことによって、彼に怯むことなく、堂々と答弁をし、もう少しで、勝利を掴み取ろうとしている。
それでも、彼は、マリアの前向く希望に対して、何も響くことはなかった。
(俺も、そろそろ、何か絵を描かないと……。だけど、ダメだ。身体が、どうしても動かない)
他の周りの人が、自分の歩む道を進む為に、それぞれ出来る範囲で動いている
それなのに、自分だけが動けない葛藤に、アズールは頭を抱える。
(俺は、今もずっと、美しく眩しかった海から、深く沈んで黒に近い闇の海に堕ちている……。あの鮮やかな青が、ブルーブラックのように、時間が経てば経つほど、黒に侵食されていく……。そんな気分だ)
「取り敢えず、絵の具を……」
何かしら動かそうと思い、引き出しに仕舞っている絵の具を撮りに行こうと立ち上がったが……。
--ゲホッ! ゲホゲホッ!
咳が出始め、なんとか抑え込もうと手で覆いながら耐える。
しかし、鎮めたとしても、彼の目に写っているものを見て、何かを察した。
(……!)
咳き込みで抑えていた右手を見ると、自分の赤い液体が付いている。
症状は、恐らく彼女が発した、あの病気と同じ。
だが、アズールには、緩和治療というよりも、病院で入院生活出来るほどのお金を持ち合わせていない。
それ以前に、彼は入院する気が、まずない。
(あぁ、そうか。俺も、もうすぐ死ぬんだな……)
彼の手についた黒く赤く染まった血を、虚に見つめている。
(俺も、ここで死ねたら、セラに会えるよな……)
しかし、死期を感じて悟るのと同時に、彼はふと、思ったことがあった。
(は、待てよ? 俺は、このままだと、何も残らないまま、ただ、死ぬのを待つのか?)
アズールは、名を残すことさえ出来ずに死を迎え入れることを感じてしまった。
そんな残酷な現実を突きつけられ、だんだん考えれば考えるほど、急に怖気つき、心が弱くなる。
その恐怖から、彼の自己険悪が増して、黒い青に陥ってしまう。
(クソッ! 冗談じゃねぇ!)
椅子や作業用のテーブルなどを蹴ったりと八つ当たりし、油彩で使う時のパテで、キャンパスを突き破ろうとした時……。
「郵便でーす……、あっ、お届けに……ヒッ!」
「あ? なんだ?」
男性の配達員が、アズールの元へお届けに来るが、血相を見て震える。
苛立ちを抱えたままの彼は、喧嘩を売るような表情で、配達員に怖がらせてしまった。
「て、手紙を届けに……、で、では、失礼しました!」
怖い表情を見た配達員は、手紙をアズールに渡し、すぐに次の配達へ逃げるように、スピードを出して去っていった。
「チッ! ったく、何だよ……」
鬱陶しそうに舌打ちをし、顰めっ面な顔をしながら、彼のアトリエ部屋へ戻る。
手紙を出した人物を見ると、予想外の人の名前を目の当たりにした。
「え……? 何で……?」
差出人は、もう既に現世を去り、空へ還ったはずの、セラの名前だった。
「どういうことだ? 何かの悪戯か?」
なぜなら、亡き人になっていたはずのセラが、手紙を送ってきたことに対して、絶対、こんなことはあり得ないと、彼は思ったからだ。
すぐさま捨てようとするも、何故か躊躇った。
本人が、もしかしたら本当に書いたかもしれないと思うと、捨てられなかった。
念の為、彼は、手紙をペーパーナイフで開封することに。
筆跡は、十八の誕生日を迎える前のセラの字を思い出し、彼女本人のもので間違いじゃなかった。
ただ、普段の字と違うのは、所々に波打った文字であること。
恐らく、病気で上手く書けなかったのだろう。
--親愛なるアズへ
この手紙が貴方のところへ届いたということは、もう、私が居なくなっている頃だね。
なぜ、私が、アズに「青い薔薇」をみたいと言ったのかを教えようと、改めて、手紙にしたの。
あの「青い薔薇」には、花言葉の意味があったから。
青い薔薇を作るのは、貴方の言っていた通り、今の時代では、本当に「不可能」と言われているの。
それを「可能」にするという意味を込めて「夢が叶う」と花言葉に生まれたから、この言葉を、貴方に届けたかった。
貴方が、コンペでなかなか上手くいかないことは、周りの伝手で聞いていたよ。
それでも、一人前になるまで、諦めないままの貴方の思っていることも全部。
いつしか、貴方がスランプで落ち込んでいると聞いた時に、私も、アズに何か勇気つけたくてと、色々と考えた。
でも、その直後に病気になって、最後は、ベッドから動けなくなった自分になったから、結局、アズを振り回すようなことになっちゃったけど、無事に「青い薔薇」が出来たなら、そのまま、貴方が、受け取ってください。
私がやりたかったことは、アズに「青い薔薇」を届けたかったこと。
花言葉のあるように、貴方は、絶対、一人前の画家になれる。
「夢が叶う」と、信じて欲しい。
きっと、貴方の今までのこだわりや努力は、いつか報われると、私は、信じているから。
私は、もうここには居ないけれど、アズの大好きな空から、傍で見守っているね。
セラより
「セラ……」
アズールは、手紙に向けて、彼女の名を呼ぶ。
「なぁ、セラ……。どうして、俺なんかに……」
もう一度、震える声で、名前を呼んだ後、今度は彼女に問いかける。
普段、泣くことのないアズールは、この日ばかり、何故か涙が溢れ、止まることがなかった。
感情が不安定になったからではなく、心から出た、彼の本心の感情だった。
身体が動けない彼女なりの、精一杯のやり方で伝えたアズールへの想い。
(セラのやり方は、相変わらずの無茶ぶりなことだけど、俺は……)
彼女の努力を感じて、アズールは自分を振り返り、情けなくなる気持ちを、彼女の手紙で、初めて実感する。
(セラが、あんなに俺の為とやってきたことを、無駄にするのか? そんなのは、俺が一番恥ずかしい……。もう、これ以上、闇の海に堕ち続けている場合じゃない! 一度は、沈みそうになった俺だけど、今なら這い上がれそうな気がした)
手紙を読んだあの日を境に、アズールは、覚悟と決意を決め、僅かの命と時間を賭ける。
何度も描いては、直しの繰り返し作業の日々。
彼が納得のいく構図、人物の表情、そして、こだわりを貫く為に、試行錯誤して改良を重ねた青の色。
食事も睡眠も、外へ出ることを忘れるくらい、無我夢中に描写し続けている。
幾度と気落ちして、海に堕ちそうになっても食いしばり、這い上がろうと必死にしがみつく。
彼の家へ時々訪れるロビンズをはじめ、僅かの友人や近所の人ですら、余りの変わり果ての姿に、心配を掛けるも、聞く耳を持たなかった。
(セラの為……、いや、俺自身の為でもある。もう一度、乗り越えたいんだ)
彼は、目標としていた定会コンペに向けて、再び、描き続ける。
ーー自身の追い求めていた、信念の「青」を描く為に……。
--数年後、某大都市・中心部での秋。
アズールの絵画が、コンペの審査に通った特別展示イベントにて、美術館に大きく飾られていた。
題名は「青い薔薇と天使」。
リーフ模様の金色の額縁で施されている。
まるで、名前の由来にも近い「セラフィム」となったセラが、青い薔薇を胸に宿し、人々へ勇気を与えるかのように聖歌を歌う姿。
色白い天使のような肌と、インパクトのある薔薇の青色。
背景や天使の羽根の艶に出る青にも、彼のこだわりを貫いて、描かれている。
彼の描く青の表現法や美しさに、ようやく評価され、展示品を一目見ようと鑑賞しに来た客や、他の画家達に魅了をされ、アズールの名を残すことは出来た。
しかし、彼本人が、この美術館へ訪れたことは、一度もなかった。
なぜなら、この作品が完成した後には、もう既に、彼はいないからだ。
今まで描いていたキャンパスとセラから届いた手紙。
予備で作っておいた、あの残りの青い薔薇が枯れ果てて、共に残したまま……。
彼の行方は、例え友人や知人に聞いても、誰もが言う返事は「知らない」のたった一言。
但し、一人のあの貴婦人だけは、彼の最後についてこう語った。
詳しくは、私も分からない。
でも、彼は、最後まで、境遇など色んなことに戦って、頑張ったと、私は思う。
きっと……、今頃、あの子の傍で一緒に眠っていると思うわ。
(アズ……、頑張ったね)
残った手掛かりの一つであろう、セラからアズールへの手紙。
あの時に届いた彼女からの手紙から読めるのは、追伸としての最後の言葉が、彼を誘ったのかもしれない。
……ねぇ、アズ。
「青い薔薇」には、実は、もう一つ意味があるの。それは……。
--いつも、貴方への恋と愛の気持ちは『変わらない想い』と。
「青のパレット」あとがき
皆様、こんにちは。初めましての方は、初めまして。朝比奈 来珠です。
数多くある作品の中から「青のパレット」を読んでいただき、ありがとうございました。
この物語は、私も含め、読者に、少しでも「踏み出す勇気」と、自分の心から信じている「貫き通す信念」に、希望の光があればと願いながら、物語の世界を描いた作品です。
短いながら、あとがきは、この辺にて失礼します。
また、どこかでお会い出来ることを願って……。