中編:青の挑む中の葛藤
「ねぇ、アズ」
「ん?」
アズールがスケッチブックに絵の具で描いている最中、セラが、彼の後ろから覗き込む。
彼が描いているのは、雲が一つもない青い空だった。
「どうして空を描いているの?」
「……なんとなく綺麗だから」
「え?」
「空が綺麗……いや、空が写す青色が綺麗だから」
「うん。そりゃあ、青色が綺麗だけど……?」
セラが、アズールのいう意味を理解するのには難しかった。
だが、彼は、更に難しいことを言う。
「君の思う、単純に青が綺麗と、俺の思う、青の綺麗は違うと思う」
「どういうこと?」
「それは……」
--あの頃、俺が思っていた「青」は……。
「……ール、アズール?」
(……!)
アズールは、カップの中に入った残りのコーヒーを一点集中するかのよう、見つめていた。
昔の記憶に沈みそうになり、現実が上の空になるところだった。
その姿を見たマリアは、心配そうに声を掛ける。
「どうしたの? 具合悪くなったの?」
「あっ、いえ……、すみません。ちょっと考え事で、ボーッとしてしまって」
(昔のことを回想していたとは、言えない)
「ところで」
「はい」
「セラは、何か言ってた?」
「あぁ、そのことでしたら、欲しいものがあると、ねだっていただけなので」
但し、詳しくは言えないがと、前置きをし、アズールは、病室での話を簡潔に説明した。
「まぁ、ごめんなさいね。セラが、そんなワガママなことをいうなんて」
「いえ。彼女が望んでいることなら、なるべく、俺が、ちゃんと叶えてやりたいので」
出来るかどうかを別にし、マリアに、セラの要望に応えられるように努めることを、彼は誓う。
「それよりも、彼女が寂しがるかと思いますので、そろそろ、お暇いたしませんか?」
「そうね。セラを一人にして、時間を取るのも悪いわね」
「では、ご馳走様でした。ここは支払っておきますので」
「あ、大丈夫よ! 私がお代を払うわよ!」
お金があまりなくても、礼儀だけはきちんとしたいアズールは、彼女に飲食代を渡そうとする。
「いや、それは……」
「いいの、いいの! セラのお見舞いに来てくれたお礼なんだから、気にしないで」
マリアは、和かに、彼からお代を受け取ることを断り、店員に潔く支払って、外へ出る。
「本当に、なんというか……ここまでしていただいて、申し訳ない……」
「ううん、謝ることはないのよ」
彼は、ぎこちのない感じに、彼女に謝る。
「アズール」
「はい」
「この辺で、お別れだけど……あの子に会ってくれて、ありがとうね」
マリアは、アズールに安心させるような笑顔で、お礼を伝え、彼を見送る。
そのまま、何も言わずお辞儀をして、アズールは、病院から後を去った。
--これから、挑まないといけない「青」は、何処へ向かおうか……。
◇ ◆ ◇
--セラのお見舞いに行った、数日後。
この日は、世間一般では休日だ。
アズールは、ここ数日、幾つものの花屋を訪れては、「青い薔薇」について訊ねた。
しかし、当然のごとく、天然の「青い薔薇」なんてどこにも売っていない。
作り物でもと、彼が店員に問うも、生きている花しか売っていないのだから、人工のものを置いてある店どころか、取り扱うことすら、全くない。
作り方も、皆は口を揃えて、知らない、分からないと返された。
セラが見たいという「青い薔薇」を、どうすれば手に入るのか?
アズールは、常に考えながら、街をふらりと歩き続けている。
(こういう時に、詳しい人がいれば……。誰かいるのだろうか?)
誰かを頼りたい気持ちだが、誰を頼れば……? と。
解決できる方法など、今後のことを考えていると、ふとした瞬間だった。
数少ない友人から、生物や理科に詳しい人物がいるかを、頭の中で記憶を頼りに、該当する人を巡って探り出す。
すると、一人、思い当たる人物がいることを思い出す。
アポイントはとってないものの、一刻も争うアズールは、すぐに訪れようと向かう。
「はい……。え? アズなの?」
「あぁ、久しぶりだな」
「珍しいね! アズが、僕の家に来てくれるなんて」
「……」
「……って、なんか、いつもより顔が暗いし、深刻そうだね……」
少し膨よかな体型の、メガネを掛けた男性が出迎える。
彼の名は、ロビンズ・モートレイク。
二年ぶりの対面と同時に、アズールは、彼に助けを縋り付く。
「なぁ、頼みがある! 今すぐ、どうしても相談したいことがあるんだ!」
「う、うん、わかった。とりあえず、積もるものもあるだろうから、入りなよ」
アズールは、ロビンズに招き入れられ、家の中に入る。
「そういや、さっきは、気が立っててすまない」
「いやいや、偶然とはいえ、僕は君に会えるのが嬉しいから、気にしてなかったよ」
「それなら良いが……。あ、今更言うのもなんだが、急にお邪魔して大丈夫だったか?」
「あぁ、大丈夫だよ」
「奥さんや子供は?」
「今日と明日は、嫁さんの実家に帰っているんだ。嫁さんの両親が、孫に会いたいからってね」
「そっか」
心の中で安堵したアズールは、リビングにあるソファに座る。
ロビンズとは、小学生時代からずっと繋がっている友人同士であり、物知りであることから、みんなから、あだ名は「博士」とも言われていた。
現在は小学校の教師をしていて、同じく勤めていた奥さんとの結婚の末、二児の父親だ。
「アズ」
「ん?」
「久しぶりに、酒でも一杯飲む?」
そう言って、ロビンズは、片手にウイスキーの瓶を持って、アズに尋ねながら勧める。
お酒が好きなアズールにとっては、ありがたいことだが、この日は、珍しく断る。
「いや、本当は、お酒を飲みたいのは山々だが、今日は、酒よりも珈琲にするよ。この後、画材屋とか寄りたいところがあるから」
「相変わらず、画家を頑張っているんだね。じゃあ、いつものようにブラックで、珈琲淹れるよ」
「あぁ、悪いが頼む」
ロビンズは、快く承諾し、珈琲を淹れる準備を始める。
アズールにとって、久しぶりに味わう珈琲に、冷えた心が、少し嬉しくなっている。
彼の淹れる珈琲が、ドリップの中から、仄かに香りが漂う。
「どうぞ」
「ありがとう、あぁ、いい香りだ」
ロビンズの珈琲を淹れる腕は、店に出せるほど、人並みより上手い。
一時期は、お店でも開いたらと、他の人に勧められたこともあるが、ロビンズ本人は、経営者としての器がないから向いていないと言う。
「で、相談というのは?」
「あのさぁ……単刀直入に聞くが、青い薔薇について、何か知ってるか?」
「え? 急にどうした?」
「実は……」
アズールは、冷静に質問をし、セラが病気で余命もあまりないことを説明した上で、彼女の最期の願いとして、叶えてやりたい思いを伝える。
流石の物知り屋でも、ロビンズにとっては、難解なものと察したのか、どう答えるのが良いのか迷いながら考えている。
「青い薔薇かぁ、んー……、青い薔薇なぁ……」
「どうなんだ?」
「……何とも言えないが」
アズールの質問に、ロビンズは、唸りながら困惑する顔を見せ、答えをポツポツと説明する。
「正直言って、今の時代だと、天然の青い薔薇を生み出すのは、品種改良か遺伝子組み換えレベルじゃないと出来ないんじゃないかなぁ。そもそもの話、青色の薔薇を作るのは、生物学の研究者の中でも、不可能と言われているぐらいだし」
「それは、わかっている。天然のものを手に入るなんて、全く期待していない。だけど、どうすれば手に入るんだろうかと」
科学が今の時代に追いついていないことは、アズールでも分かりきっていた。
だが、違う方法でも何でもいいからと、尚、彼に助けを求めている。
「うーん。だったら、この際、自分で作るしかないんじゃない?」
「は? どういうこと?」
「だから、そこまでハッキリわかっているなら、自分で作ってみなよって言ってるんだよ」
ロビンズは、彼の聞き返しに少し呆れながら、もう一度、自作をすることを提案を上げる。
(自分で……。あっ、そうか、この世になければ、自分で作ればいいんだ!)
「なぁ、ロビンズ! どうやって作れるんだ?」
「えっ、あっ! ちょっ!」
「俺が、ちゃんと実践するから、どうやるのか教えてくれ!」
「待て待て、そう慌てるなって。アズ、まずは落ち着こう!」
アズールは、興奮気味に、ロビンズからの提案に対して、具体的な内容を求めている。
が、ひとまず、彼を落ち着かせ、ロビンズが少し考えていく。
すると、一つ、妙案を思い浮かんだのか、早速、彼は、アズールに提案のプレゼンを始める。
「あくまでも、推測で出来る方法があるとしたら……」
ロビンズは、紙とペンを出し、仮定を立てて、アズールに分かりやすく、やり方を教える。
横で聞いていたアズールは、これならと、感心しながら納得をしている。
「なるほど、この方法なら……。流石、現役教師で『博士』のあだ名を持つロビンズだ」
「いやいや。あ、でも……、今日は、お店も、そろそろ閉まるよ?」
「店が閉まる……あっ! 画材を買いに行かないと……って、今から行っても間に合わないか」
話し合っているうちに、夕方には、とうに過ぎていた。
今にも実行したいアズールは、残念そうに頭を抱える。
休日の為、雑貨屋などは、いつもよりも店が閉まるのが早い。
「そうだね。残念だけど。でもせっかくなら、ここでご飯を一緒にしようよ」
「え? いいのか? ご馳走まで」
ロビンズは、アズールと会えた機会に、食事も振る舞いたいという。
「うん。僕、家族と暮らしてから、ずっと、他の友人と、なかなか食事をする機会がなくてね」
普段の暮らし方で、滅多に会えなかった友人に料理を提供したい思いで、照れ臭そうに、彼は笑いながら準備をし始める。
「あぁ、まぁ、仕方ないさ。家族の方が、大事なんだから。俺、こういうのもなんだけど、久しぶりにお前の特製キッシュとか食べたいな」
「良いよ、ちょうどベーコンとじゃがいも、ほうれん草もあるし、材料は余っているから」
「じゃあ、俺も、何かしら手伝うよ」
「え? いいよぉ〜、アズは、お客さんなんだから……」
「いや、ここまでねだっておいて、俺が動かないのは悪い。だから、手伝わせてくれ」
「……アズの変なところは、相変わらずだね」
アズールの変な律儀さには、ロビンズも昔から知っているが、今と変わらない安心感もある。
彼も含め、周りの友人とのクリスマスパーティー以来だ。
久しぶりに、ロビンズの手料理を味わえる喜びに、アズールも気が晴れそうな心だった。
◇ ◆ ◇
--次の日。
早速、アズールは、ロビンズの助言通りの材料を集めに、市街へ出かける。
まずは、時間がなくて行けなかった、アズールの家から近くにある画材屋へ。
「いらっしゃい……。おや? アズじゃないか」
「あぁ、どうも」
画材屋の店主・デルフトが出迎える。
店主は、七十近い年配だが、アズールからは、オヤジと呼ばれる。
彼が行っている画材屋は、小さい頃からの旧知で、行きつけでもあった。
子供の頃は、両親、そして、セラやマリアと一緒に訪れたことから始まり、今も繋がっている。
「アズ、前回のコンペは……」
「あまり聞かないでくれ」
(さては、ダメだったんだな……)
相変わらずだと言わんばかりのデルフトは、彼を軽く揶揄った。
しかし、いつもと様子が違うことが、デルフト自身、どこか感じていた。
そんな茶番には付き合っている暇はないと、アズールは、無我夢中に、目当ての青の染料を、真剣に探している。
「なぁ、オヤジ」
「ん? どうした? いつものヤツを探しているのか?」
「いや、違う。今回は、絵の具じゃないんだ」
アズールがいつも購入するものは、大抵、油彩か水彩の絵の具の青色系のもの。
だが、今回は、打って変わって事情が違う。
彼は、粉状になっている染料を探していると、デルフトに伝える。
「ん? 染料の粉か? あぁ……、それなら」
「あぁ、そっちなんだ」
椅子に座っている彼は、立ち上がって、カウンターの棚から二つの瓶を取り出す。
どちらとも、天然素材から作られた藍色の染料。
「藍色とはいえ、系統は若干違うが、まぁ、お主には、この二つ。両方試しに使ってみるのも、アリかもな」
「そうか。じゃあ、両方とも、いただく」
「うむ。是非、試してみてくれ。まぁ、お代は、いつも来てくれてるし、通常より少し安くするよ」
(帰った後、色の調合を実験的にするしかないな)
画材屋を後にし、次の目的地である花屋へ向かい、白薔薇を指で数える程度だが、購入をして家に戻る。
--帰宅後、アズールの家の中にあるアトリエ部屋。
(これぐらいの量か……? いや、もう少し……)
天秤型のはかりと分銅を用いて、染料の粉を量り、ビーカーに入れる。
薔薇は棘に注意しながら、葉っぱを、切り落とす。
そう、昨日、ロビンズからもらった提案を、忠実に行っている。
(こういう道具、久しぶりに使うなぁ)
まるで、小学生の頃に授業で行う理科の実験のようだ。
(水の量はこれで大丈夫だ。棒で混ぜて、薔薇を一日中浸けておくと……)
混ぜ終えた水は、どちらとも藍色の色。
しかし、一日中浸けたとしても、成功するとは限らない。
彼の望む「青」を生み出さなければ、セラに見せる価値がないと思っているからだ。
だが、次の日に薔薇の姿を見るも、失敗をしてしまった。
色の斑と濃さに、納得いかず。
(まぁ、一回で成功するわけじゃないのは、わかっているが……。これは、本当に長い戦いになるな)
何日もかけ、何度か調合し直して繰り返すも、やはり彼が納得の出来る色は、なかなか出来ない。
オマケに、セラの命も持たないとなると、焦りも見え始める。
(このままじゃあ、彼女に完成した『青い薔薇』すら、見せられない……。そんな悲しい終わり方だけは嫌だ)
最後の手段として、ロビンズに相談の電話を入れると、ヒントになりそうなものを、アズールは耳にした。
「あぁ、だったら、薔薇の品種自体、変えるのが良いのかも?」
「品種を? 長持ちする薔薇はあるのか?」
「確か、ヴェンデラという品種だっけかな……」
「ヴェンデラ……。なるほど。わかった、とりあえず、それを買って試してみる!」
アズールは、ロビンズに感謝を伝え、聞いた品種の薔薇を、再度、花屋に駆けつけ、探し回る。
(オランダ産の薔薇とは聞いたことがあったが、他の薔薇に比べると、どうやら長持ちもするらしいな)
アズールは、絵画と同様、植物図鑑や植物園などの花の鑑賞も好きだったため、多少の知識を持っている。
だが、「青い薔薇」のことをセラから聞かされた時は、耳を疑うぐらい有り得ないもの。
決まった品種の白薔薇を買い終え、再び、同じような用法で、実験を再開する。
(コレが成功したら、なんとか終止符を打てるのだが……。そろそろ限界なのか?)
アズールは、ふぅっと溜息をつき、机の上に肘で支え、手の平の上で耳の後ろにある首と頭の境目を支える。
毎日、仕事の合間に、実験しながら制作を行っているものの、普段から運動らしいことすらせず、あまり動かなかったり、食も細いのもあり、日頃の疲れが祟ったのか、彼は、カクンと顔ごと下へと、手から外れてしまう。
あまりにも耐えきれない彼は、その場でそっと眠りに伏せ落ちてしまった。
--夢の中へ誘う「青」は、再び、あの温もりを甦ることを願って……。
--後編へ続く