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前編:青の鳴らす、挑み始まりの鐘

 ーー時は、二十世紀前半。欧州某国、大都市郊外。


 嘗ては、機械化の革命が起きる鐘が鳴り、発展の道へ進み出そうとしていたあの産業革命から時を経て、世紀が変わり始めていた。

世界を巻き起こし、激しかった大戦争が収まって、ようやく休息の一幕。


 経年劣化で古めかしさのある小さなアパートで、黒と僅かな白髪の入り混じったクセのあるボサ髪の青年が一人、部屋に籠って描いている。


 彼の名は、アズール・ウォーターマン。三十二歳、独身。

職業は、自称・画家と、彼自身が名乗っている。

標準体型よりもヒョロガリで、常に少しボロい生成りのワイシャツにサスペンダーのついた焦茶のズボンを履いた姿で、近寄りがたい。

普段の生活は、露店で新聞販売のアルバイトで生計を立てながら平凡に暮らしているように見えるも、ちょっと面倒くさがりな人物ヤツだ。

食事の時、スープとパン以外は、ほとんど手をつけない。

特に、スープの中に、一日一食分が取れる量であれば充分だと彼なりの自論を持った屁理屈な考えを持っている。

仕事面では、とりあえず最低限の生活費と画材が買える範囲しか働かない。

つまり、朝から晩まで一日中通して働くのではなく、交代要員が出勤して来たら、彼の気分次第で、すぐさま、その人に任せ、自分は家に帰るのみ。

交友関係やプライベートは、全く友達がいないわけではないが、指で数えるくらいの数人。

他の人が、彼に質問や話したいことを話しても、何も明確にせず、淡々とした答えか相槌を打つ程度。

長い付き合いのある友人ですら、彼の心理が読めない。

他人から見ると、良い風に言えば、ミステリアス。

悪い様に言えば、ある種の嫌われ者、厄介者、面倒くさい曲者。

アズールの性格は、絵画にも表れているのかもしれない。

彼が描くものは、抽象的……、いや、こだわりが強すぎる。

下絵の鉛筆以外は『青色系』のアクリルや油性の絵の具しか使わないこと。

たまに、青の色鉛筆を使うことがあっても、下絵すらせず、思いのまま殴り書きの時もある。


 そんな彼にも、ある秘密を一つ持っている。


想いを寄せている女性の存在がいること。

そして、彼には、その女性との約束がある。



 ◇ ◆ ◇



 --それは、彼らが幼少期だった頃から遡る……。


「アズー! アズール!」


(ん? この声、セラか……)


セラのこと、セイラン・アスター。

大手商社の家族を持つ娘で、地位も上流貴族の家系を持っている。

幼馴染で、偏屈な性格をしている下流貴族生まれのアズールに、唯一、興味を持っている女性だ。

彼女の家族から「セラ」と呼ばれていることで、彼も、自然とそう呼んでいる。


「ねぇ、アズ、何書いているの?」

「ん、アレ」


セラは、彼が指を指した方へ見上げると、見えているのは空だった。


「空を描いているんだ!」

「うん」

「アズの絵、上手だし、キレイだね」


アズールのことになると、セラは、いつも笑顔で、友人と話すときも、何かと彼のことを話題にしては、必ず彼を味方にする。

そんな彼女を、アズールは表情に出すことはしないものの、自然と惹かれていた。



しかし、二人が十五の歳になり、中等部を卒業すると……。


「アズ……、ここで、お別れなんだね」

「……あぁ」


船が出発する時間まで、あと僅かのこと。

そっけない返事をするアズールは、絵画の勉強の為に、隣国の地へ渡らなければいけなくなった。

アズールの親戚の一人が、彼の才能を活かしたいと思い、その国に住んでいるということで、下宿することに決まったと、彼はいう。


「アズ、私、ちゃんと手紙も書くし、せめて夏休みとか、どこかで会いたいから……」

「……」


やはり、彼との別れを惜しむセラは、涙を流すのを我慢したくても自然と落としてしまう。

遠距離でも全く会えない距離ではないが、アズールには、心の中で決意したものがある。

彼は、プロの画家として、一流の証となるコンペに入賞するまで、セラと会わないことを……。


「セラ」

「……」


アズールは、彼女の名前を呼ぶ。

彼の顔には、少し恥ずかしさが表れ、彼女の恋心を思いながら、頬の薄赤が見える。

だが、その恥ずかしさを振り切り、意を決して、彼女に伝えたいことをハッキリと口にする。


「約束する」

「え?」

「俺が、コンペに勝ち取って、立派な画家になった暁には、必ず、セラを迎えに行く。だから、それまで待っていて欲しい」

「……うん!」


セラは、頭が白くなりそうな衝撃を受けるが、彼の言葉を信じて、涙が流れたまま、笑顔で頷く。

最後の抱擁を交わし、アズールが船に乗り込んだ後、出発と共に、別れを告げた。

大人になりきれていない二人の約束は、未来への希望を持たせるものと信じて……。



 ーーお互いが大人になった、ある日曜日のお昼時間。


「おめでとう!」

「幸せになれよ!」


この日は、アズールの数少ない、男友人の結婚式。

先日、新郎から結婚式に招待され、彼は、出席している。

緑豊かなガーデニング・ウェディング様式で、白のクロステーブルの上に、数々の料理が並べられている。

表に出て、大人数のパーティーで、ワイワイと騒ぐのは、彼の苦手なこと。

だが、せっかく友人のハレの日なのに、参加しないのも悪いと思い、断るわけにはいかなかった。

歓談タイムに入ると、アズールは、誰とも会話しようとせず、そそくさと建物の方の壁へ逃げる。

端っこの方で、ゆっくりと彼の好物である白ワインを飲んでいると、なぜか、一人の女性が、彼の元へ近づき声を掛ける。


「アズ……?」

「は? なんで俺の……」


アズールは、掛けられた声を辿り、顔を見ると、面影に見覚えのある女性だった。


「え? もしかして、セラ……」

「うん、久しぶりね」


彼女こそが、あの幼馴染のセラだった。

けれど、幼少期の可愛らしさから抜け、更に美人になったと言った方が正しい。

ゆるく巻かれたロングのシルバーブルーの色をした髪は相変わらずとはいえ、垢抜けて、大人な艶の色白肌が増していた。

パーティードレスも、シンプルな淡いラベンダーで身に纏っている。


「元気に、してた?」

「……それなりに」


なぜここにいるのかと、アズールは尋ねると、彼女曰く、新婦とは友人関係で、招待されたと答える。

しかし、他に何を話せば良いのかわからない彼は、ひとまず、彼女の質問に答えることに徹する他はなかった。


「そういえば、絵は? まだ描き続けているの?」

「あぁ、一応……」

「……まだ、修行中なのね」


留学先の美術学校を卒業しても、まだ一人前になれていないアズールには、少し酷な内容だ。

少しでも話を変えようと、彼は、別の話題で模索する。


(久しぶりに会っても、彼女と何を話せばいいのやら……、ん?)


「なぁ、セラ」


アズールは、ふと、セラの左手を見て、恐る恐る確認をして聞く。


「何?」

「お前……、もう、結婚していたんだな」

「……」


セラは、彼の質問に黙り込んでしまった。

彼女の左手の薬指には、一粒のダイヤが輝く指輪をしている。

数少ない友人からの噂だけは聞いていたとはいえ、現実を目の当たりにしたアズール。

彼の心の芯奥が、グサリと鈍い痛みに突き刺さる。


「ゴメン。たまたま、薬指が見えたし、もしかしてと思ったからつい……」


少し、沈黙の間が続くも、先に口を開いたのは、セラだ。


「……ごめんなさい」


彼女は、ポツリと、俯いて、ただ謝ることしか言えなかった。


「いや、良いんだ」


(わかってはいる。そもそも、身分が違うし、俺との交際を今から申し込んでも、彼女が幸せになれないことを)


アズールは、やはりそうだと、最初っからわかりきっていたことだった。

この先も何かあったとしても、セラとは、永遠に結婚は出来ないことを。

大手の貿易商の娘と、下級貴族出身の息子との関係とはいえ、セラの家系から見たら、アズールは、ただの下級一般人で。庶民の息子であるのに等しい。

たとえ、彼が画家として一流になっても、彼女との生活の保障すら、確保が出来ない可能性の方が大きすぎる。

いつまでも、彼は、彼女を外から見ることしか出来なかった。


「なぁ」

「?」


今度は、彼が、セラに、簡素な質問を掛ける。


「今、幸せか?」


予想していたのか、少し間があるものの、彼女は、そのまま肯定の返事で頷く。

いつも答えてくれる反応とは違う違和感を、アズールに察せられているも、彼に弱い部分を見せまいと、我慢をしているに違いないのだろう。


「そっかぁ」

「うん。一応、今のところだけど、それなりの待遇は、旦那様にしてもらってるから……」


アズールとは別の男、しかも顔すら合わせたことがなく、どんな人か知らない他人との結婚に、アズールは心配をする。

彼の心には、迎えに行けなかった後悔の念があるも、セラの幸せを願い、応援の言葉を掛けた。


「これからも、ずっと、幸せになれよ」

「……うん」


これが、本当の最後の別れになるつもりだった。 



 ◇ ◆ ◇



 ーー時を経て、現在。


 ある日の午後。

アズールは、いつものように、アトリエの作業部屋に籠って、新作に取り掛かろうと試みるも、手をつけられない。


(はぁ……、本当に、何を描けば良いんだろうか?)


大きい溜息を吐いて、顔を手で覆い伏せている。

今まさに、ドン底のスランプに陥っているところだ。

あまりにも、彼のこだわりが強すぎて、先が進めない。

進めないというよりも、自分の表現をどうしても出したいから進まない。

それに加え、先日、あるコンペに出品したものの、またしても、彼の作品は選ばれなかった。

どんなに努力をしても、自分の作品をなかなか認めてくれない悔しさに、苛立ちを覚える。


「郵便でーす!」


配達員の声に反応し、面倒くさそうに、応対する。


「……はい」

「こちらです」


アズール宛に、一通の手紙が届く。

彼は、何事もなく、淡々と受け取った。

部屋に戻り、差出人の名前を確認すると、見覚えのある名前が書かれていた。


(ん? マリア・アスター……? あっ、もしかして、あの人からだ!)


アズールに、一人、思い当たる人物がいた。

差出人の名前は、セラの母親。

幼少期は、一緒にピクニックなど、色々と連れて行ってもらっていた。

しかし、彼に、疑問が湧く。

マリアは、アズールが今住んている場所を知らないはずなのに、どうして住所がわかったのかということだ。

その上、アズール自身、セラが十八の歳の誕生日メッセージを送ったが、彼女からの返事がないまま最後になり、友人の結婚式で会った後でも、手紙は送らず、そのまま疎遠になっている状態。

原因としては、昔から当たり前のように、政略結婚がまだ根付いている。

アスター家は、先祖代々の上流貴族家系。

特に、セラの父親・マティスは、大手の貿易商に勤めている上、商売のやり手だ。

そうなれば、家同士の結びつきをより強くする為、自分の娘を他の先祖代々の名だたる名家や財閥の子孫へ嫁がせたい目論見もある。

セラには、結婚して幸せになれる保証の選択の余地もなく、親同士が決めた相手と一緒にならざるを得なかった。


(しかし、本来なら彼女本人から手紙が届くはずなのに、なぜ、おばさんからの手紙? 何かあったのだろうか?)


アズールは、この不穏な動きの予感に感じ、手紙に書かれた内容が気になって、急いで手紙の封をペーパーナイフ開封した。

入っていたのは、たったの二枚。

一枚はマリアが書いた手紙の文章で、先に読むことにした。


 アズールへ


久しぶりですね。

お元気にしてますか?

昔、娘のセラと一緒に、ピクニックで楽しんでいたことを懐かしく思います。

実は、セラが、先日、肺結核を患って入院をすることになりました。

完治出来そうな治療法もなく、お医者さんから、余命もそんなに持たないと告げられました。

その状況を知り、セラは、最後に、どうしてもアズールに一目でも会いたいと言っています。

本来なら、結婚をした時点から、貴方とは、もう会えない状況なのですが、娘の願いとなれば、たとえ誰かに反対されようとも、私は手段を選びません。

どうか、母親からのお願いとして、セラに会っていただけないでしょうか?

いつでも、待っています。


マリア・アスター



もう一枚入っていた紙が、セラが入院している病院の住所と、彼女がいる病室の部屋番号。

アズールは、手紙を読んだ後、そっと手紙を元通りに折りたたみ、閉じる。


(セラが、入院……)


手紙では、セラが十八になるまで繋がり、最後に会ったのは、友人の結婚式。

それ以来、逢瀬はおろか、手紙すら疎遠になってしまっている。

いや、アズール本人の意思で、あの誕生日メッセージ以降、送るのを辞めたのが正しい。

一度は、片想いをした女性に手紙を出すことに対して、既婚者になってしまった以上、関係性に気まずく感じる。

セラが結婚しても、何も関係なくこのまま手紙のやり取りを続けていたら、間違いなく、マティスや、セラの旦那をはじめ、家族にまで疑われるだろう。

下手すれば、マティスが関わりを持つ闇の繋がりが、俺を殺しに行くのが目に見えている。


(いくら、セラの命がもうないとはいえ、俺と会ってしまって、大丈夫なんだろうか?)


彼女が入院している病院へ行くことに、アズールは、躊躇う。

理由はもちろん、マティスと遭遇してしまわないか、不安も抱いている。


(最後に会ったのは、俺たちが二十ぐらいの時。もう十年くらいは経っている。セラの父親もそれなりの歳とはいえ、まだ現役の大商人で健在……)


アズールは、このまま、騒ぎ立てず、もう会わないままそっとするのが一番と思っていたかった。

だが、会わなかったら会わなかったで、後悔の念がまた起こってしまうのではと、二つの両極端の考えに葛藤が生じる。

悩みに悩んで、二、三日後の夜……、ようやく、彼の頭の中で整理して、結論が出た。


(本当に、これが真実であり、最期の時を迎えるというのなら、一目だけセラに会おう。おばさんもここまで掻い潜ってまで、俺に知らせを届けてくれたのも何か意図があるに違いない)


アズールが決心つけた正しさを信じて、決断した次の日に、セラの入院先の大病院へ向かうことにした……。






 --次の日、セイント・ゼニス・ブルー大病院。


(確か、あの紙切れに書かれていた部屋番号が、二四七号室だったな)


 セラの入院している病院は、空気の良い自然で療養する田舎に建設されているため、周りは緑の木々が多い。

大病院というだけに、ここが、いわゆる『最後の砦』という異名を持つ病院だ。

病棟も二、三棟分けられていて、五百の数の入院専用の部屋がある。

特に、不治の病を持つ患者たちが、最期の日々を過ごす「緩和施設」がストレートな言葉。

だが、中央にある中庭は、少し盛り込んだ大木の丘に、花壇もあって天国の地とも例えられる。


(あの日から十年かぁ……。しかし、今更ながら、どんな顔をして会えばいいのか)


大病院ここへ来る前、花屋へ寄り、店員のお任せのものだが、お見舞いの花だけは、買って持ってきている。

面倒くさがり屋のアズールでも、手ぶらで行くのはと、流石に弁える心はある。

彼女とは久しく会う中の緊張で、なかなかノックをするまでの覚悟に、時間は掛かった。

セラの部屋は、個室になっている。

というのも、セラを含め、治療が見込めない患者向けに、家族や親しい人のみとの最期を過ごすという病院側の意向で特別に作られたものだ。


--コンコンコンッ!


もう後に引けないが、アズールは、勇気を持ってノックを試みる。


「はい、どうぞ」

「失礼」


女性の声掛けの返答に、恐る恐る病室の扉を開けるアズール。

扉が開いた先、やや年配よりの貴婦人が、すぐに駆けつける。


「あっ……、もしかして、アズール?」


貴婦人姿をしたセラの母・マリアが、彼との再会に驚きを隠すも、喜びを感じ、涙をする。


「えぇ、ご無沙汰してます。おばさんも、お元気そうで。それから、セラに、見舞いの花ですが」

「まぁ、お見舞いの花束まで。来てくれて、嬉しいわ……。早速、セラに声を掛けるね」


お見舞いの花束を受け取ったマリアは、急いでベッドで横になっているセラに報告する。


「セラ、アズールが来たわよ!」


その時のセラは、ベッドに横たわりながら、窓の外を、ずっと何かを眺めていたよう。

母親に呼ばれて反応した後、ようやく、アズールの方を振り向いた。


「アズ……なの?」

「あぁ、久しぶりだな」

「うん……」


アズが来たことで、彼女の笑顔が、薄らと微笑む。

あの元気な姿の頃と比べると、副作用の影響なのか、彼女は、かなり弱々しくなっていた。

身体的なことを言えば、少しやつれている上、会話もハッキリしたものではないが、ゆっくりとした口調で話す。


「調子の方は、どうだ?」

「今日は、まだ、良い方。かなぁ」

「そっか」


セラは「起こして欲しい」とマリアに頼み、彼女に支えられながら、身体を起こす。

セラの調子を聞いて、アズールは、少し安堵の心になる。

しかし、彼は、チラッとあの時と同じように、彼女の左手の薬指を見るが、あの結婚指輪がない。

彼女に聞くのも何か悪いと感じ、今回は、敢えて何もなかったかのように、彼は、見てないフリをした。


「あっ、私は、一旦、外へ出て中庭の方で……」

「え? でも」


アズールは、マリアが退席すると言われ、二人きりの状況になることに対して困惑するも、彼女が制止する。


「私はいいから! セラと積もる話も沢山ございましょう。ね? 話が終わったら、中庭で声を掛けてちょうだい」


マリアは、二人の会話を邪魔してはと思い、席を外して、そそくさと部屋から退出した。

彼女の行動に、アズールは、まだ困った顔をしたが、ひとまず、セラの様子を見ながら話すことにする。


「アズ……?」

「ん?」

「元気、ないね」

「どうして? 俺は、普段と変わりないけど、セラが病気に罹ったと聞いたから心配なだけ」

「ううん。私のこと、心配してくれたのは、嬉しいけど、そうじゃなくて……」


アズールの心配は、セラ以外のことに気にしていると、彼女は見抜いていた。


「そうじゃないって?」

「私以外に、何かに、落ち込んでいるなぁと」


アズールは、セラの台詞に図星を突かれた。

所謂、彼女から出る女の勘というところから、推測したのだろう。


「今、どうしてるの?」

「カッコ良く一流になれたと早く言いたいけど、お前の言う通り、先週、コンペに落選したよ」

「……そう。残念、だったね」

「ゴメン……」


未だ一人前になれない彼は、謝ることしか出来なかった。

だが、落ち込んでいる暇はなく、面会の時間も限られているため、本題に入ることにした。


「なぁ、セラ。どうして、俺に、おばさんを経由して、代理の手紙で連絡をくれたんだ?」

「あっ、その件なんだけど……。あのね、私、どうしても、見たいものがあるの」

「見たいもの?」


本題に入るアズールの一番聞きたいことを尋ねると、彼にお願いをするために寄越したことがわかった。

だが、見たいものの正体を聞いて、再び、唖然とする。


「青い、薔薇」

「え?」


(青の薔薇なんて、聞いたことがない。……どういうことだ?)


「私ね」

「……」


セラが「青い薔薇」の存在を、どこで聞いたりしたのかを、簡単に説明していく。


「それでね、青い薔薇を手にした人は、夢を一つ、叶えられると聞いたの」

「他人の作り話だからこそ、本物なんて存在し……」

「本物なんてないのは、知っている。けれど、実現しているものを、見てみたいの」


彼女からの純粋な気持ちから、その作り話を信じてしまったことに、彼は、困る一方。


「アズなら、本物を作れること、出来るんじゃないかなと。いつも芸術作品を作っているし、青にこだわりを持っているなら」

「だから……」


ちょっと呆れるように、アズールはセラを宥めようとしても、彼女は、諦める気配は全くなく、懇願をするばかり。


「お願い……どうして、ゴホッ」


セラは、興奮してしまったせいで、咳が出て発作を起こした。

それでも耐えながら、彼に伝えたいことを必死に訴える。


「ワガママなのは、わかって、いる。だから、私の、最期の……」

「わかったわかった、だから、落ち着けって」


アズールは、咽せながら話す彼女の背中をさすりながら、落ち着かせるまで、再度宥める。

傍にある、テーブルの上に、お水の入ったピッチャーとコップがあるのを見つけ、コップに水を入れ、セラにゆっくりと飲ませた。


「落ち着いたか? 一回、横になろう。俺が支えるから」

「……うん、ごめんなさい。言えるうちに、伝えなきゃと思って」

「いや、お前が必死に伝えたいことはわかっているが、無茶はして欲しくなかっただけだ」


ひとまず、落ち着いた後、アズールは、セラを支えるよう、ベッドに寝かせる。


「とりあえず、セラの言いたいことは分かった。ただ、今度のは、あまり期待は出来ないと思ってくれ」

「……うん」

「セラ……。お前の為に、やれることだけの努力はする。だから、完成まで待ってて欲しい」

「……わかった。待ってる」


二人は、お互いの手を取り、約束の握手を交わす。

彼女には、もう後はない。

セラが死を迎える前に、アズールは、一つでも明るい思い出を作ってあげたい気持ちもある。

だが、現実は、無惨にも早く進み、面会時間の終わりの刻が迫ってきた。


「話がコレで終わったなら、俺、そろそろ帰るが? お前の母さんも心配するだろうから」

「……うん」


青い薔薇が出来るまで、二人は、もう会えない寂しさにもどかしさを感じる。

けれど、約束をした以上、望みを叶える為に、我慢をする他はなかった。


「アズ……!」


セラは、手を少し上げ、病弱のか弱い声ながらの精一杯の大声で、彼を呼ぶ。


「今日は、ありがとう」

「あぁ」


彼女のお礼を聞き届いた後、アズールは、病室を後にし、待機しているマリアを呼ぶ為、中庭の方へ向かう。






 --大病院内、中庭にて……。


「おばさん」

「あら、アズール。セラと、お話は終わったの?」

「はい、一応」


 アズールは、大木にいるマリアに向かって、声を掛ける。

大木の傍で座っている彼女は、医者がセラの身体の経過を診る時や検査のある日には、ここでいつも本を読んで待っているそうだ。


「じゃあ、俺は、セラへの用事を済ませたから、これで……」

「ねぇ、アズール?」


セラとの対話を済ませたアズールは、家に帰ろうとしたが、なぜか彼女に呼び止められる。

彼は、そのまま振り向き、マリアに聞く。


「……何でしょう?」

「ちょっとだけ……時間いただけるかしら?」

「どうしてです?」

「あの子のことについて話したいことがあるの。貴方と疎遠になった理由も含めて……ね?」


セラのことを話すのなら……と、彼は、マリアから伝えたいことを聞く以外、選択はない。


「わかりました。長話になるのでしたら……、どこか飲み物を飲める場所でいかがです?」

「あ、それなら……」


マリアが指した方向は、中庭内にある近くの休憩所で、珈琲や紅茶、軽食を提供しているから飲むことも出来るという。

彼女曰く、ここの淹れる紅茶は美味しいと評判がある。

昼を過ぎている上、平日だからか、人はあまり居ない。

二人で落ち着いて話すことが可能だろうと、彼女は提案した。


「じゃあ、そちらへ行きましょう」


アズールは、マリアの提案に乗り、中庭内の休憩所までついていき、対面になったテーブル席に座る。


「私は紅茶をいただくけど、貴方はどうする?」

「俺は、珈琲で」

「わかった。じゃあ、私」

「いや、ここは俺が注文するので」


マリアが率先するも、彼のレディファースト精神の弁えで、アズールは店員を呼び、注文をする。

「かしこまりました」


アズールからの注文を聞き取り、ウェイターが去った後、マリアから軽く話し始める。


「アズ……」

「何でしょう」

「随分、変わったわね」

「そうですか? 俺は俺ですし、昔から変わらないですよ」


久しぶりに再会したマリアは、昔と今のアズールとの変化に、興味を抱きつつ、振り返りながら、しみじみと昔の思い出話をする。


「ううん、昔の方が、もっとぶっきらぼうだったわよ。素っ気なさという感じがね。今の方が、冷静で落ち着いているわ」

「そんなことないですよ。逆に、今の方が、更に面倒ですよ」


マリアの褒め言葉すら、彼の自己否定論で反論している。

アズールの心奥にある潜在の中は、常に否定から入る。

誰かが何かに褒めても、素直に喜ぶことが出来ない。

いや、寧ろ、彼は他人から、より期待されるのが、嫌いだからだ。


「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」


男性ウェイターが、それぞれ注文した飲み物を運びにやって来た。

二人それぞれ、カップを口にし、ひと息ついた後、マリアは憂いの表情を見せ、本題であるセラのことを話し始める。


「さて、セラのことなんだけど……本題に入りましょう」

「えぇ」

「貴方が故郷から離れた後、色々と大変だったわ……」


アズールは、マリアが語る、セラの過去を静かに聞きながら、珈琲を飲む。

本当は知りたくないことでもあるが、彼にとっては、どこか真相も知りたいところもあった。

万が一、セラに、何か一つ不幸なことがあったら、復讐も考えかねないことも。


彼女セラが十八の誕生日の時、マティス(主人)が、急に結婚相手を見つけたと言い出して……」


マティス、つまりセラの父親の名で、アスター家の主だ。

彼が見つけたという彼女の結婚相手は、大財閥の次男で、工業系の社長をしていると聞く。

特に、戦争特需の時は、一番の景気であることが一理ある。


「その、嫁入りする際、引越しの準備で荷物整理のときに、机の上にあった、貴方からの手紙を、主人が見つけてしまって、全て破り捨てて燃やされたの」


父親の冷徹な考えを持っての理由と想像したアズールは、恐怖を蘇るものである。

幼少期に初めて会うも、子供だろうが、関係なく冷たかった。

アズールとセラが親しくなるにつれ、更に睨まれたこともしばしばある。

マティスは、見た目からして、威厳もあるが傲慢さも人並みどころでは無い。

私利私欲のなら手段を選ばない人であり、仕事であっても、家のことであっても、全く関係なく容赦もしない。


(手紙の返事すら、届かなくなったのは、そういうことだったのか。きっと、彼女セラが、俺という旦那以外の他の男との関係を断ち切らせる為なんだろう……。まぁ、分からないもないが……)


アズールは、彼のおぞましさを想像し、納得した。


「もちろん、セラは、かなり怒ってたわよ。大事な物を容赦無く捨てるなんて酷い! と。流石に、私も反対しようとしたけれど、主人(あの人)も、その時はかなり怒り心頭で、手をつけちゃうと、私まで殺される可能性もあるから、どうしても逆らえなくて」

「いえ、それは、お気持ちだけで充分です」


セラも父親に対しては、逆らえなかった。

体罰はなかったとしても、小さい頃から厳しい躾をしているのは、本人から聞いていた。

結婚の時も、一悶着していたんだろうと、アズールは、彼らの争いをする姿の想像が出来る。


「結果、仕方なくだけど、その息子さんと結婚したことまでは、良かったんだけど」


結婚後に起きたことも話すが、彼女がいうには、またここから一悶着あっての不遇の道だったという。


「実は……、その旦那さん、今は、もう居ないの」

「え? 居ないって、どういうことです? 事件か何かに……」

「いえ、もう亡くなっているから」


アズールは、衝撃を受けた。

彼女は幸せにしていると思っているばかりで、セラの旦那が既に居ないことに、驚きを隠せなかった。


「結婚してから五年後ぐらいといったところなんだけど、彼は、不慮の事故で……」

「……」


どうやら工場の視察周りの最中、雨の中、馬車に轢かれたらしい。

指輪がない理由が判明したことで、アズールは、不謹慎だとと思いつつも、心はどこか晴れていた。

対し、旦那が亡くなったことで、セラは嘆き悲しむかと思いきや、ただただ、静かに涙を流すだけで、葬儀の時も泣き喚くことはなかったと、マリアは言う。

だが、そんなどころではなく、マティスが、彼女の旦那が亡くなってから、すぐに他の独身男性との縁談を、今でも企んでいる。

彼女は、それを聞いて心を更に無にしたのだろう。


「あとね、アズールには、言っていなかったけど……」

「何でしょう?」

「実は、あの子……、本当は、私の娘じゃないの」


(え?)


アズールも知らなかった事実。

だが、セラとマリアの顔立ちは、親子じゃないにも関わらず、似ているのは? と疑問も持つ。


「それは、俺も知らなかったです。顔は似ているし違和感も全く」

「娘じゃないとはいえ、血は繋がっているのよ」

「繋がっている?」

「あの子は、私の姉の子なの」

「……」


跡継ぎのために、いつまで経っても、マリアが妊娠したという報告を聞かないマティスは、苛立ちを覚えていた。

その結果、彼自身が身内ならと思いついたのか、誰かの悪知恵によって決まったのか、子供が出来にくい体質のせいだというマリアの代わりに産んだのが、セラの実の母であるマリアの姉。

しかし、その姉は、セラを産んだ後、彼女を残して、僅か一週間後に亡くなった。

世継ぎとして男の子が欲しいマティスは、セラを妹のマリアに託し、他の女のところへと自分の家に帰ることが少なかった。


「セラは、そのことを……」

「もちろん、知っているわ。あの子にも知る権利はあるし、大人になったら話すことは決めていたから。だけど私にとっては、唯一の形見だから守りたかった」


(俺としては、あのマティス(ジジイ)彼女セラを道具として見ていないことが許せないが……)


「でも、この世の中はそうさせてくれなかった」

「時代のせい……」


(いや、俺のせいでもある。もっと早く一人前になっていれば、彼女の道は、変わっていたのかもしれなかった。あの頃のセラを、もう二度と見れないのだろう)



--透き通っていた頃の、あの青は、何処へ……?

--中編へ続く。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アズとセラの不器用な恋、引き裂かれた仲、明かされた出生、困難な約束――それらにジーンと来ました。 「青」の使い方もとても上手く、読者の引き付け方が巧みだと思います。 [気になる点] 中編が…
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