6 愛の挨拶
カップルは暫く聴いていたが、何か言葉を交わすと抱き合ってキスしていた。
「どうやらあの青年は彼女に告白をしたらしいね」
エッカルトが苦笑しながら説明をする。
雅はきょとんとして話を聞いている。
「あの曲は、エルガーが奥さんと婚約した時に贈った曲なんだ」
ああそれで、とアメリ―が納得する。
「エルガーって言うと、威風堂々みたいな重厚な音楽を思い出すから、なんでこんな曲も作ったんだろうって不思議だったの」
うん、とエッカルトが頷く。
「私もハルキも、仕事として演奏をするのだけどね。偶に人の内面の発露として音楽を奏でたくなることがある。昔の作曲家達もそれは同じだったんだろうなあ」
「あの…ショパンも?」
おずおずと雅が尋ねる。
「ああ。ショパンは人の心や魂を音に映し出そうとする作曲家だった。だからピアノの詩人と呼ばれている」
「しじん?」
「そうだ。言葉の代わりに音楽で心を表そうとした人だった」
多分私も同じだ。
雅はそう考えていた。
エッカルトが連れて行ってくれたカフェはウィーンでも老舗と呼ばれる、歴史も格式もある店だった。
ショーケースには彩も華やかなスイーツが並び、手に取られるのを待っている。
「わあ、美味しそう」
店内の装飾と同じく芸術的なスイーツが並ぶショーケースの前で、雅の零した感嘆は日本語だった。
心から出た言葉だからそうなってしまう。
日本語がわからない周囲の人達でも、小さな少女がキラキラした顔でそう呟いたのならどんな事を言ってるのかわかってしまうというものだった。
テーブルに案内され、運ばれてきたケーキを頬張ると、口いっぱいにチョコレートの甘さとほろ苦さが広がる。
アメリ―と美味しいね、と言い合って笑顔になる。
それを見ていたエッカルトの表情も緩む。
「喜んでくれてよかった」
エッカルトはコーヒーだけを注文し、ニコニコと少女達を眺めている。
「パパ、ありがとう。私このお店のケーキ大好き」
「おじ様ありがとうございます」
満足げにエッカルトが微笑み、頷く。
「それはよかった。入るのに時間がかかるし、度々というわけにはいかないだろうけど、また美味しいお店に行こう」
「パパありがとう!大好き!」
アメリ―が破顔した。
「このケーキを作った職人も、そういう笑顔を想像して作ったんだろうね」
―――じゃあ、これは幸せのケーキ?
雅は黙ってエッカルトの言葉に耳を傾ける。
「私達音楽家も、聴いてくれる人の心に訴えかけるように演奏をする。自己満足じゃダメなんだ。聴いてくれる人のために演奏するんだ」
「あー、そうか」
そういえばさっきの辻楽士も、私達に楽しそうな曲を弾いてくれたっけ。
仲の良さそうな恋人達の曲も。
「ケーキは食べた瞬間は美味しいって思うだろう?お腹が一杯になるのは、別にケーキでなくてもいいんだ。だけど食べた時の嬉しさや幸せな感じは、ケーキだからだよね」
うんうん、とアメリ―も頷いている。
「音楽も同じようなものだ。あっという間にその音は過ぎ去っていく。でもその場に残らなくても聴いた人の心に残る。そしてケーキと同じように、無くても困らないものだ」
それでも、と雅は思う。
音楽は無くても生きられる?
それは人によってじゃないかな。
空気みたいにあるのが当たり前になってるから、それが無くなった時の事なんて考えられないんだ。
「おじ様、音楽は無くても生きられるかもしれないけど、幸せになれません」
そう言う雅を、エッカルトはほう?と見つめる。
「ミヤビは音楽があると幸せになれるんだね?」
「Ja」
生まれる前から音楽に包まれ、常に音楽が身の回りにある生活をしてきた。
「もちろん、ケーキを食べてる時も幸せです」
それを聞いて、エッカルトは吹き出した。
音が違うのが怖かったことも忘れて、雅は無性にピアノを弾きたくなった。