9.
「設立した人がすごくお金持ちだったとは聞いたことあるけど。……確か……、何だったかな、変な名前の外国人」
花音は思わず吹き出した。
「なにそれ。律、設立者の名前、覚えてないんだ?」
「そんなの覚えてる人、いるの?」
律は少しむっとしたようだ。それもまたおかしくて、花音は必死で笑いをこらえる。
「ごめんごめん。だって律、何でも知ってそうなのに、身近なところで無頓着だから!」
「…………」
「……はっ! ご、ごめん、あたし……、馬鹿にしたわけじゃないんだけど!」
無言になった律に慌てて謝ると、彼は首を横に振った。
「そうじゃない。ただ、僕は何も知らないから。さっきの二つは、たまたま教えてくれた人がいただけで。……そう、たまたま……」
律はまた無言になる。花音が不思議に思って話しかけようとしたとき、モニターの中のピアニストが一礼し、音楽室から出て行くのが見えた。律がさっと廊下に視線を走らせる。
「そろそろ授業が終わる。隠れないと……」
「え、でも、さっきの暗号だと、次は音楽室に行かなきゃいけないんでしょ? 休憩時間がチャンスなんじゃない?」
「次のクラスとの入れ替えでそんな暇ないよ。昼休みまで待った方がいい」
話し合っている間に、チャイムが鳴って、廊下が一気に騒がしくなった。二人で顔を見合わせて、慌ててモニターとスピーカーのスイッチを切る。
律の先導で廊下へ出たが、遅かった。すでに生徒達であふれており、各々が行きたい方向に動くものだから、なかなか前に進めない。何歩も歩いていないうちに、移動していたクラスの生徒も戻ってきて、打ち寄せる人並みに呑まれてしまう。
「あ、栗山がいる……」
「わ。久々に見た。珍しい」
「今日はいいことあるかも」
すれ違いざまにさわさわとささやき声が聞こえてくる。
「……律。なんか、座敷童的な扱いされてるよ?」
「……いいから」
皆同じ色のブレザーを着ている中で、ただ一人その上に白衣を羽織っている律はやはり目立つ。周囲の声に無反応で進んでいく律に遅れまいと、花音も必死でついていく。