29.
他の人がいるかもしれないということで、保健室に花音は入らなかった。階段の壁にくっついて様子をうかがっていると、しばらくして、律が一人で出口に現れた。
「あの……ごめん、あの瑠璃って子、大丈夫だった?」
おそるおそる近づいていく。律は先ほどの激情が嘘のように穏やかな雰囲気だった。日陰で薄暗くなった廊下を並んで歩く。
「たいしたことなかったよ。保健の先生に任せてきたけど、かすり傷だったし」
「……そう。それは良かった」
腕を放しただけとはいえ、彼女のケガには花音も関わっている。ほっと胸をなで下ろしていると、突然、律に手をとられた。
「そういえば、花音は大丈夫なの? あの人、先に手を出したのは自分だって言ってたけど」
「えっ、そうなんだ……」
ず っと目をつり上げていた勝ち気な女子生徒。怖い印象しかないが、案外フェアな性格なのかもしれない。
ちゃんと謝りたかった、と考えている間も、律は長い指で花音の手の甲をなぞり、ケガがないか確かめている。急に恥ずかしくなって、慌てて手を引っ込めた。
「あ、あたし、ケガなんてしてないから!」
「え、でも……」
律にまた手を取られないように背中に隠す。さっきまで平気で手をひっぱったりしていたのに、自分でも不思議だった。
「そ、それより……、ごめんなさい。あたしのせいで、大騒ぎになっちゃって。……迷惑かけないって言ったのに」
反省してもしたりない。優しいからといって、律に甘えすぎたのだ。そのせいで、彼らの日常にいらぬ騒動を巻き起こしてしまった。
「あれは花音のせいじゃない。……あの人達、ぼくで遊んでるだけだから」
気だるげな声音で言う律に、花音はかぶりを振った。
「でも、あたしが来なければ、あんなことにはならなかった」
「……や、たまに、いきすぎてあのくらいのことは……、花音?」
花音の様子がおかしいことに気づいたのか、律がいぶかしげに向き直った。
西向きの窓から夕陽が差し込んだ。短いようで長かった一日が終わりに近づいている。
「律。ここまでつきあってくれてありがとう。でもあたし……、この辺でやめようと思うんだ」




