16.
「…………。何だろ、それ」
「え?」
律が後ろの壁を見る。ちょうど彼の肩がくる位置に、黒いペンで何か絵が書かれている。
一筆書きで書いたような絵だった。まず二等辺三角形を書き、その頂点から底辺へ向けて直線を伸ばして突き抜ける。その図の向かって左側には、シンプルな虫の絵が描いてある。
「いたずら書きかな? 律、知ってた?」
「や……気づかなかった」
清潔感のある白壁は新品かと見まがうくらいにきれいで汚れ一つ見当たらない。その中でただ一点、この落書きだけが浮いて見える。食堂の隅とはいえ、美観を台無しにしているのは間違いない。ひどいことをする人がいるものだ。
「ああそれ! 気にしないで!」
二人で壁を見つめていると、先ほどのアルバイトが慌てたようにやってきた。気さくな性格のようで、何も聞いていないのに一人でしゃべり出した。
「それ、いつの間にか書かれていたんだよ! 全く、誰だか知らないけど、食堂に虫なんてたちが悪いよな!? まあ、別れ傘だからいいのかもしんないけど。……いや、よくないんだけど……」
困った顔をして頭をかいている青年に花音は同情した。虫の絵をよく見ると、頭とお尻に長い触覚がある。花音は見たことがない虫だ。
「でもなんでこんなこと……。あ、ねえ、律。虫の専門家だよね? これって何の虫かな?」
律は少し眉を下げた。
「僕も、全部知ってるわけじゃ……。さっきだって、図書館の本で調べたいことがあって――」
そこで何かに気づいたように箸を止めた。
「別れ傘って、何?」
「あ? お前ら、知らない? 相合い傘っていう、恋愛成就を願って書くのと逆で、縁を絶つっていう意味の――。ほら、傘の間に線が入ってるだろ?」
確かに、三角形を二つに分断するように、まっすぐ線が入っている。花音はスマートフォンを取り出して調べてみる。




