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校門の前でスラッとした後ろ姿を見せていたその女子生徒は、集まる周囲の視線に動じる事なくじっと立っていたが、ふと思いたったかの様に背を向けていた昇降口へと視線を向け、口を開いた。僕と目が合う。
「やあ、悠斗くん。今日も早い下校だな」
人の内面は、果たして顔つきにも現れるのだろうか。細い眉毛に、意志の強さを感じさせる瞳。細い顎にすらっと伸びる鼻筋。カリスマ性に加えて、絶世の美女を思わせるその女子生徒は、まるで待っていたかの様に僕の名前を呼んだ。
その女子生徒とのドキドキするような出会いは、しかし決してラブコメに非ず。僕の人生を左右する、試練の始まりを告げるゴングだった。
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背の低い、冴えない高校生。大人しく、時々オドオドした姿を見せ、男としての魅力は1つも感じない。いかにも、友達がいなさそうなクラスメイト。それが、学校関係者が僕に対して抱く感想だろう。
僕から見ても、その印象は概ね間違っていない。背が低ければ、筋肉もなく、貧弱でひ弱な体つき。目元さえも隠れるほど長く伸びた髪は、ロックな印象を与えてくれれば良かったのだが、残念ながら根暗で何を考えているのか分からないという、ネガティブな属性しかくれなかった。人と話す事はあまりなく、仮に話しても先生相手や、事務的な連絡をする程度。俯きながらボソボソと話す僕に、休憩時間や昼食中で笑いながら一緒に話してくれるような相手はおらず、クラスメイトにとっても僕は事務的な連絡でしか話したくない対象に違いない。外見内面とも人としての魅力を一切持たない人間。それが僕だった。
学校における一日の最後、授業後のホームルームが号令を経て終わりを迎えると、僕は誰と言葉を交わすことも無く教室を出る。(ちなみに、「いやいや、一日の最後は部活だろ」と思う意見もあるかも知れないが、そんなものは知らないので却下する)
昇降口のある1階へと降りる為に、階段を目指して廊下を歩いていると、賑やかな笑い声と共に肩を並べて歩く男女と、時折すれ違う。
(あれはカップルなのだろうか。それとも、女友達と言うやつなのだろうか)
そんな事が気になるのは、心の底でそういった相手を求めてるからなのか、はたまた他人のゴシップを求める無粋な気持ちの現れか。無意識に視線が、その男女たちへと向けられる。しかし、幸いにも目元を隠す長い髪によって、見ている事を男女たちに気付かれることは無い。これがもし気づかれて、「キモっ」なんて言われた日には、次から自分の足元しか見れなくなってしまう。
学生にとって、男女交際はきっと学校生活を大きく揺るがす一大イベントだ。彼氏・彼女がいるクラスメイトは眩しく見えるものだし、気になる相手がいれば妄想に頭が支配され、相手から目が離せなくなる。告白なんてされた日には、寝る時まで興奮が冷めないに違いない。もし、学校側が学生に与える本文が勉強だとしたら、学生が思う学生の本分は恋愛だ。そうとしか思えないほど、クラスメイトは恋バナに花を咲かせる。僕にとっては、その光景すらも遠く眩しい。
僕としても、出来るものなら彼女は欲しい。休日に予定を合わせて、手を繋いで肩を並べて歩き、別れ際にはキスやハグを交わす。そんな清く淡い時間を過ごしたいと思う。けれど、友達さえいない僕に、彼女ができるはずもない。
“言葉を交わしたことは無いけれど、実は気になっていた。あなたの事を見ていた"
なんて都合のいい事など、あるはずも無い。僕はそれをよく知っている。だから、期待もしないし、妄想を膨らませたりしない。
階段で1階まで降りると、昇降口はその正面にある。この時間は、この後どこかへ遊びにいく2.3人の集団や、部活へと向かう運動部の学生など、色んな生徒が集まっている。とても賑やかだ。でも、その和に混ざることの出来ない僕は肩身を狭そうにしながら、そそくさと靴を履き替えて外へと出る。
外へと出ると、眩しい光が僕を迎えた。この時期の陽の光は、とてもポカポカして気持ちがいい。根暗で陰キャな僕にとって、陽キャが放つ陽のオーラは大敵だが、物質的にも概念的にも大きい太陽は、等しく僕達の味方だ。もう少しすると、ジリジリとした暑さによって嫌気がさし始めるが、今は有難くぽかぽかさせて貰おう。
陽の射さない教室では強まってしまう僕の陰のオーラも、太陽のもとに出ると、その影響を弱める。ぽかぽかする陽気な天気も手伝い、なんとなく明るい気持ちになる。ただ、今僕が明るい気持ちになるのは、太陽の影響だけではなく、きっとこの後に想像される小さな期待も貢献しているに違いない。
昇降口から出て校門へと向かって歩くと、次第にその先で人だかりが出来ているのが目に入る。その人だかりは、決して無造作に目的もなしに集まっている訳では無い。僕は知っている。彼ら彼女らの視線の矛先が、校門で1人立つ女子生徒に向けられていることを。
その女子生徒は、この学内において学生だけでなく教師からも一目置かれる、カリスマ性を持った存在だ。曰く、この街一帯において影響力をもつ名家のご令嬢だとか。曰く、運動神経抜群で、どんなスポーツでも運動部に引けを取らないとか。曰く、テストで満点以外を取ったことがないとか。それらの噂のうち、どれ程が本当の事なのかは知らない。ただ、その女子生徒の性格については、よく知っている。ハキハキと透き通る声で話し、男子生徒や教師が相手であろうと毅然とした態度で話す姿は、男の僕から見てもカッコイイと言わざるを得ない。また、その女子生徒が持つカリスマ性の本質は、強さと優しさを兼ね備えている所にある。自分に強い自信を持ち、どんな時でも自分の正しさを疑わない。しかし、だからと言って自分が持つ自信や正しさを人に押し付けることはしない。もし、人から悩みや問題の相談を受ければ、力強い言葉で相手が求める答え・解決方法を導き出し、時には相手が自分に寄りかかることも厭わない。それを苦と思わない。それこそが、その女子生徒の持つカリスマ性の正体だ。僕が何一つ持ち合わせていないものでもある。
その女子生徒は、この学校においてどこにいても常に周囲の目を集める。まるで魚にとっての水や、人にとっての空気のように、きっと僕たちが生きていく上で必要な栄養素を、その女子生徒はばら撒いているに違いない。そう思えるほど、女子生徒はこの学校の人気者だ。校門で立っていれば、周囲の人を引き寄せてその場に留めておくなど、造作もない。まさしく人間ホイホイ。僕にとっても、周囲の学生にとっても、不思議なことではない。ただ、もう少しすると、一つだけ不思議なことが起きる。
昇降口から校門への道は、西武園ゆうえんちのメインストリートかの様にまっすぐ伸びている。(もしかしたら、西武園ゆうえんちのメインストリートを知らない人の方が多いかも知れないけれど、ひとまず長く伸びているって事だけ理解してくれると嬉しい)しかし、その道も終わりに近づき目的地の校門へと近づくと、だんだんとその女子生徒の輪郭がはっきりしてくる。ふわっと広がる、腰まで伸びたロングヘアに、170cmはあるんじゃないかと思うほど高い身長。制服によって隠された身体は、しかし体の起伏やスカートから伸びる足によって、引き締まっている事を教えてくれる。真っ直ぐシュッとした姿勢で立ち、揺れる事のないその体幹の強い体は、女子生徒の心だけでなく体も芯が通っている事を表しているかの様だった。
その女子生徒は、ふと髪を靡かせて振り返ると、僕の姿を見つけて声を上げた。
「やあ、悠斗くん。今日も早い下校だな」
そのカリスマ性を持ち、全生徒・全教師から注目を集めるその女子生徒は、誰の注目を集めず人としての魅力も持たない、おおよそ対称的な存在と言えそうな僕の事を待っている様だった。