婦好戦記 完結によせて
自分のWeb小説書き人生を盛大にぶん殴って下さった名作、
婦好戦記
https://ncode.syosetu.com/n3647en/
完結に狂喜した狂人の戯言です。
あとがきのほうが長いのは気にしないで下さい。
(6/4 12:30追記)
佳穂一二三様向けにしか下のやつを書いてないことに気づいたので、日本語に直して下記を語ります。
婦好とサクとの関係は尊いね! この尊さは呂鯤みてーなやべーやつにも負けないよ! けど尊いものはほかのところにもいっぱいあるよ! 弓弦と鬼方王とかね! 目先の尊さだけにとらわれず、たくさんの尊さに気付けるといいね! もちろんその中には、あなたが今を生きてることも含まれるよ!
です。
(追記以上)
中国歴史小説ものとしての自分をぶん殴ってきた作品がふたつある。ひとつが襄陽守城録&守城のタクティクス(ふたつじゃねーかって!? うるせーどっちも読め!)、そしてもうひとつがこの婦好戦記である。どちらにしてもこちらが抱いていた「歴史もの」の枠をぶち壊してくる存在で、そいつを書ける発想が自分になかったことが、ただただ悔しい。
前者はもうずっと前に完結済みだ。そして今回、後者がめでたく完結した。実は一時期当作の完結を見ることはないだろうとまで思っていたので、二重の意味でこの物語の完結を祝福したい。
以降、全力のネタバレである。
警告はしたからねっ!!?
さて婦好戦記。この物語は、二重底構造となっている。そして「本当の底」のカタルシスをもたらすために、「その上の底」について、作者佳穂一二三様の通常のスタイルからすれば、おそらく蛮勇とすら呼べる挑戦がなされていたのではないか、と感じた。
すなわち、前者が鬼方。
後者が呂鯤である。
すべてを包括するテーマは、極端に言えば鬼方と殷≒婦好を見さえすればいい。ただ、この世界を描くためには、それだけでは足りない、とお考えになったのだろう。そこで体格としても、意義としても巨大な舞台装置が設けられた。
分厚い余談を決める。一段落まるまる飛ばしていただいても本筋には関係がない。
婦好戦記は、この上なく大雑把に括ってしまえば前期と後期に分かれる。ここで呂鯤に、前期は「災害」としての属性が、後期は「破壊的な人間」としての属性が与えられている。堂々と妄想を語るが、前期と後期との間には決定的な環境差異がある。それは「日本人と戦争の距離が、突然縮まった」こと。ここに詳細は語らない。ともあれ戦争という災害を見るに当たり、しかし実際に害をもたらすものが結局のところ人間なのだ、弱く無力な人間なのだ、と否応なく気付かされたため、後期の呂鯤に人間味が増しているのではないかな、と邪推している。以上、余談終わり。
呂鯤は災害、害悪である。しかし自分は、このキャラクターに強く心惹かれた。いまにして思えば、このキャラが「作品世界」の外からやってきていたゆえだと思う。
外とはどこか。あえて言えば、自分のような人間が語る、死と破壊と差別と憎悪とを常態とする世界。無論この世界にも嫌悪と対立は存在しているが、呂鯤のそれは、ただひとり異彩を放っていた。その世界の住人が、作品世界を蹂躙すべく乗り込んできたのではないか、と――無論それは、最終的に討伐される宿命にあるのだけれど。
なぜ、呂鯤は蹂躙をしなければならなかったのか。婦好を「より絶対化させる」ためである。それは呂鯤の異物感が強くなればなるほど、より強まる。そして次の瞬間に訪れる相対化の衝撃を、より大きくする。
老子は語る。
天の下、皆の知る美の美たるは斯れ悪なるのみ。皆の知る善の善たるは斯れ善ならざるのみ。
莊子は語る。
是はまた彼なり、彼はまた是なり。彼はまた一なる是にして非、此もまた一なる是にして非。
この世には「絶対的な美事も、絶対的な善もない」。あらゆるものは「肯定されうるものであり、かつ否定されうるものである」。上掲老荘の発言を乱暴にまとめれば以上のようになるだろうか。
婦好戦記は、婦好を「絶対的存在とする」べく物語を積んできた。ここで重要なのは、節々で婦好が「自分を絶対的な存在とみなしてしまうのは危うい」と発信し続けていたことである。しかしサクを始めとした人物たちは、婦好の思いとは裏腹に、婦好への「絶対的」信頼を寄せるに至る。そのうちのサクは――悲しいかな、と言ってしまおう――抜きん出た婦好よりの寵を得たことで、「ウズラの身でありながら、鵬の視界を知ってしまった」。
莊子は冒頭の逍遥游編で、人智を超えた大きさの鳥、鵬を登場させる。その対として登場するものが、ふたつある。ひとつはウズラである。あまりにも小さいその体で、しかも満足に飛ぶこともかなわない。鵬に比べればその視野は遥かに狭く、近い。そしてもうひとつが、鯤。「人智を超えた大きさの魚」であり、あるとき水面から飛び出し、鵬に姿を変えた、という。
ここで呂鯤と字が被っているのは、偶然ではない。作者様とやり取りをさせていただいている立場を濫用して伺い、「両者の存在は接続されている」というお話を頂戴した。ここはまた、どこかで作者様よりのお話があるのかもしれない。
物語のおさらいをしよう。舞台は殷中期、作中で微王と呼ばれるのは、高宗武丁。殷の第二十三代王で、斜陽の殷を再び強国に立て直したこと、そしてそれ以上に「初めて甲骨文字を用いた」ことで名が知られる。ここにサクの登場する由縁がある。
文字が開発されるということは、また文字を「文字」と呼ぶ必要が生じる。すなわち、モノではなく、コトを表す言葉、概念が一気に発展する。
歌はあったろう。言葉も発していただろう。しかし、言葉が形で残るようになれば、重大な変化が現れる。「善」や「悪」、「敵」や「味方」と言った考え方が、より明確となるのだ。戦争における大義名分がより強調され、指導者の「絶対化」も、また加速する。
ここで作中における婦好の「絶対化」は、必ずしも文字の成立、概念の強固化とは歩みを一とはしていない。しかし作中、呂鯤討伐によって完成した婦好の「絶対化」を弓弦と鬼方王が相対化したと思ったら、更にサクの放った言葉が、もう一段上の相対化の輪の中に作品世界を投げ込んだ。
その言葉とは何か?
サクが鬼方の王に投げかけた
「もし『史』にその名が残れば、永遠を生きることができます」
である。
少しだけ、後世の話をする。唐の太宗、李世民は「自らが後世にどのように描かれるか」を異常に気にしたとされる。それを筆頭として、中国史上では「自分が後世にどう描かれるか」を基準として自らの行動を決めるシーンが多い。
婦好戦記はつまり、こう述べるのだ。「歴史と人とのつながりが、ここに生まれた」と。良きことなのか、悪しきことなのか。それはわからない。我々東洋の人間はもはや歴史とともに生きるようになり、三千年以上も経ってしまった。歴史のない生き方なぞ、もはや推測することすらかなわない。
サクはウズラである。しかし婦好という鵬の翼に抱かれ、ウズラでは到底見通せぬ世界を知り、一方では弓弦というヒグラシ(こちらも逍遥游にて、ウズラとともに鵬や鯤の大きさに疑義を呈している)を介し、呂鯤や鬼方王という鯤を、その想像したくともしきれぬ大きさを知った。
いち文官として生きたサクを基準にすれば、国の柱石として華々しく人びとを率いた婦好は「逆」、サクと同じような立場でこそあれ、仕えるべき主君が敵方にあった弓弦は「裏」に当たるだろう。婦好とサク、サクと弓弦。このふたつが強いつながりを示すこの物語は、結果としてサクの「対偶」に位置する鬼方王にも、強く光を当てている(故にこそ終盤でようやく姿をあらわしたと言ってもいいだろう、はじめから登場していたら、物語を破綻させさせかねないから)。それはすなわち、莊子が鵬と鯤とをともに「想像がつくはずもない、ひたすらに巨大なもの」の並列として語ることにも同期する。
ただ一方で、こうも言える。サクは最後までウズラであった。途中で自らを鵬であると錯覚しかけ、しかしやはりウズラのままであると気付いた。いや、気付かされた。そしてウズラとして鯤と出会うも、その鯤もまたヒグラシに過ぎないと気付いた。鬼方王にサクが投げかけた言葉は、そういった性格を帯びたものである。
王としての強大な力を手に入れたものが、さらに今(=時間)をも超克する――それは結局、「王という立場にあるヒグラシ」の望みでしかない。それはきっと、サクが婦好への「絶対化」を通じて自らをも「絶対化」しかけるという過ちを経てしか、生み出されなかった言葉なのではないか。
ならばこの物語の終着点はここしかなかったであろう。すなわち「あの婦好ですら、ウズラに過ぎなかった」である。
サクが思慕する相手に「婦好」「陽華」2つの名が与えられているのは、極めて象徴的である。婦好は鵬である。しかしその偶像の中に収まるいち個人、こと陽華は、ウズラでしかない。またサクというウズラが、鵬とつがうことは叶わない。ウズラに叶うのは、ウズラとつがうこと。サクの願いを叶えるためには、婦好というヴェールを剥ぎ取るしかなく、それは婦好の名を冠したこの物語の死を意味する。
以上よりすれば、この物語は「鵬として生きることを宿命付けられていたウズラを、別のウズラが文字や歴史を捧げ物として解放した」ものである、と総括できようか。
婦好戦記は「歴史」の誕生を語る。しかしその終端で語られるのは、サクおよび陽夏の「歴史からの離脱」である。所詮ウズラでは歴史を動かすことなぞ叶わないからだ。偶然巨大な奔流を曲げ、後世に大きな影響を及ぼすことこそあるだろうけれど。
我々はみなウズラである。あるいはヒグラシであるかもしれない。しかしその違いをとやかく述べてみたところでどうなるだろう。極めて小さい、ひとつの個であることは変わらない。それは、どれだけ我々が偉大だと感じている相手であっても変わらない。
人を見、人を愛し、人を恐れ、人を憎む。その一つ一つをないがしろとせず、生きていく。この物語の結末を見届け、そうありたい、と改めて思った。
最後に。
自分は近日になって莊子を読み始め、このタイミングで大要を把握した(内容を理解した、という気はない)。これは、婦好戦記をこのように読みたいと感じた故なのだろうか。あるいは、ただの偶然なのだろうか。
ともあれ両者が自分の中で出会ってくれたため、より深い「傷」をいただけた。莊子に感謝を言うのはなかなか難しいので、せめて「このタイミングで」完結をしてくださった作者の佳穂一二三様に、改めて感謝を申し上げたい。
こんな物語作りやがって畜生! 俺じゃ到底書けねえ!
自分に書けるお話を頑張ります、ハイ。
『ウズラが眺めた道――あとがきに代えて』
婦好戦記と荘子との関係性をつらつら考えていき、この辺りで自分なりに老荘思想のコアをまとめてみたいと思うようになった。別所で荘子について検証をしているが、どうもこちらに接続するほうが正しい気がしたので。
動機は老荘に載る、儒への対抗意識を燃やした道家による余計な手垢のついた言葉たちが、心底不快だったことによる。だのでいちど自分なりに、可能な限り老荘思想における「余剰物」を削ったものを確保しておきたくなったのだ。
老子と荘子は、基本的に同じこと語っている。「世界ヤバい、人間ちょお小さい、でも生きてるぜ俺たち!」である。ただ言葉そのものについては荘子のほうがわかりやすいと感じる。というわけで、だいたいは荘子に基づき語るべきなのだろう。ここでふたつの柱と、ひとつの論法を示す。
○柱一
道の前で万物はカス。
○柱二
けど我々は、確かに生きている。
○論法
証明しきれないものは検討に値しない。
以上である。あとは全部おまけである。はっきり言ってこれ以外のことを語る道家(=老荘に載ってる七、八割がたの発言)はいったい何なの? 位には思っている。では、上記三論を語っていこう。
○柱一
道の前で万物はカス。
道とは何か。世界そのものである。ただしここで言う世界とは、我々の現在持てる認識から言えば「宇宙をすら包括するもの」であり、同時に「クォークやレプトンを構成するもの」である。大きい方面に無限大、小さい方に無限大。ありとあらゆる要素を包括するすべて。そんなものは到底形容しようがないので、とりあえず雑に括って「道」と呼ぶ。べつに概念X、物体Xでもいい。名状しがたきもの、であってもよろしい。必要な理解は、「人間には到底認識しきれないものに、強引に名をつけている」こと。
だから道徳経一章は語っている。「道を理解できる、だぁ? アホか!」と。
荘子逍遥遊は語る。「我々から見てすら見渡しきれないはずの大魚、巨鳥の視野を、ましてやどうしてウズラやヒグラシが理解しきれるのか?」と。ちなみにここもピーキーに考えれば「人間もウズラも大して変わらない」となるので、一般に聞く巨鳥を老荘、ウズラを儒墨とする視点は退けている。あえていえば、どちらもウズラに過ぎない――このあたりについては、改めて後に語る。
言いたいことは何か。「世界やばい。でかすぎ&ミクロすぎでわからない」である。
我々は地球に住んでいる。このとてつもないデカさの物体は、ご存知宇宙空間からすればカスである。けど人間にとっては到底把握しきれない、訳のわからんでかさの代物である。ちなみに、仮に地球が人間と同じスケールになったとしたら、人間は大腸菌よりもさらに小さい存在となるそうだ。
宇宙から見て、どうすれば地球と太陽の違いを見分けられるだろうか。また地球が、あなたと隣人の違いをどう見分けられるだろうか。ぶっちゃけ地球くんは、あなたとスカイツリーすら区別がつかない。
一方であなたは、コロナウイルスと大腸菌を裸視にて判別できるだろうか? そもそも、それぞれの個体を認識すらできまい。
ちなみに地球と太陽、人間とスカイツリー、コロナウイルスと大腸菌は、いずれも後者の方がはるかに大きいです。あなたは真ん中の尺度と同じ感覚で前者と後者を捉えられますか?
我々が生きる世界とは、そういう代物だ。そして先に挙げた宇宙が、あるいは更に大きな価値観の中では我々にとってのコロナウイルスとして扱われるかもしれない。しかし、これは証明できない。証明できるのは、大小どちらの方向に進んでも理解が及びそうもない、ということ。
「世界よくわからんすぎる」を受け入れろ。これが老荘の言う第一歩目だ。
○柱二
けど我々は、確かに生きている。
ある意味では、こちらがより重要である。「言うて俺ら、カスなはずの自分をきっちり知覚してますやん。なんでこんな莫大な世界において、このたった一点のカスであること理解できてるんです? やっぱ何らかの意味があるんじゃないですか?」という疑問が起き上がる。まぁ当然である。しかしこの点において、荘周は潔い。断言している。
「知るかボケ」。
荘子はオモシロ寓話、愉快なトンチに目を奪われがちだが、その本質は「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」である。しかしそこを理解しないものがあーでもないこーでもないと論難をふっかけてくる。そこで何が起こるか。
「わからんことをうだうだ考えても意味ねーだろダァホ!」
を、論を尽くして語らねばならなくなるのだ。地獄かな?
一方、ここで発生する論は否応なく言葉遊び的となる。そしてここが鋭利にすぎるものであったため、「議論」を重視する者たちがその論運びに惚れ込み「荘子すごい」のお題目に乗り上げ、老子徳経や荘子外編のような的を外した議論に本質を見出そうとし始めたよう感ぜられる。荘周が言いたいのは「本質ぅ? なにそんなわけわからんもんに踊らされとんのじゃ! わかるわけなかろーが!」だというのに。
ちなみに、「うむ、わからんな! けど考えてみたらわかるかもわからんから突っ込んでってみようか!」が仏教である。ムチャシヤガッテ……。
ともあれ、ならば無為自然とは何か。
「余計なことぐちゃぐちゃ考えんな! 今を生きてる理由なんざ証明しようがない、なら今を全うするしかないだろが!」
である。ただし、それってどういうことなんだぜ? と問われれば、荘周はこう答えるだろう。
「知るかバカ。お前の人生だろが」
――突然で恐縮だが、ここに老荘思想の限界が訪れる。なぜ限界になるのか、を、最後の論で展開しよう。
○論法
証明しきれないものは検討に値しない。
老荘思想のコアを改めて整理しよう。「世界やべー、訳わかんねー。なら、せめてわかるところまでは把握しよう――わかりませんでした!」である。少しでも証明しきれないテーマが発生するのであれば、老荘の学問として厳密な姿勢は「そこはもう、そういうものとして諦める」である。つまり証明に躍起にならない。無駄だからだ。
では、この世の中で決して証明し得ないもの、その最右翼とは何か。
他者の心である。あるいは、自身の心すら証明は怪しい。ならば、老荘が人間の内心のありようや、その理想を語ることはない。
すなわち「ひとの内面を語れない」、ここが老荘の限界である。
例えば、あなたにこちらが「私がどんなおっぱいを想像したかを示しなさい」と語る。ここでこちらの思い浮かべるおっぱいが雄っぱいか、雌っぱいか? また、そのボリューム感は? ここをきっちりと的中できる自信はありますか? ちなみに本来ムキムキで誇るべきなんだけどやや生来の自信のなさから張りが甘い雄っぱいでした。けどこれが嘘だとも限りませんよね? そういうことです。
このあたりの話、老荘どちらにも載っている有名な命題すら否定できてしまう。「曲なれば即ち全し」である。老子、荘子、どちらにしても無用の用の例としてこの言葉を挙げる。曲がりくねった枝はひとに利用されることなく成長し、やがて枯れる。「ゆえにその生を全うしている」。
そうか? である。
その木や枝が利用されることなく枯れてゆくことを、どうして「全うした」と言えるのか? これまでの老荘の論からすれば「わからない」以上のことは答えられないはずである。証明のしようがないのだから(厳密に考えれば、老子ではありだとは思う。これはいつか別の機会に語ってみたい)。
つまり何をもって生を全うしたかと語るのは、原理的には、老荘には不可能なのだ。これを語るのは、老荘「から派生した、なにか」でしかない。荘周の恬淡とした生き方がよきものとして荘子に書かれているのは「荘周にとって、それが満たされた生き方であったから」に過ぎない。
あなたは、かれの生き方で満たされると思いますか? ちなみにこれの答えも「わからない」ですからね?
老荘は、人間の内心を語れない。語る老荘は老荘ではなく、派生したなにかである。では、本来何ならば内心を語れるのか。儒であり、墨である。
とは言え彼らも、内心そのものを語ることはできない。この辺りは孔丘先生もおっしゃっている、「心を矯正できるんなら話早いねんけど、まぁ無理やねん。だからより良きありかたとなれる「型」を示すことでその先を期待するしかないねん」と。内心そのものを語ることはできないが、どう内心を磨き上げられるかの指針を示すことなら、できなくもない。それが論語の精神であった。
つまり、本来はこう言えるはずなのだ。「老荘と儒墨にかぶるところはなく、ならば優劣など決められるはずがない」と――先に、ウズラと巨鳥の例えを持ち出した。ここで改めてあの例えに立ち返ろう。老荘も、儒墨もウズラである。違いは何か。「外を見るか、お互いを見るか」である。この両者に優劣をつけようとすること。それこそが愚行なのである。
もっとも、道家が儒墨に張り合うような論陣を張ってくれたがために、現代にまで老荘の言葉が残ったという側面も見逃してはいけないのだろう。ここで見出した老荘のコアは名利を求める人間が用いたら一切残るはずもない類のものだ。自分が「剰余物」と見なしたものにも、確かに意味がある。そこは見落としてはならない。
というより、歴史をやるのであれば、むしろここでいう「剰余物」ときっちり向かい合わねばならない、とは重に認識している。儒家や道家の思想の系譜こそが中国史の変遷の柱だからだ。
ここで語るのはそういった歴史的なことではなく、「生を満喫するために諸子百家を取り入れていくとしたならば、その思想のコアを探らねばならない」といった類のものである。この二つを混同されてしまうと非常に困るので付記しておく。
老荘思想を突き詰めた結果、「生まれた理由も、目的も、到底わかりようがない。ならば自分が偶然授かったいまを満喫するしかない」と示された。そして、真に誠実であれば「何が自分にとって満喫となるかを他者が保証することはできない」となる。むしろそのヒントを探し出すためにも、積極的に他の「より良き生き方を探る」ための思想を求めるべきだろう。
以上が、自分の見出した老荘思想のコアだ。そしてこれを自らのコアに接続させ、より自分の人生を満喫するために何ができるのか、を考えていきたく思う。