4 『奴隷として生きた日』
最短距離で川辺まで行き、暗黙の集合場所である下水道近くの石階段を目指す。
「おい、鞘! これはお前がやったのか!?」
ナイフの鞘との会話が幻聴でなければ、こいつは腐っても聖遺物。
聖遺物がどんな効果を持つのか比較を知らないが、もしかしたらがあり得てしまう。
移動がてらの状況把握を試みたが、鞘は先ほどと変わらず一言もしゃべらない。
「役に立たねえな!」
息も切れ、もつれてきた足に発破をかける意味合いもあって声を張り上げる。
民衆の悲鳴は段々と大きくなっている。
家々が倒壊しているのか音の方へ視線を向けると、木々がひしゃげる破砕音や舞い上がる粉塵が見えた。
場所もそう遠くない。
俺が進む道にはすでに大通りへ向かって逃げ出している人間もいれば、家の窓から事態を観察しようと目を凝らしている者もいた。
——やがて目的地へ辿り着いた。
「ルシア!」
「ラグ!」
一瞥して互いの無事を確認し、予感が外れたことに安堵する。
「一応聞くけど、何があったか知ってたりするか?」
「わからない……けど見当はつく」
顎に手を当てて、ルシアは苦い顔をした。
「魔物の活性化と、ランセッタの件で騎士団はほとんど出張ってる」
ランセッタという街の名前に、点と点が結ぶような感覚。
つい昨日ルシアと話していた内容だ。
「反貴族派のテロ組織か、帝都の『聖域』を超えられるような——」
「——魔人か! あり得る話だ」
聖域とは、大昔の英雄が張った結界のことだ。帝都全域を覆うソレは、強力な一部の魔物を除いて侵入を阻む。
「どうする? ここで貴族が事態を解決するまで待つか?」
近場に隠れれば、ある程度の自衛は確保できる。
ただ聞こえてくる大きな破壊音を聞くに、万が一暴虐がコチラに向けばひとたまりもないだろう。
それを危惧したルシアが首を振った。
「多分だけど、貴族はまだまだ来ないわ」
「なんでだ? あいつらならすぐにどうにか……」
「理由は色々あるけど、少なくとも貴族が来る頃にはもっと大きな被害が出ると思う」
ルシアが所属する正教会と貴族は少なからず関係が築かれている。
省略したのは、ここで話す時間が惜しいほどの理由があるということだ。
権力と金持ちは面倒くさい。すぐそばで、人が死んでいるはずだというのに。
(いや、そもそも貴族たちは平民を人間と数えてないか)
化物染みた騎士を100人動員して討伐する魔人。たとえ貴族であれ無事が担保できるとは思えない。最低限の戦力が集まるまで傍観するというのは、理由の一つとしてあるはずだ。
「私の屋敷に行きましょう。ここよりは間違いなく安全よ」
破壊音の方を見ながら難しい顔をするルシア。
一瞬、俺は苦い顔をしていたと思う。見られなくてよかった。
同意しない俺に、ルシアが疑問符をつけていた。
「ルシア……俺は、奴隷だ」
言いたくない一言だ。
俺にも友人相手にはプライドってもんがある。
それを口にした悔しさを表に出さないように、小さく息を吐いて何でもないことのように言った。
金持ちの家には入れない。無礼討ちされる可能性がかなり高いからだ。
ルシアがぽかんとした顔をしていた。彼女の中では文脈が繋がっていなかったのだろう。
そしてすぐに復活して、眉を逆立てる。
「私を馬鹿にしてるの?」
怒られると思ったよ。
「お前が良くても、他の住民が許すとは限らないって話だ」
君の親が、とは流石に言わなかった。それくらいのデリカシーはある。
でも実際、ルシアが住んでる金持ち地区——一番街には選民思想の上流階級が多い。そこでは俺の命なんて値札すらつかない。
「私がそんなことさせない!」
「いや、でも……」
「いいから!」
なお言いよどむ俺の手を無理やり取って、ルシアが先導し始めた。
可愛らしい横顔だが、とてつもなく怒っている。
「私たち——友達でしょ」
「ああ、そうだな」
彼女のまっすぐな言葉が受け止められなくて、頭を掻いて誤魔化した。
(くそ、こんなはずじゃ)
ありがとうの一言で済んだはずなのに。
これで死んでも俺は何ひとつ悔いなどないというのに、卑下する言葉を重ねてしまった。
結果は同じでも過程は最悪だ。
俺も、奴隷根性が板についてきたなぁ。
2年前までは、もっとマシな人間だったはずだったんだけど。
「人混みがすごいわ」
さっきの俺の言い訳と同じ理由で、平民たちは街の外側へ逃げていくしかない。
必然的に街の中心へと向かう俺たちは、ごった返す人波に逆らっていく必要がある。
「裏道から大通りへ出よう、こっちだ!」
いつまでも女に手を引かれているわけにはいかない。横並びで走り出す。
こちとらスラム街育ち。犯罪しまくって大人たちに殺意むき出しで追いかけられた甲斐あって、頭の中に詳細な地図が入っている。
「そら、そこの屋根に飛び乗れ!」
「うん!」
窪んだ地形をショートカットするために、人様の屋根にお邪魔する。
廃材の寄せ集めである家屋への仕打ちは、家主が見たら卒倒するだろうが、今回だけは許してほしい。
その調子で俺たちは、ゴミ山を越えたり家々の間に架けられた木の板を渡ったりして一番街を目指し走った。
「あと、48年と3日……!」
案内を買って出た以上、道に迷うなんてマヌケは晒せない。
脳内を冷静に保つために、魔法の言葉を繰り返し唱える。
(そういえば、コレももう必要ないのか)
ナイフの鞘さえ売り抜けられれば、奴隷生活とはおさらばだ。
そうなればスラム街に戻って顔なじみと美味いもんでも食べて、あの小汚い変態デブ親父にスラム流のいたずらを仕掛けるのもいいな。
困った時に金を貸してくれはしたが、あの悪人が痛い目に遭うのを見るのは愉しそうだ。
金が余ったら、キースの野郎を助けてもいい。
あいつは良い奴だ。見返りもないのに何度も助けてくれた。
うん、それはいい。
やりたいことを気前よくやってやれば、俺のしみったれた奴隷根性もすこしはなくなるはずだろう。
「どうしたのラグ?」
「いや、なんでもない」
おっといけない。集中、集中。
いや違うな。もう充分集中してるんだ。
普段よりすこぶる調子が良い。思考にモヤがかかってない。
そうだ!
ルシアとの約束を守るために、冒険者になる準備も進めなくては。
魔物を狩って日銭を稼ぐなど、命を安売りする愚か者のすることだと思っていたが、彼女と一緒なら楽しそうだ。
母さんから習った剣術が役に立つ日がきてよかった。
救いの塔の攻略。それはおとぎ話への挑戦だ。
(『最初の偉大な冒険家へ会いにいく冒険』か。母さん、遺言が守れそうだよ)
生涯奴隷から大冒険へ生き方がシフトするとは思ってもみなかった。
「——ラグ、止まって!」
「……っ!」
なんだ!?
唐突なルシアの声に急ブレーキをかけた。
「音がする……来る!」
「音? そんなの何にも——」
——爆音。
何かが着弾した。
耳が壊れそうだ。平衡感覚がなくなり、その場に膝をつく。
「……っ!」
振り返るとルシアも同じようで、顔をしかめて耳に手を当てていた。
「——! 危ない!」
「きゃっ!?」
倒れないように精一杯なルシアは、すぐ横の建物が倒壊しようとしていることに気づいていなかった。叫び声と共に、無我夢中でルシアを抱え込むように体当たりする。
「無事か!?」
「あ、ありがとう……ラグ」
結果はふたりとも無傷。
ルシアの衣服は土で汚れてしまったが、背に腹は代えられない。
「いったいなにが」
起こったのか。建物を倒壊させた向こう側。爆心地へと目を向け、瞠目した。
——それは二メートルを超す、人型のモノだった。
モノ、としか言いようがない。明らかにそれは、人間ではないのだから。
その正体にはすぐに得心がいった。
「魔人……!」
第一印象は、黒い。
全身真っ黒だ。
どす黒いとか、汚い黒とかではなくて、ペンキの原色を煮詰めてそのままぶっかけたみたいに黒かった。
風景を無視して、その場だけぽっかりと黒くなっている。
そしてその体表を、いくつもの目玉がうごめいている。
気持ち悪い。
すべての生命を冒涜するような見た目をしている。
大通りに降り立った魔人は、人間で言う顔部分を右へ左へと向け、息を吸い込む姿勢を取った。生命の本能なのか、全身が粟立ち防御姿勢を取ろうとした。
「ルシア、伏せろ……!」
直後、魔人の胸部が爆発的に膨らみ、一瞬の静寂の後に放出された。
「osajgporjgoajwoprjojgorpejgpojpgwow————!!!!!!」
ハウリングはただの音にはとどまらず、衝撃波となって魔人を中心に街を破壊した。
家々の壁が砕け、屋根がずれ落ち崩れていく。
我先にと逃げ出していた人々は血を流しながら弾き飛ばされていった。
俺たちは咄嗟に倒壊を免れた壁を背にしていたから助かったが、間一髪だった。
覆いかぶさっていた体勢を解くと、ルシアが見上げてくる。
「ラグ、大丈夫……!?」
「ヨユー」
もちろん嘘だ。足がガクついているのを必死に隠す。
だが目に付くような傷はないはずだ。こっそり太ももの肉を摘まんで気付けした。
「家の影に隠れながら一番街へ行こう」
ルシアが頷いた。
大通りに隣接する家屋や屋台の残骸が、丁度いい遮蔽物になっている。
(気づくなよ……!)
魔人が闖入したと同時に、阿鼻叫喚の様相を呈していた大通りは一転して静かになっていた。
だがよく耳を凝らして聞いてみれば、人々のうめき声が聞こえてくる。
辛うじて暴虐の難を逃れた民衆は、魔人を刺激しないよう後退ったり、恐怖のまま逃げたりと様々だ。
魔人は何かを探しているのか、漆黒の体表に浮かぶ目玉を忙しなく動かしている。
弱った人々は眼中にないようだ。
魔人の気が向いていない内にさっさと移動してしまおう。
ルシアと互いにアイコンタクトをして頷き合い、瓦礫に隠れながら歩いていく。
やけに自分の足音が大きく聞こえ、心音が身体を揺らしているのではないかと勘違いしてしまう。
ゆっくり、ゆっくり、音を立てずに。
「Gugza?」
(バレたか!?)
魔人が声をあげたと同時に、一気に血の気が引いていく感覚。
そんなことをしては本末転倒だというのに、気づけば瓦礫から顔を出して魔人の方を覗いてしまっていた。
「……!」
「そんな……!」
結論から言えば、魔人の気を引いたのは俺たちではなかった。
「——おとーさん、おかあさん……」
魔人の咆哮による衝撃で正気を失ったらしい幼女が、魔人の方へと歩いていたのだ。
誰の目にも明らかだった。
幼女は近いうちに死ぬ。
魔人に惨たらしく殺されてしまう。
だが、まだ両者のあいだには距離がある。
誰かが走って向かえば、助けられるかもしれない。
確率的には、助けに入った者もろとも殺される可能性がほとんどだろう。
けど、ふたりとも助かる可能性もある。
まだ賽は振られていないのだ。
そして振るのは、この場にいる誰か。
(誰か、助けてやってくれ!)
誰か、誰だ?
血を流して倒れ伏している人間か?
逃げ惑っている人間か?
誰かいるはずだ。誰でもいい、とにかく誰か——
「——待ちなさい!」
いつの間にか、ルシアが走り出していた。
「は? ま、待てよ……」
声の限り叫んだつもりが、情けない呟き声が出ただけだった。
さっきの考えとは矛盾している。そんなことはわかっている。だがこう思わずにはいられなかった。
まだ間に合う。引き返してくれ。
だが魔人に気づかれないよう声を押し殺している俺の思いが届くはずもなく、ルシアはそのまま幼女の前に出た。魔人の正面に立っていた。
ルシアは手にナイフを握っていた。見るからに護身用の、小さなものだ。
魔人はいくつもある目玉を前方に集中させルシアを見ているが、動きはない。
逃げかねていた大人たちが、離れた場所からルシアに向かって何か叫んでいたが、俺はそれどころではなかった。
まだ間に合う。俺があそこに行けば、まだ間に合うかもしれないのだ。
さっきルシアを庇ったみたいにちゃちゃっと行って、逃げ出せばいい。
だが、それが出来ない。足が動かない。
漂ってくる何割かの『死』の気配が、俺の足を動かさない。
息が浅い。
——なんでだ。ルシアには出来たのに!
叱咤激励しても、足は動かない。動かなかった。
俺がまごついていると、ルシアが魔人にナイフの切っ先を向けた。
「お願い……あなたが私を選んだのなら、力を貸して!」
(誰に喋ってるんだ……?)
魔人でも、幼女でも、俺でもない。
彼女が立っている場所には、誰にもいないというのに。
「なんだ……?」
疑問は俺の声だ。
ルシアの声に呼応するように、彼女が持つ抜き身のナイフが輝きを持ち始めたのだ。
魔人が警戒するように後退った。
「ナイフ…………まさか!」
ナイフの鞘。半身を探している。
寒気が走ったと同時に、俺のふところに隠してあったナイフの鞘が飛び出した。
『——いやぁ、フラグ様……『試練』は失敗です』
ナイフの鞘は、明らかに自らの意思を持ってその場に浮かび上がっていた。
俺は、時間感覚が間延びするような体験を目の当たりにしていた。何度もナイフの鞘が言った言葉を脳内で反芻する。
試練? 試練ってなんだ?
しかし、ひとつ確実にわかることがある。
それは、ルシアがこの鞘の半身を、刃を持っていたということだ。
昨日の鞘曰く、俺は主人候補だった。
試練は失敗したのだという。
なら主人に選ばれたのは。
『あなたは『資格』はあっても、『資質』がなかったんですよ』
「待って……!」
ナイフの鞘が遠ざかっていく。ルシアの方へと飛んでいく。
手を伸ばした。精一杯。腕が千切れるほど。
聖遺物。大金!
それさえあれば、俺は奴隷から自由になれるのに!
「待って——それ、俺の!!」
もうすべて遅い。
ナイフの鞘はルシアの手元へ。そしてその刹那——眩い光が辺りに広がった。
太陽がその場に現れたのかと思った。
俺が目をつぶり、開いたときには、すべてが終わっていた。
——魔人が死んでいた。
首を切断され、胸の辺りが爆発したような傷跡があった。
その足許には息を切らしたルシアがいて、彼女の手には銀色に輝く長剣が握られていた。
ドチャッ。そんな音がして、瓦礫の影に隠れていた俺はすぐ横に目を向けた。
そこには、魔人の心臓があった。
ルシアがやったのだ。魔人よりもずっと小さな、12歳の少女が。
民衆がどよめく。
先ほどの耳に残るような陰惨などよめきではない。
諦観を打ち破る、希望が芽吹いた声々だ。
「あの美しい金髪、オルシアンだ……」
「ゼウス家の筆頭候補」
「正教会の聖女!」
「——あれは、聖女だ!」
声は別の声を呼び、席巻するようにして大きさを増していく。
「聖女……? オルシアン……?」
それは、ルシアのことを言ってるのか?
聖女っていえば、貴族や王族と対等に渡り合えるほどの権力者じゃないか。
いやいや、待てよ。そんなはずがない。だってルシアは正教会……ただの……。
ただの、なんだというんだ?
上流階級しか踏み入れることすら許されない一番街に住んでいて、騎士たちの情報にも詳しくて、戦闘教育も受けている。
その上まっすぐな心根を持ってて、勇気もある——本当に大事なものをわかってる。
俺とは、何もかもが違う。
「そんな、嘘だろ……」
ぼーっと見ていた。
蛮勇ではなく、偉業を成し遂げた彼女への惜しみない賛辞を。
彼女に降り注ぐ祝福を。
いつの間にか、握りしめた拳から血が滲んでいた。
「ちくしょう、ちくしょう……!」
あそこに立っているのは、俺だったのに!
あと、ほんのすこしの勇気さえあれば……!
重要なことがある。何より悔しいことがある。
それは、俺は奴隷になって、奴隷として生きてしまったことだ。
今までの人生は、勝手に失っていくだけだった。まさかこんなことが起こるなんて。
まさか自分自身の手で、手放してしまうなんて!
「なんで、お前ばっかり……」
なぜ彼女には全てが与えられ、俺には不幸せが巡っている。
あの聖遺物は、唯一俺が手に入れたものだったのに。
情けない繰り言を呟く俺の足元には、今しがたルシアの攻撃によって飛ばされた、魔人の心臓があった。
俺は、心臓へと目を落とした。
魔人の身体と同じく漆黒の心臓は、未だ鼓動を続けている。
冒険者は、魔物の核である魔石を取り込み強くなる。
——ある邪悪な考えが、浮かんだ。
なぜそんな発想に至ったのか、論理的に説明できない。
そうしなければならない気がする。身体が勝手に動いた。
多分、飛び出したルシアもこんな感じじゃなかったのか?
俺は心臓を掴んだ。両手で握りしめた。
もう離さない。今度こそ、離さない。
遺言。遺言だ。
母さんの遺言が、俺を突き動かす。
俺のたったひとりの家族の、最期の言葉。
『——幸せに産んであげられなくて、ごめんねぇ』
病気で痩せこけた顔をぐちゃぐちゃにしながら涙を流して、絞り出した今際の際の一言。
俺はずっと幸せだったよ。母さん。
不幸になったのは、母さんが死んでしまってからなんだ。
——あの言葉を、覆してやりたい。
それだけなんだ。それだけが俺を生に縛り付ける。
俺は——魔人の心臓にかぶりついた。
何度も咀嚼して、ドロドロにして、大切に嚥下する。
口の中が空になれば、すぐに次の一口を送り込んだ。
ルシアが自身の手で物語を始めたというのなら、俺もまた自分自身の手で始めるしかない。
これは、俺だけの冒険だ。
「俺は絶対に——幸せに生きてやる」