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3 『予感』



「——起きやがれ奴隷ども!」


 ガンガンと、錆びた金属の鳴る音で目を覚ました。

 上体を起こし、ぼんやりとした頭が徐々に覚醒していく。


「……っ!」


 昨日の拾いものがまさか夢ではなかったかと総毛立ち、すぐに懐を確かめた。


『夢ではありませんよ』


 ほっと一息。

 これがなければ、俺はどこにもいけない。

 逆を言えば、これさえあれば俺はどこへでもいけるということだ。


 それこそ、ルシアと一緒に冒険へ行くことだって!

 昨日の浮遊感を伴うような興奮は、確かな重量を帯びた高揚へと変わる。

 はあ、とナイフの鞘から大きなため息が脳内に響いた。


『まだワタシを売ろうとしていたんですねぇ』


(当たり前だ)


 どこにあるかもわからない『ナイフの刃』とやらを探すよりも、適当な商人に聖遺物を流した方が、双方によっぽど利益を生んでくれる。

 目先の利益ではない。それこそ人生を変える大金だ。


『……まぁ、いいでしょう。好きにしてください』


(なんだ、やけに聞き分けがいいな)


 それこそ昨日は数時間も叫び散らかしていたというのに。


『ええ、だってフラグ様よりは早そうですので』


(……?)


 鞘が意味の分からないことを言っているが、それは昨日からだ。

 キースが声を掛けてきたので、俺も牢の外へ出ることにした。


「フラグ、まぁなんだ。元気出せよな」


「あ? なんだよキースお前まで」


「俺まで?」


「あ、いやなんでもない」


 危ない危ない。慣れるまでは鞘との会話がごっちゃになりそうだ。

 下手をしたらイカれと勘違いされて処分されてしまうかもしれない。


「夜のことだよ。お前はご主人様のお気に入りなんだし、俺らとは違ってある程度の待遇は貰えるかもしれねぇからよ。変なことは考えんなよな」


「あー……」


 もしかしなくても、聖遺物に関して質問した話のことを言っているのだろう。

 ちなみに、奴隷の会話内でのご主人様呼びは罵倒だ。


「大丈夫だよ。昨日はちょっと疲れてただけだ」


 返答を聞くと、キースはこなれた仕草で肩をすくめた。

 キースの心配は奴隷として正しい。

 大抵、奴隷がいつもと違うことを言った時はヤクを盗んだ時か、自殺する前夜だ。


 俺だってキースが妙なことを言ってきたら同じように心配するだろう。

 他のクズ野郎とは違い、この男には多く助けられたからそれくらいの義理はある。

 



 奴隷たちが地下牢から起きてくると、次に待ってるのは食堂での飯だ。

 これがまたイスも机もない吹きさらしの場所なので、食堂といっていいのかどうかもわからない。


 正確には、飯を配る場所の近くで奴隷たちが食事をしているだけだ。

 今日も大鍋で煮たスープとパンをもらうために行列がつくられている。

 俺とキースが並んでると、前の方から三人組の男が歩いてきた。


「おいラグ。おめぇの仕事場まぁた建築らしいど」


「知ってるよ」


 名前は……全員忘れた。覚える価値のないヤツらだ。

 キツイ訛りが鼻に付く男は、キースと相部屋になる前、短いあいだ同室だったヤツだった。


「ンガハハ! オイラが代わってやろうか?」


「やだよ、どうせ飯寄越せとか言ってくんだろ」


「働かねえ奴に飯は必要ねえわな!」


「また今度頼むよ」


 たまに話しかけてきたと思ったら、飯のたかりだ。うんざりする。

 適当にあしらうと、男は聞こえるように舌打ちしてきた。


「またおめぇの椀ぶっ壊したろうか? あのあとご主人様にケツでも振ったんか? お気に入りは羨ましいのぉ」


 明確な嘲りの視線に、腹の底が煮えたぎるような怒りが噴出した。

 椀を割る、という言葉は奴隷内での脅し文句のようなものだ。


 何も持たない奴隷の唯一の財産は、奴隷落ちした時に渡される椀ひとつ。

 それがなければスープをよそってもらえないので、飯が食えない。

だから椀を割るというのはしばしば『いじめてやる』『殺してやろうか』といった意味を持つ。


「なぁ、オイ」


 怒りのままに声を張り上げたい気持ちを抑えつける。

 この場でそれをしてはこの男以下なのだ。


 母さんとスラムに住んでた時と同じだ。時には汚い言葉というものを丁寧に差し出さなくてはならないことがある。


「またガキのケツ穴に興味津々か? お前の指が4本になったら、すこしはモテるようになるかもしれないな」


 奴隷落ちしたとき、初日にコイツが犯そうとしてきたのは嫌な記憶だ。まあ、手の骨を噛み砕いてやったからお互い様だが。


 俺が歯を見せてやると、男は今度こそ身を乗り出してきた。

 一触即発の空気になった瞬間に、キースが間に入ってくる。


「おいトンド。フラグが2人部屋になった理由を思い出せよ」


 キースの言葉に男が一瞬怯みを見せた。

 ああそうだ、そんな名前だったな。

 俺が聖遺物を売って金持ちになったら、糞という言葉をトンドに変えてやろうかと真剣に悩みそうになる。


「次なにかあったら、お前『処分』されるかもな」


 いつ手を出されるのかわかったもんじゃないので嬉しくもなんともないが、俺はご主人様のお気に入りだ。その特権で8人部屋のところを2人部屋にされている。


「…………けっ、取り入るのが得意なガキだぁ」


 それだけ言って、トンドは取り巻きを連れてどこかへ歩いていった。

 捨て台詞としては三流もいいところだ。


「ったく、奴隷同士でなにしてんだか」


「助かったよ、キース」


「ああ、気にすんな。……それにしても」


「?」


 キースはいつものように肩をすくめた。


「お前が本当にお気に入りなら、今ごろ檻の中はボインの女だらけだっての」


「…………ブハッ」


 いかん、笑ってしまった。

 だがこうも気遣いされてしまっては、それで良かったのかもしれない。


『じゃあ折衷案でこういうのはどうでしょう? この男のケツを差し出して、代わりに女性との2人部屋にしてもらうっていうのは』


(お前は黙っとけ)


 なんだその悪魔のような提案は。

 ひと悶着は良い時間潰しになったようで、いつの間にか俺たちの番だった。


 配給係のジジイに何度もウインクすると、ジジイは大きなため息をついて多めにスープを入れてくれた。ありがとなジジイ。

 適当な場所に座り込み、噛み切れないパンをスープに浸す。


「……お前の世渡り上手には感服するよ。どうやって生きたらそんなたくましいガキになるんだ」

「ばっかお前、スラムのガキはみんなこんなんだっつーの」


 シャーリィという女なんか、服を盗んで金持ちのガキになりすましてから、提携した店の商品を通りすがりの金持ちの懐に入れて盗人扱いさせて、示談金をふんだくるヤベーやつだった。


 まあ俺はソイツと店の主人両方から知識提供料をせしめていたワケだが。

 いやそれにしても、実行するかフツー?

 そいつの常人離れした動きを見た時は、腹が減ったバカほど怖いものはないと思い知らされた。


「スラム育ちにしては教育されてんな。字も読めるし計算もできるだろ。誰に仕込まれた?」


「母さんだよ。物心ついたら叩き込まれたんだ。歴史に剣術、諸々な」


 そのおかげで、母さんの病気が酷くなるまでは俺の稼ぎだけで生活できていた。

 頃合いを見てスープからパンを引き上げ、かぶりつく。

 正教会の炊き出しと比べれば、水のようなスープだ。


「——そうか」


「そんなことより、なんか今日はいつもより騒がしくないか?」


 外を見ると、いつもより明らかに人通りが多い。

 住民たちの顔色はどこか喜色に満ちているので、やはり今日は何かがあるのだろう。


「あれか。今朝はお貴族様が鐘を鳴らすんだとよ」


「ああ、あれか」


 吐き捨てるようにキースが言って、俺も途端に興味がなくなった。

 祭りかと思ったじゃねえか。だったらお残しにありつけたのに。



——貴族。



 それは人族最強の存在の名前だ。

 強力な魔術を簡単に発動する圧倒的な魔力、あらゆる病魔から決別する生命力、遊び半分で人体を千切れるような膂力を持つ者。


 その始まりは2000年以上前、神様に認められ祝福された人間からだとされる。


 当人及びその子孫たちは、人族ではありえない神の如き力を得て、尊き血が流れる五つの家系を『五大貴族』と呼称し、数百年以上帝都の繁栄に寄与している。


 その権力たるや、王家や正教会とも対等だという。

 平民が彼らに抱く感情はぱっくりふたつに分かれている。


——恐怖か羨望。


 しかし貴族の問題は、その素行と血の力だ。


「ありゃ、どっちが奴隷かわかんねえな」


「今日は誰が鳴らすんだ?」


「クセルクセス家だったはずだ」


 熱狂する一部の住民を見て、キースが皮肉を込めた笑みを刻み、それに内心で同意した。

 貴族とお近づきになりたい。そして貴族の子種を持ち帰りたい。


 もしも孕めば、『貴族の血が半分流れた子が産める』。

 そんな考えが透けて見える。


 100人いれば小国を堕とすであろう『騎士』と同じ力を持つ子どもだ。

 その影響力は、想像に難くない。

 貴族も貴族で平民を好きに犯したり、気まぐれで殺したりするから始末に負えない。


 貴族が歩けば川に死体が流れるという言葉があるくらいだ。

 母さんからは『貴族には絶対に近づいては駄目』と口を酸っぱくして言われ続けてきた。

 賢者の常識、というやつだろう。


「建築仕事! 集まれ!」


 浮足立つ雑踏を眺めながらスープを飲み終えたとき、上長が声を張り上げた。


「さぁて、今日も働きますか」


「……はあ」


 ため息をついて立ち上がる。

 尊き貴族が鐘を鳴らそうが、奴隷の日常は変わらないということだ。




   ***




 力仕事に慣れはない。

 それが俺の2年間の奴隷生活で得た知識だった。

 飯が少なく肉がつかないんだから当然の結果ともいえる。

 ひたすら石や土嚢を運ぶ作業は、徐々に心を摘み取っていく。


「ぐ……くっそ」


 汗をかく。

 汗が垂れ、息が切れ、握力がなくなる。

 水、水が飲みたい。

 この苦行はいつまで続くんだ。

 いつになったら俺は解放されるんだ。


(あと、48年と3日……)


『ああ、なんとかわいそうなご主人様! でもワタシの半身を探していただければすぐにでも——』


 朦朧とする意識の中、独り言で騒ぎ続けるナイフの鞘に今だけは感謝する。

 すこしは気が紛れる。


『でも、ワタシを売るって実際問題どう時間を確保するのですか? 今の状況を見る感じ、相当厳しそうですけど』


(どうにかするんだよ、どうにか)


『ああ、なるほど……そういう』


(……!)


 こいつ、また俺の頭の中を読み取りやがった!

 嘲笑の気配を感じ、赤面する。

 食堂での一幕とは違い、怒りではなく恥から来るものだった。


 俺らのあらゆる権利を持つ変態野郎。

 奴隷が自由時間を得ようとするには、ソイツに頼み込むしかない。

 なんでもするしかない。

 そうでもしなければ、俺が願うものは手に入らない。


(くそ……失ってばかりだ)


 流れたのは、汗か涙かはわからない。


(母さん、あんたが死んでから、俺は不幸せなことがたくさんだよ)


 母さんの最期の言葉を思い出す。何度も。

 呪いの一言。

 それだけが俺を生きることに縛りつけている。


『やはり、人族ですねぇ』


(なんだって?)


『いつだって、ワタシが選ぶのは人族です。知恵に触れるエルフや、力ある獣族、誇りあるドワーフ、自由な天翼族、高らかに歌う海人族ではない』


(はっ、人族びいきで鼻が高いよ)


『人族は誰より欲深いですから』


 無欲な俺を捕まえて何を言うかと思えば。

 俺が欲しいのは、わずかばかりの自由だけ。

 だからそれが欲しくて、何でもするだけだ。


 両肩に載せた土嚢を運び終える。

 すると職人が俺の肩を叩いて労をねぎらった。

 昼休憩だ。


「工事の再開は昼の鐘がなるまでだ! 解散!」


 その言葉を聞いて、奴隷たちが一斉に息を吐いてひとつの音になった。

 かくいう俺も、その場に座り込んでしまった。

 今日は特別キツかった。


(あと、48年と3日……)


 魔法の言葉を唱えた時だった。

 ナイフの鞘が冷たい声で呟く。


『——ああ、来ましたよ。貴方様の行動よりも早く』


(は? いったい今度はなに——)


 ナイフの鞘がまた意味不明なことを言い始めたと訝しんだ直後、何かが飛来する音が聞こえ——爆発音が炸裂した。


「うぉっ、なんだ!?」


 周囲の狼狽する声と同時に、足裏に振動が伝わってくる。

 一拍遅れて、民衆の甲高い悲鳴が響いた。


「おい、一体なにが——」


 あまりに唐突な事態に叫ぶ。向けた相手は誰よりも早く反応していた鞘に向けてだ。

 しかし言葉を言い切ることなく、空気に身体が押されるような感覚があり、数歩たじろいだ——衝撃波だ。


 爆心地がどこかはわからない。遠くはないが、だが近くもない。

 そのような距離間でここまで衝撃が伝わるのであれば、その中心地がどのような様相に至っているのかはまるで想像がつかない。


『…………』


「いきなりだんまりかよ!」


 一体なにがあったというのだ?

 何もわからず、極度の緊張で走った思考はあまりに呑気なものだった。

 昼飯が食えない——正教会の炊き出しが——

 そしてその先に待っていた思考は。



「——ルシア!」



 もしかしたらいつもの場所で座っているかもしれない少女に向いた。

 考えるより先に、身体が走り出した。


「あっ、おい!」


 職人の制止の声を振り切り、くたくたの肉体に鞭を打った。

 ルシアは要領はいいが、どこか抜けているところがある。


(嫌な予感がする……!)




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