同窓会
生きる以上は名を残したい。そう願う人々にとって、忘却は恐怖以外の何物でもない筈です。記憶の彼方に追いやられる者の悲哀を、ゲイの街の生態と共に描いた都会の怪奇談をどうぞ。
成人式後などに催される同窓会ならいざ知らず、高校卒業後30年の同窓会ともなれば、女子はそこそこの割合で化粧の厚塗りもむなしく、頬のシミと目元口元の土手崩れが目立ち、男子はといえばこれまた皆、腹がつき出たり、生え際後退、スカスカ薄毛、ザビエル禿、など頭髪問題のバリエーションを豊かに晒してくれる。とそんな中でも、風船を膨らませたような巨漢の田沼は、東京から新幹線で2時間ばかりの地方で催された高校の同窓会で、その幅を取る容姿の割には希薄な存在感だった。老いた両親を見舞う事も兼ねて成り行きで参加した田舎の同窓会であったが、会場に着いた瞬間から、周囲との深い溝を感じて田沼はやはり来たことを後悔してしまった。
勉強も体育も振るわない、ルックスも中の下ぐらいの、学校では地味そのもので目立たなかった田沼。そんな田沼にも青春やらロマンスと言うべきものがあるとしたら・・・田沼は内申点稼ぎのために入部した柔道部の幽霊部員だったが、その柔道部の精悍で、男くささがほとばしるるような近藤君にはからずも、胸キュンしてしまう。小春日和の2月、恋人たちの祭典の日、清水の舞台の心持で、階段の踊り場で近藤君に無言でチョコを渡すも、そのチョコは開け放たれた窓から華麗に放物線を描き、17歳のカカオのようにほろ苦いどころでは済まされない夢は、誰かが拾って捨ててしまったチョコと共に消えた。またそれが噂にさえならず、ホモのオカマ野郎のと虐められもしなかったのは、近藤君の男気のなせる業か、それとも運動部では同性同士の憧れなどは特に珍しくもなく、ましてや幽霊部員の田沼のことなど噂にする価値すらなかったのか、そんな一件も含めて、卒業までは忘れ去られた倉庫の錆びたカギのような存在だった。そんな彼が親のコネで都会の大学に受かり、都会ならではの自然な流れで、ホモたちの欲望の洗礼を受け、あとはモテたい一心でジム通いをして、どんぶり飯をたらふく食べ続けて、二丁目のデブ専バーに入り浸り得た称号。それはデブ界のアイドル狸吉だった。白髪が混じる頭を短く刈り込んだスポーツ刈り、肉に埋もれた一重瞼をかがる銀ぶちメガネ、ナイスな大胸筋と本人は自負する脂肪でパンパンに膨張した胸、椅子をぎしぎしと鳴らすでっぷりとした巨大な尻。冬なのに半ズボンというその界隈の同好の者たちからしたら「狂おしい程に程魅力的な体型」であったが、一般の方々から見れば、出来損ないの熊の置物、あるいは反対に良くできた豚の貯金箱にしか見えないであろう。しかも田舎の集いでは、ただの都会ズレした暑苦しいデブにしか見られず、またその風貌も学生時代とは変わりすぎていたために同窓生は、30年前と変わらず田沼を部外者と認知してシカトし続けた。
「思い出したわ!田沼君でしょ。昔から・・・そのぉ・・・おとなしかったものね。」
と元級長の同窓会の幹事である正美に参加者名簿をチェックしながら言われたのを最後に、ポツンとグラスを片手にチビチビ飲む田沼とお義理でも、何か話そうとするものは誰も居なかった。会場の飲み屋の座敷に安っぽい芸者か何かの日本画が飾ってある。田舎の料理は量がやたらに多く、いろどりの悪いイカやマグロの大皿の次は、ちんげんさいとカニカマの中華炒めが出てくると言った有様で、箸も進まない。高校を卒業した子供の話、田舎の特産品を扱う事業の話、そして学校での芋堀や林間学校でのあんなこんなの懐かしい話、幾度となく合わされる乾杯のグラスの音などは、すべて耳を覆わんばかりの雑音になり、
「はやくニチョでオトコ欲しいわ」
と田沼はつぶやいた。
二次会の誘には乗らずに、田沼は新幹線に飛び乗り、東京駅から一心不乱にある場所を目指した。そこは日中は陰に生息する隠花植物達がその性癖を恥じず、天高らかに男同士の愛を謳歌する町、暗がりに灯るネオンが、ノォマルという社会的な仮面を被る事に疲れた同好の者たちを優しく慰安する二丁目へ。その晩、スナック狸御殿では、デブ界隈のアイドル狸吉の繰り出す弾丸トークに、店は沸いた。
「あたしね~バイオリンニストがあればアナリストがあっても良いと思うのよ!あたしの腸内括約筋で、キュッキュと男のナニを絞めれば、殿方たちはひぃ~ひぃ~って愛のコンチェルトを奏でるわ!」
もうこうなると田沼の独断場である。誰もが、田沼の名調子に、
「んも~狸吉ったらぁ~あんた最高よっ!」
と最大限の称賛を与えた。田沼は興奮で口髭に汗が滴るのを感じながら、田舎で受けた孤独の辱めを晴らすように続けた。
「よくって?あたしのお尻は名器ストラリバリウスならぬ名器ストラリバリネコなのよぉ~!」
良識のある人ならば決して口にしないであろう下劣な言葉を、恥じらう事なく放言し、その言葉が含む淫らな旋律を舌先のみで味わいつくせる快楽、それは卑賎の人間にだけ許された特権と言えよう。そして事実、田沼の目の瞳孔は開き始め、恍惚としたエクシタシィを感じていた。
「ああおかしい。ほんと狸吉ったらもう・・・それはそうとあんた田舎の同窓会はどうだったのさ。」
とママがふいに聞いた。田沼はママをすぐには見ず、大きく咳ばらいをし、周囲がなんだなんだと静かになった間合いを見計らって、首をキッと文楽人形のように向け、芝居がかった調子で、
「ママ!きいて頂戴!都会を寝ぐらにするあたしに故郷と言えるものはなくてよ!でもね、この狸御殿だけがオカマ一匹狸吉の、こころのふるさとなのさ!」
というと、ママも客も黒板を爪でひっかくがごとくの嬌声で応酬した。
「大女優よ~~狸吉姉さんっ!」
あとは客達は、互いの肉を揉み合ったり、ブスブスと罵り合ったり、しれっと狭いバーの陰で、目くばせだけで夜伽の約束を決め込んだり・・・。まるで戦場における明日の命も知れずの兵士達が繰り広げる乱痴気騒ぎがごとき酒宴であった。巨体の兵士たちは朝まで飲み明かす覚悟だろうか。
しばらくしてから田沼の携帯にメールが届く。
『田沼様、夜分遅くに申し訳ございません。同窓会では言いそびれましたが先生は、現在ご闘病されております。つきましては頂戴した会費とは別に、急遽お見舞金として千円を参加者から追加徴収する事になりました。東京にお住まいなのは田沼様だけなので、メールでのご報告で大変失礼いたします。B組級長及び幹事の太田正美』
田沼は酔った頭で文面を見て混乱した。
「先生・・・ご病気だったのか?そういえば、グラスに継がれたお酒を断っていたような・・・お顔も心なしか痩せていたような・・・まさか・・・そんな・・・わざわざメールを寄こすぐらいだから、死んでしまうのだろうか?今日のあれは何だったのだろうか?なぜ病をおして同窓会に来たのか・・・?」
突然「死んでおしまい!!」と誰かが放った言葉に田沼はふいに怒りがこみあげて怒鳴った。
「ふざけるなこのホモ野郎が!」
瞬時の珍黙のあと、爆笑がその怒号を蹴散らした。
「いや~~ん!!こわいわ大女優狸吉姉さん!ここにいるのはみ~んなホモ野郎よ!!ドカマなのよ~~~ん!」
飛び交う黄色い声、赤い声、青い声・・・ホモたちの刹那の叫びは電飾看板のごとく原色に溢れ、建付けの悪いバーの中から、二丁目の通りにも漏れて居た。
その二日後、たかだか千円のために、振込料までぶんどられ、田沼は毒づいた。
「めんどくさ!めんどくさいわ~~!病気なら、はい病気ですと、なぜその場で言わないのかしら。持って回った時間差攻撃で、都会の狸吉様に、手間取らせるんじゃないわよ。正美も、B組の田舎者も、先生もみ~~~んな死んでおしまい!!」
しかし、その一時間も経たぬうちに田沼は、突飛な不幸の重みに押し潰されそうになる。・・・人の世の幸福の類と言うものは、大抵において、当人とその当人を取り巻く周辺の人々の入念な下準備が必要であり、その下地作りに手間取る割には、報酬は臨んだ以上のものは無く、思い描いた通りに瓜二つ、期待通りの型通りというきらいがある。指折り数えた我が子の誕生日をを祝う蝋燭の灯るケーキしかり、つぶらなダイヤのリングとそれに続く涙の抱擁しかり、大学入試の合格における胴上げ、出産の末に授かる玉のような赤ん坊の産声、諸々・・・。しかし不幸となると前触れもなく、まるでカラスの嘶きのように「カア!」と一声聞こえたかと思うと、不幸は瞬く間に哀れな獲物の耳を削ぎ切り、血と叫びとその体もろとも、頭を下にして奈落に突き落としてゆくのである。平穏と信じて疑わなかった人々の穏やかな水面のごとき日常生活を、激しく波打たせながら、真っ黒い塊のごとき不幸は、ありったけの勢いで、無慈悲の限りをつくして、涙を浮かべて「なぜ?」を問いかける人々の眼前に、その醜悪な姿を高笑いしながら見せつけてくるのである。およそ人生の大半を過ごした者なら、幸福よりも不幸こそが誠に、心の臓を凍らされるに値するという事に関して異論はもたないであろう・・・。話を元に戻すが「死んでおしまい!」と昼から二丁目モードだった田沼が振込の帰り道、早速お節介が役職のような同窓会監事の正美からメールが届いた。なんとも田舎者にしては迅速な振込確認メールかと思うと違っていた。
「先日はどうも正美です。実は突然ですが先ほど先生がご闘病先の病院でお亡くなりになったと、ご家族から連絡がありました。まこと急ではございますが、葬儀は・・・」
やはり不幸は、いつでも真正面から瞬きする間も与えず当たり身をかわして来るのであった。田沼はだらりと携帯を持つ手を垂らし、両の足も地中にめり込んだように、動かなくなった。そして脳裏に、一斉にB組の生徒が田沼を振り返り、札付きの不良は雑巾を投げつけ、男子たちは口汚い田舎独特の言葉で罵り、女子達は一か所に固まってクスクス嘲笑する姿が実際に見ている景色を透かして、くっきりと目に浮かんだ。これは忘れようとした為に記憶を消してしまったトラウマで、もしかしたらこのような情景が過去あったのかもしれない。厭らしい人殺しのデブ!学校に弁当を食いに来ているだけの豚!柔道部のお荷物!ハレンチ極まるホモ野郎!!・・・罵られる言葉、生徒の表情の一つ一つまで明確だ。そんな中、級長の正美だけが、理性からかあるいは級長としての最低限の義務からか、頑なに獣の咆哮の如き中傷に加わらんとする慎ましい横顔までが、歴史的事件を描いた西洋絵画のように完璧な構図で迫ってくる。・・・いや、しかしこの光景はやはり田沼の脳が作り出した幻なのだ。むしろ現実の方が過酷であった。田沼は、けしてけして、誰の目にも止まらない。そして誰も彼を話題にしない。「死ねばいい」という呪詛の言葉など、彼は誰に詫びる必要もなく、誰も咎めもしない。しかし、本当にそれで良いのだろうか・・・。田沼は我に返って、重い体を揺らしながら駆け出した。
腹が入らないために、黒のスラックスはダークグレーで代用し、慣れない喪服に身を包むと、また田中は新幹線で2時間の田舎にとんぼ返りをした。会場に着くと葬儀は既に始まっていた。仕事の都合と言えば、行かずに済んだ葬儀である。ただ、故人に詫びたかった。
「先生、死んでおしまい!なんてあれ嘘です。オカマのよくある軽い冗談です・・・なんていうか、ちょっとした挨拶のような・・・とにかく安らかにお眠りくださいっ!」
50近い男性の霊前の言葉とは思えない台詞を漏らしつつ、お焼香を済ませると、正美が近づいて神妙な調子で言った。
「ありがとう。実は田沼君が参列してくれると思わなかったの。同窓会も、ご葬儀もいらしてくれて、本当に優しいのね。」
たしかに、同窓会からこの葬儀までのこのバタバタ劇は尋常とは言えない。電報だけで済ませる事も出来ただろう。都会住まいの田沼の行動は、やはり田舎の人間にとっては優しく見えたのだろうか。特に誉め言葉もない場合の日本人を形容する「優しさ」という言葉の空虚さに、読経の声が重なる。泣いている生徒は誰も居なかった。むしろ、かつての生徒の中には同窓会の三次会の乗りで、談笑する者さえ居た。近親者の子供もふざけて「ナンマンダ~~~」などと読経の声を真似たりしている。学校で親しき友と言えるものも無く、青春の陰りも喜びも、履いていたスラックスのように鈍い灰色一辺倒な日常にかき消されただけの目立たぬ田沼同様、先生もまた人に顧みられない存在だった。
同窓会の床の間の前に座し、消え入りそうな声で乾杯の音頭を取った葬儀の主役。病魔をおして生徒を最後の最後まで、白髪の伸びた眉の下の目を細めて見守りに来たのかと思うと、生徒の涙を絞り尽くすだけの美談となりえたものを、完全に忘れ去られるべき凡庸な人だったのである。
テストの点が良くても悪くても、生徒を褒めずけなさず、校則を破る生徒に対して罰則を与えず、眉目流麗な秀才を贔屓せず、行事式典にはひたすらただ黙って参加し、いつも同じヨレた檜皮色のスーツを着て、冷えた弁当の中身を生徒に見られないように、自分の側に傾けながら、ムグムグと田園の片隅で草を食んでいる牛や羊のよう咀嚼していた姿しか思い出せない先生・・・。
田沼は帰りの新幹線の巨漢には窮屈な座席に体を押し込むと、箱根の山の頂に分厚く雲がかかるのを見ながら、数日前の同窓会で先生が何を語ったのか、思い出そうとした。また学校時代に田沼と何かたわいのない言葉の一つでも交わした事があったのか、どんなに記憶を紐解こうとしても、綺麗に消し去られた黒板のように、先生の言葉が文字として何一つ像を結ばない事に気づいた。そして数時間前の葬儀の時の、寂しい表情を浮かべた遺影すら、もう忘れようとしている自分が居る。そしてそれは同時に田沼自身もまた、田舎では生きながらその存在が無に等しい観念の外に、遠く置き去りにされていることを示していた。
新幹線は、神奈川の山々を遠景にして、疾風のごとく唸りをあげて通り過ぎ、わずか十数分で、東京のオフィス街の瞬きの群舞が、大都会という面目を保つためだけに輝いていた。田沼はこのSF漫画の一コマのような光景が嫌いではなかった。人知れず生まれ、そしてまた人知れず静かに消えて行った墓標に名も刻まれぬ人生の旅人たちへの弔いの灯、東京タワーが車窓の向こうに赤々とそびえていた。
~おわり~
作者の私も、田舎の高校時代は全て「トラウマどころかカマドウマ」のような汚らしい日々だったと言って過言がありません。運動はからっきしダメ、試験では白紙答案を毎回出す小太りな生徒。親友は勿論のこと、お義理に話す程度の知り合いすら居ませんでした。その高校卒業から、はや30年以上が経ち、当時を思い出そうとしても本当に何もない、ただひたすらに苦痛なだけの日々でした。ある日「天皇陛下がお亡くなりになったので休校にします」という校門で聞いたアナウンスの声だけがおぼろげに脳裏に浮かびます。昭和から平成への移り変わりの日でした・・・。
もう一つの作品「白い翼」と同様、新宿二丁目を舞台に描かれています。過去は赤線地帯で、その以前は内藤新宿の遊女屋が軒を連ねていた場所です。江戸時代から卑俗を象徴するようなその場所は、都会で繰り広げられる怪奇談が描きたい私にとっては、それは人魂が飛び交う墓地のような、狐狸が死体を貪る廃寺のようなうってつけの、オドロオドロシイ役者が揃った舞台なのであります。オネエ言葉でまくしたてるオカマさんという、人物造形はいささか表現として陳腐で古いかもしれませんが、そもそも私自身が古臭い人間ですので、そこはご容赦を・・・。