五章 白刃と銀狼
――ディランへ。
元気? 私は、結構元気です。
学校に来てからもう、半年。
はじめは不安だったけれど、今ではこの学校での生活が、私の日常って感じられる。
コレット先生って、ディランと知り合いなんだって?
よろしく伝えておいてって便箋渡されたんだ。
頼まれたし、丁度きりもいいし、手紙書いてみました。
手紙って初めて書いたけど難しいね。
皆とのお喋りみたいに上手くいかない。
そっちはやっぱり仕事してるのかな?
今度、校外学習やるんだって。
現役のハンターさんと一緒に、低級の魔族を狩るみたい。
『銀の海』って狩人機関から来るんだって。
コレット先生の同期なんだってさ。
ディランも知ってる人かなあ?
そろそろスペースがなくなってきたから、この辺にします。
年末には一度帰るけど、ちゃんと返事も書いて欲しい。
――ルシアより。
「旦那。着きましたぜ」
御者の声で、ディランはハッと顔を上げた。
どうも、眠ってしまっていたらしい。
我ながら不用心なものだ。ディランは膝の上に広げた手紙を折りたたむと、懐に放り込む。
「旦那ァ? 早くして下せえ。最近ここら辺は良い噂を聞かねえんだ」
「ああ。送ってくれて、助かる」
礼を言って、幾ばくかの金を握らせてやると、ディランを下ろし、馬車は逃げる様に去ってしまった。
馬車を降り辺りを見渡す。
何もない。
ぽつんと看板が佇む以外は草木も生えていない荒野がただただ広がっている。
荒野の遥か奥には大きな岩山が見える。
ディランは、そこに向かって迷わず歩き出した。
ちなみに看板にはこう書かれている。
『危険。この先の山、近寄るべからず』と。
荒野はなだらかな丘陵になっている。
風がない。
二時間かけて歩きようやく頂上に辿り着いた。
(本格的な山登りはまだ先か)
そう考えると流石に気が滅入ってくる。
ディランは、額にまでびっしょりとかいた汗を拭った。
(もうすっかり秋らしい、涼しげな空気だというのに)
少し休息をと、しばし歩みを止め、眼下に広がる、広大な荒野を見渡す。
すると、一人の人影が目に映る。
女だ。
上品な黒革のコートは山登りにしては随分と軽装にみえる。
背はディランより少し低いか。
端正な顔立ちで、目鼻立ちがくっきりしている。相当な美人だが、眼だけが鋭い。金色に輝く瞳が、異様な威圧感を放っている。
だがそれらよりも目を引くのは世にも珍しい、銀色の髪だろう。長い銀髪を無造作に後ろで束ねている。
そしてディランには、その髪は見覚えがあった。
(あれは……)
「――マリア?」
呼ばれ、女が顔を上げる。
「……ディラン?」
女はディランに気づくとあからさまに嫌そうな目を向ける。
「――はあ。なんでまた貴方に会うのかしら? 嫌がらせ?」
大きな溜息を吐いて、マリアが頭を抱える。
嫌がらせとは中々に酷い言い草である。
だがこのマリアとの出会いはディランにとっても余り良いものじゃない。
「お前こそ何故ここにいる? ここは“銀の海”の狩猟域外の筈だ」
そう。そもそも普通なら今回、出会うはずが無いのだ。
「大口の上客――要はパトロンの意向よ。竜に振り回される貴方達“竜の剣”なら、分かるでしょ?」
成程。確かにそれならばこの状況の説明にはなる。
だが、一つだけ可笑しい事がある。
「“銀狼”がわざわざ出張らなきゃいけない案件なのか?」
ディランは笑った。
この女が、パトロンとは言え、わざわざ狩猟域外にまで出向いてくるとはとても信じられない。
茶化すディランに対して、心底鬱陶しいという表情でマリアが手を振る。
「からかうのはやめて。私の狩りをご指名じゃしょうがないでしょう? “白刃”のディランさん?」
ディランの眉がぴくり、と動いた。
「狩りか……やはり狙いはあの山の竜か」
岩山を指さす。
マリアは頷いた。
「ええ。どうやら今回も、同じターゲットみたいね」
「同じじゃない。目的が違う」
二人の間に漂う空気が、少し変わった。
「……そうね。標的は、竜だもの」
「……保護する気はないんだな?」
「……当たり前でしょう。魔族ですもの。貴方達、竜の剣がどうかしてるのよ。魔族に例外などあるわけがない」
「――なら、お前は敵だな」
「――そうね」
――刹那、互いに獲物を抜き放ち、一閃。
瞬間、火花が散り辺りを赤く染める。
ディランはいつも通り、銀の大剣を横薙ぎに振るった。
一方マリアの武器は、銀でできたナイフ。つまりは短剣である。
当然、単純なパワーでいえば、ディランの方が上。
だが、マリアはナイフの柄を上手く使い、巧みに大剣の一撃を反らし捌いた。
数度打ち合い、ディランが退く。
接近戦ならば、手数の多い向こうに分がある。
(リーチを生かし、間合いの外から攻めるのが最善だろう)
が、当然マリアもそれを分かっている。
ディランが後ろに跳ぶのと同時に、前に詰めた。
ディランの突きを、身を捻ってかわし、人体急所の鳩尾を鎧の僅かな隙間を縫って、的確に狙ってくる。
「っぐ!」
――紙一重で攻撃をかわした。ナイフがマントを切り裂き、ただでさえ傷だらけの布地を痛めつける。
「甘い!」
マリアは、かわされたナイフの持ち手を瞬時に反転させ、腕の引き際に、ディランの左脚にナイフを突き立てた。
血が地面を赤く汚す。
マリアは即座に、次の攻撃に移行する為ナイフを抜こうとした。
――抜けない。
いや、正確には、腕が動かないというのが正しい。
マリアの右腕を、ディランの左手がしっかりと握りしめている。
「っこの!」
マリアが抵抗するより早く。
左手で押さえつけた腕に向かって、全体重をかけて大剣を振り下ろす。
がきい! と金属の弾ける音が辺りに響き渡った。
マリアが体勢を崩し後ろに転がりこむ。
ディランの持つ剣の刀身は曇り一つない。日差しを受けて、きらりと輝いた。
「この……馬鹿力が……!」
マリアが呻きながら右腕を抑えて立ち上がった。
折れている。
「銀の手甲か。流石に頑丈だな」
「……貴方が相手じゃ、出し惜しみ出来ないわね」
マリアは呟くように吐き捨てると、懐から銀色に輝く、筒状の何かを取り出した。
「こんなところで……使いたくはなかったけれど」
「それは……成程。『ピストル』か」
ピストル。
ディランも数えるほどしか見たことがない、新時代の兵器。
小型化された大砲『銃』の一種であり、弾込めの必要があるものの、そのお手軽な威力の高さと、携帯のしやすさから、今、夜の住人達の間で噂になっている。
「“銀の海”の技術力の高さは、素直に褒めてやる。だが、止めておけ。俺にそれは通用しない」
負け惜しみではなく、事実だった。
銃は確かに威力も高く、攻撃のスピードも尋常ではないが、如何せん範囲が狭い。
銃口の向きと指にさえ気を払っていれば、十分避けられる。
「――それは、脚がまともに動けば……の話でしょう?」
「!」
突然、ディランはがくりと体勢を崩した。
左足に、力が入らない。
見ると、先程斬られた傷から血が噴き出している。
(おかしい。このぐらいの傷ならもう血が止まっていても……。――!)
辿り着いた、一つの可能性。
脳裏によぎるそれに流石のディランも冷や汗をかいた。
「――毒か!」
「――さよなら」
時が、ゆっくりと流れていく。
マリアが、ディランに銃口を、向ける。
脳天に照準を合わせ、引き金を引く指が、動いて……――。
ドン!
と、強い衝撃がディランを襲う。
銃撃――ではない。
大地が揺れているのだ。
山の方から、明らかに獣とは一線を画す、怪物の叫び声がする。
その声が、この地震は自然のものではないと告げていた。
揺れは、ゆっくりと収まっていく。
ディランとマリアは、その間、無言で睨み合っていた。
暫くして、マリアは銃を下ろした。
「まあ、ここで弾を無駄にするのもね……でも、今回は私の勝ちよ。貴方は、ゆっくり登山を楽しみなさい。じゃあね」
「待て!」
ディランに背を向けて、マリアは山の頂上へと行ってしまった。
(くそ! どう考えても間に合わん!)
ディランは心の中で舌打ちをする。
マリアの腕前ならば、片足の動かないディランが到着した時には既に、全てを終わらせてしまっているだろう。
だが、このまま黙って待つ訳にもいかない。
ディランは棒のように感覚の無い足を引きずりながら懸命にマリアの背を追った。
「はあはあ……く……!」
ディランが到着したのはそれから一時間後の事だった。
焦りながら周囲を見渡すとある事に気が付いた
辺りにはマリアどころか怪物らしき姿は何処にもなく、怪物がいたであろう、巣や足跡、糞といった痕跡さえ何一つ見当たらない。
(これはどういう事だ……?)
なんにせよ、先を越されていない可能性が出てきた。
まだ希望はある。ディランはマリアより先に竜を見つける為、行動を開始した。
五分後、マリアの姿を見つけた。
地面に伏せ、どうも崖下の様子を探っているらしい。
向こうもディランに気付いた。
ディランは身構えたが、様子がおかしい。
臨戦態勢を取らず、近くに来るよう手招きしている。
(なんだ?)
こういう事は初めてではない。
この女は現実主義者で、無駄な事は一切しない。戦う素振りをみせないのは、この女にとって自分との闘いにメリットを見出せないからだろう。
ディランは警戒を解いて、マリアに近づいた。
傍に伏せ、崖下を覗いてみる。
――いる。
崖下は、古代の遺跡の様な場所で、床は石畳。あちこちに大の男三人分はあろうかという石柱が何本も列挙しており、風化して折れたり、苔が生えたりしている。
そんな遺跡の上を、石柱と同じくらい巨大な、岩でできた身体を、震わせ、翼を生やした怪物が、我が物顔で闊歩している。
「成程な。ガーゴイルか」
ディランはマリアが何故ここで伏せていたかが分かった。
ガーゴイルとは本来、竜を模して造られた彫像の事で、強い力を持つ竜を自分のモノにする、あるいは自分の守護者にする、そういう思いを込めてつくられる。それはつまり、まじないの一種で、強い思いと魔力が込められたガーゴイルには命が芽生える。
古い遺跡では、守護者たるガーゴイルがいる事はそう珍しくはない。
マリアがここにいたのはディランを待っていたのだろう。
(ガーゴイルは竜ではない。となれば、俺達の目的は一致する)
ディランが左足をやられた様に、マリアも右腕が動かない。
共闘した方が効率がいいのだ。
「分かったなら手伝いなさい。とどめは譲ってあげるから」
言うが早いが、ディランの返事も聞かずに、崖下に飛び降りた。
「全く……勝手な女だ」
まあ、元より断る理由もない。
ディランは大剣を抜き放ち、待つ。
崖下では、マリアが、ガーゴイルの尻尾にナイフを突き立てる所だった。
背後から忍び寄ってきたネズミに尻尾を噛まれ、ガーゴイルは怒った。
大地が震える程の、雄叫びを上げて、マリアに拳を繰り出す。
ガーゴイルほどの巨体からなるパンチは、例えるなら、大砲から射出された、巨大な石の槍が降り注ぐようなものだ。
凄まじい音と地鳴りがして、着弾した地面がえぐれた。
マリアはなんとか直撃は避けた。
避けたものの、衝撃で身体が吹き飛ぶ。
ごろごろと転がりながら、後ろに下がる。
ディランは、動かない。
ジッと時を待った。
やがて、繰り出されるガーゴイルの攻撃をすんでのところでかわしながらマリアは辿り着いた。
丁度、ディランのいる崖の真下まで。
「うおおお!」
雄叫びを上げてディランが怪物めがけて飛び降りる。
尋常でない殺気にガーゴイルが上を向いた。
と同時に、破裂音と共にガーゴイルの目玉が弾けとぶ。
マリアが狙撃したのだ。
立ち尽くすガーゴイルの首にディランがクレイモアを振り下ろす。
どずん!!
重たい衝撃が地面に落ちる。がらがらと音を立てて、首のないガーゴイルの身体がひび割れ、崩れ落ちていく。
「終わったな」
剣を納め、ディランがマリアを見ると、何やら難しい顔をしている。
「――おかしいと思わない?」
「……何がだ」
「私は、山に住む竜を狩る依頼を受けてここに来た。貴方は?」
「山に住む竜を保護する依頼だ。別におかしくないだろう……俺達“竜の剣”は、ドラゴン・ファーストを信条にする組織だ」
竜の剣は、“銀の海”“黄金の城”と並ぶ三大狩人機関の一つ。
だがその始まりは、人間ではなく、竜にあった。
竜達が自分達の地上進出、及び統治の目的で創り上げた警察組織。
それが竜の剣である。
その為、竜と敵対している魔族に対しては他の狩人機関同様、抹殺指令が下るが、竜に関してはまず話し合い、保護を優先させねばならないという事情があった。
今回の依頼も当然、そのつもりで来ていた。
「そうじゃなくて……おかしいのは、依頼内容というより、依頼対象ね」
この言葉でようやく、ディランにもマリアの言わんとしている事が分かってくる。
「竜ではなくガーゴイルだった件か。見間違えたんじゃないか?」
「一般人ならそれで許されるかもね。でも今回の依頼はさっき言った通り、特別な相手。“セドン商会”からのものよ」
「セドン商会……」
その名前は、ディランにも聞き覚えがあった。
セドン商会。元々は、地元の農業主と提携して青果や酪農品を売っていたが、最近急激に名が通るようになり始めた。
裏の世界で、である。
安価で質のいい剣や槍などの武器商から始まり、現在は傭兵業まで兼ねていると聞いている。
正に死の商人であり、あまりいい噂は聞かないが……。
「まさか銀の海のパトロンだったとはな。奴らが裏の世界に進出できたのもお前達から情報を買ったからか」
「そうね。ただ、最近になって会長が変わってからは正直煙たい存在ね。以前まではこういう条件付きの依頼もなかったし、出資に交換条件を付けることもなかった。内部でもやっぱり評価はよくないわね」
「まとめるとこうか。依頼主、つまり情報源はセドン商会。そして、セドン商会は“夜の住人”の一員だった」
マリアは頷く。
「“夜の住人”がガーゴイルと竜を見間違える筈がない。ましてや、痕跡もなく山に住んでいるなどと言う筈がない。そもそもこの遺跡の事さえ情報がなかった」
「意図的だと?」
「仕組まれた可能性は、ある」
「理由は?」
「それはこれから調べるのよ」
行く? と、マリアは尋ねる。
ディランは、頷いた。
「……ねえ」
一週間後。
ディランとマリアは山を下り、街道を南に渡り、ヴィンスタンの南東端、城下町レバルに来ていた。
「……ねえ」
レバルは、クールウェン辺境伯の治める大きな町で、隣国の海運国家マリスと国境を接する要地である。
即ち海からの品が内地に入ってくる場所なのだ。
自然、行商が盛んで、多くの人で賑わいをみせている。
「ちょっと?」
今、二人は町の東側にあるセドン商会本部の前に来ている。
傭兵業を営むだけはある。入り口は、分厚い鉄門に阻まれ、武装した男二人組がそれを見張っている。周りは石垣が築かれ、とても入れそうにない。一種の要塞といっていいだろう。
さて、どうしたものか。ディランは思案をまとめようと腕を組む。
「あの!」
急にマリアが大きな声を張り上げる。
「なんだ? 静かにしろ、気づかれる」
「……重いんだけど?」
下から、苦情が聞こえる。
「我慢しろ」
「普通、逆じゃない?」
「何を言う。俺の足の毒は、一週間は抜けないと言ったのはそっちだ。そして、お前は腕の方をやられている。ならばこれが最もいい方法だろう」
「この……肩車が?」
「ああ」
「頭おかしいんじゃないの?」
なにをいう、とディランは頭を振る。
「上の俺が、お前の腕を補い、下のお前は、俺の足を補う。完璧な作戦だろう?」
「鎧を着た男を担いでスピードがでるか!」
「馬鹿! 揺らすな! バランスが崩れて落ちるだろ!」
「落とすためにやってるんでしょうが!」
「なんだと!? いいのか!? 分離すれば戦闘力は半減だぞ!?」
「むしろ四倍に跳ね上がるわ! とにかく降りなさい! なんで私はコイツを乗せたんだ……!」
「おい! 何を騒いでいる!」
騒ぎを聞きつけて番兵二人が駆けつけた。
「見つかった!? マリア、お前が騒ぐから……!」
「アンタが馬鹿な事するからでしょうが!」
「ごちゃごちゃと何を言っている!」
「おい、武装しているぞ! 怪しい奴らめ!」
ディランの剣を見た番兵達は、問答無用で斬りつけてきた。
「く!」
マリアは上のディランを前に振り落とす様にかがむ。
頭上を刃が掠めた。
襲い掛かってくる二人目に、照準を合わせ、銃を打ち込む。
ダアン! と鋭い音が響き、番兵が眉間を撃ち抜かれ倒れた。
「こいつ!」
攻撃を避けられた番兵が態勢を整え、向かってくる。
が、足を何かに取られ地面に崩れ落ちる。
「おお!」
ディランが倒れながら、足を切り落としたのだ。
そのまま、勢いを殺さず回転し、遠心力の乗った一撃を、倒れた番兵の腹にぶちかます。
ぐえ……と潰れる声と共に、番兵は絶命した。
「いきなり振り落とされるとはな。このじゃじゃ馬め」
「誰が馬ですって?」
「とにかくこうなったら仕方ない。こいつらの死体から鍵を探して正面突破しよう」
「もう見つけたわ。全く……誰かさんがいると本当にスマートにいかない」
「………なあ、いい方法を考え付いたんが――」
「却下」
内部に侵入すると、あちこちに巡回の兵がいる。
ディランとマリアは、大胆にも正面を歩いた。
当然、巡回兵もこちらに気付く。
そのまま、傍までやってきて――素通りした。
二人は悠々と歩いて、最も大きな建物に入り、真っ直ぐ三度、階段を上る。
そのまま廊下を右に曲がり、目当ての部屋に入る。
そして、身につけていたモノを脱いだ。
「上手くいっただろう?」
「いつもこうだと良いんだけど?」
そう。ディランの提案により、先程の番兵達から鎧と兜を奪ったのだ。
「取引の資料……ここで間違いないな」
「ええ現会長、ダグラスの部屋よ」
「よく部屋を知っていたな?」
「前会長の時に一度きたのよ。その時はあんな趣味の悪いはく製はなかったけれど」
マリアが指さす壁には巨大な、鹿のはく製が飾られている。鹿は、苦悶の表情を浮かべ、生々しく、死を物語っている。
「長居は出来ない。ダグラスが戻る前に、探すぞ」
それから十五分。
ディランとマリアは持てる力の限りを尽くして、山の様に積まれた資料と格闘した。
が、めぼしいものは全く見つからない。
出てくるのは野菜、果実、パン、ワインなどの至って普通の取引のみ。
裏の仕事に関連するものは何処を探してもないのだ。
「ダメだな。巧妙に隠してあるかここにはないか……マリア?」
先程まで、棚の中を探っていたマリアは動きを止め、ある資料をじっとみている。
「なにか見つけたか?」
「――これ。見て」
マリアは見ていた資料を机に置いた。
それは、何の変哲もない納品状だった。
書いてある内容はこうだ。
グリスタン農場から、牛乳100瓶の納品。中央には確認印が押されている。
「これが何か?」
ディランは首を捻った。
マリアが止まった理由が分からない。
特におかしい所は無いように思える。
「グリスタンというのは、うちの狩人の一人よ。まだ入って日は浅いけど、最近急激に腕が上がって、今では私に次ぐ、ナンバーツーらしいわね」
「……偶然じゃないのか?」
確かに珍しい名前ではあるが、それだけでは証拠として弱すぎる。
「……備考欄を見てみて」
「なに……『先日ご依頼した、屋根の雨落とし修理の件。どうかよろしくお願いします。』?――! 雨落とし!?」
「気づいたみたいね」
ガーゴイルは、元々は権威を象徴し屋根に飾るもので、装飾の意味も強いが、その役割は主に雨落としにあった。
つまり雨落としとはガーゴイルの別名なのだ。
そもそも雨落としは、高い建物にあって初めて意味を成すもの。
農場の様な実務的で平たい建物にはあまり必要ではなく、とても珍しいものと言える。
偶然とは、思えない程に。
ディランは考える。
これが、ガーゴイルを表したものだとすれば……。
「その、グリスタンという奴が仕組んだ事なのか?」
「そうね。まだ確証はないけれど。あの男――一体何故……?」
「奴は今どこに?」
「さあ……何か依頼をこなしてるんじゃない? ……そういえば、こないだ、レティが手紙でグリスタンと会う予定が出来たって言ってた様な……」
「レティ?……ああコレットの事か――待てよ? まさか」
段々ディランは嫌な予感がしてきた。
「――何か思いついたの?」
物凄く嫌な予感がする。
「実は――」
その時、部屋の外から話し声と足音が響いてきた。
ダグラスが帰ってきたのだ。
ディランとマリアは素早く目配せをすると、ドアの死角となる壁に身を潜めて待つ。
がちゃりとドアが開き、高そうな赤いコートに身を包んだまるまると恰幅のいい髭面男を先頭に、三人の男が入ってくる。
後ろの二人は武装している。
二人は互いに合図を送った。
ディランは右、マリアは左。
音もなく兵士達の背後から忍び寄り、ためらいなく首を搔き切った。
護衛はもういない。ディランは恰幅のいい男に声をかけた。
「おい」
「うん? ……な、なんだお前たちは!? ぎゃ!」
階下の兵にバレると不味い。ディランは顔面を殴りつけ黙らせる。
鈍い音と共に、男が床に倒れこむ。
うずくまり、呻いている。鼻が折れたらしい。手で押さえつけている。
そんな様子を気にも留めず、マリアが先程の資料を片手に、質問をする。
「貴方に質問がある。痛い思いをしたくないなら大人しく答えて――ダグラスさん?」
恐怖からかダグラスが、ちぎれそうな勢いで頷く。
「貴方、グリスタンと取引したわね? 内容は?」
その言葉を聞いてダグラスの動きがピタッと止まった。
みるみる顔色が悪くなっていき、額には大粒の汗が噴き出している。
暫く口をぱくぱくさせていた。
やがて、そのまま俯いて押し黙ってしまった。
「答えられない? そう……」
痺れを切らしたマリアが、ダグラスの足元にしゃがみ込む。
突然、マリアがダグラスの膝の皿にナイフを入れ、縦に裂いた。
「ぎゃああああ!!」
醜い男の悲鳴が、耳をつんざく。
「もう一度聞くわね? 内容は?」
「い、依頼だ! 遺跡のガーゴイル退治を、ドラゴンに変えろって! 大金出してきたんだ! どっちみち退治されるなら、別に構わないだろ!?」
「誰かを指名するように言わなかった?」
「ぎ、銀狼と白刃……り、両方を指名しろと……」
「何故?」
「学校から遠ざけたいと言ってた。学校てのがどこかは知らん!」
「成程。これが最後の質問。何故、ガーゴイル退治の依頼を?」
「遺跡には、太古の秘宝が眠ってる! そいつを発掘するには、ガーゴイルが邪魔だったんだ! だから――」
「――だから、渡りに船と、グリスタンの依頼を受け、偽りの情報を流し、ハンターを動かした。……貴方も“夜の住人”の一員なら知っているでしょう? この世界では、信頼が全て。人を裏切った時は、その報いを受ける」
「や、やめろ! 金ならやる! いくら欲しい!? 金貨50枚か! 100枚でどうだ!?」
「……さよなら」
マリアが心臓を突き刺す。
ダグラスは、目を見開き、何かを乞うように手を動かす。
やがて、ぱたりと手が落ち、血の海の中で死んだ。
「……どうするんだ?」
ディランが呆れた口調でマリアに問う。
「学校に行くしかないわね。レティがいるし大丈夫とは思うけど、私達を遠ざけて何をするつもりなのか確かめないとね」
「学校じゃない。ルシアから聞いたが、今は校外学習中だ。生徒達は、現役のハンターと共に『サマンサの館』に行っている。恐らくそのハンターがグリスタンなんだろうな」
「……ルシア? ――随分親しい女学生がいるのね」
しまった、とディランは心の中で舌打ちをする。
「……前に助けた孤児だ。学校では俺の娘という事になってる」
「ふーん……貴方が娘ねえ……」
「そんな事より、今はここを脱出する方が先だ。さっきのダグラスの悲鳴。階下にも聞こえてるかもしれん」
「それなら大丈夫。ちゃんと考えてるから」
――貴方と違ってね。
そう言ってマリアは微笑み、壁に備え付けられた、ステンドグラスの窓に近寄る。
「何を――」
ディランが言うより早く、マリアはガラスを蹴り砕いた。
甲高い音を立てて割れたガラスが地面に落ちていく。
「これで外に出られる」
「待て。何階だと思ってる? お前は出れても今の俺の足じゃ無理だ」
ディランが自分の左足を指さす。
マリアはその足を見て、にやりと笑った。
「だから、いいんじゃない」
言うが早いが、マリアは窓から下に飛び降りていった。
ディランが身を乗り出し外を見ると、マリアは苦も無く着地し、辺りを伺って危険がないか確認している。
「おい! 何をしてる!」
「まあ、待ちなさい」
マリアは、懐から何やら瓶の様な物を取り出した。
遠くて、中身はよく分からないが、どうにも液体が入っているようだ。
マリアは、瓶の蓋を開けると、中身を、屋敷の壁沿いにある、馬用の干し草に撒いていく。
「おい……いったい何を」
「見て分からない? 油を撒いてるの」
「何!?」
瓶の中身を出し尽くすと、マリアは屋敷から離れ、今度は丸い球状の物体を出した。
球状の物体をマリアが、屋敷に放り投げる。
すると――。
ドカン!と、凄まじい、巨大な轟音が鳴り響き、丸い物体が爆発した。
爆熱で、干し草が燃え上がり、油の力も合わさり、すぐに屋敷に引火する。
「マリア! お前!」
「貴方との旅は中々面白かったけど……私と貴方の共同戦線もここまで。ここから先は、銀の海の問題だから、借りは作りたくないの。ああ……安心して? グリスタンは私が狩ってあげるから。貴方の愛しのルシアちゃんも……まあまだ生きてたら、守ってあげるわ。だから貴方はそこでゆっくりお客さんの歓迎でもしてなさい」
「――くそ!」
にわかに、部屋の外が騒がしくなってきた。火事に気が付いたのだろう。
激しい足音が聞こえて、ドアが勢いよく開く。
「ダグラス様! 火事が……貴様は!?」
「くそ……マリアめ」
「怪しい奴だ! 殺せ!」
敵の数は、4人。
ディランは大剣を抜き、壁を背にする。
「死ね!」
四人のうち一人が功を逸ってか、突出し仕掛けてくる。
動く右足を軸に上体を反らし避けつつ、首を刎ね飛ばす。
残り、三人。ディランの実力を悟ったか、中々仕掛けて来ない。追い詰める様にじりじりと間合いを詰めてくる。
二人は剣で、もう一人は少し離れた位置からボウガンで狙いをつけるようだ。
剣を持った二人が同時に斬りつけてきた。
一人の剣を右にいなし、一人をすれ違いざまに斬り捨てる。
そのまま、男の身体を掴んで利用しボウガンの射線をきる。
狙いをつけられず、戸惑うボウガン持ちに、剣を思いっきり投げつける。
喉に命中し、そのまま突き刺さって絶命した。
「馬鹿め!」
剣を手放したディランに最後の一人が襲い掛かる。ディランは右手を前に出した。
びいん。と弦の震える音が、静かな部屋に響き渡る。
最後の一人は、顔を矢に撃ち抜かれて死んでいた。
「やはり便利だな……これは」
ディランが袖をまくると、腕にくくりついた機械があらわになる。
それは、小型化された仕込みボウガンで、専用の矢を、一発撃つごとにリロードしなければならないものの、携帯性、消音性などから、ディランは気に入っている。
新しい矢をつがえ、投げた大剣を引き抜き回収すると。
ぐらりと足元が揺れた。
この場所はまずい! 全身の警告に身を任せて、前方に跳ぶ。
その瞬間、先程まで立っていた床は、ガラガラと音を立てて、燃え盛る炎に飲まれ崩れ落ちていった。
「早く脱出せねば……!」
だがどうする? 室内は既に蒸し風呂よりも熱く、黒煙が正常な空気を奪い去っていく。
残された僅かな時間で考えねばならない。
(落ち着け! 既に階下は火の海。なら抜けられるのは窓だけだ。いっそ飛び降りるか? ……いや、確実に足の骨が折れる。そうすれば、助かりこそすれマリアに追いつくなど絶対無理だ。そうだ! ロープの様な物はないか?)
ディランは急ぎ室内を見渡す。
だが、紐状のモノはおろか、束ねれば紐になりそうな、カーテンやテーブルクロスさえこの部屋には無い。
あるのは、机、椅子、大量の紙、死体……。
ダメだ。とてもじゃないが、使えそうにない。
(何としてもマリアより早く行かねば……!)
ディランがこれ程まで焦るのには訳がある。
マリアには、ディラン達、竜の剣の狩人と違って、竜に対するしがらみはない。
つまり、サタンの依り代となったルシアを生かしておく理由がないのだ。
もし、ルシアに出会えば、魔力の大きさから必ず常人でない事に気が付く。
万が一サタンの事がバレれば、あの現実的な女は即刻、殺害を目論むだろう。ディランには、それがよく分かっている。
だからこそ、急ぐ必要があった。
懸命に室内を探すディランの視界の端に、あるものが映った。
(あれは――?)
ディランの目に留まったもの。
それはあの、マリアが趣味の悪いと評する鹿のはく製だった。
(試す価値はある)
どの道、迷っている暇はない。
ディランは急いで、壁からはく製を取り外す。
そして二、三度叩いてみる。
柔らかい。
内部に詰まっている、綿や木屑が程よい弾力性を生み出している。
(よし、思った通りだ)
ディランははく製を抱えて、窓際に移動する。
下を覗けば、地面までの距離はかなりある。
(一か八かだ)
風が火の粉を舞い上げる空へと、ディランは躊躇わずに跳んだ。
重力に引かれ吸い込まれる様に下へ落ちていく。
そして、地面に激突した。
ぐしゃり、と何かがひしゃげた。
全身に強烈な圧力がかかる。
が、下にあるクッションがそれを吸収した。
落下中、はく製を下にしたのだ。
ディランは生きていた。怪我をすることもなく。
「げほ……はあ、よし……後は追いかけるだけだ」
咳き込みながら、ディランが立ち上がる。
怪我がないとはいえ、内臓を圧迫されたのだ。
それに煙を大分吸ってしまったらしい。流石に、足元が覚束ない。
首を振って霞む視界を抑えようとする。
(しっかりしろ! こうしている間にも、マリアは先に進んでいるんだぞ)
だがディランには一つ、確信があった。
(マリアが燃やしたのは、馬用の干し草だ。つまり、ここの近くには厩舎がある)
当然、厩舎には――。
「ヒヒーン! ブルル」
馬がいる。
ディランは、一等大きな馬を見繕い、跨った。
「どうどう……よし、頼むぞ」
やあ! という鋭い掛け声と共に、馬が走り出す。
――目指すは、サマンサの館。
城下町レバルより、街道を北西に渡った樹海の中。
魔女が住まい、夜な夜な怪しきゲームを開催する、暗闇の館。