表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の狩人と悪魔王の少女  作者: 今井亜美
12/12

十一章 ほんの少しの間だけ

 ヴィンスタンの首都“ロワール”の、中央東、裏通り。

 ひっそりと佇む、一軒のバー。

 名を、『夜カエル』という。

 店主曰く、皆の“カエル”バーになれるようにと名付けたそうだが、如何せん場所が悪い。

 客は、全て表通りの酒場にとられ、常に閑古鳥が鳴いている有様。

 店主には酷だが、ディランにとってはそちらの方が都合が良い。

 騒がしい場所は好きじゃない。

 余計な雑音のないこの場所で黙々と飲む酒が、堪らなく好きだった。

 ディランが店の扉を開けると、カラン! と、小気味のいい鈴の音が店内に響き渡る。

 ひげ面の店主とはすっかり顔なじみになってしまった。ちらりとこちらを確認すると、


「……いらっしゃい」


 と手の中で拭いているグラスから、顔を上げようともしない。

 ディランはいつも通り狭い店内を進み、奥から二番目のカウンター席に腰掛ける。


「いつものを頼む」


 と告げる。店主は何も言わず頷くと、店の奥に引っ込んだ。

 店内は紫の照明に包まれ、薄暗い。だがよく見なくとも、がらんどう。

 マスター以外の人はいない。

 酒を待っていると再びカランと、鈴の音がバーに響く。

 入ってきた客は慣れた様子でディランの後ろを通り、ディランの左隣、一番奥のカウンター席に座る。

 丁度同じタイミングでマスターが奥から顔を出す。手の中には、一本のワインボトル。

 特徴的な『なで肩』のボトルは、その産地がブルトーニャ地方である事を告げている。

 ラベルの品名は、“ブラン・ソレイユ”。

 さほど高級な訳でも、安すぎる訳でもないが、ディランはこれを好んで飲んだ。故郷の味である。

 マスターが栓を開け、グラスに注いでいく。


「最後の一本だよ」


 とっとっとっ……と音を立てて、グラスに琥珀色の液体が注がれていく。

 マスターに、ありがとう、と短く礼を言ってグラスを持ち軽く回す。

 空気と混ざり合うに連れて、繊細な花の香りが少しづつ強くなっていく。混じりの無い美しい香りはどこか優雅な気品さえ感じさせた。

 ディランが故郷を夢想し香りを楽しんでいると、隣の客が声をかけてくる。


「……まさか、一人で一本飲むつもりじゃないでしょうね?」


 はあ……と大きく溜息をついてディランがマスターに、


「彼女にも注いでやってくれ」


 と頼む。

 女の手元にも、同じ様に酒が注がれた。

 女は、まじまじとそれを見つめると、香りを楽しむのもそこそこに口に含む。


「悪くない味ね」

「どういう風の吹き回しだ……マリア?」


 ディランが尋ねる。

 言外に少し苛立ちを含んでいる。


「どういう……とは?」

「お前にも、馴染みの酒があっただろう」

「こないだ飲んだのが最後の一本だったのよ。貴方にも早くその感動を味合わせたいと思って」


 ディランは天を仰いだ。

 最悪の答えだ。最後の一本を何故コイツと分け合う羽目になってしまったのか。

 本日二度目の溜息をつき、ブラン・ソレイユを飲む。

 やはり、美味い。

 味は辛口。華やかなスパイスの香気が静かに立ち上がり、長く、口の中を支配する。尾を引く様な余韻とは裏腹に、駆け抜ける爽やかさは、若い品種の特徴であった。


「……感動の瞬間に悪いけど、約束よ。あの子の情報を教えてもらう」

「分かってる。約束は、守る。ただ……少し長くなるぞ」

「その為の、お酒でしょ」

「……そうだな」


 辛口のワインは長話に合う。

 ディランはサービスのナッツを二、三個無造作に引っ付かんで口に放り込んだ。




「つまり、その吸血鬼が狙っていたのが……?」

「ルシアだ」

「あの子って訳ね。……それで? その話の何処に“赤い瞳”がでてくるのかしら?」

「神父のいた教会を探ると……こいつがあった」


 ディランはテーブルの上に指輪を置く。

 指輪は、金で出来ている。頂点には、赤く輝く宝石。


「これは……!」


 マリアの目の色が変わった。


「奴らのものだろう?」

「……そうね。間違いない。……ようやく、ようやく掴んだ……!」


 マリアが感慨深げに息を吐く。


「やはり、まだ追っているんだな」


 マリアはディランの言葉で自分の興奮に気付いたようで、すぐにいつもの表情に戻った。


「……分かってもらうつもりはないわ」

「別に責めている訳じゃない。それより、ルシアの件だが……」

「いいわよ。あの子が手掛かりになるかもしれない以上、今手を出すつもりはないわ」

「助かる」

「私は手を出さないけど……“月光教団”だっけ? また厄介そうなのに狙われたわね」


 くすくす、とマリアが笑った。

 ディランの不幸を楽しんでいるのだろう。


「守ってみせるさ。……それが、仕事だからな」

「……仕事、ね」


 ディランが空になったグラスにボトルを傾ける。

 これが、最後の一杯だ。

 横を見ると、マリアが微笑んでこちらにグラスを傾けている。

 ガラスとガラスの触れ合う音が、店内に響いた。

 ディランはグラスを持つと、一気に呷った。




 人が死んで、葬式をやって、皆適当に告別の言葉を述べて。

(勝手なものだ)

 と、ベティは思った。


「大体、貴族の奴らが何人死のうがアタシの知った事じゃないっての」

「……そういうのは、良くないと思います。……それに」


 連れ立って歩いていた、マーシャが、悲しそうに言う。


「それに……、なんだよ?」

「三人です」

「は?」

「死なれたのは、三人です」


 ベティは白目を剥いた。

 そんな事は、分かっている。


(こいつ、実はアタシを馬鹿にしてるんじゃないだろうな?)


 “サマンサの館”事件から、一月。

 あの日から学校は大きく変わってしまった。

 ベティ達孤児組は中で何があったのかまでは、詳しく分からない。

 聞いた話によれば、強力な魔族が、貴族組の連中を襲ったらしい。

 魔族の凶刃に倒れたのは、三人。

 ドルチェ、ジェーン、そして、ミシェイル。

 救援に駆けつけたハンターが発見した時には、既に冷たくなっていたらしい。


(いい気味だ)


 ドルチェとジェーンは自分が貴族である事を鼻にかける嫌な奴であったし、ミシェイルなんていつも孤児組に対して暴力的な態度をとる乱暴者だった。

 奴らが死んだ所で、誰も困りやしないさ……と、最初は思っていた。

 だが、残念な事に彼らの死は学校に大きな衝撃をもたらした。

 廃校、である。

 考えてみれば当たり前の話なのだ。

 元々この学校は、貴族の寄付で成り立っていた。

 それが、死んだのだ。

 当然、寄付は無くなる。

 寄付がなくなれば、廃校の二文字も、現実味を帯びてくる。

 貴族同士の情報は回るのも早いもので、死亡の報は瞬く間に、連中の間を駆け巡った。

 結果、今学校に貴族はほとんどいない。

 皆、実家に帰ってしまった。余程、命が惜しいとみえる。


(馬鹿にしている)


 そもそも、狩人なんて、命を投げ捨てる様な職業なのだ。

 こんな事で逃げだすようなら最初から来るなと言いたい。

 更に愉快なのは、今回の件で死亡したのが全員貴族だった事から、まことしやかに噂が囁かれ始めた。

 やれ、孤児が犯人なんじゃないかとか、やれロバートの陰謀だとか、初めから全て殺す計画だったのではとか言いたい放題である。

 特にミシェイルの所は酷かった。

 先日も、大勢の騎士が、学校に押しかけてきた。

 大声で孤児の悪口を言う下品な連中だった。やはり、騎士や貴族などというのは、屑しかいない。


(本当に、腹が立つ……)


 そんな訳で、学校は暫くの間、貴族連中の対応に追われていた。

 やっと落ち着き始めたのは最近になってからである。

 今日は、葬式だった。

 とは言っても、余りまともじゃない。

 なにせ、貴族組はもうほとんどいない。

 あくまで形式上のものである。喪に服している姿勢を見せたいのだろう。……無駄なアピールだと思うが。

 退屈な葬式は、三十分もしない内に終わってしまった。

 今日は授業は無い。生徒達は思い思いの時間を過ごしていた。

 ベティは、こうしてマーシャと一緒に中庭を散歩している。休みの日に二人でする散歩も最早習慣になってしまった。それは、今日も例外ではなかった。


「……ん?」


 ふとベティが歩みを止める。

 

「あれは……?」


 中庭の真ん中に人影が見える。赤い髪の女で、どうも学校の外、正門の方に向かっている様だ。

 目に留まった理由は、手に抱えている大きな鞄。少し異様である。散歩にあんな大荷物はいらない。


「えっと……リタさん、ですね」

「貴族の奴か」


 合点がいった。おそらく迎えが来たのだろう。あの鞄も、荷造りの結果という訳だ。

 その時、リタの後方から、慌ただしく彼女を追いかける者がいた。

 

「あいつは……!」

「あれは……ルシアさんですね。でも……なんだか様子がおかしいですよ?」

「ああ。あいつら……仲良かった筈、だよな?」


 どうも様子がおかしい。

 ルシアがリタに何やら話かけているがリタは、それを避ける様に足早に外に向かって進んでいく。

 別れの挨拶にしてはおかしな空気である。


(別に、聞きたい訳じゃないけど)


 気にならないと言えば、嘘になる。

 ベティとマーシャは、二人の後を、そっとつけた。




「……ついてこないで、って言ってるでしょ」


 ルシアは、ひるんで、追いかけていた足を止めた。

 こんなに冷たいリタの声は聞いたことがなかった。


「う……で、でも私これでお別れなんてその、そんなの嫌で、だって折角仲良くなれて……」


 しどろもどろになりながら言葉を紡いでいく。リタとベンの二人はルシアにとって初めての友達だった。こんな形で別れる事になるなら、せめて最後に言葉を交わしておきたかった。


「……きも。やめてよ。あんたみたいな悪魔と仲良くなんてするわけないでしょ」


 リタは顔を歪まして小馬鹿にしたような態度をとる。


「……リタ、どうして?」


 余りの豹変ぶりに疑問を感じずにはいられなかった。

 ルシアは、思わず、リタに手を伸ばす。

 指先が、リタの腕に触れた。その瞬間、


「! 触らないでよ! 化け物!」

「え……?」


 リタが物凄いスピードで、腕を引っ込め、叫ぶ。


「化け物! 死ね! 二度と顔を見せるな! 悪魔め! 悪魔め!」

「あ……」


 半狂乱になったリタは、叫びながら一心不乱に走っていってしまった。

 残されたルシアが茫然と立ち尽くしていると、


「おーい、ルシア」


 と呼ぶ声がする。

 振り返ると、ベンがそこにいた。


「リタは行っちゃったか。これで、貴族組も俺だけになっちまったな」

「……ベンも実家に帰っちゃうの?」

「……そうだな。親父も帰ってこいって言ってるし、多分近いうちに去る事になると思う」

「そっか……」

「そんな、寂しがるなよ。また会えばいいじゃないか。遊びに来いよ! ルシアなら歓迎するぜ?」

「ベン……ありがとう」


 ルシアは微笑む。

 良かった。ベンは、リタと違っていつも通りだ。


「よし! 俺はもう行くよ。リタには見送りもいらないみたいだしな」

「うん。……あ、待ってベン! 肩にゴミが――」


 ルシアは悪くない。ベンにもそれは分かっている。

 ただ、肩についていたゴミをとってあげようと手を伸ばした。それだけ。

 それでも、何かが悪かったというのなら、それは……時が、悪かったのだろう。

 ルシアが、ベンの肩に手を伸ばした瞬間、ベンの身体は凄い勢いで跳ねた。

 パン! と乾いた音が鳴るほど激しく、ルシアの手を払いのけると、腕を身体の前にだし、防御の姿勢をとる。


「……え?」

「あ……」


 ベンは、しまった、というような表情で、口をぱくぱくさせている。みるみるうちに顔が生気を失っていき、やがて観念した様に言った。


「……悪い。普通に振舞おうと思ってたけど、無理みたい。だって、やっぱり、……怖いよ」


 怖いよ。

 その言葉が、ルシアの脳内に強く焼き付いた。

 頭の中で何度も何度も何度も、聞こえる。

 怖いよ。化け物。死ね。悪魔め。怖いよ。化け物。死ね。悪魔め。怖いよ。化け物……。


(私は……)


 気づけば、ひとりぼっちだった。

 ルシアの頬を熱い雫が伝っていく。

 立っていられなかった。

 地面に座り込んで、声を上げて、泣いた。

 誰に聞かれようと、どうでも良かった。見栄も外聞もない。どうせ、一人なのだ。


「……おい」


 突然、座り込むルシアは、肩を揺すられる。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、


「うあ、ベティ……? マーシャ?」

「酷い顔だな、おい」

「……大丈夫ですか? ルシアさん?」


 二人が、心配そうな顔で、覗き込んでくる。

 今はその優しさが辛かった。


「ほうっておいて。私なんて……」

「アタシは、確かに、あんたに助けてやれないって言ったけどさあ。流石に、泣いてる人間放り出せるほど腐ってないぜ」

「……私達じゃあ、力になれませんか?」

「二人も、何があったか聞いたんでしょ? 私は、私は“魔人”なんだ! 化け物なんだよ? 怖くないの?」

「“魔人”か。そんなもの、シェイと一緒じゃねえか」

「シェイと……?」


 言われてみれば、確かにその通りである。

 

「貴族の連中になに言われたか知らないけど、そんなに魔力が気になるなら、シェイに聞いてみりゃいいじゃねえか」

「……そうですね。シェイさんなら、魔力のコントロールについて何か知っているかもしれません」

「コントロール……」


 考えも、しなかった。


(そうか)


 この学校に来る前にロバートが言っていた言葉の本当の意味がルシアには分かった気がした。


(自分の足で、歩けるように)


 力の使い方を学ぶべきなのだ。それが、ここに来た本当の意味なのかもしれない。


「ベティ、マーシャ。ありがとう。私……もう少し、頑張ってみる」

「別に……礼を言われる事じゃないっていうか……」

「……そうですね。あんまりお礼を言うのはやめて下さい。ベティさんが、照れてしまいますから」

「ア、アタシは照れてなんてない!」


 ベティが顔を真っ赤にして怒鳴る。

 ルシアとマーシャは顔を見合わせて、笑った。

 三人の間を、一陣の木枯らしが吹き抜けていく。

 冷たい。

 もうじき、冬が来るのだろう。




 第一部 終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ