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竜の狩人と悪魔王の少女  作者: 今井亜美
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十章 悪魔王の少女

 グリスタンとマリアが対峙する書庫入り口。

 棚に身を隠し、息を潜めた影が二つ。その場所を見ていた。


「シェイ……コレット先生が! それに、あの人は誰?」


 ルシアがちらりとマリアの事を見て、シェイに伺う。

 明らかに学園の関係者ではない。だがここにいるという事は、シェイの案内を受けた可能性が高かった。

 しかし、予想に反してシェイは首を振る。


「分からない。でも敵ではなさそう。……当初の予定通り、入り口が空き次第脱出する」


 ルシアは頷いた。あの様子では全くの無関係者ではないだろう。


(ひょっとするとコレット先生が呼んだ救援かもしれない)


 そう考え、成り行きを見守る事にした。




「くそ……何でここにいやがる。ダグラスの野郎、しくじりやがったな……!」


 グリスタンの悪態を、マリアは冷たく流す。


「理由なんてどうでもいいでしょ? グリスタン……貴方はここで私が狩る」


 ぞくり。

 グリスタンの背を冷や汗が伝う。

 尋常でない、殺気。

 先に仕掛けたのはグリスタンだった。

 恐れを振り払うかのように左腕を振り下ろす。

 強靭な爪の一撃がマリアを襲う。……が、捉える事はなかった。

 ひらり、と軽やかに一撃を避けられ、首元をナイフで突かれる。

 グリスタンは人狼の筋肉と反射神経を使い、辛うじてそれを躱した……のも束の間。


「!?」


 瞬間、グリスタンの右目が弾け飛ぶ。漂う硝煙の匂い。


「……さよなら」


 目が見えないグリスタンに襲い来る追撃を、獣の本能で察知し、何とか後ろに飛び縋り距離を取る。


(ふざけるなよ……! くそ! くそッ!!)


 ほんの数手。

 見えてしまった圧倒的な力量差。

 グリスタンに最早勝ち目はない、様に思えた。

 だが魔族の思考回路が、一手、邪悪な閃きをもたらす。


「……右手の調子が悪いようだな、銀狼さんよお?」

「それがなに? 貴方みたいな小物、左手一本で十分よ」


 先の攻防。もしマリアが両手に武器を持っていたとしたら、まず生き残っていなかっただろう。

 武器を持ち帰るほんの僅かな隙があればこそ、まだ戦いになったと言える。


「お前の右手が使えないってことはだ……その銃、もう使えないんじゃねえか?」


 ピストルは強力だが、次弾を装填するのに時間がかかる。

 マリアといえどそれは例外ではない。

 両手ならいざ知らず、片手での装填を戦闘中に行うのは致命的な隙を生む。

 当然、もう弾の入っていない銃は使う事が出来ない。


「舐められたものね。銃がなければ、私に勝てる、と?」

「いや……無理だろうな。だが……!」


 いうが早いが、くるり、とグリスタンは回って後ろを向いた。そして脱兎の如く駆けだす。


(……やられた!)


 この行動は流石に意表をつかれた。

 グリスタンとの距離は開いている。

 銃があれば、狙撃も容易だが、使えない今、マリアには攻撃手段がない。

 相手は腐っても人狼。その膂力を全て逃げに注がれては、すぐには追いつけない。

 この場がマリア一人ならば、別に逃げられようと大した問題ではない。

 リロードしつつ追いかけ、撃ち殺すだけだ。疲れるまで追い回し、刺し殺してもいい。

 どちらにしろ、狩るのに困りはしない。

 問題は、この場には他に人がいたという事。

 棚の後ろから、こちらを覗き見ていた影。


「へへへ……また会ったなあ!? ルシアちゃん?」

「嫌! 放して!」


 グリスタンがルシアの右腕を無理やり掴んで表に引きずり出す。

 そして、首に腕を絡ませ、逃げられないようにホールドした。


「マリア! 見えてるよなあ!? 武器を捨てろ! さもなくばこの餓鬼は殺すぞお!?」


 目を血走らせ叫ぶグリスタンとは対照にマリアは冷静だった。


(成程。あの子がディランの娘ね……)


 この状況で最初に人質を見た時抱いた感想は、『あんまり似ていない』だった。

 栗色の髪に大きい瞳。どれもディランとは似ても似つかない。

 よくもまあ娘で押し通せたものだと、呆れた。

 さて、どうするかな。少し悩む。


(別に、死んだら死んだでいいんだけど、ね……)


 ディランと交わした『ルシアを守る』という約束はマリアには別にどうでもよかった。そんな事をいちいち気にする様な間柄ではないし、死んだ所でマリアは痛くも痒くもない。


(一つだけあるとするならば……)


 マリアは横目で、今も血の中に倒れ込むコレットを見やる。 


「おい聞こえてるだろ! とっととその短剣と銃を捨てろ!」

「……捨てればいいのね?」

「ああそうだ! 早くしろ!」


 ふう……と静かに息を吐いた。

 左手に握ったナイフと腰のベルトに差したピストルを抜き取り地面に放る。


「ほら。これでいいんでしょう?」

「まだだ! こっちに蹴り飛ばせ!」


 マリアは黙って言われた通りに従った。

 カラカラと乾いた音を立てて、二つの武器が大理石の床を転がった。


「よし。それじゃあ両手を頭の後ろにおいて背中を向け」

「右手は勘弁してくれる? 動かないのよ」

「……いいだろう」


 マリアは左手を固定しくるりと後ろを向く。

 丁度、背中を向ける格好になる。

 誰がどう見ても無防備だった。


「ヒヒヒ……年貢の納め時ってな。お前もここで終わりだよマリア!」


 グリスタンは足元のピストルを拾い上げる。

 そして服の中から隠しもっていた弾を取り出すと、ゆっくりと装填する。


(このままじゃダメ! あの人が死んじゃう!)


 ルシアが、腕の中で懸命にもがく。

 だが人狼の筋力の前では、無駄、としか言いようがない。

 グリスタンは意に介した様子すらなかった。


(私に力があれば……力が……!)


 かちゃり。音を立てて、グリスタンが銃を構える。装填が終わったのだ。


「あばよ……マリア」


 ルシアは、銃を持ってる腕を睨みつける。


(私に力があるなら、何とかしてよ! お願い!)


 銃口が冷たく光る。

 引き金にかかった指先が動き始める。……その時。

 空間を殺気が走った。

 グリスタンは反射的に上半身をのけ反らせる。

 首筋を刃が掠めた。


(シェイ!?)


 そこにはいつの間にかルシアのそばから消えていたシェイがいた。

 手の中には、鈍く輝く銀のナイフ。

 マリアが銃と共に投げ出したナイフだった。

 鉄の剣では歯が立たないが銀のナイフならば上級魔族にも通用する。

 このタイミングでの奇襲は『勝つ』事を目的とした判断で言えば間違っていない。

 実力で劣るシェイにある勝算は『奇襲』。それ以外にはなかった。

 しかし、結果としては失敗だった、と言える。

 何故ならシェイのこの渾身の一撃は、躱されてしまった。

 この時点で勝機はゼロ。

 シェイは、自分の存在を隠し通せるのならとっとと逃げるべきだったのだ。

 自分の身を晒し、無用なリスクを背負う事は、『生きる』事を目的とした判断で言えば、最も愚かな行為、と言えた。


「ヒヤッとさせるじゃねえか……ハエがあ!」


 身体をのけ反らせた反動を用いて、右足をしならせ、蹴りを繰り出す。

 攻撃の直後、腕の伸び切ったシェイに防ぐ術はない。

 蹴りは容赦なく腹に直撃した。


「がっ……!」


 シェイの身体は、そのまま十メートルは吹っ飛んだ。

 勢いのままに、書架を巻き込み、本が辺りに飛び散った。

 やがて、転がりながら壁に激突し、ぱたり、と動きを止めた。


「シェイ!! 嘘……」

「全く……馬鹿な餓鬼だぜ。無駄な事をしなければ生き延びられたものを」

「そんな……そんな言い方、ない! シェイは、シェイは私の為に……!」


 ルシアは、グリスタンを睨みつける。

 目の前の男が心底憎く感じた。


「いいえ。グリスタンの言う通りよ」

「……え?」


 返事をしたのは、意外な人物。

 マリアが、こちらに背を向けたまま淡々と言葉を発する。


「普通、奇襲は失敗した時の事を考慮して行うものよ。その子が何を考えていたのか知らないけど……これじゃあ『馬鹿』と言われてもしょうがないわね」


 ルシアからは、彼女の表情は伺い知れない。

 廊下の暗闇を見つめたまま、微動だにしていなかった。

 そんなマリアの言葉を聞いて、グリスタンが大声で笑いだした。


「はははは! こいつは傑作だ! マリア。あの『馬鹿』な女がいなければお前は死んでるっていうのに。最期の最期まで嫌な奴だぜお前は」

「貴方ほどじゃないわ」

「言ってくれるぜ。まあ、結果は変わらねえ。さっきは邪魔が入っちまって悪かったなあ。今……殺してやるよ」


 グリスタンが再び銃を構えた。

 安全装置の外れる音が静かに響く。

 マリアは動かない。

 ジッと廊下を見つめている。


「……あばよ、マリア!」


 グリスタンが引き金に手をかけたその瞬間。

 聞こえない位小さな声で、マリアが呟いた。


「――貴方は一つだけ間違ってる。結果は変わったわ……その『馬鹿』のおかげでね」


 ひゅ! と、風を切って、何かが空中を駆けた。

 キインという金属のぶつかり合う、甲高い音。

 グリスタンの掌からぽろり……と、銃がこぼれ落ちる。


「な……に……?」


 グリスタンは状況を全く飲み込めずにいた。

 足元を見ると、からからと転がる、小さな銀の矢。

 はっと我に返り顔を上げる。

 眼前に、金色の瞳。


「ぐあっ!」


 ルシアをホールドしていた腕に焼け付く様な痛みが走る。


(マリアは武器を持ってないはずだ! 一体何が……!)


 腕を見ると、槍によって貫かれている。

 これは、コレットが握っていた武器だ。


(あの一瞬で、拾って距離を詰めて攻撃!? 不味い! 人質の拘束が……!)


 ルシアが、緩んだ腕の中から、もがき出る

 逃がせば、命はない。

 縋る思いで、逃げる背中に手を伸ばす。


「逃がさねえぞお! ルシアああああ!」


 鈍い、音が、した。

 肉の斬れる音。

 煌めく刃。

 一閃。


「ぎゃああああああああ!!!」


 耳をつんざくような叫びを上げてグリスタンが倒れこむ。

 ぼとり。と、斬れた腕が、地面に落ちた。


「……何とか、間に合ったな」


 ルシアは、気付けば、再び腕の中にいた。

 だが、さっきまでとは違う。

 無理やりではない。優しくルシアを胸に抱く、逞しい左腕。


「……ディラン!」


 ルシアは、両手をディランの背に回し、抱き着く。

 相当、急いできたのだろう。息がきれている。酷く、汗臭かった。

 不思議と、それが心を落ち着かせてくれる様な気がした。

 二人の様子をちらりと横目に見て、マリアが呆れたように、


「遅いのよ、全く」


 と文句を言う。


「誰のせいだと思ってるんだ……。おかげで死にかけた」

「準備運動にはちょうど良かったでしょ?」

「はあ……まあいい。今は、こいつが先だ」


 ディランが目の前に転がったグリスタンに剣を突きつける。


「お前には聞きたい事がある。まず、『理由』。それと『目的』。答えて貰おうか」

「へへへ。よくよく運の無い男だぜ俺は……。何でこう会いたくない奴に会っちまうかねえ?」


 グリスタンは自嘲気味に笑みを浮かべた。さっきまでの余裕は完全に消え失せている。苦しいのだろう。腕を抑え、額には大粒の汗をかいている。息も絶え絶えに、返事を返していく。


「『理由』と『目的』ね……そいつは簡単。“永遠の夜”の為さ」

「“永遠の夜”だと……?」

「夜を照らすのは、月だろう? 月を輝かせにきたんだよ俺は。それが我ら……“月光教団”の宿願だ!」


 ルシアは、サマンサの言葉を思い出す。


 ――“……最後にゲームマスターとして忠告しておくよ。――『月光には気を付けて』”――


(ひょっとしなくても、月光ってこの事だよね? あの時にサマンサは教えてくれてたんだ。ゲームマスターとしてってのは、ゲームのルールが都合のいい様に捻じ曲げられていたからその為に……)

「“永遠の夜”とは? “月”とはなんだ?」

「……ははは。ハッハッハッハッハ!」


 突然、気が狂った様に大声で笑いだした。

 そして、高々と拳を天に掲げる。


「――! 待て!」

「さらば同胞よ! 我らに月の輝きがもたらされん事を!」


 拳が胸に振り下ろされる。

 血しぶきが辺りに散った。

 ……グリスタンは死んだ。その死に顔は、耳まで裂ける程の笑みを浮かべていた。


「……ディラン」

「……行くぞ。生存者の手当てをしなければ」





「マリア、コレットはどうだ?」


 ディランがグリスタンの尋問をしている間、マリアはコレットの応急手当を行っていた。

 コレットは今も目を覚ましていないが、簡易的な止血が施されている所をみると、どうやら息はしているようだ。マリアは死んだ人間に止血をする様な、感傷的な女ではない。


「『生きてるか?』って意味なら、大丈夫ね。この子、やられる瞬間に緊急停止剤を投与したのね」


 マリアがコレットの傍に転がった瓶を拾って、言う。


「緊急停止?」

「血を止めて、痛みを止めて、ついでに意識も止めるのよ」

「……成程。緊急だな」


 敵の眼前で意識を失えば無防備を晒す。

 本来は自分で使う、ましてや戦闘中に使うものではないのだろう。

 だが薬効とは言え、ここまで生体反応がないと不安にもなる。

 さっきからぴくりとも動かない。まともに呼吸をしてるのかも疑わしい。

 ディランの訝しげな眼に気づいたのか、マリアが気だるげに説明してくれる。


「傷を塞がないとってのは勿論だけど、実際、薬だけでもこのまま何もしなければ、一時間もしない内に死ぬのよ。外部から専用の解除薬を飲ませないといけないの」


 マリアはコレットの身体をまさぐると迷わずに一本の瓶を取り出した。

 瓶の封を開け、コレットを抱きかかえると、口から薬を流し込んでいく。


「……これで大丈夫。暫くすれば目も覚めるでしょ……全く。私が来なかったらどうするつもりだったんだか」

「そう言ってやるな。判断は間違ってない。狩人たるもの『生きる事が最優先』だ」

「……それで? そっちの生きる事を二の次にしたお馬鹿さんはどうだったの?」


 マリアが横目にシェイの方を見る。


「あの子なら問題ない。いくらかの打撲はみられるが、命に係わる傷はなかった」


 シェイは既に目覚めているものの、まだ立てる様子に無い。

 ルシアが傍に跪いて何やら話をしているのが見える。


「……そう。頑丈で何よりね」

「お前の心配も杞憂だったな」


 ディランの皮肉が聞こえているのかいないのか、マリアは全く表情を変えない。


「……早い所ここから出ましょう。面倒だけど散り散りになってるっていう他の生徒も見つけないといけないんでしょう?」

「ああそうだな。俺はあの子を運ぼう。お前はコレットを運……!?」


 ありえない事が起きた時、人はどんな顔をするだろう?

 口を大きく開けたりとか、大きな叫び声を上げたりとか、全身に緊張が走って動けなくなったりとか?

 少なくとも、今上げたそれらはあくまで常人の対応だと言わざるを得ない。

 何故なら“狩人”にとっては所謂“ありえない事”など日常茶飯事だからだ。

 魔族がもたらす魔法は人知の及ぶものではなく、狩人は常にそれらに晒される危険がある。

 故に、狩人とは常にあらゆる事態に備え行動すべきである。それが出来ないものは、大地に屍を晒しやがて忘れ去られていくだけだ。

 『一年生き残ればベテラン』とはよく言ったものだと常々ディランは思っていた。

 それだけ多くの者が死んでいった。自分も長くこの世界で生きているが十年以上生きている者は本当に珍しい。

 マリアはその一人だった。彼女が狩人の仕事に就いた時は、十三の時と聞いている。

 今、彼女は三十一歳。『一年生きれば』の世界で二十年近く仕事をしているのだ。もう少しすれば彼女もまた伝説と呼ばれる事だろう。

 さて、この場にはそんな伝説的なハンターが二人、いた。

 今回、それが起きた時。

 二人とも、『動けなかった』。

 剣を抜く事も、呼吸すら忘れた。

 その瞬間、確かに世界が止まっていた。

 ゆらり、と立ち上がった『それ』。

 ディランの頭の中に警鐘が鳴り響く。


(ありえない。死亡確認は確かにした筈だ……!?)


 死んだ筈のグリスタンが、停止した世界の中、ゆっくりと立ち上がった。


「ディランー。そっちの様子はどうー?」


 後ろから、間の抜けた声が聞こえた。角度的に棚が邪魔で見えていないらしい。


「来るな! ルシア!」

「え?」


 ディランの静止も虚しく、近寄ってきたルシアが立ち上がったグリスタンを見て、困惑の声を上げる。

 やがて、ある一つの可能性に辿り着いた。


「! そうか、『ゾンビゲーム』……!」

「ゾンビゲームだと?」


 ルシアは手短にこれまでの事を説明する。


「ゲームはもう一つあった。人狼が死んでもまだ終わってないんだ! ネクロマンサーが死体をゾンビに変える……!」

「ネクロマンサー……いや、それはおかしい。ただの人間ならゾンビに変えられても、魔力的に劣るネクロマンサーが、上級魔族の人狼を操れる筈がない」

「ふふふ……!」


 立ち上がったきり沈黙していた死体が、静かに笑い出した。先程までとは明らかに声色が違う。

 男の声だ。

 若い。

 何処か柔和な雰囲気を感じる。神秘的で、蠱惑的で、いつの間にか心にすっと入り込んでくる様な、妖しさを秘めている。


「お前は……何者だ」

「初めまして、だね。俺の名前は、イオ。ただの悪魔さ」

「ただの悪魔が何故死体を操れる?」

「サマンサの力だよ。初めからここまでは想定してたのさ。人狼が倒せないんじゃあゲームにならないだろう? それじゃあ彼女が納得してくれないからね。予め、グリスタンが死んだ時に、ネクロマンサー役の俺に操作権が移るようにし――」


 二の句は告げられなかった。

 顔が、血肉をまき散らし、弾け飛ぶ。

 マリアが静かに銃を下した。

 仄かに煙が漂っている。

 ゾンビの弱点は、頭。

 頭が弾けた今、戦闘は終わった。

 マリアがそう解釈し銃を下したのもおかしくはないだろう。

 しかし。


「――いきなり撃つなんて酷いね。そんなに嫌われる事したかな?」


 むくり……と首無しゾンビが再び立ち上がった。

 顔が無いはずなのに、何故か言葉を発している。

 訳が分からない、と常人なら投げ出したくなるだろう。

 だがこの状況が、逆に、ディランとマリアを落ち着かせた。

 最悪の時こそ、冷静に。

 二人がこの世界で生きてきて学んだことだった。


「貴方、本当にゾンビなの?」


 マリアが訝し気に目を細める。


「そうだよ。頭が弱点じゃないのは、人間の死体じゃないから。グリスタンは人狼だから、普通のゾンビより強いんだよ」

「そう。なら、話は早いわね」


 マリアがナイフを構える。

 関節を砕く、或いは四肢を切断して物理的に動けなくすればいい。

 ディランも背中の大剣を抜き放った。

 銀の刀身にまだ先程の血と脂がべっとりと染みついている。

 完全に臨戦態勢の二人だが、イオという男は何を考えているのか、手を上に上げて降参のポーズをとる。そして、


「待って待って落ち着いてよ。ゾンビになったからって君達二人に勝てるとは思ってないよ。俺がここに来たのは戦う為じゃないんだ。だから武器を下ろしてくれると嬉しいなあ?」


 なんて肩をすくめて、おどけてみせる。

 その態度を見て、マリアは、真性の馬鹿を見るような目つきをする。

 呆れたように息を吐いた後、黙ってピストルに弾を込め始めた。

 ディランは睨みつけたまま無言で腕の仕込みボウガンに矢を携え始める。


「いやちょっと待ってってば! 聞いてる? 戦う気ないんだって!」

「大丈夫。聞こえてるわ」

「いや大丈夫じゃないよね? 完全に戦闘準備整えてるよね?」

「大丈夫。ちょっと関節撃つだけだから」

「……話し合いで解決、てのは出来ない?」

「身動き一つとれなくなったら考えてあげる」

「うーん……それはちょっとまずいなあ。こっちにもやらなきゃいけない事があるし。だから――」


 くるり。と首無しの身体が回った。

 そして前が見えていないのか、あるいは重心が定まらないのか分からないが、よたりよたりと何とも奇妙な、不気味な動きで歩き始める。

 その動きを見た時、二人は、こう考えた。


(そちらには何も無い筈だが……?)


 無理もない。

 ふらふらと死体の移動する、書庫の奥側。

 到着したばかりで事情の知らない二人には分からない。

 そこに誰が残されているのか。

 気づくはずもなかった。あるいは魔力のあるルシアやシェイだったなら、魔除けが反応したのだろうか。

 とにかく気づかなかった。結果、対応が一歩遅れた。

 ――ガタン!

 棚が大きく音を立てて揺れる。

 ふら……と陰から、人が倒れ出てくる。


「リタ!?」


 ルシアが叫ぶ。

 リタは腰が完全に抜けている。

 全身は恐怖に縛り付けられ、声すら上げられない。


「あははは! それじゃ、死んで貰おっかな? ごめんね?」


 ゾンビが、腕を振り上げた。

 マリアが、膝の関節を、ディランが、肘の関節をそれぞれ撃ち抜く。

 ゾンビは笑っている。

 止まらない。 

 ……止められない。

 リタの目の前に、首のない、腕のない、傷だらけの、血をあちこちから垂れ流すゾンビがいる。

 振り下ろされる、拳。


「ダメえええええええっ!!!!!」


 ルシアは思わず手を伸ばした。

 熱い。

 指先が溶けそうなほど、輝いている。

 光。

 眩いばかりの紫紺色の光が辺りを包み込んだ。

 強い風が吹き抜ける。

 全身を貫くような衝撃が走る。

 耳鳴りが遠くから聞こえる。

 やがて、光が消えた。

 …………首無しのゾンビは、振り上げた腕だけを空に残し、跡形もなく掻き消えていた。


「あははははは! うん。やっぱり間違いなかったね!」


 残された腕が、笑い出した。


「今、月は昇った。“永遠の夜”も近い。……我らに、月の輝きがもたらされん事を」


 腕は、灰になって消えてしまった。

 絶望的なほど強烈な魔力の香りだけがただ辺りを包んでいた。


「……ディ、ディラン。私……」


 ルシアは、唇まで真っ青にしながら、震えている。

 震えながら、自分の手をみつめる。

 まだ余韻が残っている。

 ずくん……ずくん……と、疼く様に、鼓動が、熱を帯びていた。

 縋るような目でルシアが、ディランを見る。


「…………」


 ディランは、何も言わない。

 何を考えているのか、いつもと同じ、眉間に皺を寄せた仏頂面。

 二人が無言で見つめ合った。

 その時、


「………さよなら」

「……え?」


 振り返れば、ルシアの眼前に、銀のナイフ。

 キイン! と激しい金属音が鳴り響いた。

 ナイフは目の前で停止していた。

 食い止めているのは、赤く汚れた銀の大剣。


「どうして止めるの? ディラン。まさか、情に絆されたなんて言うんじゃないわよね?」

「……違う。ルシアは、まだ殺させる訳にはいかないからだ」

「さっきの力、見たでしょう? どう考えてもただの魔人じゃない。一体“何”に憑かれているの?」

「悪魔王だ」

「! なら尚更生かしておく訳には――」

「“赤い瞳”に関係あるとしてもか?」

「……どういう事?」

「説明はする。今は、剣をひけ」


 マリアが、静かにナイフを引く。

 ディランとマリアは暫く無言で睨み合った。

 マリアが、目を見据えて言う。


「今は、手を出さないであげる。でも貴方の話が嘘だったなら……」

「その時は好きにすればいい。好きにさせるつもりもないが」


 会話が途切れる。

 ボーン……と、静かな部屋に鐘の音が七回、響いた。

 午後七時。

 館の外は、完全に日が落ち、闇に包まれている事だろう。

 夜の時間が来た。……今夜は、満月だったっけ。

 ルシアは、そんな事をぼんやりと考えていた。

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