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竜の狩人と悪魔王の少女  作者: 今井亜美
10/12

九章 “狩人としては”

「後、三十分……」


 ルシアは目の前の柱時計を凝視して呟く。

 あの後、書庫への立て籠りを開始してすぐ皆で、書庫の捜索を開始した。

 書庫は、広い。

 何処に何が潜んでいるか分からないからだ。

 結果として、特に敵の姿もなく、役に立ちそうなモノもなかった。

 だが、部屋の端に柱時計が置かれていることは確認できた。

 これで、コレット到着の時刻が大体把握できる。

 それから、時計の前で、じっと時を待った。

 現在、午後十八時丁度。

 予想される時間まで、後、三十分をきった。

 ここからは、いつ先生が到着してもおかしくない。

 ルシアは、懐から例のリストを取り出して眺める。

 部屋にいる限り、外の情報を把握する手段は、このリストかシェイの使い魔の二択になる。

 だがシェイは、今は力は温存しておきたいと言って、使い魔を出してはくれなかった。


(仕方ない。何があるか分からない以上、無理はさせたくない)


 という訳で、現状外との繋がりはこのリストだけだ。

 やはり気になるものだ。やる事もないし、ルシアはずっと時計とリストを交互に睨めっこしていた。

 リストは、ゲームが始まって以降、全く変化はない。


(このリストを信じるならば、今の所犠牲はない。これで先生が到着してくれれば皆無事に帰れるかもしれない)


 仲違いしたとはいえ、リストに載っているのは生きている人間なのだ。このまま何も起きずに帰れればそれが一番いい。


「……ルシア」


 それまで、黙ったまま座っていたシェイが突然呼び掛けてくる。

 なに? と尋ねると、彼女の瞳が、きらりと鋭く光った。


「――……来た」


 こつ……こつ……と小さな足音がゆっくりと部屋に近づいてくる。

 そして、部屋の前で止まりドアが静かに開いた。


「皆さん、無事ですか!?」

「コレット先生!!」


 ルシア達は飛び上がって歓喜の表情でコレットを迎えた。

 やった。これで助かる。ベンもリタも安堵の色を浮かべているし、あのシェイでさえ、表情こそほぼ変わらないものの、ほんの少しだけ口角が上がっている。

 勿論、ルシアも同じだった。久しぶりに笑顔を浮かべコレットに近づく。


「先生! よくここが分かりましたね?」

「シェイが教えてくれました。四人とも無事で本当に良かった……。辛かったでしょう? もう、大丈夫ですからね。出口まで私が案内しますから、貴方達五人はひとまず先に脱出してください」

「……五人?」

「ええ。ここに来る途中、ミシェイルに会い保護しました」


 コレットが自身の後ろを指し示すと、そこにはミシェイルが立っていた。


(……なに? この……感覚。どこかで……)


 ルシアは不意に、天地が眩むような既視感に襲われた。

 既視感とは言うが、見たというよりも、


(……匂い?)


 に、近い。

 この香り、どこかで嗅いだことがある。柑橘類を思わせる、爽やかでほろ苦い香りは――。


「――ですので、貴方達を外に誘導でき次第、すぐに他の方も保護します。だから安心して――」

「先生! 逃げて!!」

「……え?」


 ルシアが叫ぶとほぼ同時に、ミシェイルがニヤリと笑った。

 身体がボコボコと黒煙を上げながら泡立っていく。

 血が、飛び散った。

 ぺちゃり。

 ルシアの顔に、温かいものが飛んで付着する。

 ずるり……と、目の前のコレットの身体が、地に落ちる。

 引き裂かれている。背中がぱっくりと割れ、肉が見えている。


(……あ)


 同じ爪痕。ロビーで見た遺体と同じ。人狼の、爪痕。

 ゆっくりと、顔を上げる。

 そこには、ミシェイルなんて存在しない。

 毛むくじゃらの狼が、立っていた。

 右腕の、大きく鋭い爪から真っ赤な血が滴っている。

 狼が、耳まで裂けた口を開けて、美味しそうに、その血を啜っているのだ。

 そして、酷く耳障りのするしゃがれた声で笑い声を上げた。


「はははは! 残念だったなあ? ルシアちゃん。気付くのが少し遅かったな?」


 しゃがれているとは言え、その声は聞き覚えがあった。

 よく顔を見れば、少しその人物の面影もある。


「……ぐ、グリスタン……先生……?」


 震える声で問うと、一層笑いが強まった。


「ああそうだ。もう少し君が魔力を感じるのが早ければなあ? コレットも、死なずに済んだろうに」


 笑いながら一歩ずつ、こちらに迫る。

 ルシアは、金縛りにあったように、動けない。


「なん……で……? こんな、こと」

「ふふふふ……君が、それを聞くか。いいか? 俺達は――」


 会話はそこまでだった。

 凄まじい殺気。

 次の瞬間、グリスタンは素早く振り向き、後方から繰り出された槍を爪で受け止める。


「まだ生きてるとはな、コレット!」

「先生!」


 髪を乱し、肩で息をしながら、コレットが立ち、鈍く輝く銀の槍を固く握りしめている。


「全員走れ! 行け!」


 コレットの叫びで、金縛りが解けた。


「ルシア、こっち!」


 シェイがルシアの手を掴んで書庫の奥に走り出す。

 後ろから、鬼気迫る叫び声と、金属がぶつかりあう音が響いている。

 奥に行くほど、光が無くなっていく。

 目を凝らし、何度も躓きながら懸命に棚の角をすり抜け、曲がり、端までたどり着いた。




 二人は、大きな棚を背にして、呼吸を整える。


「どうしようシェイ! ベンとリタとはぐれちゃった」

「大丈夫。視界の端で彼らが逃げているのが見えた。きっと無事。それよりこのまま隠れていても駄目。きっとコレットは、部屋の入り口から奴を奥に誘導していく筈。その隙をついて、ここから出よう」

「出ようって……コレット先生は!? 見殺しにする気!?」

「……戦って、なにが出来るの? 貴方の力では邪魔になるだけ。それより考えなければいけないのは、生き残る方法」 


 悔しいけど、シェイの言う通りだと思った。ただの少女である自分の力では、何の役にも立たないだろう。……自分の力、では。

 ルシアはそっと胸に手を当てる。


(サタンの力なら……?)


 心に、どす黒い情念が渦巻いていくのを感じる。

 ルシアはこの時初めて、自分の中に入り込んだ力の、その一端に触れた気がした。


(この力に溺れればいいんだ。力を求めれば。そうすれば私は――)

「……ルシア?」


 はっと我に返る。

 振り返れば微かに、いつも通り無表情のシェイが、じっとこちらを見つめているのが見える。


「大丈夫? 凄い汗」


 言われて気が付いた。

 いつの間にか額までびっしょりと濡れている。

 沢山走ったからだよ、と下手な言い訳をして袖で拭う。


「寒いの?」

「え?」

「震えてる」


 本当だ、と思った。手がかじかんでいるように震えて、上手く汗を拭えない。


「汗を……かいたから、だよ」

「……そう」


 ふわり、と全身が温かいものに包まれる。


「シェ、シェイ?」


 驚いて声を上げる。

 シェイが優しく、ルシアを抱きしめた。


「……大丈夫」

「――あ……」

「怖くない。一緒にいるから」

(甘い、匂い……落ち着く………)


 ルシアはそっと目を閉じた。

 二人は暫くそのまま、闇の中、動かなかった。





 銀の槍と、鋼の様な鋭い爪がまた激しくぶつかり合い、火花を散らす。


「うあああああああ!!!!!」


 激しい雄叫びを上げて、コレットはとにかく突いた。


(この位置は不味い。出口が塞がっている。この男を奥にやって退路を確保しないと。かといって奥にやりすぎてあの子達の所に行かれれば本末転倒。だからここは……!)


 攻めるしかない。

 攻めて押せば自然、位置は後ろにずれていく。後ろを向いて逃げようとすれば、すかさず背中に突きが決まるだろう。

 だがそんな事はグリスタンも分かっている。

 あくまで受けに徹し、無理に攻めようとしない。

 じりじりと後ずさりはするが、焦らす様にゆっくりと、大きく場を動かない。

 深傷を負ったコレットを相手にするには最適な戦法と言える。

 敵が焦り無茶な突進を繰り返せばそれだけで体力を消耗していく。


「どうしたコレット? 闇雲に突いても俺には当たらないぜ」

「……うるさい!」


 突きを弾かれた反動を利用して、脛を払う。

 上半身から下半身への対象転換。見事な不意打ち。だが、グリスタンはそれを読んでいる。

 軽々とジャンプし躱す。その瞬間、宙で身を捻らせ、強烈な回し蹴りを放つ。


「っく!」


 間一髪、防いだ。

 だが、勢いのまま、また入り口付近に吹き飛ばされてしまう。


「ん~惜しいなあ。残念……振り出しだ」

「はあはあ……くそ……!」


 膝が笑っているのが自分でも分かる。

 ここまでの道中、常人なら歩いて二日はかかる森の中を僅か四時間で休みなく駆け抜けてきている。

 そして、そのまま不意打ちをくらい背中を肉が見える程抉られて大量の出血。

 身体は限界をとっくに超えていた。


「大人しくくたばっちまえよ。頑張っても、辛いだけだぜ?」

「黙れ……!」

「強情なのは変わってないな……。でも、現役を退いたとはいえ、狩人なんだ。お前も分かってるんだろ? 人狼は上級魔族。教えてやろうか? 上級魔族はな、『複数人いて尚且つ綿密な策を練りやっと互角になる強さ』なんだよ! お前が幾ら優秀でも! あのマリアのくそったれの様な、化け物じみた実力でもない限りは、一人じゃあ無駄なんだよ! 例え万全の状態だったとしても俺には勝てないぜ!」

「……そんな事は分かっている。確かにお前の言う通り、“狩人としては”逃げるのが正解なんでしょうね。……でも! 今の私は“狩人である前に”教師。あの子達が、先生と慕う限り、死んでも守ってみせる! うああああああ!!!」


 咆哮と共に槍を握りしめ突撃する。

 体力的にももう粘るのは難しい。これが最期の攻撃になるだろう。

 意地でも相討ちに持ち込むつもりでいる。

 決死の思いで槍を突き出す。

 グリスタンは、余裕の表情でそれを受け止める。

 かっ! と火の粉が辺りを照らした。


(ここしかない!)


 その瞬間、即座に槍を手放し、懐から取り出したガラス瓶を顔に投げつける。

 甲高い音と共に瓶が割れ、中の薬品がグリスタンの顔面に付着する。


「ぐあ!?」


 肉の焼ける音。グリスタンは思わず左目を抑えた。


(野郎! 水銀か!?)


 水銀は、厳密には銀ではない。しかし、多くの魔族が苦手としているという点では銀と共通している。とりわけ、人狼にはよく、効いた。


 刹那、グリスタンはコレットの異名を思い出した。


(“水星”のコレット……水銀はお手の物ってか!)

「死ねええええ!!!」


 コレットは右手に、隠し持っていた『切り札』を構える。


(銃か!?)


 コレットは迷わず引き金を引いた。

 カチン。撃鉄が、火薬に触れ冷たい音が響く。


「…………え?」


 ……それだけ、だった。

 信じられないといった表情でコレットが銃を見る。コレット自身が開発した、いざという時の為の『切り札』。手入れを怠った日はなく、常に動作の確認もしてきた。銃自身に、問題はないと断言できる。……銃本体には。


「まさか……弾が……?」


 グリスタンが、大きな口を限界まで歪め、気が狂った様に嗤い出した。

 弾は、学校にいる今、自分で作るには幾ら何でも設備が足りない。

 製造法を技術部に伝え、銀の海からの支給品として受け取っていた。

 ……何かを仕込むには、十分だった。


「残念だったなあ? 頼みの綱が動かなくて?」

「あ……あ……」


 きらり、と人狼の爪が光った。

 武器を持たないコレットになす術はない。

 強い衝撃が腹部を襲った。

 じわり……と広がっていく、焼けつくような痛み。


「う……あ……!」


 声にならない呻き声。

 腕は、身体を貫通していた。

 グリスタンがゆっくりと腕を持ち上げていく。

 ぶらん……と身体が宙に浮いた。


「あっうあっ」


 そのまま、ぐり、ぐり、と、ねじ回す様に腕を捻り、身体から爪を引き抜いていく。

 鈍い音を立ててコレットが落下した。

 大量の血が、地面を朱に染めた。


「さてと……我らの悲願を果たしにいくか。……うん?」

「ひゅー……ひゅー……」

「なんだ。まだ生きてるのか。ああ成程な」


 虫の息で力なく倒れこむコレットの傍らに、先程とは別の、瓶が落ちている。

 おそらく痛みを抑えるような薬品なのだろう。


「あの一瞬でよくもやる。可哀そうに、無駄なことをしたせいでまだ痛いだろ? 今楽にしてやるよ。頭を砕いてな!」


 人狼が、大きく右腕を振り上げた。

 そして、倒れ伏すコレットに振り下ろす。

 ――その瞬間。

 パアン!


「!?」


 乾いた音と共に、グリスタンは右腕に強い衝撃を受けた。

 そのまま腕を庇い後ろに転がり込む。

 急いで顔を上げると、この場にはいないはずの、女。

 黒革のコート。冷たく標的を睨む金色の瞳。

 ……そして、間違えるはずもない、銀色の髪。


「――てめえ何でここにいやがる!?」

「……頑張ったわねレティ。後は、私に任せなさい」

「マリア、先……輩……?」


 血の海の中、かすむ視界でコレットが見上げると、マリアの背中が確かにあった。

 ゆっくりと目を閉じる。


(……良かった)


 事情は分からない。何故ここにいるのかは全く見当がつかない。

 それでも一つ、分かることがある。


(これで、あの子達は助かる)


 それだけは、間違いない。

 コレットは微笑み、意識を手放した。

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