プロローグ 月と風
『岸辺あかりは自殺する。
鉄骨が剥き出しの、廃墟ビルの屋上から』
そう書かれた紙は、風に吹かれて今まさに届いた。
あかりの片足は、ちょうど建物の縁から外へさ迷い出る所だった。ちょうど顔面に張り付いた紙切れのおかげで、一歩身を引いたあかりを後押しするように、向かい風が彼女を壊れた柵の向こう側へと押しやった。ぺたりと尻もちをついたところで、何が起こったのか分からないといった様子で瞠目していたあかりの視線は、足元にふわりと落ちた紙切れに固定される。
拾い上げて見てみれば、ちみっこい字で岸辺あかり……自分の事が書かれているものだから、あかりは複雑そうにぎゅっと眉根を寄せた。
子どもが書いたような、拙い字だ。いくつかの漢字は、あまり良くない消しゴムでも使っていたのだろうか、何度も書き直された跡がある。紙もノートの切れ端を破ったようなもので、内容のインパクトさと相まって異様な雰囲気さえ醸し出された。
あかりは暫く辺りを見渡してみたが、特に目立った人影もない。精々、眼下に見える歩道から大人数人が歩いている程度だ。まさか下からこれを飛ばした、なんて事はさすがに無いだろう……。
「…………」
暫し足踏み。
風はもう吹かない。
わずかな時間、地面を睨みつけていたが、彼女はもうこれから何かをしよう、なんて気分では無くなっていた。ふっと肩の力を緩め、踵を返していく。
誰もいなくなった廃墟ビルの屋上を、昇ったばかりの月が優しく照らしていた。
そう、月はまだ、昇ったばかり—————