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ダークサイド 真実は闇の中  作者: 森 彗子
第3章
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ひとり旅 2

  +  +  +  +



 夕闇が突然迫ってきたかのような薄暗さに気付く。ここは他の場所とは明らかに違う雰囲気だ。まず、雑草の様子が変。特に入り口付近で植物が枯れている。草刈でもしてあるかのように、突然開けた空間が現れた。


「なんだ、これは。まるでミステリーサークルみたいだ」


 嫌な予感を覚えた。


 蜘蛛の巣にかかった蝶になったような気分だ。これ以上進んではいけない、という警報が鳴っている。頭の中でビョンデットが話しかけてきた。


「まどか。一人でここへ来てはいけません」


「今更なんだよ。どこ行ってたの?」


「明日という話だったじゃないですか」


「事態は常に変化するんだよ」


「撤退しましょう」


「なんで?」


「わかってるはずです。ここは生身の人間が来る場所じゃない」


 さっきから一歩も前に出られなくなっていた。


「言われなくても、わかってる!」


 自分を納得させるようにつぶやくと、私は来た道を戻ることに決めた。引き返そうとして振り向くと、不思議なことが起きた。突然激しい雨が降ってきたのだ。まるで滝のように大粒の雨がしたたかに全身を打ってくる。ものの数十秒で下着までびしょ濡れになっていく。


「これは罠です。あなたを建物に誘導しようとしています」


「そうかよ」


 雨に濡れることなど気にしない。寒くても平気だ。

 そう自分に言い聞かせながら、一秒でも早くこの禍々しい場所から離れたい一心で来た道を戻るために走り出した。するとまた不思議なことが起きた。枯れて踏み潰されたような雑草が立ち上がって、足に絡みつくように伸びてきたのだ。


「こんなものに捕まるもんか!」


 気合を込めて叫びながら走り続けた。周りの風景がまるで光の帯のように流れていく。


「私は風だぁぁぁ!」


 そんなことを叫びながら高丘を下った。途中、雑草やら石ころやらに足をとられて転びそうになったが何とか持ち応え、すっかり丘を下ったところで嘘みたいに雨が止んだのには笑えた。


「なんとか抜けられたようです」


 ビョンデットの声がはっきりと聞こえた。


「ああ。なんか知らんけど危なかったな」


 呼吸を整えながら私は廃墟を振り返った。鬱蒼と茂る雑木林と雑草によって、その姿は全く見えない。


「もう近付くなっていうことなのかな」


「そのようですね」


「しょうがない。こっちはまた今度にするとしよう」


「はい。賢明な判断です」


「で、どうする?私、美貴に会えるのかな」


「あなたが真の心で望めば叶います」


「っていうけどさ。美貴、どこにいるの?」


「ご近所の人に聞いてみるとか」


「そっか。それしかないよな」


 私はぶつぶつと文句を言いながら、濡れた服のまま歩き始めた。


 懐かしい風景の中に今自分がこうして立っているなんてまるで夢のようだと思う。この町を去ってから、私は一心不乱に目の前の現実と向き合っていた。あっという間の三年間だった。


 良い思い出なんて特にない。執着も未練もない。でも、唯一の親友と言えるようになった美貴との別れだけは辛かったのを思い出す。

 彼女には自分と共通するなにかを感じていた。それが何かは、はっきりとわからないけれど、私達の間には言葉にならない絆のようなものがあると感じていた。


 いつか再会するとはわかっていたが、まさかこんなカタチで再会することになろうとは、あの頃の自分には想像すらつかなかった。



 下校途中、家路までの分岐点に来るといつも自然と立ち話になった。

 美貴は普段からあまり自分の身の上話をするような子じゃなかった。どちらかと言えば、話していたのはいつも私で、彼女は聞き上手なお姉さんのようだった。

 言葉少ない美貴が、一度だけ言葉にしたことで引っかかっていることがある。


「私のせいでお母さんは死んじゃったんだ」


 美貴のお母さんは闘病の末に農薬を服毒したと聞いたことがある。私はそれ以上本人の口から聞き出す勇気が持てなくて、胸に秘めたまま一緒にいての告白だった。

 あの時、ちゃんと話を聞いてあげれば良かったのに、私はどう接して良いかわからずただ無言でやり過ごしてしまった。今になってこんなにも悔やしいと思いをすることになるなんて、あの頃の私に教えられるものなら教えてやりたい。そんなことは不可能だとわかっているのに考えてしまう。


「また、自分を責めてますね」


 ビョンデットの声が耳の奥で響いた。


「私は大事な告白を聞き逃したんだよ」


「それが大事なことだったのか、なぜわかるのです?」


「あんなこと普通は言わないでしょ?」


「そもそも普通とは一体なんですか?」


「質問を質問で応えるなんて、ズルいぞ」


 私は苛立っていた。


「まどか。あなただって私の質問にまっすぐ答えないことがありますよ」


 ビョンデットは坦々とした口調だ。


「そりゃ、すぐに答えられないような難しい質問されたら、困るんだよ」


「肉体を持つということは、簡単なことをややこしく扱うようになるということのようですね」


「そうだよ。ややこしいんだよ。人間は」


「それで。まどかの考える普通とはなんですか?」


「それ、今じゃなきゃだめ?」


「必要なことです」


 私は電柱に向かって下を見ながら、ビョンデットに集中している。


 そんな怪しい姿を近所の人に見られたら、何と言われるだろう。


「今、気にしてますね。誰にどう見られるのか」


 ビョンデットの指摘は的を外さない。


「気にならない奴なんていないでしょ?私は普通の感覚を持っているってだけさ」


「ほら。その普通という定義が何を意味しているのか教えて下さい」


「くどい」


「必要なんです」


「何が?」


「佐伯美貴を救うために、です」


 一度治ったはずの擦り傷が再び疼き出すかのように、私の心の中では嵐が始まろうとしていた。ザワザワと灰色の霧が忍び寄ってくるように、心の透明度が霞んでいく。


「ああ、まどか。あなたまで感染したようですね」


 ビョンデットの声が明らかに困ったお母さんのような声になる。私は深呼吸をした。


「そうです。深呼吸をして、そのもやを吐き出して下さい」


 目を閉じると暁色の空が広がっていた。四季のどれともつかない優しい風が吹き付けている。私はその美味しそうな空気を吸い込んで、灰色の吐息を思い切り吐き出した。


 吐ききろうとする頃に嗚咽が混ざる。


「おえぇぇぇぇぇ」


 なにも出ないが、見えない何かが勢いよく喉の奥から飛び出した。それがスルスルと長い蛇のように空に向かって飛んで行く。


「もう少し、がんばってください」


 ビョンデットに励まされながら、私は何度か嗚咽を上げた。


 終わりが近付いた頃には辺りは濃紺の夕闇にすっかり染まっていた。犬の散歩に出てきた五〇代の女性が、遠巻きにこちらを観察する視線に気付く。


あかつきさん?」


 私は顔をそちらへ向けた。女性は両手を広げて嬉しそうな声を上げながら寄ってきた。


「すっかり大きくなって!もう、吃驚するじゃないの」


 その人は当時担任だった高橋夕子先生だった。




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