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ダークサイド 真実は闇の中  作者: 森 彗子
第5章
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深淵を覗くとき 9

 記憶とは曖昧なものだと思う。


 それが本当に自分由来の記憶だという証拠はないに等しいのに、この頭の中で繰り返し見る悪夢が、毎回同じシチュエーションから始まり、一言一句変わらない誰かのセリフを聞くたびにデジャブして、自分の意思とは裏腹に残虐非道な方法で命を奪ってしまったときに感じた猛烈な葛藤……。その時味わった敗北感と怒りが、紛れもなくアレは自分だったのだと思い知らせてくる。


 平和な日本に生まれた今の自分が、なぜ悪魔憑きの者たちと関わろうとしてしまうのか、それもまた十分な説明ができる自信がない。

 ただ、悪魔を消し去りたいという強い思いだけが私を突き動かしている。



 ビョンデット。



 あいつは最初、たぶん悪魔だった。



 でも気付いたら私の指導官をしていた。



 ビョンデットがいれば実戦経験のない私でも戦える。



 でも、今回は


 いない。



 それに、これからもいてくれるとは限らない。



 いつの間に消えてしまう存在な気がしてならない……。



「不気味な演出は奴らの専売特許だ。動揺するな、平常心でいろ」



 鏡の中の自分に、そう言い聞かせてからトイレを出た。

 まるで異空間に居たように、ドアを開けた途端日常に戻って来ている。あの悪霊化した幽霊はトイレの住人なだけなのかもしれない、と少しだけ安堵した。


 瀬良さんと喋っている陵平が私に気付いて、優し気に微笑んだ。つい吊られて私も微笑む。すると、背を向けていた瀬良さんもこちらを見て微笑んだ。


 席に近付いていくと、瀬良さんの顔がさっきのトイレの女幽霊の顔になった。


 目の錯覚だと思い、立ち止まって目をこすると。

 その向かいに座っている陵平の顔も一気に崩れ落ちる。それはまるで、生クリームに熱いシロップをかけたときのような崩れようだ。


 勿論、幻覚の一種だ。


 心理攻撃のつもりなのだろう。悪魔は私の動きに気付いてけん制をしているのかもしれない。さっき、美貴を奪い返したことで警戒しているのだ。


 ―――負けるもんか!


 恐怖を乗り越えるんだ。


 それが出来なければ、悪魔とは戦えない。


 私はただ時を待った。

 幻覚は瞬きしているうちに解けて、二人とも不思議そうな顔でこちらを見ていた。立ち眩みのようなものだ、と思えば平気なもんだ。


「どうした? 顔色悪いし、それにさっきから様子がおかしいぞ、お前」


「やっぱり、止めた方が良いんじゃない? 誰か他に頼れる人はいないの?」


「……大丈夫だよ。ちょっと嫌がらせされているだけだから。

他に頼れる人を知らないから、自分でやるしかないんだ。親友の家族を、見殺しになんて出来ない」


「見殺しって言っても、もう死んでる人達のことをどうしてそこまで面倒見る必要があんの?」


 陵平も瀬良さんも私が悪魔祓いに行くことを反対している。それはつまり、私のことを案じてくれているということだ。


「こうやって心配してくれるのは有難いよ。その優しさと同じじゃないかな。私は死んでからも力も記憶も全部奪われて自分のこともわからなくなってしまう彼らを放っておけない。ただ、安らかに天国へと旅立たせてあげたい、それだけさ。


 それに悪魔が力を得ればまた、普通に不幸な人が取り返しのつかない事件を引き起こさせられて餌食にされちまう。そんな悪循環を誰かが止めないと……」


 自分でそこまで言って、ちょっと驚いてしまう。これを始めた頃の私は、ただ悪魔が憎かった。焼き消すことができる力を存分に振るって、連中を地上から一掃することだけを考えていた。


 だけど、今。私が本当に望んでいることは、美貴とその妹たちのような子供をこれ以上増やしたくないということ。守ってあげるべき大人が居なくなった彼らの生末は生易しいものではないと知っているから―――。


 守ってくれる親がないとたちまち暴走した大人達に玩具にされる悲劇も起きる。


 この身ではまだ一度もそうした経験などない私は、幼い頃から数多くの夢を見てきた。少女達が不幸な目に遭う夢ばかりを見るのだ。


 自分の娘がそんな目に遭うのは耐えられない癖に、欲望に狂わされた大人は悪魔の誘惑でより悪質で卑劣になるのことを知っている。


 絶対にそんな悲劇を生ませてはいけないんだ。


「悪魔がらみの事件を起こさせないのが、私の目標だから」


 テーブルの上に水たまりを作っていたガラスコップを持ち上げて、小さくなった氷ごと最後の水を口に含んでから飲み下す。


 冷たい感触に意識を注いで、臨戦態勢に入ろうとした。


「……これを預かってきたわ」


 瀬良さんがジャケットの内ポケットから折り畳んだ紙きれを取り出し、私に差し出した。白いメモ用紙だけど、見ればすぐに誰が書いた手紙なのかわかってしまう。


「美貴から?」


「もしも、ご両親に会うなら伝えて欲しいって言ってたわ」


 私はそれを受け取った。


「俺も行くからな!」と、陵平が割り込んで来る。


「いや、無理だろ。何が起きるかわからないような現場だぞ。素人なんか連れて行けない」


「そもそも、今まで何度ぐらい経験したの?」


 瀬良さんの問いに私がしどろもどろになると、陵平は舌打ちをして「まさか、お前! 初めてなんじゃ?」と、痛いところを突いてきた。


「……色んなレベルの現場は踏んでいる。でも、確かに今回のようなケースは初体験だ」


 なぜか正直に答えてしまったのは、心細さ故の甘えかもしれない。


「悪魔祓いって、魔法陣書いてその中に悪魔に憑かれた人を閉じ込めて、呪文を唱えるアレなの?」


 瀬良さんは目を輝かせている。この人、オカルトが好きなんだな、と思った。


「私は魔法陣は書かないし、呪文も唱えないよ」


「じゃ、どうするの?」


 どうする?


 そんなの、私にできることはひとつしかない。


「特別な道具は要らないんだ。私がひるまずに悪魔と向き合えたらそれで十分なの」


 全然十分じゃない説明を聞いても、納得できない二人は訝しむ。


「急に心配になってきた。あなたにもしものことがあったら、責任は私が取るって上司に言ってきたんだけど、そんなんで本当に大丈夫なの?」


「説明しにくいんだけど、ちゃんと武器ならあるんだよ」


「道具がないのに、武器ならあるって変なの!」と陵平が文句を垂れる。


 ―――嗚呼、めんどくせぇな。


 あまり言葉にしたくはない説明なだけに、困っていた。どうせ理解できないだろうし、返って危ない真似だと余計に心配させる結果になることは目に見えている。


 頭を抱えると、突然「まどか、遅くなりました」と私にしか聞こえない声が聞こえた。


「ビョン?」


 飛び上がって喜びたい気分なのに、「私はまだ不完全です」と弱々しい声が返ってくる。


「一緒に行ってくれないの?」と心の中で問いかけると、「私の忠告を無視して、連中の拠点に一人で乗り込むなんて良い度胸ですね」と皮肉な反応だ。


「私がいなければ、あちらからあなたという存在が丸見えになるんですよ。未だ覚醒の途上にいる貴重な光の戦士を、無知で無防備なせいで倒されてしまうなんて悪夢以外の何物でもない……。あなたは自分の希少性を理解すべきです」


 久しぶりの説教に眩暈がする思いだ。


「ずっとどこに居たの? 呼んでも返事もしてくれないから、心配してたのに」


 話の矛先をビョンデットに戻すけれど、奴の方が何枚も上手だ。


「ずっとそばに居ましたよ。だけど、深い眠りの中にいました。あなたが廃墟に一人で乗り込んだ時、少しだけ私の力を貸したんですが気付いてませんでしたね? あなたはまだまだ修行が足りない……」


「実戦経験が何よりも修行になるって言ってたじゃん」


「程度によりけりです。今回のケースは相手が悪すぎます。無数の悪霊を集結させていたのは、アグネータという名を持つ色欲の悪魔」


「色欲って?」


「欲望のひとつです。あなたにはまだ早い話だから、そのうち……」


 ビョンデットがはぐらかすなんて初めてのことだ。余程耳汚しなのだろう。


「じゃあ、アグネータって悪魔の弱点は?」


「弱点はあなたの存在。だけど、あなたはまだ力のコントロールが全く出来ていない。困ったことになりました。私としては、今回の二人は諦めるしかないと言えます」


「いやだ、諦めたくない」


「では、あなたが覚醒するしかない。実戦で覚醒しようだなんて無謀すぎるけれど、時間も他の選択肢もありません。運さえ味方に付けられたら良いのでしょうが……」


 歯切れの悪さにビョンデットの迷いを感じた。


「アドバイス頂戴」


「短絡的と楽観的。そのカラッとした性格、分けて欲しいぐらいです」


 ビョンデットはため息を吐いた。


「あなたの内なる光を錬成し武器の姿に変えるのです。利き手に剣を握るイメージできますか?」


 言われて私はすぐに集中してイメージを作り上げた。

 細い真っ直ぐな剣が掌からスルリと飛び出すイメージだ。


「そう、それです。その調子で剣を振るう練習もしておきなさい。

その剣はあなたの生命エネルギー粒子の結晶体です。相手は闇の粒子の集合体。切り裂くだけでは水を切るのと同じで意味がない。これもイメージですが、その剣が突き刺した闇に向かって、一気に光を解き放つんです」


 言うのは簡単だけど、そんな複雑な事をいきなり出来るようになるとは思えなくて内心ではかなり焦った。

 イメージの中で自分が作り出した剣を握り振り回してみたけど、剣道なんてやったこともないし、剣術での戦いも滅多に見た事なんてない。


 一振りするごとに身体が勝手に動く感覚がある。

 それだけが頼りだ。


「焦りは禁物です。光を使いこなすのは本来ならかなり長い歳月をかけて修行しなければできない技なんですから」


「ハードルあげないでくれる?」


 いつか見た映画の中で、フェンシングの動きで戦うものがあったのを思い出した。細い剣は突く方が適している。薙ぎ払う動きより、突き差すイメージで何度か素振りをした。


「良い動きです。その調子で頑張って下さい」


「一緒に行ってくれないの?」


 咄嗟に縋りつく思いを言葉にしていた。やはり、ビョンデットさえ一緒に居てくれた方がかなり心強い。


「無理です」と、即答された。想定しているとはいえ、結構ショックだった。


「もしも私が必要なら、あなたはもっとご自分の光を強くすることです」


 ―――そんなこと言われても。


「光を強くするってどうやるの?」


「なんでも私に聞くのはおやめなさい。あなたは天才なんでしょう? 自分の頭でしっかりと考えてごらん。では、私はもう落ちます。疲れました」


 そう言い残して、静かになった。



 グイっと引っ張られて目を開けると、陵平と瀬良さんがまたとんでもなく心配そうに私の顔を覗き込んでいた。




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