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ダークサイド 真実は闇の中  作者: 森 彗子
第5章
20/41

深淵を覗くとき 1

 ざわざわと背後に広がる森が風の煽られて、一斉に歌っているみたいだ。


 廃墟の方から良からぬ波動が飛んでくる感覚もあるけど、急速に近付く心の距離の方が優先度が高くなっている。予定にはない展開だ。


 長い沈黙が心地良さに変わる頃、私はそっと口を開いた。


「お前も随分な苦労人だったんだな。今日まで全く知らなかったよ、ほんと」


 私は陵平の髪をクシャクシャに撫でた。長めの前髪越しに陵平の視線を感じる。野良犬に懐かれるってこういう感じなのかもしれない。学校で会う陵平はいつだって陽気で人懐っこい。でも、時々底知れない孤独のような目をしていたのは気のせいではなかったんだ。


「類は友を呼ぶっていうのは本当なんだな」


 私は皮肉をこめてつぶやいた。


「お前は大丈夫なのか?」


 陵平の問いは優しかった。


 急に嬉しくなって、その広くて大きな男の肩を抱いた。自分の体が女であることを知るように、私は大きさの違う体温にぴったりと寄り添った。長い腕に巻き付かれながら両目を閉じる。

 何年もの間、本当はこうして誰かに抱きしめて欲しかったことに漸く素直になれた気がする。


 ふと居るはずのない父親の面影が脳裏を掠めていく。私はすぐにそれをかき消した。


 今、この腕の主は大切な親友なのだ。勘違いしてはいけない。


「さっき居た場所はどうも苦手だ。要らんことばかり思い出して気分が滅入っちゃって……」


 陵平はいつもの脱力系な口調に戻って、微笑んだ。


「甘く考えてた。巻き込んじゃってごめん」


「俺が勝手に着いてきたんだ。そんなに気を遣わないでよ」


「やなこと思い出すって、結構キツイよ。

思い出さない方が幸せなことのひとつやふたつ、お前にもあるんだろ?」


「俺、格好悪いじゃん」


「なんで?」


「ベラベラと喋り過ぎたわ」


「そんなことない。格好悪くなんかないさ。ただ、普段はこんな話は誰もしたがらない。自分が弱くなったような感じがするから。実際、気持ちが弱ってしまうんだもん。無防備になれる相手ってそんなに多くはないんじゃない?」


「……そりゃそうだ」


 陵平は照れくさそうに微笑んだ。


「で、これからどうする?」


 陵平は気分が良くなったのか、柔らかな表情を浮かべている。

 目近から見える陵平の澄んだ瞳を覗き込んだ。


 上手い具合に感情を吐き出せたようだ。瞳は濁っていない。


「どうしようかな……」


 ため息を合図にシフトチェンジする。

 この瞬間から私の意識は、再び美貴の魂救済ミッションに向かい始めた。


 分厚い雲の割れ目からまるで地上に投げ込まれた槍のような光が突き刺さっている。漆黒の空気が光の中で浄化されていくような、キラキラとした大気を感じる。太陽の光や熱は本当に力強くて、ジメジメとした悪い吹き溜まりを一気に焼き払ってしまう威力があるのだ。


 私自身がもし正真正銘の光の戦士だと言うなら、私が美貴の中のネガティブな感情を一掃してやるのに。自らの意思とは言え、罪悪感のせいで悪魔に魂を渡すなんて真似はさせたくはない。まだ、生きる理由は多分にあるはずだ。美貴には幼い妹が二人いるんだから。


「もう一回だけ病院に戻って美貴の様子が知りたい。さっきので状況が変わってるかもしれないから」


 私がそう言うと、待ってましたと言わんばかりに陵平が立ち上がった。


「良いよ。じゃ、行こう」


 長い影が並ぶ懐かしい場所まで来ると、まるで夢の中にいるような気分になる。都会と違って田舎の景色は急激に変化などしない。四年前に捨てられていた自転車はもうないけれど、錆びたフェンスや壊れたガラス片が散乱した生活道路の光景はあの頃のままだった。


 裸足で家を飛び出した夜の記憶が蘇ってくる。


 ―――思い出したくない。


 咄嗟に、そう思ったけれどもう遅い。

 出来るなら過去など振り返りたくなんてない。

 前だけを見て進んで生きたい。


 そんな思いとは裏腹に、一度きっかけを与えられた暗く悲しい思い出は容赦なく胸を鷲掴みにすると、激しく揺さぶってきた。


 これもあの黒い悪魔たちの過干渉だってことも知っているのに、抵抗できない私はすっかり術中にはまってしまった。泣きたくなんてないのに、涙が溢れ出したのだ。


 葛藤とは厄介なものだ。

 ”今”を生きられなくするだけじゃなく、息さえも出来なくする。


 目の前に広がる広大な世界を、真っ直ぐな心で眺めることさえも奪ってしまう。


 サングラスのように世界の彩を影で凌辱する。

 鮮やかな色彩が雲った瞳では見えなくなり、やがて完全なるモノクロームの世界に染まる。命の輝きも、花の繊細な美しさも、のっぺりとした味気ない古新聞のようにしか見えなくなっていく。


 苦しさ、辛さ、遣り切れなさ、惨めさ。

 そして文字通り身を切るような鋭い痛みを伴う、切なさ……。


「まどか?」


 名前を呼ばれただけなのに、私は飛び上がるほど驚いた。

 いつの間にか私の前に立っていた陵平が、その大きな手で頬を包み込む。長い指が涙を拭って、労わるように優しく触れてきた。


「友達の心配も良いけどさ。

……やっぱり、今日はもう帰った方が良いんじゃない? お前も辛いんだろ?」


 辛い、という言葉が響いて胸の苦しさに締め上げられる。

 いくら拭いてくれたって、涙はそう簡単には止まらなくなっている。


「……っく。屈辱だ」


「はは……負けず嫌いなんだから」と、陵平は苦笑いした。


「言っておくがな!これは全部、あの連中のせいだからな!!」


 泣きながらけん制なんて、無様なことをしてしまうのも全部悪魔の仕業にしてしまえ。そんなことを考えている余裕があるのは、良い兆候だ。陵平の癒しは抗を制してきている証拠だと思われる。


「はいはい。普段のお前は人前で泣くなんてみっともない真似しないもんな。わかってるから、そこは笑わないから、今は泣いちゃえばいんじゃない? 俺が隠してやるからさ。こんな薄い胸でよければ、いくらでも貸してやるし」


 優しい言葉に不慣れな分、脆くなった涙のダムは完全にコントロール不能になった。


 道端で泣くなんて小さな子だけの専願特許だろうに。


 頭の片隅には冷静な自分がいて、今はただ泣きじゃくるもう一人の自分を親心のような気持ちで見守った。


 陵平がいるというだけでこんなにも気持ちに余裕が持てるなんて、新しい発見だった。






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