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ダークサイド 真実は闇の中  作者: 森 彗子
第3章
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ひとり旅 5

 あの頃、私の本音はかなり怒っていた。


 もしも世界に例えるならば、紛争地帯で突然始まった空爆のように、あらゆるものが瓦礫と砂塵に変えられてしまうような絶望感と、それに対抗する術を知らない非力な自分との葛藤で気が狂いそうな程怒り狂っていた。


 それなのに、あんなに辛い想いをどういうわけか記憶からすっぽりと抜け落ちている。



 なぜ?


 あんなに怒っていたのに、なぜ忘れられた?



「あなたは切り捨てたのです」


 ビョンデットの声が再び聞こえてくる。


「自分を取り戻すために、重過ぎる荷物を一度切り捨てたのです」


 ―――そうだ。


 私には取り扱えないほどの大きくて重い決断を大人達は下した。


 私の意志など無視。

 私の存在などお構いなし。

 それは酷く寂しくて悔しいことだった。


 でも、私はまだ子供で親の決断に従うしか道が無かったから、怒りを抱えていたとしてもどうにもできないと思ったんだ。


 切り捨てた、で正解なんだ。


 お母さんの仕事の都合で大きな町へ引っ越しが決まった時、離れて寂しいと感じたのは美貴ぐらいだった。


 そんな美貴との別れの際でさえも、あの時の私は平然とした顔で「またね」と言っただけでそっけなかった。私はこの町で経験した苦い思い出と決別したときに、美貴という大切な友をも切り捨てたのかもしれない。


 なにか口惜しさのような思いが胸に突き刺さっているような痛みを感じる。


 先程の先生の気持ちがなんとなく理解できた気がした。


「先生」


 私は、夕子先生に向かって頭を下げた。そして、笑顔を作って顔を上げた。


「心配してくれていたこと、ありがとうございました」


 夕子先生は驚きつつも優しい微笑みになると、コクリと頷いた。次の瞬間、玄関の呼び鈴が鳴った。


 先生がインターホンに出ると、私の母親の暁翠あかつきみどりがいた。


 「暁です。まどかを迎えに来ました」


 先生宅の玄関先で大人二人が丁寧に挨拶を交している間に、私は身支度を整えると母親の元へ行った。靴を履き、もう一度先生に向かってお礼を込めて頭を下げた。


「ご馳走様でした。先生とお話出来て良かったです」


「私も暁さんとお話出来てとても嬉しかった」


「先生、何もしないで信じて見守ることも優しさだって前に言ってましたよね」


「え?」


「だから、謝ることなんてないですよ。だって、先生はいつだって生徒のことを心から心配して出来ることを探して一生懸命で。そういうの、ちゃんとわかる子にはわかるんです。


きっと、不登校になっている子にもそれはいつか伝わりますよ。こんな私にだってそれぐらいのことわかったんですから」


 先生は両目いっぱいに涙を浮かべている。


「ありがとう」


 私は軽く頭を下げて玄関を出た。そしてお母さんの車の助手席に乗り込むと、玄関前に出てきていた先生に手を振った。


「なにはともあれ、良かったわね」


 お母さんが発進してすぐにものすごく軽い感じで言った。


「怒られるかと思ったけど、怒ってないんだ」


「怒ってるわよ。でも、高橋先生に会ってたなら話は別」


「どうして?」


「こっちの事情で突然転校するってなったとき、あんたのことを物凄く気遣ってくれたんだもの」


「そうだったね」


 私は窓の外を眺めた。


「あのさ。お母さん。お願いがあるんだけど」


「まどろっこしいわね。さっさと言いなさい」


「佐伯美貴ちゃんて覚えてる?」


 お母さんの横顔が驚いた。


「……あの子の家、ニュースになってるでしょ?」


 前方を見ずに私のことをきつく睨んだ。


「前見てよ。危ないから」


 お母さんは眉間に皺を寄せながら運転に戻った。


「で? お願いって何?」


「佐伯家の前に行ってくれない?」


 私がそう言い終わらないうちに、お母さんはハンドルを切っていた。


 夜の八時を過ぎて、田舎の住宅地は静寂の中にあった。火事に遭った佐伯家の近くに車を停めて貰った。


「ちょっと見てくる」


「なにを?」


「ちょっとね」


 私は助手席を抜け出して、夜風に晒された。

 この季節は日が暮れると肌寒い。


 もうすぐ夏だとは思えないほどひんやりとした夜だ。


 築五年程の大きめの住宅はリビング中心に燃えたようで、庭に出る大きな窓が割れてブルーシートが貼られていた。警察のキープアウトの黄色いテープが張ってあるのを私はくぐり抜けて現場に足を踏み込んだ。すると、背後からお母さんの声が聞こえたが無視した。


 室内は焦げ臭かった。


 よく燃えたらしき跡を眺めていると、ビョンデットが喋り始めた。


「火を点けたのは美貴さんじゃないようですね」


 私は煤けている食卓テーブルに手をのせた。すると、眩い光の洪水が脳裏に流れ込んできた。


 小さな子供の泣きじゃくる声がする。そして熱風を感じた。

 背の高い美貴の姿が目の前に現れる。幼い子供を抱いて、さらに腰に纏わりつく少女がいる。美貴は二人を火から遠ざけようと必死だ。美貴の視線の先には、真っ黒いマネキンが歩いていた。


「あれは」


「あれは廃墟にいた黒い悪魔です」


 悪魔の手には燃え盛る炎が握られていて、それをこちらに向けて投げてきた。


「なにあれ。あんなこと出来るの? マジで?」


 私が声を発すると、幻は霧のように灰色に染まって散在してしまった。


「あ~あぁぁ」


 ビョンデットは「集中力がないようですね」とため息交じりに言った。


「わかってる。つい、吃驚しただけなんだからね!」


 そう言い訳しながら、私はもう一度焼け残ったものに手を置いてみたがダメだった。


「チャンスは一度きりなんです」


 ビョンデットは坦々と言う。


「くそ!」


「落ち着いて下さい。まどか」


「これじゃ、せっかくここに来た意味がないじゃん!」


「焦りは禁物ですよ。まだ手掛かりはあるようです」


 私はこの瞬間になぜか二階が気になった。


「あっちになにかあるみたい」


 そう言いながら、階段を登って行ってみることにする。


 この家には何度か来たことがある。当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。


 美貴の部屋なら知っている。でも、私がまず行かなければならないと感じた部屋は別の部屋だった。階段を登り切って左手の部屋のドアを開けてみる。火事だったとは思えないほど綺麗な主寝室だ。私はベッドサイドのランプを掴んだ。すると、また先程のように再現映像が立体画像のように出現した。


 背広を脱ぐ男性と、背広をハンガーにかける女性がいる。男性がネクタイを外してワイシャツの前を開けると、そこに女性が抱き着いた。


 女性が何かを訴えるようにしな垂れかかると、男性は女性をベッドの上に放り投げた。女性は髪を整えながら立ち上がり、部屋着を着替えている男性の背後に迫ると手に持っていたネクタイを首にかけて締め上げた。男性は抵抗しようとしたが、締め付けられた喉元に手を持っていくとグッタリと床に倒れ込んだ。女性は男性をそのままにしてスリッパを履くと部屋から出ていった。


 私は集中力が切れないように慎重にその後を追った。



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