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ダークサイド 真実は闇の中  作者: 森 彗子
第3章
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ひとり旅 4

 先生はインスタントラーメンを作ってくれた。


 どんぶりの真ん中に浮かぶ温泉卵のような卵に私はなぜか感動を覚えた。箸で割ると黄身の芯が半熟で、とろりととろけている。濃い黄色が鮮やかだ。そして、その脇に添えられているほうれん草が嬉しかった。


 いつも自分で作るインスタントラーメンはなにも入っていない。なにか入れようとは思わずに、ただ食べたいという欲求のみで無造作に作るのだ。簡単で早くて温かい食べ物だけど、お母さんは「食べ過ぎるなよ」といつも口を酸っぱくして言う。


 お母さんは仕事をしている。何かのセールスをする仕事のようだが、私はあまり興味がない。


 私は一人っ子だ。だから、一人でいることに何の違和感も寂しさもない。寂しくないという言い分はちょっと微妙になってきているけど、基本一人のほうが落ち着くのだ。


 夕子先生が隣で同じラーメンを啜っている音が耳に入ってくる。これはなかなかないシチュエーションだ。


 顎を動かして口の中で麺を噛み砕く音がはっきりと聞こえてとても気になったが、それが決して害ではない。むしろ、人の気配があるということが新鮮だった。お母さんと一緒にご飯を食べることがほとんどないので、私はこの妙な居心地の良さにウットリとした。


 「食べながら聞いてね」


 と、夕子先生が話始めた。


「あなたと佐伯さんて似てるなって先生思ってたの」


 私は箸を休めて、先生を見た。

 先生と目が合った。


「暁さんのご家庭の一大事に、先生助けにならなかったわね。ごめんね」


「え。そんな、謝られても……」


「あの頃、あなたは壁を作ってクラスの友達を拒絶しているようだった」


 そう言うと、夕子先生は仕草で食事を続けるように促した。

 私はラーメンを睨んだ。卵が沈んでいく。


「先生は何をすればいいか、正直言うとわからなかったの。


今も担任を持っている生徒の中に、家庭の問題を抱えて辛そうな子が一人いてね。時々学校に来なくなることがあって、先生は電話をかけてみるんだけど居留守なのかわからないけど電話にも出てくれないのね。


全く連絡がつかないと心配になって、何度かお宅まで行ってみたんだけど。

家の中に誰かいるような気配があるのに、誰も応答してくれない。十分ほど粘って待ってみるんだけど全然出てきてくれない。


お手紙をポストに入れても返事なんてない。

どうすればあの子を助けてあげられるのかわからなくて困ってるの」


 その子は助けを求めているのだろうかと、疑問に思った。


 「先生に何かサインを送ってきたことがありましたか?」


 私の質問に、夕子先生は身を正した。


「……これっていうのがないかな……」


 考えながら慎重にそう答えてくれた。


「あのですね。先生。勘違いしてることもあると思うんですよ。

私は一度だって先生に助けを求めようと思ったことはなかったんですよ」


 先生は驚いた顔をした。


「私は確かにあの頃、一人でいることの方がラクでした。だから人を寄せ付けないように壁を作ってたように見えて当たり前だと思います。


家庭問題って、両親の間の問題だと子供はどう受け止めて良いのかわかってないんですよ。


成り行きをただじっと見守っているだけで、やることがないんです。


私が離婚を反対したって無駄だと悟りました。一度完全に信頼関係を失った男女がつがいでいることはとても難しいようでした。


うちも美貴の家と同じでお父さんが不在がちな家で、お母さんはハッキリと教えてくれなかったけど、どうもお父さんには別に帰る家があったようなんですよね。そういうことも雰囲気とか断片的な会話の中から広い集めた情報を繋ぎ合わせて、私なりに考え付いた答えだったんですが、そういう作業をしている間は余計な人間関係が煩わしいと感じていました。


私は必要としていませんでしたよ。助けなんて、期待していませんでしたよ。

そういう人もいるんです。だから、確かな情報もなく勝手に自分責めるのは違うと思います」


 先生は黙り込んだまま、ラーメンを食べるのを止め箸を置いた。そして、何を言うべきか悩ましいような表情を浮かべてため息を吐いた。


「私に謝ってもらっても、私は何も言うことがないんです。先生」


 私はそう言って、ラーメンをがつがつと完食した。先生はその間ずっと黙り込んでしまった。しょうがなくなって、私から先生に質問することにした。


「ね、先生。美貴はどうでしたか? 助けを求めてる様子ありましたか?」


 先生は頷いた。


「そういえば……。卒業文集のとき、将来の夢が見えないって言って泣いたことがあったわ。あれは放課後、他の生徒達が皆帰った後で教室に二人きりになったの。それまで一度も見たことがないくらい深刻そうな顔をしてて……。いつも利発で大人しい彼女が初めて見せた子供らしい表情だったわ。

 翌日は普段と変わらない明るい笑顔で学校に来てくれて、作文も上手に纏めてあったからもう大丈夫だって思ったんだけど、そうじゃなかったのかもしれないわね」


 そう言いながら、先生は隣の和室に入っていって「確かここに」と独り言を言った。

 何かを探している。おそらく、文集だろう。


「あったわ」


 先生は右手に藤色の表紙がついたA4サイズの冊子を持って戻ってきて、佐伯美貴のページを開いてテーブルの上に載せた。


 作文で将来の夢は語られていなかった。それを見つけるために色んなことに興味を持って、積極的に関わって行くという風なことが書いてあった。


「普通だね」と、私が言うと先生も頷いた。


 私はこれを書いている頃、一番自分の殻に閉じ籠っていたことを思い出していた。


「私の作文て・・・」


 先生はすぐにページを捲って見せてくれた。懐かしい字が並んでいた。


「警察官?」


 自分でこんなことを書いたとは思えなかった。なぜ、こんなことを書いたのかはっきりとした記憶がすぐに出て来ない。


「なにこれ?私ってば、こんなこと本気で考えてたっけ?」


 そして私は気が付いた。自分のことなのに無かった事のように忘れてしまうことがある。


 喉元過ぎて、その当時の事なんて思い出すこともなくなれば記憶として劣化するんじゃないか?


 私は二年前の自分が書いた文字に指を乗せてみた。すると、指先から魔法のように映像が脳裏に流れ込んできて色んなことを思い出した。


 旅行カバンを担いだお父さんの後姿が見えてきて、切なさが蘇った。

 お父さんはとても冷たい態度で、最後の一言もなく私の前から去って行ったのだ。


 気分が沈んでいく。

 エレベーターで地下よりもさらに深みへと落ちていくような、この感覚はとても不快だ。


 さらに、不誠実が許せないという強い怒りが込み上げて来た。

 私はお父さんの全てが許せなかった。




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