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リリスの娘  作者: 茶無
9/12

09



 宴は夜遅くまで続き、最後のお客様が帰るとようやく一息つくことができる。月に一度の大仕事を終えさすがにみんなお疲れムードだ。

 ハダル先生やメサルティムや他の羊さん達がその最後のお客様を見送りしていた。

 最後のお客様というのは、ポラリスを買ったあの男だった。


「私としたことが、長居をしてしまったな!」

「今夜はお楽しみ頂けた様で……。それではお客様、指輪(・・)の返却をお願いいたします」

「いやいや、これは貰っておこう。なかなか小気味の良い一品ではないか」

「それは困ります。その指輪は売り物ではございません。もしどうしてもというのでしたら『星堕ちの日』に改めてポラリスを買ってやって下さいまし」

「なんだ指輪のひとつくらい良いではないか」

「…………ここのルールは守って頂きませんと」


 ……何やらハダル先生が男と揉めている様子だ。

 剣呑な空気が漂ってくる。ハダル先生はお客様に対して礼儀正しい姿勢を崩さないけど、さっきから遠巻きに見ているボクまでピリピリしてくる。尻尾の毛が逆立ってきた。


「最後通告でございます。ルールを遵守し、今すぐにその指輪を返却して下さいまし」

「フン、嫌だと言ったら?」


 ハダル先生は「最後通告」と言ったのに、空気の読めない貴族が高慢に口を歪ませてそう言った、……次の瞬間。


 何が、起こったのかわからなかった。


 いやボクの目にはそれが見えていたけど、それを頭が理解するのに時間がかかった。

 ハダル先生が片方の足を後ろに引きスカートの端を指で摘まんで優雅に一礼したのだ。ボクも教えられた理想的なCurtsy(カーテシー)だ。そしてそのやや低い姿勢のままくるりと体を半転させて、スカートが優雅にひらめいて、


 後ろ足で、

 あの(ひづめ)の足で、

 貴族の顔面を思い切り蹴り飛ばした。


 貴族の男は体ごと吹っ飛んで壁に叩きつけられた。ボクの頭が何が起こったか理解したのは男の体が床に落ちるのを見てからだ。物凄い速さだった。

 ボクの目だけが一連の動きを捉えていて、砕けた顎の骨が頭蓋の中心までメリ込んで、飛び出した目玉の一つが一瞬前まで男が立っていた場所に残っている。

 そしてハダル先生の(ひづめ)が目玉を踏み潰し飛び散った血と脳片を踏み付けてカツカツと男に近づいて、血を吹きながら痙攣でまだ動いている男の指から指輪を回収した。


「シリウス!」


 ビクリ!と体が震えて跳ねた。

 人が……、

 目の前で人が、死んだ。


 一瞬で。頭がひしゃげて潰れた。

 それを(・・・)した(・・)ハダル先生が、ボクを呼んでいる。


「聞いているの? 返事をしなさいシリウス」


 体が震える。

 ボクの耳が人間の頭が砕ける音を聞いた。

 ボクの鼻が人間の血と脳漿の臭いを覚えた。

 尻尾が足の間まで下がって、とにかく、怖い。


「…………ハァ、ここはいいわ。ポラリスの様子を見に行ってやりなさい」


 そう言ってハダル先生はアレコレと羊さんたちに指示を出して、床の遺体をヒョイと担いで外へと出て行ってしまった。

 汚れた床も壁も、何事も無かったかのように数人の羊さんたちに片付けられていく。

 何事も、無かったかのように……。





 ハダル先生に言われた通り、その場を後にしてポラリスの様子を見に行く事にした。

 凄惨な現場から一刻も早く立ち去りたかったし、ポラリスのことが心配だった。


 あの貴族とポラリスが使っていた個室。

 扉を開けると、酷い臭いに思わず顔をしかめた。部屋中を鼻をつく刺激臭と汚物と精液の生臭い臭いが充満していて、明かりも無くただ暗い。

 部屋に入るとボクの眼はすぐに闇に慣れてくれる。


 ポラリスは裸で床に転がされていた。


 酷く汚れてベタつく粘液に塗れ小さく痙攣している。呻き声を漏らし白目をむいて気絶した褐色の裸体がところどころ赤くなって、周りにはどう使うのかもわからないような形状の器具が散らかっていて拷問部屋を連想させた。特に首の傷が酷い。どれだけ掻き毟ったのか、首輪の周りの肉まで抉れ血が固まって目を覆いたくなる有り様だ。爪もいくつか剥がれてしまっている。鼻が曲がりそうなほど臭かった。


 こんな……、

 こんな酷いことをされるのが、ここ(・・)の日常なのだろうか。ポラリスはリリスの娘だけど、ほとんど体は女の子なのに。それをこんな風に扱うのか。だとすればそんな男死んで当然だった。


 誰もポラリスを助けてはくれなかった。それは今までのポラリスの態度が悪いのかもしれないけど、ボクはそれを知らない。

 ただ自分はまだ男だと主張して理不尽に対して抗っていただけだ。罰だとすれば、こんな酷い仕打ちに値する悪事を働いたというのか。ボクにはそうは思えない。

 あんな自信満々にボクに目標を語っていたポラリスが、首輪一つでこんな事になってしまった……。

 この首輪を使われる痛みを、ここのみんなは知っているはずなのに……!!


 汚れたポラリスをどうにか担ぐ。

 ボクの体は小さくポラリスは大きい。だが背中に背負うと苦もなく立って歩くことが出来た。リリスの娘は力が強いと言ってたけど、とにかくポラリスの体を洗ってあげないと……。





「あ! メサルティムちょうどいいところに!」


 ポラリスを担いで廊下を歩いているとよく知る羊さんがいた。他の羊さんたち同様忙しそうにしていたけど呼び止める。


「何かご用ですか?シリウ……、何の臭いですか?」

「臭いは気にしないで! ポラリスをお風呂に入れたいんだ」

「大浴場はもう閉めている時間です」

「そこをなんとか」

「そんな上目使いでおねだりされても……。ニハルとアリアとアンサーが当番だったはずですが、もう寝ているでしょう。今から沸かすのは大変ですよ?」

「やり方を教えて!」


 すぐにでも体を洗ってあげたいがお湯が沸いてなければ風呂どころかシャワーからも水しか出ないのがこの城の給湯システムだ。


「浴場の外周にボイラーがありますので水を溜めて窯で薪を焚けばお湯を沸かせます。薪をたくさん使うので大量の湯を沸かすのは許可出来ませんが、シャワーを使う程度なら大丈夫でしょう。一度煮沸させて、温度計を見ながら50℃程度になるよう水を足して下さい」


 やったことないので自信は無いけどやるしかない。

 出来ればお風呂に入れてあげたいけど……、あの大浴場いっぱいお湯を沸かすのには数時間はかかるだろう。


「私は着替えとタオルを用意します。脱衣室に置いておきますね」

「ありがとうメサルティム!!」


 そうと決まればすぐに取り掛かろう。

 まずは適当な個室からシーツを拝借して大浴場に向かいぐったりしたままのポラリスを脱衣室でシーツに寝かせてやる。

 そして窓から城の外に出て周りを探す。もう深夜なので暗かったけどこの眼には問題ない。メサルティムの言う通りにボイラー室の扉があった。ちゃんと薪もある。

 ボイラーに水を溜めて窯に薪を数本投入し、そこでハタと気がついた。


 どうやって火をつければいいのだろう?


 薪を直接燃やすことは出来ないが、幸い一緒に松ぼっくりのような乾燥した何かの植物の実が並べられていた。これに火をつけて種火にするのだと思う。

 でも肝心の火が無い。

 ここにはチャッカマンはおろかマッチの一本だって無い。火打ち石すらも。

 ど、どうすればいいんだ!?


「……こんな時間に、誰かと思いましたわ」


 !?

 慌てふためいて気付がなかったが、この匂いは……、


「ベガ…さん?」

「見回りの当番ですの。扉が開いていたので見に来たら、ここで何をしていますのシリウスさん?」


 流麗な仕草でボイラー室に入って来たのは、ベガさんだった。

 明かりも点けていなかった室内が、ベガさんの羽根でぼんやりと明るくなる。

 羽根……、


「…………」

「ちょっと? シリウスさん?」


 ベガさんの羽根は、燃えるのだ。

 何故かわからないけどボクにはそれがわかる。きっとそうだ。炎翼鳳凰とかなんとか言ってたし。


「ベガさん、お願いがあるんですが」

「……ワタクシの質問は無視ですのね。一体何ですの?」

「羽根を一枚、下さい」

「はぁ? イヤですわ」

「そこをなんとか」

「そんな上目使いでおねだりされても……、ワタクシの大切な羽根ですのよ? 理由くらい教えて欲しいですわね」


 うう……、やはりそうなるか。

 ベガさんとポラリスはあまり仲がよろしくないようだった。答えてもあまりいい結果にならないと思うけど、答えなくてもダメそうだな。頼む方が誠意を持つとしよう。


「ポラリスがイジメられて、汚れて酷い状態なんです。せめてお風呂に入れてあげたくて……」

「絶っ対っ!! イヤですわ!!」

「そこをなんとか」

「上目使いでおねだりされてもイヤなものはイヤですわ! どうしてワタクシがポラリスを助けないといけませんの? あの娘の自業自得でしょう!」


 く……、やはりダメか。

 仕方がない。木の棒を回して擦ってでも……、


「……ですが、まぁあなたには恩を売っておくのも良いかもしれませんわね」


 ボクが適当な木の枝を探しに行く前に、ベガさんは、

 淡く光る緋色の羽根を一枚手に取り、息を吹き掛けて窯の中へと放り込んだ。


 瞬間、


「わっ!」

「これはあなたとポラリスに貸しておきますわね」


 ボンっ!と小さな爆発かと思うような勢いで窯の中に煌々とした炎が入った。

 温度計を見るとみるみるボイラー内の水温が上がっていく。凄い熱量だ。あっという間にお湯が沸いた。


 ベガさんはボイラーの扱いに慣れているようで、手早い操作で熱量を調節して湯温を安定させてくれた。


「それではワタクシは戻りますわ。くれぐれもワタクシの羽根を安く見積もらないで下さいましね?」

「あ、ありがとうベガさん!」


 ボクが火を点けてたんじゃ何時間掛かるか分からなかった。

 ボイラーの操作も、本当に助かった。


「べ、べつにあなた方のためではありませんわ! あくまでこれは貸しですからね! 恩義に思うならちゃんと返して下さいな!」


 ツンデレなベガさん。

 思ったより恐い人でも、悪い人でもないのかもしれない。



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