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「う…ん……」
頭が痛い。
寝覚めは最悪で目を開けてもしばらく焦点が合わなかった。固い床で寝ていたみたいで身体もあちこち痛い。気分はサイテーだった。
やっと視力が回復する頃には頭痛も収まってきて眠る前の出来事を思い出して飛び起き、辺りを見回す。
またどこか別の場所だ。石造りで窓が無いのは同じだけどいくつか簡素な調度品が置かれているし照明もあって明るい。自分の身体もよく見えた。
……どう見てもそれは、自分の身体には見えなかった。
「なん…だこれ……、どうなっ……」
石の床で僕は、裸で寝ていた。
その裸の身体のあちこちが、妙に毛深いのだ。
それだけではない。もともと大柄な方ではなかったけど明らかにサイズが縮んでいる。
そして何よりもだ。
股間にあるはずのモノが、きれいさっぱり喪失くなっていた。
「ちょっと……、ちょっと待って……」
声変わりをリセットしたような自分の声も気になるけど喉に、というか首にも違和感がある。頭にも、お尻にも。
首を手で探ると信じられないことに金属製の首輪がガッチリ着けられていた。
頭に手を伸ばすと長く伸びた髪の中に確かに感覚のある突起がある。動物の、耳みたいな…。
お尻には言い訳のしようもないほどしっかりと尻尾が生えている。感覚もある。もふもふだ。
「かがみ………」
部屋には鏡もあった。
そこに映る僕の姿は……、
銀色の長い髪に銀色の毛並みが体のあちこちにも。
頭には犬耳。お尻から銀色の尻尾がもふもふ揺れている。
身体は小さな、少女のものになっていた。……いや少女のような、犬のような。
一体どういうことだ? 僕の身体はどうなったんだ?? あのフード男に何をされた???
混乱したまま震える足で部屋から出ようとすると唯一の扉が勢いよく開かれた。
部屋に入ってきたのは長身の女性で、僕の姿を見るとよく通る声で、
「せりびき なのわいつみさの らるく」
あれ?? また言葉がわからなくなってる??
なんで? あのフードの男のおまじないは時間で効果が切れるの?
「あ、あの、アイム…、アイム、きゃんとすぴーく……」
「せるてぃーば」
僕がさらに混乱を増していると、長身女性は持っていた布をこちらに放り投げてきた。
広げてみると、なんだこれ? 穴の開いた白い布だ。
頭に?を浮かべていると長身女性が布を引ったくり、それを僕に頭から被せてきた。開いた穴に頭が通って…、あぁ服なのかこれ。よく見れば一応袖もある。小さめのワンピースだ。
服を着たのを確認すると今度は小さい布を渡される。パンツだった。下が心許なかったところなので素直に穿く、……と、予想より小さくて腰まで上がらない。
あ、いや違う。これローレグだ。
尻尾があるから普通の穿けないのか……。
パンツも穿くと長身女性は僕の手を引いて部屋を出た。
廊下が続く。いくつもの扉を横切りながらカツカツと前だけを見て歩く女性の足を見て僕はギョっとした。カツカツ鳴っているのは石の床を踏む固い靴底などではなかった。
蹄、である。
馬のような蹄。風変りな靴を履いているようには僕の目には見えない。素足から直接生えているように見える。
はっと見ればお尻からは同じく馬の尻尾。一体どういうことだ。コスプレだとすれば多くの人を驚かせられると思うけど……、今の僕自身の姿を考えると冗談とは思えない。
「 ―――――――― !! 」
今度は変な声が聞こえてビクリ。犬耳と尻尾が自分の意志と無関係に動いて自分で気持ち悪い。
叫び声のようなうめき声のような、石壁に反響しているのか恐怖心をひたすら煽る音が聞こえてきた。
「いいいまの声は……??」
「まがろ らるく」
馬の女性は質問には答えてくれず、手を引いて歩くだけだった。言葉がわからないので同じことかもしれないけど。
廊下の途中でひとつの扉を開けて中に入ると大きめの机があった。その上には分厚い本が数冊積まれている。壁の本棚にもいくつかの本が並んでいて、そこは勉強部屋のようだった。
「ちや」
馬の女性が机の椅子を引いて、どうやら座れということらしい。
本の文字はまるでわからないが、ページを開くと図鑑や絵本がほとんどの様子。
本当に勉強部屋なんだ。
「ぺいあおー わー あかさろよも てく」
えぇ……、
えぇ本当に…?
本当にイチからこの世界の言葉を僕に覚えさせようとしてるの?
「……って、出来るかああああああ!!!!」
もう我慢の限界だ! 僕は勉強するために異世界に来たわけじゃない!
わけわからないままこんな姿にされるためでも、ましてや女の子にされてローレグなんて穿くためでもない!!
僕はまだこの異世界の外の景色すら見ていない。窓も無い閉鎖空間でひたすら閉じ込められているだけだ。僕に一体何をさせたいのかわからないけどいい加減僕だって怒るときは怒る!
鼻息荒く怒りを爆発させる僕に、馬の女性は、
「…………、はぁ……」
とため息をついて、
「なち ばーれや」
意味の分からない何かを呟いた。
「!?」
すると僕の身体が、まるで金縛りのように動かなくなる。
なんだまた何かされてるのか!?
本当にわけわからないことの連続だ!
「まがろ ちや」
もう一言何かを言われると、今度は痛みが、
痛みが、、、
しんじられない、 いたみが、
「うぁ……、な、あ……」
痛い。
「あ、あっっぎ……っあ˝ぁあ˝っああああああああああ!!!!!!」
くびの、うしろから、
はもので、さされて
せきついを、とおして、
のうを、えぐられる、ような
「がぁあぎゃああっ!!!!
あ˝っぐがっっぎいぃやあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
痛い
痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!
首輪だ。取り付けられた首輪の内側から針のようなものが伸びてずぶずぶと首の骨の中を進んでいる。
頭がひき肉になりそうで自分の意識がまだあるのか無意識なのかわからないままガリガリと爪が首輪を外そうと自らの肌を掻きむしる。
身体が暴れて床を跳ねている。自分にこんな力があったのかというほどに歯を食いしばり、足に生温かい感触が伝って、自分が泡を吹いて失禁していることがわかった。
死ぬ。
不思議な感覚で、身体を暴れさせる脳が痛みを感じる部分から冷静な感覚を切り離したみたいに身体の状態がまざまざと理解出来て、すぐに自分が死ぬことがなんとなくわかった。
「てりびまいがいん」
次の言葉で、痛みは消えて無くなった。
本当に嘘のように消えて無くなって、後に残ったのは大きな疲労感だけ。僕は身体を暴れさせて床を転げ跳ねまわり、首輪と首を掻きむしって血だらけになっていた。
恐る恐る首の後ろに触れる。何ともなっていなかった。金属の首輪の内側に指を差し込んで探るも、そもそも仕掛け針が飛び出すような作りが無さそうだった。自分自身の爪で掻きむしった傷だけが痛みを残している。
「まがろ ちや」
馬の女性が言葉を呟く。
それだけで僕の身体は竦み、意味のわからない言葉にも全力で従おうととにかく椅子に座った。
あの痛みは感覚としては消えて無くなったけれど、
僕の記憶にしっかりと痕を残した。