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異世界でケモミミ少女にされて早数ヶ月。
首輪を着けられた奴隷の身では城からあまり遠くまで離れられないけど、一定の範囲内のまでならある程度自由に振る舞える。近くなら城の外に出てもOKみたいだ。
青い空。白い雲。
照りつける太陽。
どんどん近づいて来る眼下の地面。
回る世界。
川の向こうで手を振る人。
「シリウス〜、受け身取らねえと死ぬぞ〜」
脳細胞に過電流を感じるほどの集中力とおそらくはボクと合成された魔獣の本能によってどうにか飛び込み前方回転受け身の要領で一命を取り留めた。
信じられない。ついさっきまで自分の寝ぐらでぬくぬく寝ていたはずなのに、今朝いきなりポラリスに「食える実が成る木を教えてやる」と連れ出され城の裏で酸っぱい実を齧らされたと思ったら空高く投げ飛ばされて臨死体験だよ。
「おいおい大丈夫か? お前ホント軽いな〜」
今しがたボクを投げ飛ばした殺人怪力白熊娘に手を貸してもらって立ち上がると自分が30m程度の空中遊泳を終えていたことがわかって驚いた。
「ポラリス……、てかげんっていうことば……」
「んん? 震えてるぞシリウス。寒いのか?」
「たしかに今まで体験した事のない寒気だよ!! なんでいきなり投げ飛ばした!!言え!!」
「そう怒るなよ。訓練だよ訓練」
三途の河の見学ツアーで一体ボクの何が鍛えられるというんだ? 巫力か?
「立派な戦士になるにゃ訓練を欠かさないことだ。村長が言ってた」
「べつにボクは戦士になりたい訳じゃ……」
「なんだお前? それとも性奴隷がいいのか?」
ぶるぶると首を振る。
それだけは絶対イヤだ。
「オレも二度とゴメンだな」
今度はポラリスが震え出した。自分で言ったくせになんだこの熊……、この話題は誰も幸せにならないのでやめた方が良さそうだ。
「ヨシ! シリウス、もっかい行くぞ!」
「う〜、ちょっとは手加減を……」
「大丈夫だオレの動きをよく見ろ。んでもって、気合いだ!」
「ギャー!」
再びボクは空を飛んだ。
再び眼下に世界が回る。
青い空。白い雲。
照りつける太陽。
笑うポラリス。地面。今までの思い出。
遠くの山。近くには城。
城の窓から見える他のリリスの娘たちとーーーー、
……回る世界の中で一瞬、見逃せない人間をこの眼が捉えた。
○
「おいどうしたんだよいきなり!」
「3階だ!!北東側の廊下!!」
たしかにいた……!!
ポラリスに投げ飛ばされて空から見えた!!
「 あの魔法使いだ!! 」
ボクをこの異世界に召喚してこんな体に変えた張本人。
泥のようなフードを被った、あの妖しい魔法使いだ。
ポラリスの手を引いて大急ぎで城の中を走り階段を駆け上がる。絶対に見失う訳にはいかない。ほんの一握りでも情報を引き出さなければ。
どこだ? さっきは廊下を歩いている様子だった。一瞬だったからよく見えなかったけど誰かと一緒だったはずだ。
どこへ向かっていた? 集中すると覚えのある感覚が……、匂い。これはハダル先生の匂いと……そうだコレがあの魔法使いの匂いだ! 辿れるぞ! 歩いていた痕跡が分かる!
「ここだ!」
「ここ、ハダル先生の部屋だぜ?」
「…………」
ハダル先生に何の用があるんだあの陰険魔法使いは。
部屋の扉に張り付いて聞き耳立ててやる!
「……おい、やめた方がいいぞ」
「こんなチャンスを逃せない!」
「でも仕事サボってんのバレたら面倒だぞ?」
「仕事サボってボクを投げ飛ばしてたの!?」
「その上コソコソ部屋に聞き耳立ててたらまた尻シバかれる」
「いいよポラリスは尻でもなんでもシバかれればいい」
「お前もシバかれんだよお前も今日から仕事あんのサボってんだから」
「仕事サボらせるために朝からボクを拉致したのか!?」
くそ、作戦にペナルティが付いてしまった。
……まぁいい。とにかく今は中の魔法使いだ!!
耳をピンと立てて扉に付けると、ハダル先生の声と、あのイヤらしい声が聞こえてきた……。
○
やってくれたねぇ お前 よくもまぁやってくれた
何がでしょうか?
ミラク様を蹴り殺したそうじゃぁないかぃ よくも貴族様を殺してしまったねぇ
あの方は指輪を持ち出そうとしました
だからってねぇ殺すことはないだろぅ えぇ
ポラリスに酷い扱いを いえ 御主人様から無礼討ちの許可は得ております 問題はありません
大有りだよお前はまったく 貴族様を殺してタダで済むわきゃないだろぅが いくらアリエス様のご威光があったって
しかし勝手を許す訳にはいきませんでした
おかげでみんなパーだよお前らの頭ん中みたいにさ このパーどもが 今までのぜ〜んぶが御破産 どーせぜ〜んぶあたしゃが悪いってことになるのさ お前にゃわからないだろうがねぇ
あなたの事情は知りません 私は御主人様にここの管理を任されていますので
黙らっしゃい 今すぐそのすました顔を引き裂いて豚の餌にでもしてやりたいけどねぇ そんなヒマも無くなっちまったよ
でしたらもうお帰りになられては
口の減らない駄馬だねお前は もういいからちょいと黙っといでよ
○
……もっとボクが欲しい情報は出ないのか。魔法使いの弱味とか普段の居処とか首輪のシステム的な抜け穴とか。
うーん、どうやらハダル先生が蹴り殺した貴族の話をしてるみたいだな。やっぱり貴族を蹴り殺して大丈夫なことはないよね。そういえばポラリスもあの貴族のタマタマ蹴り上げたって……、
「ねぇポラリスは大丈夫……」
「おいシリウス、マズいぞ!」
ポラリスはボクが聞き耳を立てている間に廊下の角を誰か来ないか見張ってくれていたようだ。
そしてその角の向こうから誰かが来る気配が……、あ、これメサルティムの匂いだ。くそっ、まだ何も情報を得ていないのに。タイミングの悪い羊さんだ。
ポラリスがボクを拉致して仕事サボらせなければ、と思ったがそれが無ければ魔法使いの来訪にも気付けなかった。白熊を恨んでも仕方がない。
「うぅ……仕方がない。逃げないとハダル先生にお尻を鞭でシバかれる」
「二手に分かれて逃げようぜ。見つかった方が尻叩きの罰だ」
「それも訓練なの?」
「もちろんだ。罰とかあると気合が入るだろ?」
「……………………いいよ」
そうしてポラリスは窓を開けてそこから外へ乗り出した。
城の外壁をよじ登って逃げるつもりらしい。「こりゃ勝負はオレの勝ちだなシリウス!あばよ!」と残して3階の窓外へ消えたポラリス。開けっぱなしの窓を見ればメサルティムは疑問に思うだろうのに……、そう思いつつ窓際にさっきの食べられる酸っぱい実をそっと置いておくことにしよう。
「シリウス? 何をしてるんですか?」
「やあメサルティム。奇遇だね」
「こんなところで仕事もせずに……、ベガが探していましたよ」
「ちょっとポラリスに拉致されてて」
「ポラリスが? 随分と気に入られてましたものね。あ、窓も開けっぱなしで……このケーチゴの実は確かにポラリスがよく食べているものです。窓から外へ出たんですか? もう!こんなところ散らかして!ハダル様に言いつけます!」
常日頃から羊さんポイントを稼いでいるボクにはどうやらお咎めは無し。これは勝負はボクの勝ちのようだなポラリス。
投げ飛ばされた仕返しだ。本当、かなり怖かったからね?
「シリウスもあまりサボっていると一緒に言いつけますよ」
「ベガさんが探してるんだっけ? もう行くよ」
ベガさんには借りがあるのだ。あまり悪い印象を持たれたくない。
ハダル先生の鞭も怖いし、ボクは素直に仕事とやらに戻るとしよう。
○
さて、ベガさんはどこにいるだろうか?
アバウトに階段を降りて来たのだけど、3階に居たはずなのに4つ以上の階段を降りた気がする。さっきから廊下には窓も無いし地下にまで降りてきてしまったようだ。
小さなお城とはいえ廊下や階段が結構入り組んでて複雑な造りなんだよな。これは迷ったのかも……。
いや……、この廊下はなんだか見覚えがあるな……。
「 ―――――――― !! 」
叫び声のような呻き声のような、不気味な音が石壁に反響して聞こえて来る。
ああ、ここ最初に連れてこられた場所だ。
思い出してみれば確かによく知る廊下だった。ハダル先生に言葉を教育された勉強部屋や仮の寝所として数ヶ月を過ごした部屋もある。
………………。
だとすればひょっとして、ボクが召喚された部屋もあるのではないか?
前はほとんど自由が無かったけど、ここは地下とは思えないほど無数に部屋の扉が並んでいる。ひょっとしたら魔法使いの部屋や、あの淡く光る魔法陣の部屋もこの中にあるのかもしれない。
そう思い立って片っ端から部屋の扉を開けていった。魔法陣の部屋を見つけたとしてもこの姿のまま帰れる訳もない。けれど居ても立っても居られなかった。
さっきの盗み聞きでも得るものは無かった。せめて情報が欲しいんだ。しかしどの扉を開けても魔法陣どころか変わり映えというものすら見当たらない部屋ばかりだ。
「 ―――――――― !! 」
ふとあの音が近づいているのに気付く。
地下道を抜ける風が反響して不気味な音を立てているみたいなありがちな自然音かとも思っていたけど、近づいて来てハッキリわかる。やはりこれは何かの生き物の唸り声だ。
奥から聞こえてくる……。
「ここで何をしているんですの?」
「わっ!」
引き寄せられる様にその扉の前に立ったところで、後ろからの声に呼び止められた。
ベガさんだ。小さな木箱を片手に、呆れた様な目でボクを見ていた。
「部屋にも居ませんからどこで油を売っているのかと思えば……」
「ち、違うんですよ。朝からポラリスに拉致されて、ベガさんを探してたんです」
「あらそうですの? よくワタクシの居場所がわかりましたのね。ちょうど荷物を地下の倉庫に運んでいましたの」
「ええそうなんで……」
「 ―――――――― !! 」
扉の向こうから聞こえる音に少し身がすくむ。
さっきから聞こえてるけど本当に不気味な声だ。
「…………」
「えーと……、何の音なんですかね? 不気味ですよね」
「あなた、この声が聞こえますの?」
「え?」
不気味な音を怖がるボクに、ベガさんは少し意外そうだった。手早く倉庫に荷物を運び、次いでボクの手を引いて……、
その扉を、開けた。
「やっぱり、ワタクシの幻聴ではなかったんですわね」
扉の先の、その部屋には、
「え……? ヒッ!!?」
そこは他の地下部屋のどれよりも広い部屋だった。
天井が高く暗くて奥の方まで見えないほど広い。石造りの床や壁は同じだが、他の変わり映えの無い部屋と明らかに違う。
祭壇のようなものと、
それに祀られているのだろう存在『そのもの』がいた。
「あなたもコレの声が聞こえるんですのね?」
「どういう意味ですか?」
「他の者には聞こえていないみたいですの」
巨大な、
10メートルを超える、巨大な女の人。
頭だけでボクの体より大きい異形。背中からは更に大きな羽が生え、腰から下は更に更に得体の知れない異形の姿が、部屋の闇に隠れている。
今のボクにも人間でない部分が体にあるけど、ベガさんにも羽根が生えてるけど、
これは、どんな生き物とも違う
「もう死んでいる……、ということになってますわ」
「これは……、何なんですか?」
全身の毛が逆立つ。さっきから鳥肌が止まない。
怖い。
天井から鎖で吊るされ、まるで磔みたいだ。ピクリとも動く気配は無いけど、……とてつもなく恐ろしい怪物に見える。
これも魔獣なのだろうか? もう死んでるとベガさんは言うけど……、
「 ―――――――― !! 」
これは、たしかに唸り声を上げている。
まだ生きてる。
この魔獣は……、
「これはリリスと呼ばれる魔獣を生み出す者ですわ」