5話「鋭い刃」
着いた街は思いの外賑やかで大きかった。
ニケ曰く、石造りの城壁で囲まれた街は権威があり歴史があり、国王に認められた証だそうだ。
「国王に認知されているって事は、聖騎士もこの街にいるんじゃないのか?」
「あやつら白の男達は、魔女の臭いを嗅ぎつければどこにでも現れる。わしら魔女が魔法を使えるように、奴らはディユ・ルミエールという、この世界の創造主から授けられた聖なる力を使えるんじゃ」
「体が急に動かなくなったり、物を爆発させていたあれか」
「そうじゃ。唯一魔女の魔法と対抗出来るのが奴らの使う聖術だ」
しかし、ニヤリと笑う。
「わしクラスの魔女になれば、奴ら一般兵の聖術など道端に落ちている犬の糞程のものだ」
「つまり、地味に痛いということか」
「じゃな」
ニケが鼻をつまむ。
城門をくぐると、周囲には煉瓦造の家々が騒然と立ち並んでおり、灯りのついている家々からは人々がグラスを交わし、料理を突き、音楽が流れ活気に満ちていた。
街の中心には噴水の広場があり、街灯の下ほろ酔いの恋人達が手を繋ぎ愛を語らっていた。
「主もああいう事を恋人としているのか?」
ニケが茶化すように言葉を寄越す。
「していた、記憶がないこともないな」
「なんじゃ、打ち消しの文法ばかり使いおって。遠回りな奴じゃのう」
「社会人になってから、あんまりデートにも行けてないからな。学生の頃は時間だけはあったから、意味もなくああやって夜風に打たれたこともあったが」
「ふうん。今は時間はないが金だけはあると?」
「それが困ったことに、金もそんなにない。馬車馬の如く働いているのに安月給だからな。笑ってしまうよ。なんのために働いているんだか」
「生きていくためには金が必要じゃ。じゃが、根底には別の理由があるじゃろう」
「別の理由?」
「それは人それぞれじゃ。その仕事に誇りややり甲斐があるとか。愛する者を養うためとか」
「そうか。そうかもしれないな。流石は俺の倍以上生きているだけはある」
「伊達に歳は取っておらんからな」
得意げに鼻から息を出し、こっちじゃ、とニケの後に続く。
先程の険悪な空気はなく、ニケの機嫌も良くなったようで渚は胸を撫で下ろす。
「ここにするかの」
路地裏の汚い……年季の入った木製の扉を押しながら、ニケが振り返り微笑む。しかしその目は笑っておらず渚は半身を引いた。
「先程のこと、まだわしは根に持っておるからの。詫びたいと思うならば全身全霊で楽しませてくれ」
コクコク、と無言で頷き酒場に入った。
どれくらい飲んだだろう。
視界はぼやけ、対面に座るニケが今なんの話をしているのか理解をすることさえ難しく、チェイサーを何度も口に運んでいた。
酒場は広く、喧騒に似た騒がしさが絶えずフロアにこだましている。
「聞いておるのか」
ニケの声が遠くから聞こえてくる。
反射的に頷くと、全く困ったものじゃ、とため息ひとつ。
「酒は良薬じゃぞ。それもこの世で一番美味い良薬じゃ。それを不味くするのは自分のさじ加減ひとつじゃ。わからぬ歳でもあるまい」
もっともです、と返すとニケはウィスキーのお代わりを注文した。
「お前、酒豪なんだな」
渚が覚えているだけでも、ウィスキーロックを顔色ひとつ変えずに20杯以上飲んでいる。現に隣席の客はニケがお代わりをする度に、おおまだいくのか、と感嘆の声をあげている。
「これでも弱くなった方じゃ。全盛期の頃は一晩で大樽ひとつ飲み干せていた」
「化け物かよ……」
「なんと?」
「なんでもないです」
塩を肴に酒を煽る姿は、化け物というよりも飲兵衛の親父だ。
「して、これからはどういったプランで魔女達を集めるのかや?」
「そうだな。さっき聞いた話からすると、火の国から順番に巡っていくのがいいんじゃないか」
この国には聖騎士団が従える国王がいる、「聖の国」を中心に、四つの国がそれを囲むようにしてあるという。
「火の国」、「氷の国」、「地の国」、「機の国」の四つだ。
各国にはそれぞれ強大な力を持った大魔女達が一人ずつ存在しており、他の魔女達を束ねているらしい。
魔女狩りが成されている今、その大魔女達が生きているのかは定かではないが、各国が聖騎士団に制圧されていない所を見るにまだ健在しているだろう、というのがニケの見解だ。
「順番に巡り、大魔女に会って話をつけた方が効率がいいだろう」
「そうじゃな」
頷くものの顔色が曇っている。
「どうした? 吐きそうなのか?」
「主と一緒にするな」
べっ、と舌を出してくる様は子供そのものでいじらしくも愛らしい。
「しかし、火の国からか。よりによってあやつからか」
「火の国に何か嫌な思い出でも?」
「いや、なにもないぞ。わしの魔術に敵う奴はおらんからな」
「ふうん、どうだかなあ」
「なんじゃその疑わしき者を見る目は。別に、幼い頃にトラウマを植え付けられたりなんかはしていないぞ」
「そうか、幼い頃にトラウマを植え付けられたのか。どんな魔女だか楽しみだ」
「むう、なんだっていいじゃろ」
ぷい、と頬を膨らませそっぽを向く。
どんなトラウマがあるのか至極気になったが、今追撃するのは得策ではないだろう。渚は悪かったよ、と両手を広げ話を変える。
「国を巡って行くのは決まったが、移動手段や旅費なんかはどうする? 申し訳ないが、俺はこの国の貨幣を持っていないから、金銭面では力になれない」
「金のことは気にするな。わしが全て負担する。じゃからその対価として、大魔女を籠絡する素晴らしい話術を披露してくれ?」
小首を傾げ、上目遣いを寄越してくる彼女はやけに大人びて見え、不覚にもどきりとしてしまう。
「移動に関しては馬でも買えば良かろう」
「馬って言ってもそんなに簡単に買えるものなのか?」
「簡単じゃ。ベリーイージーじゃ」
任せておけ、と親指を立てる。なにかこの老魔女には策があるのだろう。
「明日からさっそく……」
ニケの言葉を遮るほどの悲鳴が酒場に響き渡る。
吹き抜けから一階を覗くと、白い衣服に身を包んだ男が一人、酒場のウェイトレスの腕を掴んでいる。
「聖騎士団だ」
野次馬の男がぼそりと呟く。先日の出来事がフラッシュバックする。
「聞けい」
聖騎士団の男が大声を張り上げる。
「この子娘は異形の力、魔術を持って酒を違法に製造していると聞き、私はこの場にやって来た。誰か真実を知っている者はいるか」
酒場にざわめきが漣立つ。
「あの娘がそんなことするわけないだろう。糞騎士団め」
「そうだよな。あの娘は家庭が貧しくて、小さい時から必死に汗水垂らして働いてきたんだ。そんなことするわけない」
客達の静かな非難の声が地を這い空気を揺らす。
「貴様ら、この娘を庇うような真似をしたらどうなるかわかっているよな」
男は不敵な笑みを浮かべ客達を舐るように見回す。
「どうなるんだ?」
ニケに尋ねると、無言で親指を首にあてがい横に移動させる。皆死ぬ、ということだろう。
不気味なほどの静寂さが霜のように舞い降り寒気すら感じる。
「あの娘は無実じゃ。魔女の魔の字すらオーラも感じられん」
「ならどうして疑いをかけられている?」
「逆恨みかなにかじゃろう。例えば、あの白の男の元カノとか。白の男は雄の中でも極めて阿呆で、救いようのない馬鹿ばかりじゃからの」
「なるほどな。権力の不法私用か」
他の客もそれに気づいているようで無言の抵抗を続けている。
白の男は苛立ちを隠せぬ様子で激昂に表情を歪ませている。
「ならば良い。魔女裁判を執り行う」
白の男の激昂が酒場を揺らす。
「魔女裁判だって!? それは裁判所が行うことだろう。お前達の管轄外だ」
店主の男が立ち上がり声を上げた。
そうだ、もっと言ってやれ、と客が捲したてる。
「そもそもその娘は魔術なんぞ使えんし、酒の作り方も知らん。酒を仕入れグラスに注いでいるのは全て私だ。魔女だと疑うのならば私のことだろう」
「黙れ!」
白の男がそう叫ぶと店主の身体が不自然に固まる。マリオネットのようにぎこちなく歩き台所へ消え、戻ってきた。
戻ってきた彼の手には包丁があり、おもむろに自らの首元に刃先を突き立てようとしている。
「やめさせろ!」と客が歩み寄ろうとするも「動くな!」と白の男が制する。
「動いたらその男は死ぬ」
彼が浮かべる笑みは、悪を凝縮させたものそのもので、誰が悪魔、否、魔女なのかと怒りすら湧いてくる。
「わかった。認めるわよ。だからやめて」
悲痛の声が響く。疑いをかけらているウェイトレスだった。
「私は認めたわ。だからその人は助けて……」
白の男は満足げにほくそ笑むと、ダメだ、と口を動かした。
「どうして……」
「その男は魔女を庇おうとした。魔女の味方をする者も魔女と同罪。だからお前達は二人で仲良く死ね」
「そんな‥‥‥」
おかしい、間違っている。
どうして世界はいつもこうなのか。
弱者は強者に喰われるのが世の定めなのか。
弱者はいくら刃を突き立てても強者に勝つことはできないのか。
刃を突き立てることすら許されないのか。
「どんなに小さな刃でも、鋭く鋭く磨けば石をも貫く」
「え?」
「主は今、憤っておるな。自分にはあの白の男のような特別な力はない。あの無実の羊二匹すら救うこともできない」
ニケは深く椅子に腰掛け階下の様子を静観している。
「ニケ、お前ならあの二人を……」
無言で首を振る。
「助けることはできる。それは簡単なことじゃ。しかしならん。考えてみろ。魔女に助けられた二人のその後を。やっぱり魔女と繋がっていたんじゃないか、と結局は疑われ殺されるじゃろう」
「確かに、そうなるかもしれない」
「そうなれば逃亡生活じゃ。国から指名手配され、ボロ布のようになりながら逃げて逃げて、最後には殺される。ならば今死んだほうが楽じゃないかとわしは思う」
しかし、と言葉を紡ぐ。
「わしはそう考えるが、主はどうじゃ? なにか別の案はあるか? 鋭い刃は持っておるか?」
その言葉にハッとする。俺が磨いてきたもの。
あった。ひとつだけ。
「行ってくる」
「うむ。上手くいったら、さっきの失言は取り消してやろう」
まだ根に持っていたのか。と渚は呆れる。
渚のげんなりした顔を見て、ニケはいじらしく笑うとグラスを掲げる。
「骨は拾ってやるから安心せい」
「冗談にしても恐ろしいからやめろ」
笑い飛ばし渚は一階へと降りる。