1話「酒に飲まれし浅き物」
酷い頭痛がする。それに吐き気もだ。
目を開ける。見慣れた天井がそこにあり胸を撫で下ろす。部屋の中は薄暗く夕陽が部屋に差し込んでいた。
重たい身体を無理やり起こしベッドに腰掛ける。何度後悔しても二日酔いをしてしまう程飲んでしまう自分が情けない。次こそは飲み過ぎないと誓っても三日も経てば忘れてしまう。人間とはとかくいい加減な生き物だ。
だが、額にかいている嫌な汗は二日酔いのせいではない。
夢、だよな。と独り言ちする。
やけにリアルな夢だった。
太陽の陽射しも草原の匂いも爆風も死体から滴る血も。そして、少女のあの表情。悲しみと憂いを帯びた目が、脳裏に焼きついていた。
これも酒の飲み過ぎか、と風呂場へ向かう。脱衣所の鏡を見てなんだこれ、と自分の顔をまじまじと見つめる。両頬にマジックで書いた様な渦巻きが落書きされている。
勘弁してくれよ、と舌打ちする。シャワーを浴びて洗顔で顔を擦る。飲み会の席で罰ゲームでもあったか?いや、なかったはずだ。昨日は自分が立ち上げた企画が初めて通ったからと上司に祝ってもらったのだから。
ならば、と思うがすぐに否定する。あれは夢だっただろう、と。
なんとか頬の落書きを消し落としため息まじりに風呂場を後にする。
冷蔵庫から缶ビールを取り出しベランダに出る。秋の乾いた夜風が濡れた前髪を軽く撫でる。タバコに火をつけ缶ビールを煽る。
半分程飲んでから昨日飲み過ぎた事を後悔していたばかりなのに、と自嘲せざるおえない。
部屋へ戻ると携帯電話にメッセージが入っていた。恋人の理沙からだ。
ーー昨日はどうだった?二日酔いに悶えている最中かしら。それはそうとこの間話したこと覚えてる?今ニュースで異世界の話題が流れていたわよ。頑張ってね。
ああ、と渚は思い出す。先日の金曜日、理沙にプロポーズをした事を。
一丁前に高級ホテルの最上階を予約し、やれフォアグラだ、やれトリュフだのと高級フレンチディナーを食べた後、プロポーズしたのだ。
夜景が見える蝋燭の灯りだけで照らされた部屋は雰囲気抜群だった。付き合って五年目の記念日。お互い27歳になり理沙も以前から結婚したいと漏らしていた。勝算はあった。むしろ勝利しか見えなかった。ダイヤの指輪を差し出しプロポーズした。
彼女は涙で眼を潤ませ満面の笑みを浮かべていた。しかし、指輪は受け取って貰えなかった。
「ごめんなさい。プロポーズは受けられないわ」
愕然とした。目から鱗が溢れるかと思った。
「違うの。結婚はしたいわ。ただ、プロポーズには私、あの指輪が欲しいの」
そうか、指輪が気に入らなかったのか。確かにどんな指輪が良いのか聞いてはいなかった。
「今ニュースでも取り上げられているでしょう。異世界に行ったって話が。その異世界にしかない真紅のダイヤの指輪が欲しいの」
持ち直した気持ちはまた急降下した。
彼女は以前からオカルト系の話が大好きなのは知っていたが、そんな絵空事を話す様な人間だとは思っていなかったのだ。しかし、彼女が頑固なのは知っていた。
「だからね、頑張って。頑張ってくれるよね?」
笑顔で指輪を突き返され渚はうなだれる他なかった。
二日酔いは大分良くなったよ。指輪頑張って探すよ。
そう返信した。
ため息を吐く。大きく長いため息は部屋を一周し中空に消えた。
一体どうしたらいいのだ。あの後異世界について調べたがどれも眉唾物の情報でしかなかった。異世界について世間が認知しマスコミが大きく取り上げ出したのはここ半年程の事だ。ネットの掲示板で異世界に飛ばされた、という様な書き込みが相次ぎ実際に異世界から持ち帰ったという代物がアップされ爆発的に異世界というものが広まったのだ。
だが、所詮は暇人の絵空事に過ぎないのだろう。異世界を作り出し一大ブームメントを作った愉快犯は今頃どんな気持ちで過ごしているのだろう。おかげで俺はプロポーズを不意にさせられたんだぞ、と二本目のビールを煽る。
しかしもう半年もすればこの話題も次の流行りの波の下に隠れ人の記憶から薄れていくだろう。なんせ人間とはとかく適当な生き物なのだから。最悪真紅のダイヤの指輪はルビーで代用しても良いだろう。いや、それが最適かつ的確な答えかもしれない。
気付けば三本目の缶ビールを空にしていた。酔いが身体を包み、思考する事が億劫になり渚はベッドへ潜り込んだ。