表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

第二幕<オッフェンバック作曲「ホフマン物語」>前半

瑞穂と美晴のもとにママが戻ってきて、神戸で家族の新しい生活が始まった時、美晴の中に、黒い影が育ち始める・・・

第二幕~オッフェンバック作曲「ホフマン物語」

 

果物と花の楽園

 

 私たちのところに戻ってきてすぐ、ママは、東京のマンションを引き払おうか、と言い出した。

 あのマンションに住んでいれば、また大地さんのことを思い出す。何より、私も美晴も、神戸にすっかりなじんでいる。

 私個人としては、早紀ちゃんに別れるのも辛いし、とりわけ、岡崎さんのそばにいられなくなるのが辛い。

 なので、ママのその提案に、私も美晴も全く異論は唱えなかった。

 でも、さすがにおじいちゃんは現実的で、「お前みたいな仕事しとったら、東京に拠点がないのはまずい」と言って、マンションの買い替えの手続きを進めよう、と言い出した。

 今のマンションは売り払って、代わりに、東京に、一時住まいのできる小さなマンションを確保しよう、という話だ。

 もう少し都心に近い場所なら、ママが東京で仕事をする時の仮住まいにできる。

 そのあたりのもろもろの手続きを、おじいちゃんが進めている間、ママは神戸で私たちと一緒に住むことになった。

 

 ママは色んな仕事を神戸中心に進められるようにスケジュール調整し、私と美晴は、失われた分の一家団欒の時間を取り戻すべく、遠出の計画立案に没頭し始めた。

 それで俎上にあがったのが、六甲山の奥にある、フルーツフラワーパーク、というリゾートに遊びに行こう、という計画だった。ママが、

 「とにかく果物とか花とか一杯あって、ぱぁっと華やかな所でぱぁっと遊ぶのよ!」

 と主張して、「花」と「果物」でネット検索したら、ここがばっちりヒットした、というわけだ。

 おじいちゃんを留守番役にして、おばあちゃんとママと、美晴と私と、4人で車に乗ってでかけた。運転手はママ。

 ソプラノ歌手の運転、というと、世間の人はきっと峰不二子みたいな荒っぽい運転を想像すると思うけど、ママの運転は無茶苦茶堅実である。

 堅実すぎて、下り坂でもブレーキをかけすぎるので、ブレーキが焼けて役に立たなくなって一度死にかけたことがある、と言っていたから、危険度にはあんまり差がないかもしれないけど。

 夏真っ盛りのいいお天気の日で、フルーツフラワーパークは本当に、花と果物と光に満ち溢れた、おとぎ話のような場所だった。

 今になって思えば、1990年代のバブル期にちょっと浮かれた神戸市が、山を切り崩してどどん、と景気よく作ってしまった無茶苦茶バブリーな施設だなぁ、と思うけど、小学6年生の私から見れば、本物のお姫様が住む宮殿のような、美しい庭園と建物に見えた。

 幅の広い階段を登り切り、ゲートをくぐると、広がる庭園の向こうに、ベルサイユ宮殿のようなトキ色の外壁のホテルが見える。

 花が咲き乱れる庭園の真ん中には大きな噴水があり、建物の側には立派なプールが3面ある。至れり尽くせりだ。

 

 ママは、ソプラノ歌手、という職業柄、というわけじゃないと思うのだけど、こういう少女マンガに出てくるお城のような場所が無茶苦茶似合ってしまう。

 私と美晴がすっかり夏休みの子供然として、水着に着替えてきゃっきゃとプールではしゃいでいる脇で、プールサイドで悠然と、日傘をさし、――日焼けはソプラノ歌手の大敵である――サングラスをし、――基本が夜型なので太陽に弱いだけ――白い長そでのワンピースで腕までしっかり覆い、――これも日焼け対策――そのワンピースのスリットから日本人離れした美脚を惜しげもなくさらしている――これはちょっとサービス。でも白いストッキングで日焼け対策は完璧――ママは、夏の避暑地を舞台にした洋画に出てくる女優さんみたいにかっこよかった。

 神戸のおばあちゃん、というのも、実はママに負けずに相当派手な人で、こういうリゾートに来てもメイクは完璧、ゴージャスな紫のブラウスに金のネックレス、黒のスリムなスカートでやっぱり日傘をさして、プールサイドでママと並んで私たちに手を振っている。

 この二人が並んでいる姿ってのは、ケーキの上に巨大なアゲハ蝶が二匹とまっているみたいに人目を引く。

 

 私と美晴は、そんな二人に手を振りながら笑い、美晴の泳ぎ方が不器用だと笑い、私の息継ぎの時の顔がおかしいと笑い、水が冷たいと笑った。

 水しぶきが光をはね散らかして、私たちの笑い声と絡み合ってきらきら輝く。

 プールから上がって、ホテルの中にある温泉につかり、露天風呂の茶色いお湯――鉄分を含んでいるせいだそうだ――に笑い、美晴の小さなおちんちんに笑った。

 あの日、私は本当に一生分の笑いを使い尽くさんばかりの勢いで、ずっと笑っていた記憶がある。

 おばあちゃんが撮ってくれたどの写真を見ても、私も美晴もママも、さんさんと降り注ぐ夏の日差しの下で、本当にいい顔で笑っている。

 

 温泉に入った後は、ホテルの側にある猿回し小屋に行き、庭園の外にある小さな遊園地で、汗だくになって遊んだ。

 私たちは、その日一日、朝から夕方まで、フルーツフラワーパークを堪能した。

 本当に、最高の夏休みのスタートだった。


 「おかしいな、と思たのは、遊園地に向かって走っていく美晴の後姿を見送ってた時や」と、後になって、おばあちゃんは私に言った。

 「美晴は、遊園地の入口に向かって走っていった。その走り方がちょっとおかしい。なんか、妙に右に傾くように走ってる。右にととと、と傾いていって、自分で気がついてまた左に修正するんやけど、また、ととと、と右に曲がる。どうもまっすぐ歩けてない。」

 あれ、と思った時、全身の血がさぁっと引いたそうだ。そういえば、と、突然いろんなことが頭の中をよぎった。

 最近、美晴の箸の持ち方がおかしいと思ったことがなかったか。ちょっと変な目つきをしている、と思ったことがなかったか。美晴が、頭が痛いと訴えることがなかったか。

 ママも私も、ここ数カ月溜まっていた笑顔を、全部吐き出す勢いで笑っていた。

 みんなが笑っている。

 夏の日差しが照りつける中で、おばあちゃんだけが、ガタガタ震えが出始めて止まらなくなった。

 

 まさかそんなはずはない、と、近づいてきた美晴の笑顔を、おばあちゃんは茫然と見つめた。

 美晴の眼が、左右で違う方向を向いていた。

 

ママ、岡崎さんに迫る

 

 美晴がおばあちゃんと一緒に、おばあちゃんの知り合いの脳外科の先生の所に検査に行った日、ママと私は、No.3ギャラリーを訪れた。

 おばあちゃんが、美晴の検査が必要、と言い出しても、ママも私も、今一つ事の重大性を理解していなかったし、おばあちゃんも詳しいことは教えてくれなかった。

 「軽い斜視が出とるけど、ひょっとして視神経に問題があったら困るしな」と、おばあちゃんは言い、ママも、そうか、程度にしか聞いていなかった。

 おばあちゃんはおばあちゃんなりに、私たち家族のことを気遣ってくれていて、正確な診断が出るまで、自分の診立てのことは話すまい、と思っていたらしい。

 「あんたらがついてきても邪魔になるだけや。ちゃんと専門家同士できっちり話しするから」

と、自分一人で美晴を連れて、脳外科の先生のところに、出かけて行った。

 私は私で能天気に、岡崎さんがママのことをどう思うか、ということで頭の中をいっぱいにしていた。 親を彼氏に紹介する気分だ。逆か。彼氏を親に紹介する気分。彼氏じゃないけど。

 

 駐車場の入口に入った時に、ギャラリーの方から歌声が聞こえた。ママは立ち止って、耳をすませた。

 軽やかな笑い声のような歌声。ヨハン・シュトラウス作曲「こうもり」のアデーレのアリアだ。

 女優に化けた女中が、自分のご主人さまに向かって、「私があなたのお宅の女中に似ているですって!なんて失礼なことを!」とコミカルに歌う。笑い声がそのまま歌になったような、楽しい歌だ。

 「早紀ちゃんのママや。」私は言った。岡崎さんが言っていた、No.3ギャラリーで開催される予定のリサイタルの準備だろう。

 「ええ声やねぇ。」ママは呟いた。人の声に対して、ママはお世辞は決して言わない。「ちょっと線が細いけど、ええリリコやわ。」

 そうして、ずんずん先に立って、No.3ギャラリーに向かって歩き始めた。入口に立ち止まって、また声に聞き入っている。

 私は、No.3ギャラリーでコンサートが開かれるのを見ること自体初めてだったから、興味しんしんで覗き込んだ。

 とはいえ、別に目を奪うようなものは何一つなくて、むしろギャラリーの中は殺風景なくらいだった。

 壁際に、色んな絵が展示されていて、早紀ちゃんのパパのお弟子さんたちの絵らしい、と思ったけど、ギャラリーの床には、ただ、パイプ椅子がずらりと並んでいるだけ。

 ステージもなし。ピアノすらない。本番の前日に、楽器レンタルの店から借りるのだ。

 早紀ちゃんがパイプ椅子の一つに座っていて、早紀ちゃんのママが、何もない平場の空きスペースで、伴奏もなしでころころと歌っている。

 「ハッハッハ」、という笑い声が、そのまま高音のダジリタになって、殺風景なギャラリーの空気が、さあっとシャンパン色に染まる感じがする。

 時々歌を止めると、早紀ちゃんの膝の上の小さなキーボードで音を取って、自分の声の響きを確かめている。

 「ええ響きやね。」ママは呟いた。「ええわここ。ほんまにちょうどええ感じ。」

 と、歌声がやんで、早紀ちゃんのママが棒立ちになってこっちを見ているのに私は気がついた。早紀ちゃんが振り向いて、同じように目を丸くして、

 「榊原詠子や。本物や」とつぶやいた。

 「いらっしゃい」

 と、背中から声がして、岡崎さんが私たちの後ろに立っていた。振り向いた私の前に、神々しい岡崎さんの笑顔があった。やっぱりいやだ。この人のそばから離れるなんていやだ。

 

 「ええですね、ここ。」ママは、短い挨拶を交わすと、いきなり切り出した。「この場所はええわ。サイズも響きもすごくええ感じ。私もここで歌いたいなぁ。なんとか歌われへんやろか。」

 「何無茶言うとんの」と、私はママに囁いたけど、ママは全然聞きもしないで、岡崎さんにずずいと迫っていった。こら、あんたのその洋風の派手な顔と大きな目で、涼しげな和風美人の岡崎さんに迫るんじゃない。

 私は止めに入ったけど、ママは完全にスイッチが入っていた。

 「私、今年は少し仕事セーブしようと思とったんですけど、人前で歌うことは、きちんと続けていきたいと思ってるんです。ここで、月に一回くらいのペースで、歌わせてもらわれへんでしょうか?」

 「本気か」と早紀ちゃんがつぶやく声が聞こえた。早紀ちゃんのママはほとんど気を失いそうになっている。そりゃそうだろう、大舞台のオファーが引きも切らない人気ソプラノ歌手が、こんな、と言ったら失礼だけど、地方都市の小さなサロン、多分、お客は100人も入らない場所で、定期的にコンサートを開きたい、なんて言っているんだ。

 でも、岡崎さんは、いつもの優しい笑顔のままで、「それは素敵ですねぇ」と、本当に嬉しそうに言った。「この場所に、沢山の人が集まってくれるのが、私の夢なんです。瑞穂ちゃんのお母さんが歌ってくださるんやったら、こんなに嬉しいことはありません。」

 榊原詠子さんが、じゃなく、瑞穂ちゃんのお母さんが、と言ってくれたことが、私にはすごくうれしかった。

 岡崎さんは続けて、「一応、このサロンの使用スケジュールを確認してみます。絵の展覧会なんかであれば、期間中に2~3日ピアノを入れて、コンサートを開く、ということも可能ですし」と言った。

 「ぜひお願いします。」ママは岡崎さんを取って食わんばかりの勢いで言った。「2~3日なんて必要ないんです。1日だけのコンサートでも、1曲だけでもええんです。」

 「酒蔵は普通のコンサート会場と違って相当湿気があるんですよ。」岡崎さんの笑顔は全然変わらなかった。「ピアノの調律には普通より時間がかかるんで、必ず1日置いて様子を見るようにしているんです。ピアノを置くとなると、展示物の配置にも変更が必要になります。少し時間をいただいて、確認させてください。」

 その答えを聞いて、ママはちょっと嬉しそうな顔をした。ここでコンサートを開けるかもしれない、ということだけじゃなく、岡崎さんのてきぱきとした受け答えが、相当気に入ったらしい。

 嬉しかったなら、ありがとう、とだけ言ってそのまま引き下がればいいのに、ママは、岡崎さんに向かって、こう言った。

 「わかりました。なるほど瑞穂が惚れこむわけですねぇ。」

 私はぎゃーと叫んでその場を逃げ出した。

 

もう一つの悪魔の物語~「ホフマン物語」

 

 ママは仕事をセーブして、なるべく私たちのそばにいてくれるようにスケジュールを調整し、自分が本気になって取り組みたい仕事だけを残した。

 そうやってふるいにかけられた中に残った最大のイベントが、冬に上演されるオッフェンバック作曲「ホフマン物語」だった。

 運動会でよく流れるギャロップが出てくることで有名な「天国と地獄」や、「美しきエレーヌ」といった、セリフ付きの楽しい音楽劇、いわゆるオペレッタ(喜歌劇)を大量に作曲したことで知られている、フランスの作曲家オッフェンバック。

 彼が、晩年に書きあげた唯一のオペラ作品が、「ホフマン物語」だ。

 「くるみ割り人形」の原作者として有名なドイツの幻想作家ホフマンを主人公にして、3人の全く性格の違うヒロインとホフマンとの恋物語が綴られる。

 美しい自動人形のオランピア。

 音楽に身を捧げ、音楽の狂乱の中で死に至る天才歌手アントニア。

 そして男の影を奪い、破滅させる魔性の娼婦ジュリエッタ。

 その3人の女性の異なる魅力を一身に集めるのが、全体を通してホフマンの理想の恋人として登場する、舞台女優ステラだ。

 ホフマンはステラに捨てられ、酒に溺れながら、芸術の神ミューズに我が身を捧げ、詩人として生きることを決意する。

 華麗で幻想的、そして悪魔的な美しい旋律にあふれたオペラ。

 

 3人の女性は、大抵の舞台では、それぞれ別のソプラノ歌手によって演じられる。

 ただ、本来のオッフェンバックの意図としては、ステラも含めた4人のヒロインを、同一人物が演じることが理想とされている。

 だけど、実際にはそれはものすごく難しい。

 自動人形のオランピアは、コロラトゥーラといわれる、超高音域でコロコロ声を転がすようなテクニックが必要で、レッジェロという軽い声のソプラノの役。

 病弱なアントニアの声は、可憐な中にドラマティックな響きが必要とされる難しい役。

 ジュリエッタに至ってはメゾソプラノが演じることもある太い声が必要とされる。

 ちなみにステラは、セリフ役で、歌はない。榊原詠子さんは、この冬のオペラ公演で、この3役、ステラも入れると4役を一人で演じる、という舞台に立つことになった。

 日本の女性歌手で、この4役を1つの舞台でこなした歌い手はとても少ない。

 詠子さんにとっても、おそらく人生最大の挑戦だし、二度とない機会だ。

 

 「難しいと思う。でも、挑戦したい。」ママは美晴を膝に抱っこして、隣に座っている私の髪をいじりながら話してくれた。

 ママは私の髪をいじるのが好きだ。さらさらしていて、触ると心が落ち着くのだそうだ。

 それだけ、ママがこの役に興奮している証拠だ。

 

 「ホフマン以外には、どんな人が出てくるの?」と私は尋ねた。

 「ホフマンに常に寄り添っている、メゾソプラノのズボン役(女性歌手が演じる男性の役)がいる。ニクラウスっていう役。実は芸術の女神、ミューズの化身なの。それ以外にも、自動人形のオランピアを作るスパランツァーニとか、アントニアのお父さんのバイオリン作りのクレスペルとか・・・」

 「けったいな名前の人ばっかりや」と、すっかり神戸弁が身についた美晴が笑った。

 「ほんまやね」とママも笑う。「でもね、怖いのは、悪役。ホフマンの愛する女性を次々と破滅させ、ホフマンの夢を奪っていく黒い影のような人たち。オランピアのお話に出てくるコッペリウス。ジュリエッタのお話に出てくるダペルトゥット。プロローグとエピローグに出てくるリンドルフ。この悪役たちも、バスの人が1人で演じることが多いの。中でも怖いのは、アントニアのお話にでてくるミラクル博士というお医者さん。薬瓶を鳴らしながら、この薬を飲めばすぐに病気は治るぞって言って、アントニアの魂を奪ってしまう悪魔なんだよ。」

 「おばあちゃんは、オニババ先生って言われてるけど、ミラクル博士とは全然ちがうよね」と美晴が言った。3人がその話をしていた時、おばあちゃんは側のソファーに座って、何かの書類を整理していた。

 おばあちゃんは顔も上げずに、書類の方だけ見ながら、

 「当たり前や、おばあちゃんは名医なんやで」と言った。

 その声の中にある影に、私たち親子は全然気がつかなかった。

 

影の姿

 

 ママと私がぽかんと座っている前に、おばあちゃんと、おばあちゃんの知り合いの脳外科の先生が座っている。

 目の前の白いパネルに、理科の時間に見たことがあるような、人間の頭を縦や横にすっぱり切った黒い写真が何枚か並んでいる。

 なんだかマンガでも見せられているような気分だ。目の前の写真が、美晴の頭の中の実際の映像だなんて、全然信じられない。

 「美晴くんの頭のMRI写真です」と、脳外科の先生が言った。

 「ここに、影が見えるでしょう。」

 「影ですか?」と、ママが言った。声の語尾が少し上ずった。

 「病理検査の一次結果と合わせると」と、先生は言って、少し口ごもった。なんだか、TVドラマの一場面みたい、とぼんやり思った。

 「脳幹グリオーマ、つまり、脳腫瘍やと思うんです。脳幹部というところは、体の平衡感覚をつかさどる場所で、視神経にも近いから、まっすぐ歩けなかったりとか、眼球の異常な運動とかが、初期症状で出てくるんです。美晴君の斜視とか、歩行異常とかも、これが原因やと思うんです。場所が悪い。悪すぎるんです。手術しようとしても、小脳や中脳や延髄とか、傷つけたら命に係わるところの奥なんで、手が届かないんです。」

 放射線治療、とか、抗がん剤治療、とか、いろんな単語が耳に入ってくる。全然意味が分からない。

 私の頭の中では、なぜか知らないけど、ずっと「魔弾の射手」のフィナーレの曲が鳴り響いている。その歓喜に満ちた曲の上に美晴の笑い声が重なって聞こえる。

 この先生は何を言っているんだろう。美晴のことのはずがない。あんなに笑っていた美晴が、そんなひどい目に会うはずがない。

 「3か月?」とママが言っている。

 「あの子はまだ、5歳なんですよ。」ママが言っている。

 絞り出すように言っている。

 おばあちゃんが泣いている。

 もう本当に分からない。みんなの言葉の意味が全然分からない。

 私は笑おうとした。笑いだ。なんだかよく分からないから、とにかく笑おう。

 笑ってさえいれば、きっと幸せな気持ちが戻ってくる。笑う門には福が来るっていうじゃないか。

 笑えるわけがなかった。私には、笑い方も分からなくなっていた。

 

揺れる

 

 美晴の入院する病院や、治療計画などについては、おばあちゃんがいろんな段取りをつけてくれた。そのプロセスで、詠子さんは、あれだけ燃えていた「ホフマン物語」のヒロイン役を諦める決意を固めていた。

 というより、必死になって自分を説得していた、というのが正しい。

 

 日本のソプラノ歌手というのは、オペラ公演の舞台に立つ機会に恵まれていない。

 ヨーロッパあたりであれば、地方のオケピットもないような小さな劇場でも、ピアノ伴奏やエレクトーン伴奏で定期的にオペラ公演を続けている劇場があって、詠子さんも若い頃は、そういうヨーロッパの地方都市公演でずいぶん勉強させてもらったそうだ。

 でも日本では、オペラ公演の数自体が少ない。

中でも「ホフマン物語」は、日本で上演されることが少ないオペラだし、まして、そのヒロインを4役すべて演じる、なんて機会を与えられることなど、奇跡に近い。これを逃せば、確実に、再挑戦の機会はない。

 でも、もし「ホフマン物語」の舞台に乗るのであれば、今のように、神戸を生活の中心にする、というわけにはいかない。

 他の仕事を削って、「ホフマン物語」に集中するとしても、週の半分以上の時間を東京の稽古場で過ごさないといけない。

 加えて、最低限の収入を確保するための切れないお仕事、というのを積み重ねれば、ママが美晴のそばにいてあげられる時間は相当減ってしまう。

 でも、ママが、「ホフマン物語」を諦めようと思う、と、私とおばあちゃんに言った時、意外にもおばあちゃんはきっぱり、

 「それはどうかと思う」と言った。

 

 「ええか、これからの数か月、私らが考えなあかんことはな、何よりもまず、美晴の気持ちや。美晴の願いや。もし、美晴が、ママにずっとそばにいてほしい、と思うのなら、それでよし。でももし美晴が、ママの歌うオペラが聞きたい、と思うのなら、そのために、あんたは全力でこの役に打ち込まなあかん。

 「こういう病気に子供がなった時にな、親が精神的に弱くなったら終わりや。親がきっちり自分らしく立ってないと、子供をしっかり支えてあげることもできん。

 「あんたは、歌をあきらめて、自分一人できっちり自分らしく立ってられるか?あんまり簡単に結論を出すべきやないと思うで。」

 

 おばあちゃんにそう言われても、ママの気持ちはまだ揺れていた。当り前だ。

 美晴にそのまま、「美晴が病気だから、ママはホフマン物語に出ない」と言えば、美晴は、なんで、と思うだろう。

 何よりも舞台に立つママが好きだった美晴が、残念がるのは見えている。

 だからといって、あんたが余命3か月といわれたから、少しでも長くあんたのそばにいたいんだ、なんて誰が言えるか。

 

 ママは揺れていた。私も揺れていたけど、私には本当に何一つできることがなかった。

 美晴を助けたくても、何もできない。

 ママを助けたくても、何もできない。

 どうしてこんなに私は何もできないんだろう。美晴は私を支えてくれたのに。

 ママに見捨てられて、二人っきりのマンションのベッドで、自分のぬくもりで私を包んでくれたのは美晴だったのに。

 No.3ギャラリーで、早紀ちゃんのママのリサイタルが開催されたのは、美晴が入院する、数日前のことだった。

 

早紀ちゃんのママ、泡を食う

 

 岡崎さんは、No.3.ギャラリーで歌いたい、と、取って食わんばかりの勢いで迫ってきたママを軽くいなしたけど、そのママにすっかり取って食われてしまったのは、その場に偶然居合わせてしまった早紀ちゃんのママだった。

 私が、ママの暴言に耳まで真っ赤になってその場を逃げ出してしまった後、早紀ちゃんのママは恐る恐る、

 「もしもスケジュールが合えば、ですけど・・・」

 と、自分のコンサートで詠子さんに歌ってもらえないか、と申し出たのだ。

 普通の歌い手だったら、自分のコンサートで、ほかの歌手、それも実力も人気も上の歌手に歌ってもらう、なんてことは夢にも考えないと思う。

 でも、早紀ちゃんのママは、そういう所が、謙虚というか、かなり規格外の人で、早紀ちゃんあたりに言わせると、

 「うちのママは優しすぎるから大成せんのやなぁ」と嘆かれてしまうのだけど。

 でも、早紀ちゃんのママはものすごくピュアな人で、私のことを放っておけなかった早紀ちゃんと同じように、歌いたい歌いたいと目をぎらぎらさせているママのことを放っておけないと思ったんだろう。

 それに、早紀ちゃんのママは、

 「私の生徒たちも来るんですけど、彼らに、きちんと一流のパフォーマンスも見せておきたいんです」 と言った。

 二人が比べられて、「先生って榊原詠子さんほど上手じゃないねぇ」なんて陰口をたたかれるかも、と、早紀ちゃんは心配したのだけど、

 「そんなん小さいことや」

 と、早紀ちゃんのママは言いきったそうだ。

 一・二曲でもいいから、という早紀ちゃんのママの申し出に、うちのママが乗らないはずはなかった。 それだけじゃなくて、ママは、

 「それやったら、1曲、私のソロと、1曲は、笠原さんとのデュエット曲にしましょう」

 と言い出して、早紀ちゃんのママの小さな心臓をひねりつぶした。

 泡を食っている早紀ちゃんのママに向かって、詠子さんは、

 「あなたの声と私の声は絶対合いますよ。『フィガロの結婚』の『手紙の二重唱』をやりましょう。私は伯爵夫人、スザンナが笠原さんね。一部の最後に、私のソロ曲と、二人の二重唱をうたって、二部は笠原さんのソロに戻る。アンコールには私は出ない方がいいでしょうね」

 と、どんどんプログラムまで決めてしまった。

 早紀ちゃんのママが焦りまくってフィガロの楽譜をさらい始めて数日後、「笠原由紀子 酒蔵リサイタル~オペラで夕涼み~」の本番当日がやってきた。

 

オランピアの歌

 

 酒蔵というのは不思議と中の温度が一定に保たれるところだけど、リサイタル、ということで人がたくさん集まり、かつ真夏、となるとさすがに暑い。

 岡崎さんはちょっと考えて、蔵の中の席以外に、蔵の外にもベンチを出して、どちらでもコンサートが楽しめるようにした。その上で、宣伝チラシには、

 「夕涼みにふさわしく、浴衣などの軽装でおこしください」

 と書かれていたので、おばあちゃんは、

 「瑞穂も美晴も、浴衣着ていきなさい」

 と、二人の浴衣を出してくれた。

 今から思えば、おばあちゃんはとにかく、美晴に楽しい思い出をいっぱい作ってあげようとしていたんだと思う。

 普通の格好をして行くよりも、浴衣を着て、お祭り気分で、ママの歌を聴けるなんて最高じゃないか。

 

 美晴の腕には、点滴の後のばんそうこうがまだ残っていて、私は思わず、

 「痛くなかった?」と訊いた。

 美晴は注射が大嫌いで、神戸のおばあちゃんが時々予防注射をしようとするのにも、いつも泣きながら逃げ回っていた。

 でも美晴は、

 「最初はいややったけど、もう慣れた」と言った。

 注射に慣れるなんて、あんまり嬉しい話やないなぁ、と言いながら、私は美晴の小さな手をぎゅっと握りしめて、No.3ギャラリーに向かった。

 

 No.3ギャラリーのある岡崎酒店の駐車場には、所々にベンチと、イーゼルに飾られた絵が置かれていた。早紀ちゃんのパパのお弟子さんの絵だ。

 展覧会の期間中、No.3ギャラリーの中に展示される絵を、コンサートの時だけ外に出し、代わりに蔵の中にはパイプ椅子を置く。

 イーゼルに飾られた絵をたどっていくと、駐車場の中で緩やかなカーブを描いて、そのまま蔵の中へと導かれる。

 道しるべのように点在する絵の傍らで、置いてあるベンチに座って一休みしていると、蔵の中で演奏されている歌が聞こえてくる、という趣向。

 「天気だけが心配なんやけど」と岡崎さんは言っていて、一応、屋外用のテントなども用意していたようなのだけど、幸い好天に恵まれた。詠子さんの神通力かもしれない。

 榊原詠子が出演する、という話は、本当に土壇場になって決まったことだったから、集まっているお客様の数はさほど多くなかった。

 詠子さんの出演してきた演奏会の中では、集客数という点では明らかに見劣りする。

 早紀ちゃんのママもそれが分かっていて、ひたすら恐縮していたけど、ママの気合は客の数なんかにまるで関係なく、恐ろしく高まっていた。

 ママはこの日、美晴のためだけに、「ホフマン物語」のオランピアの歌を歌おうと決心していた。

 美晴に、ママの渾身の歌を聞かせてあげる。それで、「ホフマン物語」への出演を諦める。

 そして、もう二度と、この曲は歌うまい。自分の中の「ホフマン物語」への未練を断ち切るためにも。 これは、ママにとって、最初で最後の「オランピアの歌」になるのだ。

 

 私たちだけじゃなく、お客様の半分近くが浴衣を着て、蔵の内外に三々五々座り、まるで夏祭りの縁日のような和やかな感じの中、コンサートは始まった。

 明るい蔵の中へ、鮮やかな緑の衣裳の早紀ちゃんのママがにこやかに吸い込まれていく。

 私と美晴も、慌てて蔵の中に入った。

 思ったほど暑くないのは、お客様も遠慮して、蔵の外にも散っているからだろう。

 モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」に出てくる、小悪魔っぽい女中、デスピーナの楽しいアリアから、リサイタルは始まった。

 

 涼やかに、軽やかに、というのが一貫したテーマで、早紀ちゃんのママの硬質の声は、No.3ギャラリーの高い天井でまろやかな響きになり、建物の外にまでやわらかく響いた。

 2曲目が終わったところで、早紀ちゃんのママはいったん退場。

 短い休憩の間に、受付の手伝いがひと段落した早紀ちゃんが、隣の椅子にやってきた。「二人とも、可愛い浴衣やなあ」と歓声をあげる。

 「早紀ちゃんは浴衣じゃないの?」と聞くと、「私は瑞穂みたいなビジュアル系やない。筋肉で勝負や」とわけのわからないことを言う。

 早紀ちゃんのママが再入場してきた。「ママびびっとるで」と、早紀ちゃんがささやく。

 「なんで?」と私が聞くと、

 「きまっとるがな。あんたのお母さんとの二重唱や。あれで昨日、一睡もしてない。」

 

 一睡もしていないわりには、早紀ちゃんのママはすごく頑張っていた。

 アヴェ・マリアのような清らかな宗教曲や、「こうもり」のアデーレなど。軽やかな歌がいくつか続いた後、早紀ちゃんのママが、「ここで、今夜のスペシャルゲストをご紹介します」と言った。ママの出番だ。

 ママは、彼女なりに涼しげな、薄いえんじ色のシンプルなドレスで現れた。私も美晴も、一生懸命拍手した。考えてみれば、ママの本舞台を見るのは久しぶりだ。

 ママはにっこりほほ笑むと、びっくりしたような顔で、かちん、と固まった。自動人形、オランピアの登場だ。とたんに、何もない殺風景な蔵の中が劇場の光に満ち、ママに向かってすうっと空気が吸い寄せられていく。

 人形ぶりのぎくしゃくした動きで、ママは歌い始めた。

 

並木に小鳥、夜空にお日様

優しく恋の歌、乙女にささやく

歌、恋の歌!ああ!

聞いてよオランピアの歌!

オランピアの歌!

 

 蔵の中から、ママを中心にして、おとぎ話の鮮やかな色彩が、空に向かってさあっと湧き上がっていく。神戸の街全体が、七色に染め上げられていく。

 隣で聞いている早紀ちゃんの口が、ぽかんと開いたまま閉じない。

 声で世界を塗り替える魔法使い。それが私のママ、榊原詠子さんだ。

 

 オランピアはコロコロと光り輝く宝石のような声で歌い続ける。でも、その体の中は歯車でいっぱい。

 だから、1番を歌い終わりそうになると、ぜんまいが切れて歌がとまり、体もかくん、と止まってしまう。

 慌てて袖に控えていた早紀ちゃんのママが、大きなねじ回し(段ボール製)を、詠子さんの背中でくるくる回す。詠子さんの体がまたぴょこん、と起き上がり、歌が続く。

 お客さまはくすくす笑い、美晴も大喜びで笑った。

 

歌よ響きよ、吐息つかせる

揺れ動く恋心、震える恋心

歌、恋の歌!ああ!

聞いて恋の可愛い歌

聞いてよオランピアの歌!

 

 美晴、沢山笑うんだぞ、と私は思った。いっぱいいっぱい笑え。

 お前の笑顔が見たくて、ママはあんなに一生懸命歌っているんだ。

 そして、これが、ママにとっては最初で最後の、オランピアの歌なんだぞ。

 

 最後の聞かせどころのカデンツァに入る。コロラトゥーラの技法が最大限に必要とされるところだ。

 いくつかの高音を見事に鳴らして、最後の最後の高音で、ママの声が派手に裏返った。

 私も美晴も一瞬凍りついたけど、ママは何事もなかったかのように、最後のパッセージを歌いきって、人形のまま、カタカタとお辞儀をし、カタカタと退場していった。

 酒蔵の中の空気がすうっと元の色彩に戻っていく。ママの音楽の魔法が解けて、観客がふっと溜息をつく。

 「すごかったなぁ、さすがママやなぁ」と、私は美晴に言った。

 「でも、最後の音で失敗した。」美晴は言った。厳しい。

 「ママには難しい歌なんやで。」私は言い訳した。「今までの役のようにはできへんよ。」

 「これ、『ホフマン物語』の歌でしょ?」と美晴は言った。

 「そうや。自動人形オランピアの歌や。」早紀ちゃんが言った。

 「ママ、本番の時には失敗せえへんよね。絶対成功させるよね。」美晴が言った。

 詠子さんのボケなす。なんでこんな大事な瀬戸際で失敗するんだ。

 もともと持っている声域と違う歌だ、といえばその通りなんだけど、やっぱり力み過ぎたか。

 私がなんて言っていいか分からず、黙ってしまうと、詠子さんと早紀ちゃんのママが手を取り合って出てきた。モーツァルトの「フィガロの結婚」から、「手紙の二重唱」。

 二人がならんで歌い始める前に、いきなり、ママは、自分のおなかを、タヌキの腹鼓みたいにぽこぽこ叩いた。結構いい音が出て、客席がくすくす笑った。

 ママも笑って、隣の早紀ちゃんのママを見た。針金みたいにかちこちになっていた早紀ちゃんのママが、ちょっと笑った。

 

 「女性の二重唱は、声の線が細い分、きちんとハモらせるのがすごく難しいんよ」とママは言っていた。

 「音程もしっかり合わないとあかんし、声の質感もしっくりこないときれいに響かない。女性の二重唱っていうのは結構難しいんよ。」

 

ええ、私が言う通りに書いてちょうだいな、あとは全部私がやるから・・・

「そよかぜに寄せて・・・

優しいそよ風が

今宵、ため息をつくのです

庭の松の木陰で」・・・あとはお分かりでしょう?

 

 浮気な伯爵をこらしめようと、伯爵夫人が、侍女のスザンナに、伯爵を呼び出す手紙を代筆させる皮肉な二重唱。

 そういえば、昔、大地さんが言っていた。

 モーツァルトは太陽なんだよ。

 モーツァルトは「フィガロの結婚」で、舞台上の登場人物の全員を残酷にもてあそぶ。

 計略と偶然。欲情と誠実。純情と裏切り。

 狂言回しのはずのスザンナが、いつのまにかコトの渦中に巻き込まれ、何もかもをしたり顔で采配していたはずのフィガロが、嫉妬に狂って我を失う。

 そんな人間の全てを、しょうがないやつらだなぁ、と笑い飛ばしているモーツァルトの視線。

 モーツァルトは人間全てに暖かい。

 モーツァルトは太陽。モーツァルトは光。

 

 詠子さんが言っていた通り、早紀ちゃんママの軽やかな声と、詠子さんの芯のしっかりした声はものすごくよく馴染み、蔵全体をふわふわと包み込んだ。

 優しい和音のビブラートが体にしみこんでいく感じがする。

 美晴の体にもしみこんでいくはずだ。この美しい楽音が、美晴の中に巣食っている悪魔を追い出してくれたりしないだろうか。

 「ええなぁ。やっぱりママはすごいなぁ。」美晴が誰に聞かせるともなくつぶやいている。

 「ここにパパがおったらなぁ。」

 

 私ははっとした。

 美晴は、このところずっと、大地さんのことを一切口に出していなかった。

 大地さんのことは、私たちの間では禁句だったし、ママが戻ってきてからは余計に、みんなすっかり大地さんのことを忘れていた。

 いや、私は少なくとも忘れていたけれど、美晴は本当に忘れていたんだろうか。

 美晴は大地さんの、血のつながった子供だ。正真正銘のパパだ。

 忘れられるわけないじゃないか。

 

 私にもできることがある。私は突然思いついた。

 美晴がきっと願っていること。

 心から実現してほしいと思っている夢。

 美晴には難しい。ママにも無理だ。

 でも、私になら、その夢を実現させることができるかもしれない。

 モーツァルトの音の光に包まれながら、私はだんだん興奮し始めた。


おばあちゃんの決心

 

 美晴は、小児がんの専門病院で、放射線治療を受けることになった。

 酒蔵リサイタルの翌日、ママは美晴に、病気のことを説明した。

 美晴の目の奥の所、脳みその中に、悪いできものが出来た。放射線という光を当てて、このできものをやっつける。

 「でもね、脳みそだから、とっても大事なところなの。ちゃんとお医者さんの言うことを聞いて、美晴が頑張らないと、大事な脳みそが壊れてしまって、美晴は死んじゃうかもしれない。ママや瑞穂に会えなくなるかもしれない。」

 それはイヤだ、と美晴は言った。僕、お医者さんの言うことをちゃんと聞く。

 「ママはね、美晴が頑張っているそばにいてあげたいと思うの。だからね、『ホフマン物語』の舞台は、お断りしようと思うの。」

 美晴はぴしゃり、と言った。「だめ。」

 ママはちゃんとオランピアを歌わないとダメだよ。昨日のリサイタルで一音失敗したんだから。僕は、ママがちゃんとオペラ劇場の舞台で、オランピアの歌をカンペキに歌うのを聞きたい。

 稽古でママがそばにいない、なんて、今までと変わらないでしょ?それに、ママはもう僕らのことを忘れたりしないでしょ?

 忘れるもんか、とママは言った。美晴はにっこり微笑んだ。

 だったら大丈夫。僕、一人じゃないし。瑞穂もいるし、おばあちゃんもおじいちゃんもいるし。

 ママはそれでも、「ちょっと考えさせて」と言った。

 

 その晩、美晴が眠った後、ママとおばあちゃんと私は、リビングに集まった。

 おじいちゃんは先に眠っていた。というか、おじいちゃんは、美晴の病名が判明した後、部屋にこもりがちになっていた。

 「男親はほんまにあかん」と、おばあちゃんは愚痴った。「すぐ泣いてばっかりで、何の役にも立たへん。」

 

 ママはすごく正直に、おばあちゃんに今の気持ちを伝えた。

 自分の中でも、「ホフマン物語」に乗りたい、という気持ちはすごく強い。美晴もああ言ってくれている。

 でも、それって、美晴に甘えているだけなんじゃないだろうか。美晴のそばにいられる時間を犠牲にすることなんて、許されないんじゃないだろうか。

 おばあちゃんは尋ねた。「その舞台、いつから始まるの。」

 ママは言った。「12月。」

 その時、一瞬、おばあちゃんの表情が曇ったのを、私もママも見逃さなかった。

 「私、断るわ。」ママは叫ぶように言った。「間に合わないかもしれないんでしょ?美晴に、『ホフマン物語』の舞台を見せてあげられるかどうか、分からないんでしょ?」

 「放射線治療の結果次第や。」おばあちゃんは言った。「結果がよければ、間に合う。」

 「間に合うって何よ!」ママはまた叫んで、私を抱きしめた。何かに支えてもらわないと、真っ暗闇に落ちていきそうな気分になったのだと、私は思った。でもね、ママ、本当に、私達には何もできないんだよ。

 「私達には何もできん。」おばあちゃんが言った。「そう思ったら終わりや。できることはある。家族で、一つの夢を持つことや。」

 「夢?」と私は繰り返した。

 「そうや。美晴と一緒に、家族全員で、同じ夢を持つことや。」

 「美晴と同じ夢?」ママがつぶやいた。

 「ママの『ホフマン物語』を見ること。」私は言った。心の中で、別のこともこっそり付け加えながら。

 「そうや。」おばあちゃんはうなずいた。

 「美晴に生きる希望を与えること。あんたら家族3人が、共通の夢に向かって努力すること。12月、美晴に素晴らしい舞台を見せる。あんたが考えなあかんことは、それだけや。」

 

 おばあちゃんはそう言いながら、この時、一つ大きな決心をしたのだ、と、後で私に教えてくれた。

 闘病というのは決してそんな美しい夢だけで成り立つものじゃない。

 美晴の小さな体が、刻々と悪魔に蝕まれていく。昨日できたことが今日はできなくなっている。その過程を見つめ続ける苦しさ。不安。恐怖。

 そういうものが、夢を持って前進していこうとする家族の心を傷つける。思いをくじく。

 「私はあの時、そういう苦しみや、そういう悲しみを、あんたら2人に代わって全部受け止めようと思うたんや。」おばあちゃんは後で、私に言った。

 「私は医者や。医者というのは、病気という悪魔が患者を蝕んでいく、その過程をひたすら見つめるのが仕事や。それが例え、世界で一番可愛い孫であったとしても、私は医者として、家族の苦しみを代わりに背負ってあげないかん。そう思たんや。」

 

 おばあちゃんはそんな決心を固めながら、でも、私達二人に、微笑みながら言った。

 「さぁ、12月の舞台、美晴にとっての最高のクリスマスプレゼントにするんやで。」

 ママはうなずいた。私もうなずいた。

 その時から、私の計画もスタートしたのだ。美晴に、最高のクリスマスプレゼントをあげるために。

 ひょっとしたら、最後のクリスマスプレゼントになるかもしれないプレゼントをあげるために。

 

パパをたずねて三千里

 

 前りゃく 大地さん

 瑞穂です。ごぶさたしております。お元気ですか。

 この手紙が、ちゃんと大地さんの所にとどくかどうか、自信はありません。

 ママをのぞく色んな人にたずね回りましたけど、結局、大地さんの今の住所は分かりませんでした。

 大地さんが働いているという劇場の名前を知っている人がいて、その劇場の住所を自分で調べました。

 とにかく、これがただ一つの手がかりです。

 なんだか、「母を訪ねて三千里」みたいな感じ。だいぶちがうか。

 

 この手紙を受け取る劇場の人が親切な人で、大地さんがまだこの劇場に働いていて、この手紙を読むことがあったら、お知らせとお願いがあります。

 お知らせです。悪い知らせです。

 美晴が病気になりました。脳かんグリオーマ、という、悪性のしゅようが、脳かんという頭の真ん中の所にできたそうです。

 手術は難しい、という話で、先々週、放射線ちりょうを受けました。

 

 昨日退院してきた美晴は、車いすに乗って帰ってきました。

 神戸のおばあちゃん家――そうそう、私たちは今、神戸にいるんです。いろいろあって――の、小池さんというかんご婦さんが、車いすを押してくれて、おばあちゃんが点てきスタンドを手に、そばにつきそっていました。

 車いすに乗った美晴は、ものすごく小さく見えました。

 にこにこ笑って私に手をふる美晴の顔を見ながら、私はすごくくやしかった。

 なんで、と思った。

 だって、放射線ちりょうをする前の美晴は、ちゃんと自分の足で歩いていたんだもん。

 たしかに、ふらふらしたり、ちゃんとごはんが食べられなくてもどしちゃったり、なんだかふつうじゃなかったけど、それ以外は、とっても元気な、いつもの美晴だったんです。

 なのに、病院で病気をなおしてもらったはずなのに、自分で立てなくなって、車いすで帰ってくるなんて、あんまりじゃないかって思ったんです。

 

 でも、おばあちゃんはすごく明るい顔をしていました。

 放射線ちりょうの結果がものすごくよかったらしくて、私の泣きそうな顔を見て、「大丈夫、今は車いすやけどな、すぐに歩けるようになる」と言いました。

 でもやっぱりこの病気は本当にこわい病気で、脳の中にできたしゅようを全部やっつけるのはむつかしいそうです。

 美晴のいないところで、おばあちゃんは、ママと私に言いました。「これで12月までは多分大丈夫。でも、時間をかせいだだけや。美晴の頭の中にはまだ、グリオーマの芽が残ってるかのう性が高い。」

 

 美晴があと1年生きられるかくりつは、40%くらいだ、とおばあちゃんは言いました。

 40%って言われても、私にはよく分かりません。ママもよく分からないようです。

 でも、とにかく私たちは決めました。

 12月、ママの「ホフマン物語」の舞台を、美晴といっしょに見る。

 美晴へのクリスマスプレゼントにする。

 ママはその舞台で、最高のプリマすがたを美晴に見せるべく、今必死にけいこにはげんでいます。美晴はその舞台を見に行けるように、病気とたたかっています。

 私も、美晴に何をしてあげられるか、考えました。それで私はこの手紙を書いています。

 

 大地さん、お願いがあります。

 12月、日本に帰ってきてくれませんか?

 そして、ママの「ホフマン物語」を、美晴といっしょに見てあげてくれませんか?

 また一緒に暮らしてほしい、なんてことは言いません。

 ただ帰ってきてくれて、美晴といっしょに、ママの「ホフマン物語」を客席で見てほしい、それだけのお願いです。

 美晴が私に言ったわけじゃありません。

 でも、私には分かります。

 美晴の心の声が聞こえたんです。

 「パパといっしょに、ママの『ホフマン物語』を見たい」って。

 

 でもよく分かりません。本当に美晴の声が聞こえたのか。

 本当は、私自身の声だったのかもしれません。私自身の夢だったのかもしれません。

 大地さんがいた毎日は、本当に幸せでした。

 私自身が、大地さんがもどってきてくれたらいい、と思っているだけなのかもしれません。でもそんなこと、どっちでもいいと思います。

 美晴に、最高のクリスマスプレゼントをあげたいんです。

 美晴の、最後のクリスマスプレゼントになるかもしれないんです。

 ママに会うのがしんどい、とか、日本に帰ってくる時間がない、とか、色々あるかもしれないから、すごくわがままなお願いだ、というのは、分かっているつもりです。

 でも、美晴は、大地さんの子供です。

 美晴のことを、まだ、大切に思ってくれているのなら、日本に帰ってきてください。

 美晴のそばにいてあげてください。お願いします。  草々。瑞穂より

 

目標を立てて進む

 

 放射線治療が終わって家に帰ってきてから、美晴は1週間に一回通院しながら、歩く練習を始めた。

 車椅子で戻ってきた姿に、私はすごくショックを受けたけど、美晴は全然めげていなかった。

 あんまり口には出さなかったけど、放射線治療と病気のせいで、激しい頭痛が続いたり、体がとにかくだるかったり、体調はけっして万全ではなかったようなのに、歩く練習は絶対に休もうとしなかった。

 家の廊下に付けてもらった手すりで体を支えながら、何度も廊下を往復する。

 私くらいの子供なら、5歩くらいですぐ歩ききってしまう距離を、ゆっくりゆっくり、一歩一歩踏みしめながら。

 足は中々、美晴の思うように前に進んでくれない。ふらふらと頼りなく、美晴が思っている場所と少しずれた所に着地する。

 それでも美晴は、そのずれをなんとか修正しながら、少しずつ前進していく。

 頑張ってるね、と声をかけると、美晴はにっこり笑って私を見上げる。

 だって、12月には、東京まで行かないとだめなんだよ。

 駅の階段だって上らないとダメなんだから。

 こんな所でぐずぐずしてるわけにはいかないよ。

 

 美晴は、このセリフをよく使った。どこで覚えたのかは知らない。5歳の子供が使うにしては大人びたセリフだ。

 「こんな所でぐずぐずしてるわけにはいかない。」

 

 放射線治療で夏休みを全部棒に振って、2学期から幼稚園に行けるか、と思ったけど、おばあちゃんは、

 「杖を突いてでも歩けるようになったら」

 という目標を立てた。

 私たち家族は、一つ一つ目標を立てて、そこに向かって進んでいくようになった。

 手すりを伝って歩く美晴の歩みのように。一歩一歩、着実に。

 

 「放射線治療で腫瘍が壊れて、脳の中に穴が出来とる。その穴を、正常な神経から足がどんどん伸びて埋めていく。その足がきちんと育ってくれれば、美晴はまた歩けるようになる。このまま腫瘍が再発しなければ、多少障害が残っても大人になるまで生きられるかもしれん。いずれにせよ、目の前にある目標を一つ一つこなしていくことや。」

 

 私が立てた目標。

 12月のママの舞台までに、大地さんを日本に呼び戻す。

 まず私が頼ったのは、早紀ちゃんのママだった。早紀ちゃんのママから、オペラの舞台監督仲間のネットワークを伝って、なんとか分かったイタリアの地方都市の歌劇場の住所を、ネットで調べた。

 ネット上には本当に沢山の情報が溢れているのに、大事な情報へつながる道しるべは、まるで見当たらない。

 大地さんの電話番号。

 大地さんのメールアドレス。

 大地さんは今、元気でいるのか。

 美晴の頭の中の腫瘍は死に絶えたのか。

 美晴はちゃんと長生きできるのか。

 12月の舞台に間に合うのか。

 

 歌劇場に電話して、大地さんを呼び出してもらう・・・というのも考えたのだけど、イタリア語どころか、英語だってろくにできない小学6年生の私には、とてつもなく高いハードルだった。結局、ネット上で見つけた住所あてに、手紙を出すことしかできなかった。

 初めて手紙を出したのは8月の末。大地さんからの返事は来ない。

 届いているのかどうかも分からず、私はもう一通手紙を書いた。

 3日後に1通。2日後にもう1通。

 そのうちに、毎日のように手紙を書いた。

 書くことがなくなって、まるで日記を書くみたいに手紙を書いては、イタリアに送った。

 美晴の足取りはだんだんしっかりしてきました。美晴の今の目標は、10月頭の幼稚園の運動会に行くことです。

 競技に参加はできなくていいから、とにかく、体そう服を着て、お友達みんなと一緒に声を出して応えんしたい。美晴は笑顔でそう言います。美晴はいつも笑顔です。

 食欲はおうせいなんだけど、それは薬の副作用らしいです。顔が膨らんで、まるまる太ってきました。

 この前おばあちゃんが、インスタントコーヒーを混ぜたコーヒー牛乳を作ってくれたけど、美晴は、「あんまりおいしくない」と笑いました。

 大地さんの作ったコーヒー牛乳、もう一回飲みたいな。

 

 9月。まだ残暑は厳しい。大地さんからの返事は来ない。

 ママは週に2日ほど神戸に帰ってきて、帰ってくるたびに、美晴の歩みがしっかりしてきたことに驚く。

 私たちは奇跡を信じ始めている。

 美晴は治りますよね。美晴は病気に勝ったんだよね。

 美晴は絶対に、死んだりしないよね。

 大地さん、早く日本に帰ってきてください。

 

闇の中の色

 

 9月末のある夕方、神戸に帰ってきていたママと美晴と私で、No.3ギャラリーに行った。美晴が行きたい、と言ったのだ。

 美晴の足取りは随分安定してきていたけど、外出はまだ車椅子だった。それでも、美晴の回復は目覚しくて、おばあちゃんは、

 「3人で近所を散歩してきたらどや?」

 と言ってくれた。

 9月の前半くらいまでは、部屋に籠もりがちだったおじいちゃんも、笑顔で玄関に出てきて、「気をつけて」と声をかけてくれた。

 ママが車椅子を押そうとしたけど、私が代わった。ママより私の方がよっぽど慣れている。

 そう言うと、ママはちょっと不満そうな顔をしたけど、美晴が、

 「瑞穂の方がこつを知ってるからだよ。瑞穂も、易しい道になったら、ママに代わってくれるよ」

 と諭すように言うと、ママも黙ってしまった。


 病気になってから、不思議なくらい美晴は優しくなったと思う。

 いくらでもワガママが言えたのに、いくら泣いても喚いても、みんな許してくれただろうに、美晴はじっと我慢して、そしてみんなを許していたし、みんなをどこまでも温かい目で見ていた。

 

 どこに行こうか、と言ったら、美晴は、No.3ギャラリーに行きたい、と言った。

 私もママも大賛成で、私は車椅子を押して、最近とんとご無沙汰だった、No.3ギャラリーに向かった。

 No.3ギャラリーは、今は確か、反物と陶器の展示をやっているはずだった。私は展示の手伝いには行けなかったけど、早紀ちゃんがすっかり岡崎さんの助手状態になって、色々と手伝いをした、と学校で聞いた。

 私は当然のように、早紀ちゃんにハゲしく嫉妬したけど、今はそれどころではない、と諦めていた。

 だから、美晴がNo.3ギャラリーに行こう、と言ったのは、岡崎さんに会いたい、という私の気持ちを汲んでくれたからじゃないかな、と今になって思う。

 

 ギャラリーの入り口にいた岡崎さんは、私たちを見つけると、駐車場の入り口まで駆け寄ってきてくれた。

 美晴の目の高さにしゃがみこみ、素晴らしい笑顔でにっこりした。

 「車椅子だと、ギャラリーの中に入れないのよ。展示物にひっかかっちゃうの。」

 美晴はものすごくがっかりした顔をした。でも、岡崎さんは微笑んで言った。

 「私がおんぶしてあげる。恥ずかしくない?いいかな?」

 美晴は、ちょっと照れくさそうな顔をしてうなずいた。

 私とママが手を貸して、美晴は、岡崎さんの背中の上に移動した。

 「目を動かすのがちょっと辛いので、見たいものの方に、身体を向けてあげるようにしてくださいね。」ママが言った。

 「分かりました。」岡崎さんはにっこりして、何も背負っていないような軽い足取りで、スタスタとNo.3ギャラリーの中に入っていった。

 「かっこええなぁ。」ママが感心したように言った。「なんで男やなかったんかなぁ。男やったら、絶対瑞穂を嫁にしてもらうのに。」

 「余計なこと言わんとってや」と、慌てて私は言って、岡崎さんの後を追った。

 

 No.3ギャラリーの、酒蔵の柱と柱の間に張り巡らされたワイヤーに、色鮮やかな反物が何枚もかけられている。

 布はギャラリーの中の大気の動きに合わせてゆらゆらと揺れている。華やかな色彩が、酒蔵自身の呼吸に合わせて揺れているようだ。

 床の上には固定された様々な大きさの丸い台がランダムに配置されていて、台の上に、温かい色合いの陶器が展示されている。

 灯籠の形の陶器がところどころに配置されていて、その中で小さな白熱電球が、ぼおっと光っている。

 天井のハロゲンライトの光量は低く抑えられ、布の色彩の上に闇が澱む。

 酒蔵の中を人が動くと、それに合わせて布が揺れ、影と光が踊る。

 私たち4人は、布と灯籠が織りなす光と影の迷路の中を、寄り添うように進んでいった。

 そんなに広くない酒蔵の中に、無限回廊のようにうねうねとした道がどこまで続いていく。色の奥に闇があり、その向こうにはっとするほどの光が見える。

 

 「夕方に来てもらったのはよかったわ。」岡崎さんが言った。「昼間はこんなにきれいに影が出ないんよ。影がくっきり出る、夕方から夜がいい。夕方は窓からの光に色がつくから、余計に不思議な色合いになる。闇と色がせめぎ合ってる感じがいい。」

 「なんか、怖いようやね」とママが言った。

 

 窓から、少し強い風がふっと吹いてきて、かけてある布がさぁっと揺れた。

 その色彩の重なりの奥に、黒い大きな影が見えた。

 影がゆっくりと膨らんで、燃えるような布の色を呑み込んでいくように見えた。呑み込まれた色たちの悲鳴が聞こえた気がした。

 座っていた影が立ち上がったように見えた。

 頭に当たる所が、すうっとこっちに向かって、振り向くような気がした。

 あの影の中にある目を見たら、私はそのまま闇に落ちる。そう思った。

 

 「瑞穂!」

 美晴の声がした。私は我に返った。

 振り返ると、美晴が立っていた。岡崎さんの手を取って、私の方を向いて微笑んでいる。

 美晴の上からハロゲンライトの光が落ちていて、光の中で美晴が笑っている。

 「そっちまで行くよ。一人で行くよ。」美晴が言って、岡崎さんの手を離した。

 美晴が歩いてくる。一人で歩いてくる。私の方まで。

 光の中を、ゆっくりゆっくり。

 ちょっとよろける。

 私もママもはっとする。でも、動けない。

 光に背中を押されるように、美晴が私の方に歩いてくる。

 美晴は、光だ。

 闇を消すのは、光だ。

 

 「瑞穂、つかまえて!」美晴が言った。私は手を伸ばした。

 美晴は、倒れこむようにして、私の腕の中に飛び込んできた。

 私の後ろの闇が、すうっと後退していく音がした気がした。

 「すごいなぁ、美晴くん。」岡崎さんが歓声を上げた。

 ママは泣いていた。

 私と美晴は笑った。声を上げて笑った。

 でも、私の背後で、闇は消えてはいなかった。闇は私自身の影の中に澱んで、夜をじっと待っていた。

 

おさるとウッキッキ

 

 10月の土曜日、美晴の幼稚園の運動会当日、ママはなんとか都合をつけて、前日の深夜からバスに乗り、夜を徹して神戸までやってきた。

 ママの目の下にははっきりと深いクマが刻まれていた。

 「眠れなかったの?」と私が聞くと、

 「周りのオッサンの歯ぎしりやらいびきやらに囲まれて、バスの固い椅子で誰が眠れるかいな」と、ママはげっそりした顔で答えた。

 

 私とママだけじゃなく、おじいちゃんも、おばあちゃんも、総出で、美晴の幼稚園に出かけた。

 一応、車椅子は持ってきていて、おじいちゃんが押していたけど、タクシーから降りた美晴は、右手に杖をしっかり握って、安定した足取りで、幼稚園の園庭に歩き出した。

 入り口には、担任の先生がニコニコしながら立っていて、美晴は元気よく、

 「おはようございます!」と言った。

 やったぞ、と私は思った。やったぞ、美晴。10月の目標クリアだ。

 運動会に行くこと。車椅子じゃなくて、ちゃんと歩いて幼稚園に行くこと。

 

 本当なら、父兄席と、園児の席は分かれているのだけど、私とママは特別に、美晴が座っている園児席のわきに、二人の場所をとってもらった。

 幼稚園の小さな椅子ではさすがに美晴がしんどいので、待機している間は、車椅子に座ることにして、ママが車椅子を押してきた。

 美晴が杖をついて園児席まで歩き、車椅子に座ると、すぐに同級生のお友達が、美晴の回りにわっと集まってきた。

 小鳥のさえずりのように、きゃっきゃと笑い声がはじける。

 美晴が笑っている。

 美晴の膝の上に、沢山のプレゼントがどんどん集まってくる。折り紙で折った蛙とか、鶴とか、なんだかよく分からないもの。アイロンビーズで作った花。手紙。ゲームカード。その他もろもろ・・・

 「みんな、美晴くんのことを待ってたんですよ。」幼稚園の先生が嬉しそうに言った。

 私はどんな顔をしていいかわからなくなった。こんなにまっすぐな好意が、雨のように降り注ぐのに会うと、どうしていいものだか分からない。

 とりあえず、ぎこちなく笑顔を返した。

 

 「午後の親子競技、お母さんと美晴くん、出場していただけませんか?」担任の先生が続けてそう言った。

 美晴の顔がぱっと輝き、ママの顔がちょっと険しくなった。

 「どんな競技です?」とママが聞くと、担任の先生は、

 「おさるとウッキッキ」と言った。

 「おさる?」と私とママが繰り返した。美晴はけらけら笑っている。

 「保護者の方が腰みのをつけて、おサルのお面をつけた子供と一緒に走るんです。折り返し点に置いてある台の上に子供を乗せて、保護者の方が、おサルのポーズをして、子供をおんぶして戻ってくる。美晴くんは走るのは無理やから、往復とも、お母さんにおんぶしてもらう、というのでいかがでしょう?」先生はにこやかに言う。

 ママの表情が悲壮なものになった。「美晴をおんぶして往復して、腰みのを付けて踊る」と、呆然と呟いた。「榊原詠子が、腰みのをつけて」と繰り返す。美晴のケラケラ笑いがさらに大きくなる。

 「去年は魔女の宅急便やったんです。」担任の先生が言う。

 「それ何の競技?」私が聞くと、先生は相変わらずニコニコしながら、

 「保護者の方が、赤い大きなリボンをつけて、ほうきをまたいで走るんです。子供は黒ネコのお面をかぶって、リボンの付いた箱を抱えて走る。」

 「この幼稚園はコスプレが好きやねんなぁ」と私は呟いた。ママの苦りきった顔を指差して、美晴がゲラゲラ笑っている。

 

 運動会が始まった。

 開会式のパレード、徒競争など、年長組の同級生が出場するたびに、美晴は、手に持った黄色いポンポンを振りながら、ニコニコと歓声を上げていた。徒競争で走る一人ひとりに、「がんばれー」と声をかけた。

 黄色いポンポンは、私と一緒に作った。

 「みんなを応援するのに、手ぶらは辛い」と言い出した美晴のアイデアだ。

 黄色は太陽の色だから、と、美晴が決めた。

 黄色い色のビニールの荷造り紐を買ってきて、美晴と一緒に指で細かく割いて、何本も束ねて丸い花のようにする。

 そんな簡単な工作でも、美晴の指は思うように動かず、完成するまでにはずいぶん時間をかけた。

 美晴のポンポンが輝く。

 美晴は太陽だ。

 みんなが、美晴の光の中で、笑顔で走る。

 笑顔で踊る。

 ゴールを切ると、みんな必ず、美晴のほうに手を振ってくれる。

 「美晴、見とったかー!」と誰かが言うと、美晴は、「見た見た!」と笑顔で答えて、手のポンポンを振ってみせる。

 みんなが美晴を見ている。

 みんなが美晴から元気をもらっている。

 美晴の前で恥ずかしい姿は見せられないと頑張っている。

 

 午前中の競技が終わって、おじいちゃんとおばあちゃんが側にやってきた時、美晴は、ビデオカメラを持ったおじいちゃんに、

 「ちゃんとみんなのことを撮ってくれた?」と聞いた。

 「みんなって?」と私が聞くと、美晴は、

 「お友達みんな。先生。ママ。瑞穂。おじいちゃん。おばあちゃん」と言った。

 「美晴のことも撮ったよ」とおじいちゃんが言うと、美晴は恥ずかしそうに笑って、

 「僕のことはええから」と言った。

 

 お昼休みになり、みんなでお弁当を広げた。

 美晴のところには、ひっきりなしにお友達がやってきて、ちょっとしたお菓子をくれる。

 美晴もにこにこ、それを受けている。

 うちのお弁当はママの手作り、と言いたいけど、神戸にたどり着くのが精一杯だったママに、そんな余力が残っているはずはない。

 おばあちゃんは職業婦人なので、お弁当を作るのも職業料理人に任せるべきだ、ともっともらしいことを言って、結局は仕出弁当になった。

 それでも5人で笑いながらお弁当をしていると、ちょっと空模様がおかしくなってきた。

 厚い雲が急にやってきて、空を覆った。

 嫌な感じの風が吹いて、万国旗がパタパタ音を立てる。これは一雨くるかな、とみんなで空を見上げた。

 遠くで雷の音がして、ひやっとした。

 大丈夫かな、と思って、美晴を見たら、美晴は、おにぎりを手に持ったまま、幼稚園の入口を見つめていた。

 美晴の視線を追いかけると、幼稚園の入口に大地さんが立っていた。

 美晴が立ち上がった。よろけた。

 私は慌てて美晴を支えた。

 美晴は側にあった杖を手にして、走りだそうとした。

 私は美晴を支えて、「気をつけて!」と叫んだ。

 大地さんがゆっくり歩いてくる。

 歩みが速くなる。駆け出してくる。

 どんどん近づいてくる。

 美晴は杖をついて、よろよろと立ち上がる。

 ママも気がついた。ママが立ち上がった。

 大地さんはがっしり、美晴を抱きしめた。遠くで雷の音がした。

 

 「おさるとウッキッキ、マルちゃんが出て。」ママが呟いた。

神戸のフルーツフラワーパークも、美晴の運動会のエピソードも、私自身の経験がそのまま反映されています。2004年の我が家の一年を思い起こしながら書きました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ