氷姫の想い人
貴族の令息・令嬢が、魔術を学ぶ「国立魔術学院」という学び舎がある。
入学と同時に入寮するものが多いために、学院はいくつかの棟からなる。
本館と呼ばれる、赤レンガの建物は、主に授業を行う。
そこには、象徴とも呼べる、大きな大きな鐘がある。
重厚感あふれる響きで、今日も放課後を告げる鐘が鳴った。
オニール・ガルフコーストは、教科書をバッグに詰めて、颯爽と立ち上がった。
ストレートの黒髪がサラリとなびき、何人かの視線を釘付けにする。
オニールは、十五歳とは思えないほどの、美しい少女だった。
整った顔立ちは、絵画のようで、見るものに冷たい印象を与える。
聡明で冷静、他者に無関心な性格も相まって、学院内では「氷姫」という通り名がついた。
呼びたい人には、呼ばせておけばいい。
他人にどう思われていようが、他人が何をしていようが、かまわない。
こちらに、迷惑さえ、かけなければ。
「待ちなさい、オニール・ガルフコースト」
教室を出る直前、教壇に立つ男性に呼び止められる。
オニールは、行動を妨げられたことに、はらわたが煮えくり返るほど苛立ったが、眉ひとつ動かさずに振り返った。
「どうなさいました、ハウンド教授」
「すまないが、私の研究室まで、検体を運ぶのを手伝ってくれないか」
口調はやわらかいが、全くすまなそうな感じは見受けられない。
生物学の権威であるハウンド教授は、自信にみちあふれた顔で微笑んでいた。
ハウンド教授は、週に二コマの授業を担当している。
生物や精霊の検体を多数所持しており、実物を使用しながらの授業はわかりやすいと評判だ。
個々の検体は小さいが、ひとつずつ瓶につめられ、液体で満たされているので、持ち運びは容易ではない。
そのために、ハウンド教授は授業終わりに、片付けの手伝いとして生徒を指名することで有名だ。
そしてなぜか、オニールはよく指名される。
「よく」というより、「しょっちゅう」。
厳密には「毎回」だ。
オニールは、背後から多数の視線を感じ、げんなりする。
このハウンド教授、役職に就いているが、とても若い。
十五歳のオニールの、四つ上だったと記憶している。
金持ちの貴族で、顔はいい部類に入る。
「ハウンド教授ファンクラブ」なるものが、存在するほどだ。
オニールは、このハウンド教授に、なぜか気に入られている。
不本意としか、いいようがない。
オニールは、ハウンド教授がまったく好みではないのだ。
顔がいいのを自覚している男性など、お断りだ。
しかし、手伝いとなれば、毎回断るわけにもいかない。
10回に1回ほどは手伝ってやっているので、生徒としての義理は果たしているつもりだ。
―― とっても、迷惑だわ。
背中に突き刺さるような、幾本もの嫉妬の視線。
断るための言い訳を考えなければいけないこと。
一部生徒が参加する、賭けの対象になっていることも知っている。
今日は手伝うのか、断るのか。
みかじめ料でも取ってやろうかしら、と思ったりもするが、あいにく金には困っていない。
それより、困るのは、女生徒から目の敵にされることだ。
今のところ、目立った嫌がらせなどは無いが、時間の問題だと思っている。
すれ違いざまの嫌味は、すでに日常だ。
嫉妬するくらいなら立候補しろと言いたいが、「ハウンド教授ファンクラブ」は「ぬけがけ禁止」が掟で、おてつだいの立候補など、もってのほからしい。
いや、知らんがな。
手伝ってほしい人がいて、手伝いたい人がいる。
まさにウィン・ウィンではないか。
そこにオニールが首を突っ込む道理はない。
「申し訳ありませんが、急いでいますので」
ファンクラブ会員の視線が、嫉妬から憎悪に切り替わる。
断ると断ったで気に入らないらしい。
「他生徒に、ご依頼ください」
会釈し、去ろうとしたオニールを、ハウンド教授がしつこく引き止める。
無視するわけにもいかず、オニールは再び振り返る。
「きみの身のこなしには隙がない。生物学的には、そういう人間は『合理的で片付けが上手い』との見解だ。急いでいるのならば、なおのこと。すぐに取り掛かろう」
話を聞かないハウンド教授の強引さに、オニールはついに怒りをあらわにする。
「急いでいます。無礼を承知で言わせていただくと、迷惑です」
相手が、聞き間違いなど起こさないように、ハッキリと。
温情など期待させないように、強い口調で。
冷たく言い放ってから、オニールはようやく自分の失態に気がついた。
ドMと名高いハウンド教授の頬が、みごとなバラ色に染まっていた。
幸せを噛みしめるように悶える様子が、本当に気持ち悪い。
オニールは、引きつる頬をそのままに、会釈もそこそこ、逃げるように教室を後にした。
怒りが収まらないオニールは、イライラと足早に廊下を進む。
全力疾走したいところを、我慢しての競歩だ。
なぜあんなやつがいいのだろう。
顔か。
金か。
ファンクラブという名の、会員制SMクラブなのか。
なんと無情な世の中。
口元を引き結び、ひたむきに前を目指す。
鬼気迫る表情のオニールに、周囲は道を開ける。
大人びた容貌のオニールが不機嫌なオーラをまとっていると、迫力満点だ。
オニールは、学院の端にある、小さな教室にたどりつく。
今は使われていない、理科実験室だ。
扉に貼られた画用紙には、手書きで「薬草部」と書いてある。
オニールは、その古びた扉を力まかせに開け放ち、心の底から叫ぶ。
「職権乱用のドMセクハラ野郎が!!」
「絶好調だな、オニール」
「あら、ロイ先輩。おはようございます」
スッキリした表情で、オニールは微笑む。
時刻は夕方に近いが、薬草部のあいさつは、何時だろうが「おはようございます」で統一されている。
オニールが本心をさらけ出せる、貴重な場所。
それが、この薬草部であった。
そして。
「おはようございます」
ロイが律儀な返事をする。
彼の動きにあわせ、茶色のくせ毛が、ふわふわと揺れた。
他意のない茜色の瞳が、まっすぐとオニールを見ている。
これが、部長とは名ばかりの、ロイ・ファーニエ。
学年でいうと、オニールより一つ上だ。
以上、二名が、薬草部の全部員であった。
オニールは、ロイが「おはようございます」と言うたびに、思うことがある。
いつか本当に、寝起きに挨拶をしあう仲になってやる、と。
独占欲をキレイな笑顔で隠し、オニールはロイにたずねる。
「ロイ先輩、今日はどうします?」
「害虫駆除だ」
「ついに殺るんですか、ハウン」
「そっちじゃない」
「あら、残念」
「お前にとったら虫ケラかもしれないが、けっこういいやつだぞ? 卒業生の教科書くれたし」
「買収されないでください。そんなちょろいロイ先輩が大好きです」
「それはどうも」
ロイは、オニールの美貌になびかない。
彼の興味は、目の前の雑草が食べられるか、否か、だけだ。
おかげで毎日、冗談めかして大好きと言える。
ロイは貧乏田舎貴族の末っ子だ。
食うに困って、寮がある国立魔術学院を受験し、堅実な国家公務員の職を目指してがんばっている。
それを冗談だと一蹴できないのは、ロイの痩せた体が、真実だと告げているから。
服を着ていてもわかる、細い腰。
オニールは、後ろから抱きついてその細さを己の腕で測ってやりたい、と常に思っている。
薬草部の部室は、校舎の一番はしっこだ。
めったに人が来ない。
ゆえに、雑草で荒れ果てた、忘れ去られた中庭だったものは、畑になった。
バレた時は、薬草だと言い張ろうと口裏を合わせているが、なにせ人が来ない。
それはもう見事な畑だ。
夏野菜が立派に実をつけ、秋野菜があとに控えている。
オニールは、初めて野菜がなっているところを見た時、感動を覚えた。
ロイは、そんなオニールに、驚愕した。
「野菜は皿に盛り付けられたもの」が常識のオニールと「野菜は作るもの」が常識だったロイ。
価値観の違いは、オニールにとって新鮮で、とても興味深いものであった。
それがまるっとロイへの興味になってしまったのは、必然だと思っている。
痩せすぎのロイだが、病的には見えない。
毎日の農作業で、手足にはきれいに筋肉がついている。
今の時期はだんだんと日差しが強くなってきたために、うっすらと焼けている。
貴族より、庭師に見えるほど、健康的な外見だ。
オニールは、そんなロイがたまらなく大好きだった。
好きだと自覚してから、毎日が楽しくてしょうがない。
二人だけの薬草部。家庭菜園は共同作業。
氷姫と名高いオニールが、浮かれて菓子を手作りするくらいだ。
もちろん、こっそり。
遠縁の親戚が食堂で働いていることをいいことに、毎晩裏口から侵入している。
顔見知りになった食堂のおばちゃんに「あんたのどこが氷姫かね」と笑われるほどだ。
それでも、オニールは毎日、菓子を作って、差し入れをする。
さしづめ、餌付けだ。
ロイは、食べている時、本当に幸せそうな顔をする。
たぶん、いや、ぜったい、本人は気付いていない。
その至福の表情を独り占めできるのは、もちろん、この上なく嬉しい。
しかし、オニールには、別の目的があった。
生物学の権威、ハウンド教授はドMセクハラ野郎だが、彼に一つだけ感謝していることがある。
それは、人間の細胞は一年ほどで全て入れ替わる、という知識を、オニールに授けてくれたことだ。
オニールは、それを天啓と呼んだ。
つまり、一年間、餌付けを続ける事により、ロイの体は、オニールが与えた食べ物で構成されることになる。
ふわふわしている茶色のくせ毛も、夕日のような茜色の瞳も、その細い腰も、服に隠れている部分も含め、ロイの全てに、オニールがかかわったことになる。
オニールも、たいがいに変態であったが、もちろん、本人は気にしていない。
ロイは、薬品棚をガチャガチャとあさり、背伸びをして、目的の殺虫剤をつかむ。
育ちざかりの十六歳だが、栄養不足か、身長はオニールと大差ない。
ラベルを確認するロイの隣に、オニールは並ぶ。
オニールに見えるように、ロイは殺虫剤のラベルをオニールへと向けた。
「アリですか」
「ああ。食害がひどいからな」
「アリが、野菜を食べるんですか」
「いや。直接の原因はアブラムシだが、アリがアブラムシを天敵から守っている。共生というやつだ。アリを減らさない限り、アブラムシは殲滅できないと思え!」
「了解しました。今日も無駄にかっこいいですね」
「それはどうも」
「どうやって使うんですか?」
「アリが運びやすい顆粒タイプの薬剤が入っている。アリがいるところに撒くだけだ」
「簡単ですね」
「だな」
いつもの会話を差し挟みながら、オニールはふと疑問に思う。
「どうして、今まで駆除しなかったんですか」
野菜は作るもの!のロイが、害虫の存在に気付いていなかったとは思えない。
オニールの言葉に、ロイは決まりが悪そうに言いよどむ。
「あ~、まあ、野菜にとっては害虫だが、そうでなければ、ただの虫だ」
「つまり?」
「かわいそうだろ、食ってるだけなのに」
空腹はつらいからな……とロイはどこか遠くを見る。
「で、飢える苦しみを与えるくらいなら、息の根を止めてやろうと」
「……そこまで言っていないが、俺らが食えなかったら本末転倒だろう」
俺ら、と言われたことに、オニールは笑みがこぼれた。
「ですね。夏野菜のオーブン焼き、楽しみにしています」
「まかせておけ」
ロイは、調理も得意だ。
野菜に限らず、鳥や魚、小動物ぐらいなら、捌けるという。
理科実験室には、ロイが持ち込んだスチームオーブンやコンロ、調理器具が並んでいる。
さながら調理室だ。
ちなみに、全て貰い物らしい。
中庭、とは名ばかりの、畑に続く扉をくぐりながら、オニールは思い出したように告げる。
「ロイ先輩、今日はマドレーヌを焼いてきました。これが終わったら、お茶にしましょう」
「楽しみだな」
「ええ。空腹はつらいですもんね」
クスクスと、ひそやかに笑いあう。
楽しそうなロイの笑顔に、オニールは本心からの笑顔で応えた。
貴族が通う、国立魔術学院。
そのはしっこは、こんなにも、のどかで平和だ。