1.
浮遊感。
それは初めての感覚だった。
当然のことである。落ちれば即死の高所から落下していることは今までの人生で経験したことなど一度も無かった。経験すれば 死んでいるので当然のことである。
俺は頭の中で再生されかかっていた走馬灯(?)を止め、剣を引き抜く。
(……生きたい…………)
頭の中にあったのはただそれだけだった。
シエルのいる世界でまだ生きたい。そんな思いだけが俺の手を剣へ反射的に伸ばしていた。
「爆ぜろ、そして目の前の全てを火の海に!!」
叫んでいた。生存本能と言えば聞こえはいいが、要するにただ往生際が悪かったのだ。
俺は両手で握った直剣を真下に向ける。
赤熱した刃の根本から凄まじい勢いの炎が流れる激流のように迸る。
俺の浮遊した感覚に僅かな減速感が混じる。
(このまま魔法力が尽きる寸前まで!)
俺は桜色のポニーテールのとある少女が打ってくれた名剣に魔法力を送り続ける。
果たして、巨大な炎剣によって温められた膨大な量に積もった万年雪が溶け、温かいお湯に変わった雪の上――というよりお湯の中へ――減速した状態で墜ちた。
「熱ッッ!!」
すぐにお湯から抜け出し、ブルブルと体を震わせる。
既に身体機能というか大事な感覚が寒さと熱で麻痺してしまっていたようで、炎剣を作って服を乾かすと、寒さや熱さなど気にならなくなっていた。
「ちゃんと感覚は戻るんだろうな……」
溜め息をつき、俺は周囲を見渡す。
この最下層は上層程に風が強いわけではないらしく、微量の風と共に膨大な量の雪が降り注いでいた。そのためか視界も多少は広くなり、上層にいた頃よりも四倍程は確保出来ていた。
(さて、どうしたもんかなぁ……)
ひとまず生き延びることに成功はしたものの、方向が分からない。温泉郷エウディア方面へ向かうことが出来れば二人と合流を果たすことが出来るが、反対方向ならば行き止まりである。
食料にも乏しく、あまり体力を使いたくなかった俺は腕組みをしながら考えていると――
――オァグルァァァァアアアアアア!!!!!!!!――
獣じみた叫び声が轟いた。
俺はすぐに真剣な表情へ戻し、体の向きを聞こえてきた方へ向ける。
(近かった……だとすると……)
最も懸念していた魔獣との遭遇が可能性として見え隠れしてきた。しかも中々の脅威度だ。
俺は雄叫びとは反対方向へジリジリと足を後退させ始めたその時だった。
雪が一瞬弱まった。
そしてその瞬間、俺は一つの光景を遠巻きながら見てしまった。
倒れこむ人影、その影は少女めいていて、儚く弱々しかった。そして、その人影ににじりよるのは人間の四、五倍はあろうかという体躯を持ち、白い毛並みを持った猿のような魔獣。遠くから見てもその大きさは一目瞭然だった。
猿のようであったが、その姿や纏っている空気のそれはまさしく獅子。白獅子とでも言うべきだろうか。その重い一撃を作りだす拳を高々と掲げている。
俺は少し近寄り、地面の雪を少しすくいあげて丸めた。拳大程の雪球を作り、俺は目視で狙いを定める。
(こう、面倒だと分かってても関わっちゃうのは悪い癖だよなぁ……でも、見捨てる理由にはならないけどさ)
勢い良く右手で投げる。
放たれた雪球は風に負けつつも綺麗な放物線を描き、目標の背中に命中した。
白獅子は振り下ろしかけた拳をピタリと止め、こちらへ向き直る。
「もういっちょ!」
俺は再度白球を投擲。
白獅子の鬼のような顔にゴシャッ!! っとぶつかった後は言うまでもない。
――ゴォアアアアァァァァァァ!!!!――
二足歩行から四足歩行へと移行し、全速力で猛然と駆けてくる。
「クッソ!!」
毒づきながらも俺は回れ右して全速ダッシュ。
追いつかれるのは目に見えているが、目的の場所までは俺の方が速い。
俺は先ほど作った天然湯船を迂回する。白獅子と湯船を挟んで対峙する。
湯船の大きさは中々のもので、白獅子でも跳び越えれるとは限らない。
右か、左か、どちらかに来られると逃げきれる自信は無かった。しかし俺の読みは当たった。
この程度、とでも思ったのだろうが、白獅子はその驚異的な跳躍力で湯船を軽々と越えようと跳んだ。
俺はニヤリとほくそ笑み、高々と叫んだ。
「爆ぜろ、そして目の全てを火の海に!!」
先ほどの炎剣を作った術式をそのまま使用。
巨大な炎剣は跳んだ白獅子に届くか届かないか程度のものだが、これで斬るというわけではない。
俺は地面に積もった雪に炎剣を突き立てる。
ジュオッ、と勢い良く溶け出し、真っ白な水蒸気を吹き出す雪々の中、俺は炎剣を真上の方へと振り上げた。
白獅子には届かなかったが、その凄まじい勢いの水蒸気は白獅子を飲み込んで勢いを殺す。
湯船にどっぷりハマった白獅子を置いて、俺は追い詰められていた人影へ走った。