3.
山の麓の村で思った懸念というか覚悟は現実のものとなった。
山を登る前に立ち寄った村――クロシェの村人から聞いた話によると、厳乱山は年中吹雪が舞っている。晴れるのは一年に二、三度あるかないかということだ。
「この季節は晴れることが多いし、今日明日は天気も空気も良いから大丈夫」という若者の言葉を信じ、安易な気持ちで厳乱山の大渓谷へと足を踏み入れていた。
つまり――――
「クソッタレ!! 何が『大丈夫』だ!! 天候は最悪じゃねぇか!!」
半ば轟音と化した猛吹雪に声を掻き消されるつつ、アイゼンが叫んだ。
案の定、天気は最悪。暴風が四方八方から吹き付ける混沌状態となってしまった大渓谷の中腹辺りに位置する人一人が通れる程の通路を俺たちは進んでいた。
念の為に、と渡されていた赤い命綱が俺たち三人の生命線だ。
それぞれ腰のベルトにカラビナで固定し、一匹の蛇のような運命共同体となった俺たちは右に屹立する氷の壁を伝いながら歩を進める。ちなみに順番は戦闘にアイゼン、中央にシエル、最後尾は俺だ。
「ここまでして温泉行く必要あったの!?」
手を伸ばせば届く程の距離だが、振り向いたシエルしか視界に入らないような猛吹雪の中、彼女は俺に問いかけてきた。
「一度、行ってみたかったから!!」
理由はそれだけではない。しかし、暗の目的――傷ついたシエルを温泉で休ませてあげよう! はどうやら本末転倒に終わりそうだった。
「クソッッ!! まったく先が見えねぇ!!」
アイゼンは見えなかった。視界が手の届く範囲までしか確保出来ていなかった。茶色い毛皮のコートをバタバタとはためかせて歩くシエルの後ろ姿がぼんやりと見える程度しかないが、アイゼンの声はしっかりと聞こえてくる。
フラフラとした足取りになってきたシエルを視界の中央に捉えた。距離など無いに等しいのに輪郭しか見えないが、先ほどまでのしっかりした歩調はいつの間にか無くなっていた。
左は奈落。一回でも足を滑らせれば命など容易に消し飛ぶ。
俺は少しばかり歩調を速めてシエルの左隣にピタリと付く。寒さが感覚を奪いにくるが俺は躊躇せず茶色い毛皮のコートを脱いでシエルに羽織らせた。
豆鉄砲を食らったような顔をしたシエルが愛おしく思え、俺は微笑んで囁いた。
「疲れてるか?」
俺の言葉に小動物のように首を横に振ったシエル。何かを言おうとしたが俺はシエルの唇に右の人差し指を当てて言葉を発した。
「喋ると体力使うだろ? こういう時無理するのは俺の方だからさ、任せなって……」
僅かに俯いたシエルの横顔に笑顔が見れたので少し得した気分だった。
そんな彼女の肩を叩いて配置に戻ろうとした時だった。
――ビュオッッッッ!!!!!!!!!!――
突如の突風が俺とシエルの体を浮かした。谷底への順調なルートを描くことは目に見えていた。
意識したわけじゃなく、俺の両手は自然と動いた。
左手は少女を道へと強引に押し戻すべく突き出され、左手はサバイバル用ナイフを腰から抜き、赤い命綱を切断していた。
(俺、何を?)
少女はアイゼンに抱きとめられ、俺は奈落の底へ軌跡を描く。
そしてすぐにある考えに至った。
これで良かったのだ、と。