6.
白く鋭利な爪が迫る。俺の視界の中でシエルが泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「最低だよ、クソッタレ……」
俺は思わず口を突いて出た言葉に唇を噛み締めた。俺は結局何も守れなかった。シエルと助け合うということさえ守ることが出来なかった。
「ごめんな」
忸怩たる思いのまま俺は慣性で揺れる剣の先を暴食の狂王へと向け、左足で踏みとどまって右足で踏み込んだ。
「悪いがまだ死なせるつもりはねぇな」
俺の剣が弾かれたと共に声が聞こえた。いや。声が聞こえた時には何者かが俺と暴食の狂王との間に居た。
そいつは見慣れないインナー姿で寒そうな上半身だった。しかしその短い金髪はどこかで見たことがあって、そいつが持つ長刀と大盾も見たことがあって、大盾でいなすような弾く技術は何百回も見たことがあって――――
「アイ……ゼン?」
そこには金色短髪の鎧騎士が俺の剣を長刀で弾き、同じ様に暴食の狂王の牙や爪を大盾で弾き続ける。しかし見慣れた鈍色の鎧を着ていなかった。
「説教は後だ。今はコイツを仕留めるぞ」
鎧を脱いだアイゼンは素早かった。大きな得物を軽々と扱い暴食の狂王と死闘を繰り広げ始める。
「そうか…………」
俺はもう一つ勘違いをしていた。俺は仲間を守っていたと思っていた。しかしそれは一方的なものではなく、俺もまたシエルとアイゼンに守られていたのだった。
「お前ら。ありがとうな」
俺は眼前で頑張る仲間の元へと駆け出した。
俺が剣を振るう。
シエルが竜を翻弄する。
アイゼンが大盾で攻撃を躱す。
三人揃ったらなんだって出来る気がした。
暴食の狂王は俺めがけて悪顎を向けるがアイゼンが俺と竜との間に入り込んで竜の攻撃を防ぐ。その隙に俺は愛剣で的確に急所をつき続ける。やがてアイゼンが狙われだしたらシエルが頭部に跳び乗って短剣を突き刺す。
暴食の狂王は着実に疲労とダメージが積み重なってきた。討伐も時間の問題かとも思えた。しかし。
「きゃッ!!」
氷塊の上に積もった雪で滑ったシエルが暴食の狂王の尾の一撃を受けて大きく飛ばされて倒れこむ。
「シエルッ!?」
アイゼンと共に俺もシエルへ視線を僅かに向けてしまった。
俺が視線を脅威へと向けた時には鈍重な巨体が迫っている。避けようとした時にはもう遅かった。その大質量を受け、俺もシエルのように意識は飛ばされなかったが体が大きく飛ばされた。
「リアン!!」
俺を呼ぶ声が聞こえた。聞き慣れ青年の声だったがすぐに呻き声が上がった。
暴食の狂王の動きが止まる。これから俺たちをひとりずつ食していくのだろうか。
なにか、投げやりな感情が脳裏をよぎった。
俺は疲れたよ。
暴食の狂王は俺とシエルを見比べている。その表情はどこか嬉しそうだ。
なにかとてつもない眠気が襲ってくる。俺が見ている景色が全て窓の向こう側の出来事のように現実感を薄めていく。
ここで終わっても誰も責めはしないよな。
黒光りする皮膚を持つ邪竜はゆっくりと歩を進める。
俺は眠い目を暴食の狂王が歩を進める先へと向けた。
やっぱ、こんなところで終わるのってカッコ悪いよな。
暴食の狂王が向かう先へ視線を向けると一人の少女がぐったりと体を横たえていた。
少女は気を失いながらも短剣を離してはいなかった。
最後くらい大好きな人守って死ぬのも悪かねぇよな。
俺は立ち上がる。愛剣を杖のように白銀の絨毯に突き刺して立ち上がった。
一歩一歩ゆっくりと歩き出す。
まだ、歩ける。
やがてその歩幅は大きくなり、歩調も速まっていく。
まだ、走れる。
俺は一つの確信を持って愛剣の柄を握りしめた。
「まだ、戦える」
視線を暴食の狂王へ向けた直後。懐かしい感覚が全身を包んだ。肉体は疲労しきっているのにまだ動かせると確信出来る感覚。筋肉の動き、骨格の動きから、自分の体の全てを思いのままに動かせる感覚。そして自分の力でいて自分の力でないチカラ。
気づくと俺の視界は蒼く染まっていた。
暴食の狂王は俺ではなくシエルを見ていた。
俺は前触れ無く左手を左方向へ振るった。
ただそれだけの仕草でシエルの近くの地面から暴食の狂王へ向けて漆黒の槍が突き出た。
暴食の狂王が警戒を強めて俺を見る。その目に明らかな敵意もとい殺意を宿して。
「まだ、残っていたんだな」
俺はぽつりと呟いて純白の大地を蹴った。
風の術式を組んでいたため砲弾のような速度で暴食の狂王へ迫る。そしてそのままの勢いで俺は体当たりをおこなった。たったそれだけで暴食の狂王が倒れた。地属性の術式のおかげで俺の体へのダメージは皆無に等しい。
暴食の狂王が頑丈な頭部を使って氷塊を飛ばしてくるが俺はそれを安々と斬り伏せる。
軽く斬ったのが仇となった。
氷塊の粒により一瞬視界がなくなる。そしてその隙を逃す暴食の狂王ではなかった。間髪を入れずその巨体が恐るべき速度で突っ込んできた。
俺は耐えられず、大きく後退する。視線を戻すとそこには。
アイゼンへ牙を立てようとしている暴食の狂王。
「やめろぉぉぉおおお!!」
俺の静止虚しく暴食の狂王は止まらない。
激闘を忘れるように、食すことを楽しむかのように、暴食の狂王が悪顎を仲間へと伸ばしたその時。
ドスッ。と軽い音が渓谷に凛と響いた。
音の正体は矢。軽い、一本の矢。
しかしその正確無比の一矢は残った左目を的確に射抜いてた。
視線を移すとそこには、特徴的なブロンド髪の間から血を流しながらも弓を構えるフィレイナ・ビーグルン。その息は切れている。
「あり……がとうな」
俺は一瞬の瞑目の後愛剣を逆手に持ち、大きく開いた距離を一瞬で詰めるべく身をかがめた。
神速の如き速さで白の大地を駆け抜け、すれ違いざまに逆手で握った愛剣で暴食の狂王の首を斬り飛ばした。




