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これもただの日常の一片で

作者: ありふれた世界で

できる。



できる。


やればできる。


出来ない筈がない。


誰にも負けない。


負ける訳がない。


当たり前だ。


まぐれだ。


たまたまだ。


彼奴が僕に勝てる訳がない。




僕は

できる。


できる。


できる。





……


もし




できなかったら?


もし



失敗してしまったら?




……そのときは?



……










 目覚ましが五月蝿く鳴った。

 その音で僕は目を覚ます。

 アラームを止めつつ時計を見ると針は6時をさしていた。

 カーテンの隙間から淡く光が漏れ、明るい色が部屋を満たしている。

 4畳半の小さな部屋には僕しかいない。

 僕だけの空間。

 僕1人のもの。

 ほっとする。

 安心する。

 けれど心の片隅でもう1人の僕は言う。

「寂しいくせに」

 聞かなかったことにする。

 なにも聞こえなかった。

 空耳だ。

 今日は少し体調がよくないのかもしれない。



 ……それでいい。

 それでいいのだ。

 いや、そうしなくちゃいけない。



 下から声が聞こえた。母の声だ。

「秋ちゃん、起きてるでしょう?ご飯よ」


 あぁ、確かに僕は起きている。

 あなたが しゅう と呼び、かつて溺愛していた少年は 、けれど未だベットの上で思考している。


 しゅう。僕の名前。秋に生まれたから漢字で秋。安易な名前。かつては違う漢字だった。


 窓の外から鳥の囀りが微かに聞こえる。

 何の鳥だっただろうか。聞いたことはあるけれど、もうすでに記憶の彼方に葬り去られてしまった。


 布団から出たくない。

 暖かい、出たくない。

 寒い。出てしまったら心も体もきっと凍えてしまう。

 ありもしない想像で嫌悪感に襲われ、無意識のうちに身震いしした。

 けれどやはり布団の中は気持ちいい。

 何も言わず、ただ包み込んでくれる。

 優しい言葉はないけれど、貶す言葉も聞こえることはない。

 これはただの甘えだろうか。


 そうやって、もたもたしていたらまた、下から声が聞こえた。

「いい加減にして、秋!」

 苛立った母の声。

 ヒステリーを起こす寸前。

 そう、変わってしまった母の声。

 怒られるのは嫌いだ。昔もそう、今もそう。

 僕の中身は何一つ変わっていない。きっと。

 自信すら、もうもてないのだけれど、きっと。

 今度母に呼ばれる時、それは母がキレる時。ただ無闇に当り散らす時。

 それは嫌だ。面倒くさい。

 怒られることが、ではなくその後に続く……否、母の口から自然と溢れる愚痴が。

 当たり前だが聞いていて決して気分の良いものではない。

 愚痴の原因が他ならぬ僕なら尚更。

 だからもっそりと体を動かし僕は布団から這い出た。

 体は嫌だと駄々をこねるけれど、そんなこと無視してのびをする。


 あぁ、眠い。

 眠たくて仕方ない。


 どうして朝はやってくるのだろう。

 朝も昼も全て夜になれば良いのに。

 僕だけの世界が動く夜になれば良いのに。

 永遠の時間は来ないのだろうか。


 そんなことをテスト前日、切羽つまった僕は締め切りの迫った漫画家のように無意味に考え、悩んだことがあった。

 ……あったようがする。

 小学生の頃だ。

 僕がまだ僕でいれた頃だ。

 もうよく覚えていない。

 忘れたい過去の華だ。

 消したい過去のトラウマだ。

 ……忘れよう。


 僕はふらつく足で立ち、パジャマを脱ぐ。

 べット横のクローゼットを片手で開けると、ガラガラ……木とレールの摩擦音が鳴っ た。

 その音で僕が起きたことは一階にいるはずの母に伝わった筈だ。


 すっと手を伸ばし、本当は着るはずのなかった制服をもぎ取る。

 手に持つ制服を睨み付けてみる。恨みがましい目で。お前のせいだと言わんばかりの勢いで。

 当然、何の反応もかえってこない。

 自然とため息がでた。幸せが1つ逃げただろうか?

 まぁ、いいや。

 1つや2つ、今の僕には大差ない。

 とりあえず着替えよう。

 意味のないことはやめて。


 シャツを着て赤いネクタイを締める。スラックスをはき、くるぶし丈の靴下もわすれない。

 シャツのボタンは上まで全てきっちりしめた。ネクタイもきちんと結び、腰パンもしない。

 別にだらしないのが嫌な訳じゃない。

 むしろ、中学の時は調子にのって不良を気取っていた。

 まるでどこかのガキ大将のように。

 そこで、調子にのりすぎたのだろうか?だから僕は失敗した……?

 いいや、もう、すぎた事だ。



 部屋を出て一階に降りる。

 その途中でハクを見た。

 我が家の愛猫だ。小柄で身軽で自由な猫。

 真っ白の毛並みが廊下の窓から射す光を反射していた。

 年は13歳だっただろうか。

 僕が3歳の時にハクはやってきたのだから、多分そうだ。

 もう立派なおばあちゃんである。

 ハクはハムをくわえていた。

 満足そうな顔だ。見ているだけで幸せになりそうな顔をしている。

 猫ってこんな顔出来るものなのだろうか?

 人間の表情より豊かな気がする。

 思わず笑みが溢れた。

 どうせそのハムは僕のなのだろうけれど、いつもの事だ。気にしない。

 というか猫にハムを与えてもよいのだろうか?

……長く生きているのだから良しとしよう。

 僕が考えを巡らせている間にハクは何処かに消えてしまった。

 まあ、いつものベランダだろう。

 ハクのお気に入りの場所。日向ぼっこにはちょうどいい我が家のベランダ。

 後で猫缶でも持っていってやるか。

 うん、そうしよう。


 階段近くの廊下を渡り、リビングの扉を開く。

「おはよう」

 扉を閉め社交辞令のような挨拶をする。

 椅子に座る兄に。キッチンにたつ母に。

「おはよう」

 兄はこちらを一瞥すると会釈とともに軽く挨拶を返してくれる。

 母はTVに夢中のようででチラッとこっちを見ても何の反応も示さない。視線はTVのままでも手は止まらず黙々とお弁当をつくっている。それも1つだけ。


 けれど僕は気にも留めない。

 本当にいつもの事だ。

 だから正直どうでもいい。


 そういえば顔を洗っていないな。

 そう思い、今来た道をUターンして洗面所に向かった。

 固めの歯ブラシにミント味の歯みがき粉。

 昔は大人用は辛すぎて磨けなかったな、なんて無駄に思い出してみる。


 ぼんやりしている僕のアルバム。

 けれどやはり過去は過去だ。どんなに想おうが願おうが甦ることもない。

 本日2度目の溜め息をつく。一体幾つの幸せを逃がしただろう。


 取りあえず歯を磨く。

 シャカシャカシャカシャカ……

 ブラシの音が軽快にリズムを取る。

 ふぅ。

 口に含んだ歯みがき粉を洗面器に吐き出し、水で丁寧にゆすいだ。

 顔は適当にジャブジャブ洗う。


 顔をあげ、真正面に取り付けてある鏡を見る。

 そこにはなんとも言えぬやつれた顔があった。

 目は落ち込み、肌もくすんでいる。

 鏡に映る自分を見て少し笑ってしまった。

 ひどいものだ。

 期待に1つ応えられなかったくらいでこの有り様だ。一体、どれだけ弱いのだ。


 ガチャリ。

 玄関のドアが開き、次に閉まる音がした。

 兄が出ていったのだろう。

 時刻はまだ7時前のはずだ。リビングの時計を確認したから間違いない。


 大変だな。

 他人事のようにそう思った。

 本当は僕も兄と同じように出ていくはずだったのに。

 けれど、それは未来予想図。

 無知だった僕のただの妄想。


 顔を拭き、リビングに戻る。

 そこには誰もいなかった。

 母の姿も見えない。

 TVはつけっぱなしで、朝のニュースが雑音のように流れる。

 多分母は自室に戻ったのだろう。

 母が作っていたはずのお弁当も見当たらない。

 これもまたいつもの事だ。

 今日の昼飯は何にしようか。

 考えながらチラッと机を見る。

 そこにはかろうじて朝食が置いてあった。

 焼いたパンとサラダ、切ったフルーツ。ただし、サラダの上にハムはなかった。

 我が家ではサラダに付き物のようにハムがのる。

 けれども今日もそれがない。

 きっとハクにあげたのだろう。

 先程ハクがくわえていたハムはやはり僕のだった。


 まったく、いつも通りの朝である。

 それはもう、憎たらしいくらいに。

 僕は朝食をとる。

 TVの音が響く無人のリビングで1人黙々と。

 何時もの朝、何時もの日々。

 世の人達は何も変わらず、目の前の仕事をこなしていく。

 けれども変わってしまった僕の日常に、枯れてしまった僕の周りに、僕は心底うんざりした。

 今日3度目の溜め息を僕は洩らす。



変わらない。

変えられない。







果たして、それで良いのだろうか。

果たしてそれが良いのだろうか。







辛いだろう。

苦しいだろう。



生きてる以上そうだろう?



でも、僕はおもうのだ。





どれだけ僕が悩もうと世界にとっては微々たることで。



では、どれだけ僕が失敗しても、やはりそれも微々たることではないのだろうか。




そうそれならば。




純粋に生きたいとは思わないか?



結局は自己満足でしかない人生ならばいっそ。


とことん満足いくまで生きればいい。





いじめ? だからなんだ。

僕は兄と比べられ生きてきた。


家族不和? だからなんだ。

僕は母にも見捨てられた。


貧乏? だからなんだ。

僕は父の借金を母がもつのでそのうち僕に回ってくるぞ。


勉強できない? だからなんだ。

僕は期待に添えず、受験にことごとく失敗した。




例え、どんなに不幸だと感じても。





それもやはり、僕ではないのか?

それだからこそ僕ではないのか?





僕は僕でどうしようもなく僕だから。












僕は僕を生きたいと思う。











君は生きることができていますか?




















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― 新着の感想 ―
[良い点]  受験に失敗して不登校の秋、その秋の闇からの脱出を描いていて、引き込まれるような感覚を覚えました。作者の表現の巧みさもあるのでしょうが、内容のすばらしさが1番でした。   [気になる点] …
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