第2章 第3話 はじめての町③
アルドブ隊長視点です。
姫君のご所望の「おやつ」というものを求めて、一番近くの町に向かう事になった。
シリ―によればそれは「トルブ共和国」のソルネイ草原にかかる小さな町「恵みあるアロナ」という町だという。
もはやお触れはこの大陸中にラオナ正教神殿長及び聖王アイロン様の名で出されている。
どこに姫君が向かおうと何の問題もない。
しかし唐突に姫君が一番近くの場所を所望される、この唐突さに何か姫君のお考えがあるのではないか、とロウゼよりそれを皆頭の中に入れておくよう言われていた。
そうして我々は急ぎ「恵みあるアロナ」に向かっていた。
我々「ホウルの使徒」はこうして眷属方と共にいる時、彼らの見る景色が、お考えが突然頭の中に浮かびあがる時がたまにある。
それが「恵みあるアロナ」に向かっている時、突然に頭の中に浮かんで見えた。
それがどなたから流れてきたのかはわからない。
しかしそこから流れる町の様子はあまりにもひどいものだった。
茶色に枯れ放置され変色した作物たち。
また見えてくるあまりにひどい家々の様子。
その建物の中にいる人間はほどんどおらず、住人たちは作物のそばにわずかに生えている雑草を一生懸命むしりとって食べていた。
建物の影にわずかばかり生えている苔を小さな手でかいてその口に入れる子供は飢えで目ばかりぎょろぎょろさせていた。
それでも幼い兄弟たちに自らの爪についた苔を舐めさせている。
そして建物の中にいるものは、最早動くこともできぬそういう者ばかりが多いのも見てとれた。
この詳細さに驚くものの、私はあまりの悲惨さに声を失った。
どういう事だ?
あまねくラオナ神をまつるものたちには、こういう飢饉がおきれば無償の援助と復興資金が教皇の名の元にわずかとはいえ各自充分にいきわたる手筈になっている。
それは国とかは全然関係なく迅速に行われるはずだ。
なぜその様子がない?
それはありえない。
すぐさま各地域の神殿から中央神殿に報告の義務があるのだから。
ましてこの共和国は大陸で一番支援を受け続けている国でもある。
私がエンブス隊長たちを見ると、彼もまた眉間にしわを寄せていた。
同じ映像をみているとわかった。
我々が何故?と考えていると、新たなイメージが流れ込んできた。
そこはしっかりした石造りの建物内で、その様子からしてこの「トルブ共和国」側の「邪神の息吹」の警戒用拠点だとわかる。
なぜならそれぞれの国ごとで警戒地域が割り当てられ、もちろん共同で行うのも半々ほどあるが、そこに掲げられた旗がトルブ共和国の紋章と世界共通のラオル神殿の紋章がついているものだからだ。
彼らの国に割り当てられたのは我がグル―ノス帝国がソルネイ草原の東側であるのに対し西側にあたる。
しかしそこの建物で見えたのは、恰幅の良い体を着崩した軍服に包む昼日中から酒におぼれている男の姿と、その部下たちの姿だった。
しなだれかかる女たちの様子も、そのテーブルにあふれる食べ物も目にやきつく。
どういうことだ?
室内を見渡し、それがわかった。
その責任者が酔って女達に金をばらまきだしたからだ。
キャアキャア騒いでそれを拾う女達。
その責任者がわしづかみして金をとりだしてるのは、ラオナ神の象徴を縁どった四角いこぶりな箱だった。
そう、見舞金や復興のための資金を神殿から下賜されるこぶりな箱「あまねく幸いが訪れますように」と神官長など高位の神官達が祝福を授けし「ラオナの恵み」と呼ばれる箱の小さなものだった。
もともとトルブ共和国は表向きラオナ正教を奉じてはいるが、実質その実態は表向きに大きな神殿が幾つかあるだけで、彼らに信仰などない。
数代前の共和国議会が度重なる天災に、ラオナ正教からの援助欲しさに国教として定めた経緯がある。
この大陸のものならだれでも知っている話しだ。
しかしラオナ神は慈悲あふれる神であらせられる。
そんな共和国ではあるが、こうして支援の手を幾度となく差し伸べてきた。
噂には聞いていた、まさかここまでとは思ってもみなかったが。
噂ではわざわざ食い詰めの人間を集めたり、あるいは一つの村ごと住人をさらい、過酷な場所に村や町を作り、その偽りの窮状を作りあげて、もちろんそこに強制的に移住させられた人間にはひどい話だが。
そうしてその支援金をそれぞれの有力者が順番で食いものにしているらしいと聞いていた。
住人には手を差し伸べる事をせず、ましてや土地を開墾する道具も与えず、こうしてひどい状況を作り出しうまい汁を吸い、住人が飢えに倒れるとまた新しい住人を補充する。
そういう構図が見えてきた。
俺は怒りに、ラオナ神のお慈悲をあざ笑うかのようなこの実情に震えた。
するとエンブス隊長がご自身の騎獣ソランのスピードを急激にあげて町に向かっていく。
もちろん我々もそれに続いた。
姫君がこれを我々に教えて下さった、そういう事か。
ロウゼが俺を見てうなずく。
早く早くとスピードをあげていくと、姫君や眷属の皆さまもまた続いて下さる。
その間も町の情報が幾つも幾つも流れてくる。
ああ、あの家の中で今、母親らしい女の胸に吸い付いていた赤子が息たえた。
既に母親もまた息をしていない。
次々あらわれるいろいろな情報を意識から追い出し、一刻も早くと町に向かった。
町につくとすぐさま我々はあの拠点の砦に襲撃をかけた。
眷属の皆さまが気になり高台から見ると、町をおしつぶしているのが見えた。
一瞬なぜにと思いはしたが、すぐにわが身の至らなさに恥ずかしくなる。
姫君や皆さまのやることには、その目に見える事以外の深いものがおありになるのだから。
砦を襲撃して戻ってみると、眷属様の口にくわえている男の顔に見覚えがある。
人々をここに連れてくる人さらいの仕事をしている男たちの一人だ。
あのイメージの中で見た、怯える家族の目の前で見せしめに祖母だろう老人を虫けらのように殺した男だ。
他にもきっと眷属様に喰われているのは、そういう仲間たちに違いない。
我々はそのまま眷属様方のなすがままに見守り、ひっそりと気配を残し隠れる住人たちに一刻も早くその身の安全とこの度の僥倖を伝えるべく動いた。
そしてまず邪魔な瓦礫の処理を少しずつはじめた。
住人たちが我々を注視している気配をそのままに瓦礫を少しずつ移動していると、眷属様方がその処理を手伝ってくださった。
ありがたく感謝の意を込めて頭を下げて、エンブス隊長の元にいき指示を仰ぐ。
エンブス隊長はしばし待てとおっしゃり、シリ―と阿吽の呼吸で住民への呼びかけを行うと同時に、その力を見せつける事をした。
これだけ虐げられてきた人には気の毒だが最初は力を誇示せねば彼らが動いてくる事はないからだ。
まして眷属様方まで咆哮をして頂き、住民たちはあわてふためいて投降してきた。
しかし体力を極限まで落しているものの姿は、イメージで見たそれよりもインパクトのある姿だった。
思わず軍人であるはずの自分も息をのむほどに。
トルブ共和国はどれほど自国民を虐げているのか、また怒りに震える。
特に子供達の痛ましさに絶句する。
見ると姫君もうつむいていらっしゃる。
俺は姫君の元にむかい、その肩を恐れ多いとは思ったが、この自分こそ我が姫君と初めにお会いしたという自負の元お慰めさしあげた。
姫君が思い煩う必要などないのだと思いを込めて。
そして姫君はこの町を戻すとおっしゃった。
なら我らにできることは只一つ。
そのお手伝いを全力で行うのみ。
エンブス隊長は住民に向かって、この解放は只の偶然ではなく、ラオナ神の遣わされた邪神ホウル様とその姫君のお慈悲であると語った。
住人達はその言葉に半信半疑であったが、「あれを見よ!」との心からの隊長の重い言葉に一斉に住人たちが、そのうつろな目を向けた。
その目にうつるのは眷属様方と邪神ホウル様、そして姫君がこの町の憎悪の象徴である砦を、貧しさの象徴である町の家々の瓦礫を焼き尽くすその圧倒的に猛々しく、そして独特の蒼の炎に照らされる姫君の神秘的なお姿だった。
そこにエンブス隊長が再び大きな声を出す。
「我々はあなた方に危害は加えない。あなた方の苦しみは最早終わりだ!老いたものや父や母は子供らと笑い語り、その労働に見合っただけの暮らしが当たり前にできるようになる。当たり前の事が当たり前としてある暮らしがそこにはある!」
「もう二度と自分の大事なものを奪われる事はない。さあしっかりもう一度その足でこの地を踏むがいい!ここは君たち自身の町に生まれ変わるのだから!」
その後隊長は町の住人一人一人に声をかけ、子供らにはロウゼたちが声をかけていく。
どことなく何かが変わるんだというほんのわずかな希望が虐げられた人間にはことの他しみいっていく様子が、町の住人の表情に少しずつ、特にその目に力が宿っていくのでわかる。
その後食事の用意のために解散したが、瓦礫の処理も終わった姫君にお休みいただくために声をかけようと思った。
姫君の元にいこうとすると目の片隅に老人たちが、袋から大事に取り出した種を、あの掘り返された土に一つ一つ撒いているのが見えた。
何の気力もましてこの町で労働などはさせてもらえなかった死にゆく順番を待っていたような彼らがこうして自ら動いている。
あのわざとらしく植えて枯れさせたままの畑を彼らは、飢えて死んでいった者たちは、どういう風に見ていたのだろう。
支援を受けるためだけに形作られた町と作物を。
けれどあの老人たちはこっそりあの種を大事に抱えて強制的に連れてこられたここでも隠し持っていた。
それを初めて町の人間として自由に動く最初の行動をあの老人たちは種を撒く喜びとして伝えてきた。
何をしていいかわからない大人達は、やがて老人たちのその動きに、本当に本当に自由になったと理解したのだろう。
家族だろうか、お互いを抱きしめあって泣いているのは。
俺はそれを見て、急ぎ姫君にお願いをした。
あの希望の畑を増やしていただけないかと。
すぐさま姫君はそれをして下さった。
とてもよく柔らかく耕されたそれがみるみる出来上がっていく。
それに連れて皆の顔に喜びがあふれていく。
子供の幾人かが、大人の喜びに触発されたかのように、耕かされる土の上にダイビングして遊びはじめた。
遊ぶことなどなかった、知らなかった子供達が、自発的にない体力をせいいっぱい使って遊び笑う。
それを見て再び大人たちが嬉しそうに笑い、そして泣いた。
やがて姫君までがその仲間に入っていかれて、子供達の手を取り遊ばれる。
ああ!この瞬間の事は俺は生涯忘れる事はないだろう。
姫君はこれこそが望みとばかりに子供らの笑顔に心からお喜びになられていた。
そうしてそのお心を思い感動に浸る我々に更なるご慈愛を示された。
ここは水の乏しい地域で一番過酷とさえいわれてきた土地だ。
山々から雪解け水でさえ、この地域には流れてくる事がない。
他の草原沿いにはあふれる恩恵がここから先の地域にはなかった。
理由は昔からわからない。
ところが姫君が数字を数え、子供達が唱和して最後の「ゼロ!」と言った瞬間にありえないほどの水が邪神ホウル様と共に湧き上がったのだ。
これには我々も住人達も歓声をあげ、その小さな泉ができたその場所にかけより思わずその水を、噴水のように吹き上がるそれに興奮し子供たちにまじって喜んだ。
奇跡だ、これこそが姫君の求める「邪神の泉」なのか!
我々は何と崇高な使命にたずさわれる許しを姫君に頂いたのか、あらためて感動に打ち震えた。
しかし何とそれだけで奇跡は終わらず、姫君は新たな畑の隅々まで水がいきわたれるような水路までお作りになられた。
これには自然と誰言うこともないのに、人々の膝と頭を下げさせた。
何もおっしゃられない姫君ではあるが、その行動でもって、こうして人に頭を下げさせる。
なんと尊い姫君であらせられるのか、我々「ホウルの使徒」と呼ばれる誉れにあらためて感謝をささげ、我々もまた最上の礼を姫君におくったのはいうまでもない。
こうしてこの町は「幸いある泉出る地」と呼ばれることになる。
やがてしばらくすると人も増えラオナ正教の名の元にどこの国にも属する事のない不可侵の街となった。
別名「贖罪の街」とも呼ばれるようになり、街はその発展と共に独自の立場をとり小さな独立国家以上の力を持つようになる。
この街に迫害など諸々の正当なる理由で逃げ込む場合は、なんびとでも手厚い保護を受ける事ができ、その事実が真実と認定されれば、いかなる国家、要人、組織の干渉も受けないですむ、そういう街として非干渉地域としての各国と神殿の認証を受けた。
もちろんその背景には、この地こそ、邪神ホウル様とその姫君の祝福を最初に受け、また姫君をもってして「私の友だち」と呼ばれた祝福されし16人の子供たちが長じてこの街を統率したせいもあった。
初めに降臨あそばされ最初のホウル神殿が作られたホウル一族と呼ばれる者達の住む「ホウルの誉れ」が選ばれたもののみが住まう街ならば、ここ「幸いある泉出る地」は、虐げられたものをのみ受け入れる最後の希望の地となった。
この通称「贖罪の街」に万が一、手を出そうものならそれは保護した人間の奪還などでもそうだが、「黒の断罪」と呼ばれる強大な組織が動き容赦ない報復を受けることになる。
この2つの街が長い年月後世まで列国をしのぐ力を持つようになる。




