第1章 第34話 許し
ロウゼ視点③
到着早々の午後、昼食をかねての訓練の視察になった。
ただし見学者が多いのと、エファラン公爵側からの見学席を設けよ、とのバカげた要求の為、その時間は大幅に遅れた。
我々は最初普通の訓練だけで、王都に向けてあの時送ったような訓練だけで終わらせるつもりでいた。
あれから私とレアル殿下、その腹心数人とお互い腹を探り合いながら話し合った時、そういえば、とおっしゃったレアル殿下の一言で最後の演目を行う事が決定した。
「スヌービン退治の報告は面白かったね。とても、とても気に入ったよ。最近の訓練でもおもしろそうな事をしているそうだけどね」
そう言うレアル殿下の目は口に浮かべている微笑みとは遠いもので、あの邪神の尾に存在する凶悪な眼差しの蛇たちに勝るとも劣らないものだった。
だからあなたは苦手なんだ、私はさっさと追い出したエンブスに、あのバカに向けて簡単な呪を放った。
何、悪夢の10連夜くらい、あの男なら平気だろう、安らかな夜の眠りなどないと思えと、この長年逃げ続けていた私の努力をふいにした男にそれが届いたのを確認して、少しでも溜飲をさげた。
レアル殿下はすぐに私のそれに気づいて、更に私の呪の上に何かを上書きされ飛ばしたのがわかった。
まったく、人の呪の上に簡単におのれのものを上乗せするなど、ある意味この方も化け物だ。
今度は本気でニヤリと笑うレアル殿下に、少しは古くからの友人に同情をしてしまった。
本当にお前の今夜からの安眠はなくなったと。
訓練は完璧だった。
邪神の姫も邪神もエンブスの指示も息があったものだった。
珍しく姫も楽しんでおられるようで、雰囲気は最高なまま無事終わる事ができた。
その夜、レアル殿下の御座所でこれからの動きについて話しを終えて戻る途中、エファラン公爵の取り巻きの一人に声をかけられた。
行った先で待っていたのは、エファラン公爵とその娘の邪神の巫女だった。
ふん、慌てているのか、あれほど息の合った訓練に、邪神の巫女と呼ばれる娘は毛の一本さえも関わっていない。
レアル殿下は昼食の席では最初の挨拶のみで、それ以降話しかける事さえ彼女には許さなかった。
「邪神の巫女」が聞いてあきれる。
王都で見たそれと、目の前のその邪神や「邪神の息吹」の妖獣の存在は、まるでおもちゃと実物のような違いがある。
簡単に考えてここまでやってきたのに違いないあさはかな親娘、その目で血一つ見たことがないだろう親娘に思わず視線が冷たくなる。
すぐにそれを消して「いかがいたしましたか?」と呼び出しの理由を聞いた。
すると父親の言葉を遮って、出るわ出るわ、これがまかりなりにも三大貴族の姫君かと思えるような、言葉の数々。
父親は当主である自分の言葉を遮った事を叱りつけることさえなく、反対にそれを止めないどころか、「そうだとも、そうだとも」と相づちをうっている。
普通貴族の姫君ともなれば、優雅な扇でその口元を隠し、まわりくどい言いようで腹の奥底で詰りあうのではなかったか?
ああ、そういえばエファラン公爵は婿であったか、婿に入るときそれなりの地位の家に養子に入り、婿に入ったと聞いている。
商才があり、傾きかけた公爵家を立ち直らせ、その財を更に大きくしたと聞くが、この分ではロクな事をしてきてないだろう。
その証拠に都合のいいことに先代公爵は急な病気で身まかられ、公爵家の一人娘であった方は一の姫を御生みなされた後急逝している。
しかし、娘のしつけ一つできぬとはあきれたものだ。
私は明日の昼食会の席順を当初レアル殿下の希望通り、あの邪神の姫をすぐお側にするつもりでいたが、それは取りやめて、離れた所にすることに決めた。
ちょうどいい、レアル殿下のそばにはこの親娘にいて頂こう。
レアル殿下に対する嫌がらせではない、決して。
当日、表情には出さずとも苦虫を噛んだごとくの心情のレアル殿下の顔を思い浮かべ、私は少しだけ笑った。
私のつい出てしまったその笑顔に、巫女殿は何か勘違いされ、そばにきてしなだれかかろうとするのを、気がつかないふりで避けそのまま退出させてもらった。
昼食会には訓練の相方になった妖獣達もちらほら体を小さくして、そこらへんに散らばり、その姿さえ無視すれば、まるで愛玩獣のようだ。
レアル殿下のそばで機嫌がいい巫女殿は何を思ったのか、おもむろに立ち上がり寝そべる妖獣のそばに寄ろうとする。
一番、兵士の一人とじゃれつくそれに。
わざとらしく大きな声を上げて、たいそうな手振りで近づく。
「我は邪神の巫女なり、そなたに触れるを許そう」
その瞬間、戯れていた妖獣が唸り声をあげ、近づこうとする巫女に威嚇の声をあげた。
巫女は思わずひっと声を上げ、後ずさる。
席についているもの皆の注視を浴びる中、巫女殿はある意味助けられた。
邪神とその姫がエンブス大隊長に連れられ姿を見せたからだ。
何とかギリギリ、気の乗らなそうな姫を無事この昼食会に連れてきたのだろう。
普通ではありえない最後に着席する事をレアル殿下がお認めになられ、私がきちんと嫌がっていると伝えておいたからであるのだが、その姿を見た妖獣たちはわれ先にと駆け出していき頭を撫でられている。
そのすぐ脇には邪神が侍り、何を言わなくとも、これで全てがわかろうというもの。
レアル殿下のそばまで戻った巫女やエファラン公爵たちは憎々しげに、その様子を見ている。
食事がはじまって、レアル殿下が話しかけるのは腹心以外には、邪神の姫のみ。
姫の隣で、レアル殿下の言葉を、何とか無難に伝える。
それに姫が簡単に答えていくが、レアル殿下にもおわかりになっているはずだ。
しぶしぶ答えているその様子が。
レアル殿下が知っているくせに姫の美しさをたたえてくる。
それを姫につたえても「ラジャ」というばかり。
私でさえ「ラジャ」の中に含まれる気持ちの深浅の度合いがわかる。
これは早々にお開きにした方がいい。
レアル殿下は愚かな方ではない。
きちんとそれがわかったらしく、昼食会は無事終了した。
ところが、わからない奴らがここにはいた。
あの親娘とその取り巻きだ。
本当に勘弁してくれ、と思う。
一難去ってまた一難だ。
わざわざこちらに寄ってきて、巫女がわめいた。
「そのような貧相な体で殿下を、なんておこがましい!」からはじまって、
「そのような化け物が操れるといって・・・」などと。
私は通訳した、一刻も早くこのバカどもを帰らせるために。
何も大したことではないんですよ、と邪神の姫にアピールするために。
エンブスも私に懇願の目を向けてくる、何とかしてくれと。
レアル殿下の魔術の気配がする。
どうやら一部始終を覗くつもりか。
あなたが、このバカ女にニコッと笑ってくださえすれば、すぐに終わるんですがね、そう思い魔術の気配にいら立ちの視線をぶつける。
私は、頑張って表情をいつも通りに変えずに姫に通訳をした。
邪神の姫は「邪神」という言葉を知っている、だからそのまま「邪神の巫女」だと紹介した。
けれど後は知らない言葉ばかり。
「着ているものが素敵だそうです。」など当たりさわりのない言葉に通訳する。
でも、その視線や態度でその言葉を裏切るバカども。
エンブス達は最早力技で、こいつらを強制退去させるつもりになり、その腰の剣に手をかけた。
しかしそれより早く邪神の姫が立ち上がって、邪神の巫女を温度のない瞳でにらみつける。
あのミネロスが死んだ時でさえ、これほど怒りをあらわにしただろうか?
まずい!声をかけようとしたが、それはならなかった。
急激に膨れ上がる殺気、いや、そんな生易しいものではない圧力に、動くはおろか息をするのさえ苦しい。
妖精族の私がこうなら人間族などもっとひどい事になっているだろう。
上がる邪神の咆哮。
それに呼応する妖獣。
私は、いや私達はその姿に悟った。
訓練も、また今では見せてくれるようになった愛玩獣のような姿も、全て邪神の姫が望まれたからにすぎないと。
かすむ意識をそれすら許さないとばかりに、より圧力がひしとかかり、気を失う幸いさえ奪われていく。
大きな咆哮がだんだん近づいていてくる。
この場にいる妖獣がありえないほど、その姿を凶悪に変えて姫の元にいこうとするのが目に入った。
邪神の姫が私に向かって、私を知らないもののように見つめて言った。
邪神の巫女に伝えよと。
私はそれを遠いもののように感じながら頭の片隅で考えた。
どこで我らは間違えたのかと。
知っていたはずだ、バカ親娘一行の人となりを。
何故邪神の姫が我ら同様、彼らをしばし我慢すればいなくなる、と同じように考えてくれると思ったのか。
帝国の人間の当たり前な対応を、邪神の姫もわかってくれるだろうと何故思った?
同じ姿形、そして愛らしい容姿に、その時折見せるいたずらをした子供のような態度。
邪神や妖獣たちのここでの態度。
考えればきりがないが、私達と同じような存在といつの間にか勘違いしてしまった。
確かに邪神の姫には、この度の騒ぎは関係ないのだ。
それを我々と同じようなものとして考えてしまった。
つながったのは細い糸だというのに、調子にのってその上にあぐらをかいてしまった。
切れてしまうのは当たり前だ。
我々の誰ひとりとして、逃がすつもりがないのがわかる。
エンブスを見た。
長いつきあいだ、奴も俺を見ていた。
心の中で決別の会話をした。
お互いこれで最後だ、別れのあいさつをこうしてできただけでもありがたい。
レアル殿下が帰還の魔法陣を呼び出している気配がするが無理だろう。
理由はわからないが魔術でさえ、この威圧は拒んでいる。
私がエンブスにした呪を最後に解こうとしても発動しなかった。
悪いな、エンブス、だが悪夢はみないで済むみたいだぞ、ここで死ぬから。
邪神の姫は邪神をすぐそばに呼んだ。
動けないまま見ていると、邪神の巫女に向かって指をさしている。
それを見て心の中で思わずざまあみろと笑った。
少し人間くさくなった自分に笑う。
きっとここにいる皆も同じ事を思っているだろう。
一歩邪神が、巫女だと言い張る女の元に足を踏み出す。
邪神の巫女はやはり気を失えないで、自分に近づく邪神に絶望のまなざしを送り、その顔は恐怖で目が見開かれ、涙や鼻水でひどい事になっている。
ところが邪神の姫が何事かささやいて、その歩みを止めさせた。
巫女の隣に父親の公爵がいたが、その公爵が大量の土砂が上がる中、地中から大きな顔を出した妖獣の牙にかかり、絶叫と共に地中にひきずりこまれた。
誰もが地面の下の不気味さにすくみあがったが、空にも地にも同じような「邪神の息吹」の妖獣が殺気も隠さず囲む中、気を失う事さえ許されない身に、さきほどの公爵の死にざまは次は自分なだけだった。
もし体の自由がきくならば、兵士である輩は自刃したであろうし、私もまた誇りを持っておのれの術で死んでいただろう。
邪神の尾の先の凶悪な蛇たちに何事かを話している姫の雰囲気が徐々に我々になじんだものにかわっていく。
それに伴い威圧というべきものが薄れていくのがわかった。
バタバタと気を失っていく経験の浅い兵士と違って、ベテランといわれる域の兵士はその場に立っていた。
しかし誰一人動くこうとはしなかった。
突然空から舞い降りてきた妖獣が、邪神の巫女を大して傷つけずに器用にその爪で持ってさらっていく。
誰もそんな事は気にしなかった。
レアル王子がやっと帰還の魔法陣により去っていく。
邪神の姫が、ちょこちょことこちらに来て、私達の顔を順々に見て、やがてシリーの手をとって歩いていく。
意識のある皆が緊張して、その様子をうかがう。
シリーは邪神の尾である凶悪な蛇たちの元に連れられていき、姫が指さしながらシリ―に何かを言っている。
何やら威嚇のためか、おぞましくもからまりあい、更にその存在の凶悪さに拍車をかける蛇たちに触わらせている。
その頭を血の気のない真っ白な顔で決死の思いで触れているのが見えている。
時折その指からあがる嫌な煙と押し殺した悲鳴、同時に蛇たちに向ける姫の叱責のような言葉もまた聞こえてくる。
もしや、姫は、あの邪神の蛇たちに触れる事を、こたびの失態の試金石にしようというのか。
問答無用で我々を一人残さず葬り去ることなど簡単だというのに。
同じように簡単に我々を許すようなことをせず、邪神の存在をもう一度しっかりと認識せよとの行動なのか?
間違いを二度とおこすことのないようにと。
レアル殿下の魔術がいまだ発動しているのがわかる。
瞬時についただろう王都の自室で、この様子を再び眺めておいでだ。
私自身も気合いをいれた。
シリーもまた悲鳴一つあげず、指を焼かれながら耐えているのだ。
エンブスが邪神の元に迷いなく歩いていく。
私もそれに続こう。
その私の後にもぞろぞろと気配が続いていく。
第三大隊の皆の熱い思いに、邪神の姫の慈悲を思い浮かべつつ、しっかりと姫の試金石に答えるべく、私は歩いた。
あの凶悪な邪神の蛇たちの元に。




