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雨上がりの停留所で、神様はほほえむ

作者: たかむん
掲載日:2026/10/08

終バスが過ぎ去った午前二時、雨上がりのバス停留所には、黄色い街灯の光だけがぽつんと落ちていた。

ベンチの隅に腰掛けているのは、スーツの肩を濡らした一人のサラリーマン。膝の上には、くしゃくしゃになったプラスチック袋。中には、冷めきったコンビニの肉まんと、缶コーヒーがひとつ入っている。

彼はしばらく街灯の光を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、缶コーヒーのプルタブを静かに引いた。カシュッ、という小さな音が、湿った深夜の空気に溶けていく。

そのすぐ隣、ベンチの真ん中に、一人の男が座っていた。

光を透かしたような薄いグレーのコートを着た男――街の誰もその存在に気づくことはない。この都市を見守る「神」だった。

神は、隣の男の横顔をじっと眺めていた。

サラリーマンの男は、肉まんを一口かじり、酷く疲れた顔でつぶやいた。

「……ついてねぇな」

終電を逃し、雨に降られ、ポケットのスマホは充電切れ。仕事で大きなミスをしたわけではない。ただ、誰にも気づかれないような小さな空回りが一日中重なり、擦り減ってここまで辿り着いたのだ。

男は肉まんを半分食べ進めたところで、ふと手を止めた。

ベンチの足元、街灯の光が届くか届かないかの暗がりで、何かが小さく動いた。

痩せた一匹のノラ猫だった。濡れた毛並みを丸め、寒さに震えながら、匂いに釣られて近寄ってきたらしい。

サラリーマンの男は、はぁとため息をついた。

「お前も、家ないのかよ」

男は残りの肉まんを見つめた。今日、自分が口にした唯一の温かい食べものだ。腹は減っている。心もすっかり冷え切っている。

だが、男は少しだけ苦笑いすると、肉まんの皮を丁寧に剥がし、温かい餡の部分を小さくちぎって、紙皿代わりに使っていたコンビニの袋の上にそっと置いた。それを、猫の鼻先へゆっくりと滑らせる。

「熱いから気をつけろよ」

猫は警戒しながらも、匂いを嗅ぎ、やがて夢中でそれを食べ始めた。

サラリーマンの男は、それを見て満足そうに鼻を鳴らすと、冷えた缶コーヒーを一口飲み、空を見上げた。さっきまで降っていた雨雲の隙間から、小さな星がひとつだけ覗いていた。

「……まあ、明日もやるか」

誰に聞かせるでもなくぽつりと呟いた男の顔から、さっきまでの絶望的な疲労感が、ほんの少しだけ消えていた。

隣で見ていた神は、静かに目を細めた。

神はこの街で、何千年も人間を見てきた。

偉大な英雄の決断も、億万長者の寄付も、歴史を変えるような奇跡も。

だが、神が最も美しいと思うのは、いつもこういう瞬間だった。

自分の心が壊れそうなほど擦り減っているときに、それでも自分より小さな命へ差し出される、名もなき優しさ。

誰に見せるためでもなく、感謝を期待するでもない、人間の中にあるささやかな光。

「お前たちのそういうところが、私は好きなんだよ」


神は立ち上がると、コートの袖を軽く振った。


男のポケットの中で、充電切れだったはずのスマホの画面が、ぽっと優しく灯った。画面には、妻からの「お風呂沸かして待ってるよ。気をつけて帰ってね」というメッセージが届いている。

そして、遠くの暗闇から、あるはずのない深夜の臨時のバスが、あたたかなオレンジ色のライトを点けてゆっくりと走ってきた。

「あ……バス?」

男は驚いたように立ち上がり、急いで猫にお別れを言った。

「じゃあな。風邪引くなよ」

男がバスに乗り込み、温かい車内へ消えていくのを、神は街灯の下で見送った。

世界を救う大きな愛じゃなくていい。

深夜のバス停で分け合われた半分この肉まんのように、人間がふと見せる些細な優しさがある限り、この世界はまだ捨てたものじゃない。

神は満足そうに微笑むと、濡れた夜の空調の中へ、すっと姿を消した。

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