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4.途方もないかくれんぼ

「レイさん……その、クロエ様が……」

「また、ですか?」

「……ほんの一瞬目を離した隙に」



 レイアの目の前でうなだれる男性は、申し訳なさそうにちらりとレイアを見上げた。

 レンズを突き抜けて伝わる視線の意味を正しく理解したレイアは、小さくため息をつきながら近くに置いてあった外出用の上着を羽織る。



「わかりました。捕まえてきますね」

「ありがとうございます」



 深々とお辞儀をした職員が忙しなく仕事に戻っていく様子を横目に見ながら、レイアは外へ続く扉を開いた。


***


 王太子との婚約破棄から二ヶ月。

 レイアはクロエの秘書として外務局で働いている。


 あの騒動のあと、ウェルペシア公爵はレイアが失踪したことを表沙汰にしていない。

 けれどおそらく裏でレイアの捜索を続けているだろうから、彼女は銀髪を紺色に染め、分厚いレンズのメガネをかけている。メガネは認識阻害の魔法がかかっている魔道具らしく、他の人々はレイアの顔立ちを正確に認識することは出来ない。


 最初の頃は秘書として外務局に出入りするたびに『知り合いに会わないか』『急に秘書として就任するなんて怪しまれないか』と肝を冷やしていたレイアだったが、外交に消極的な国柄のため王立機関でありながら外務局に務める貴族は両手で数えられるほどしかいない。

 数少ない貴族も爵位が高い人は存在しないので、レイアが社交界で面識のあるような人はいなかった。

 秘書の雇用はそれぞれの外交官に一任されているということもあり、今日まで秘書として働く『レイ』が王太子に婚約破棄された『レジーナ』だと思う人はいないようだ。


 そんなレイアの昨今の悩みは、クロエの逃走癖である。



「ほんっと……どこ行ったんだ?」



 街を歩きながらきょろきょろとあたりを見渡すレイアは、苛立ちが混ざった声でぼそっと呟く。

 クロエという男。彼は数少ない外交官のなかで飛び抜けて業績が良い。社交界では柔和な笑みを浮かべ、相手が求めているような言葉をつらつらと口にするものだからどこか軟派な男だと思われている彼だが、外交の敏腕ぶりから実際は真面目な人柄なのだろう……と二ヶ月前までのレイアは思っていた。


 だがしかし、その予想は思いっきり裏切られることとなる。


 奴に真面目な要素なんて一欠片もない。クロエは少なくとも2日に1回は仕事中に姿をくらます。仕事がどんなに積み上がっていたとしても関係ない、むしろ仕事が溜まっているときほど逃げ出しているようにすら見える。

 そのたびに秘書であるレイアが捜索にあたることとなり、この二ヶ月でレイアは王都の城下町を完全に把握したぐらいだ。とはいえ、レジーナとして公爵令嬢をしていた頃は用がない限り屋敷にこもっていたため王都の街の土地勘などなかったレイアにとって、不利なかくれんぼである。

 もはや前任の秘書はこの大変なかくれんぼに嫌気が差して辞めたのではないか、とレイアは常々考えている。


 ここ最近は逃げ出さないように監視することにしたレイアだったが、レイアがほんの2,3分執務室を離れるだけで、執務室に戻ってみればクロエの姿は忽然と消える。

 今日も今日とてそのケースで、レイアはレンズの奥で眉を寄せながら街を歩いている。


***


「やあ、今日は早かったね」

「……」



 1時間ほど街を歩き回って、レイアはようやく図書館の隅に座るクロエを見つけた。

 近づいたレイアに気づいたクロエは読んでいる本から目を上げて、にこっと爽やかに笑いながら言う。

 怒鳴りつけたくなるのを必死にこらえながらレイアは彼の膝に置かれている本を静かに閉じた。


 

「もう戻りますよ、目を通していただけなければならない書類が山積みです」

「えぇー……こんなに居心地がいいのに?」

「関係ないです」



 確かにクロエが座っている一人掛けのソファは、窓のすぐ近くでのどかな木漏れ日が降り注いでいて心地が良さそうではある。

 しかしそんなことは微塵も関係ないのだ。目の前の男は勤務時間中に、仕事を放り出して、ここにいる。

 にっこりと深い笑みを浮かべたレイアは、グイッとクロエの襟の後ろの部分を掴む。



「えーっと……レイさん?」

「立ってください」



 優雅に笑うレイアをおそるおそる窺うクロエにそう放ったレイアは、ソファに腰掛けるクロエを立ち上がらせ、ずるずるとクロエを引きずりながら図書館の出入り口へと向かう。



「あ、ちょっ! 首詰まる!」

「……」



 少しだけ振り返って残念なものを見るような視線でクロエを見たレイアはパッと手を放し、クロエは首元をさすった。



「もう1回引きずられたくなければ、シャキシャキ歩いてください」

「待って、これ借りたい」

「引きずられたいんですか? 後にしてください」

「他の人に借りられてしまったら、困るだろう?」

「勤務時間中なの、わかってます?」

「すぐ済むから」



 小声の口論の末クロエは貸し出し口に早足で向かい、司書に本を手渡した。無事に借りれたようで満足そうな顔で出入り口の近くに立つレイアのほうへ戻ってくる。



「あ、そういえば……」

「なんですか?」



 レイアとクロエが外務局へと歩いていると、突然クロエが口を開いた。

 前を向いて歩いていたクロエが隣を歩くレイアに顔を向けて言葉を続ける。



「ティターリ語って喋れる?」

「基本的な日常会話でしたら。あ、でも上流階級の話し方にはなってしまいますね……」

「そっか」



 レイアの言葉に小さく頷いたクロエはそれ以上話すことはなく、会話がないまま二人は外務局へ戻った。


 ようやくクロエとともに執務室に戻ったレイアが『椅子に縛り付けてでも書類の処理をさせなければ』と獲物を狙う肉食獣のようにクロエの背中を見つめるなか、クロエは執務室の本棚から分厚い本をいくつか引き出している。

 一体何をしているのだろう、とレイアが首を傾げているとクロエが振り返ってレイアが使用している秘書用の机のうえに分厚い本を三冊、バンっとのせる。



「……これは?」

「ティターリ語についての本。上流階級のじゃないやつ」

「なぜ?」

「一週間後にティターリ王国に行くから」



 クロエの薄い唇から発された言葉に、レイアはレンズの奥で目をパチクリとさせる。しばらくして正しく彼の言葉を理解したレイアはあんぐりと口を開けた。


 そして____



「はあっ!?」



 レイアの素っ頓狂な声が外務局に響くのだった。


お読みいただき、ありがとうございました。

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