3.身代わりと提案
区切りの良いところがなかったため、長めです。
レイアはウェルペシア公爵の実の娘ではない。
レイアの父親はウェルペシア公爵と後継者争いの末に敗れた彼の双子の兄だった。
そんな彼とウェルペシア公爵家に仕えていた使用人の間に生まれた子供。
それがレイアだった。
結局レイアの母親はレイアの父親が後継者争いで不利になるとあっさり捨てられ、レイアは母が流れ着いた貧民街で生まれ育った。
けれど母親は夢見がちで、捨てられたという現実を受け入れられない女だった。
レイアに度々「貴方は貴族令嬢なのよ」と言う母親を、レイアは微塵も信じていなかった。だって貴族令嬢が、貧民街のオンボロな家で明日どころか今日の食事も用意できるか怪しい暮らしをしているはずがない。
彼女が母親の言葉が嘘ではなかったのだと知ったのは、母親が流行り病で亡くなってから数年経った頃のことだった。
ある日突然レイアの前に現れた男は、貧民街で育ったレイアでも知っている貴族の頂点、ウェルペシア公爵だった。
生活費を稼ぐため、傭兵の仕事を行っていたレイアが臨戦態勢で男を睨むなか、男はレイアを上から下までじっくりと見定めた。
そして、ずっしりとその場だけ重力が増したように思われる声でレイアに告げたのだ。
「お前はレジーナ・ウェルペシアになれ」
意味のわからない命令に抵抗を試みたレイアだったが、傭兵の仕事をこなしているといえど成人した男の護衛数人がかりでは刃が立たず、誘拐同然でウェルペシア公爵家へと連れて行かれた。
全身くまなく洗われて案内された部屋でレイアは紫色の瞳をこぼれんばかりに見開くことになる。
その部屋のベッドで窓の外を眺めている少女はレイアにそっくりだったからだ。
違うところといえば、髪の長さとその赤く輝く瞳だろうか。
レイアに気づいて視線を向けた彼女は、幼く可憐な顔立ちにぞっとするほどの憎しみをのせて口を開いた。
「そのみすぼらしい子が、私が死んだあとの身代わりなわけ?」
高く鈴のような声で冷たい言葉を紡いだ彼女こそが、本当のレジーナ・ウェルペシアだった。
***
小刻みに揺れながら、少しずつ王宮から離れていく馬車の中。スーッと鼻先をくすぐるシトラスの香りにレイアはわずかに顔をしかめている。
「それで、先ほどのことは説明していただけないのですか?」
目の前で碧い瞳を細めながらまっすぐとレイアに向ける男の名前はクロエ・リュシアール。
リュシアール伯爵とその愛人の息子で、この国でここ最近、敏腕外交官だと謳われている男だ。彼は20歳という若さでありながら国交関係が薄い国に次々と赴き、国交をより深くして帰って来る彼は国王からの覚えもめでたい。
確か1年ほど前に国交がなかった国との国交樹立に大きく貢献して、子爵位を叙爵されているはずだ。
そしてその有能ぶりと容姿端麗であることが相まって、社交界での人気が上昇中である。
しかし、そんな彼を前にしてもレイアは顔色一つ変えることなく口を開いた。
「教える義理がありませんので」
「巻き込まれましたが?」
「貴方が私を引き止めなければ巻き込まれなかったことではなくって?」
ふふふ、と淑女らしい笑みを口元に浮かべながらコテッと首を傾げたレイアに、クロエはわざとらしく肩を竦める。
小さく揺れ動く馬車の中で一番距離が遠くなるように斜めに座っている二人の間に、沈黙が流れ込んだ。
微笑みを浮かべながら互いを見ていた両者だが、先に視線を外したのはクロエの方だった。
彼は自身の隣の座席のクッションをガコッと外したかと思えば、空洞になっている座席から辞書かと思うほど分厚い書類を取り出してペラペラとめくる。
一体何をしているのだ、とレイアが眉をひそめているとクロエが書類をめくり続けていた手をピタリと止めて口を開いた。
「外交官という仕事柄上、参加する夜会に出席する方々の情報はいつもまとめていて、今回の夜会でも同じようにこちらの書類にまとめているのですが……先ほどの男たちは貴方のお父様の護衛ではありませんか?」
「……」
恭しく、いっそ慇懃無礼なほどに言うクロエにレイアは心の中で盛大に舌打ちをする。確かに先ほどレイアを襲撃してきた男たちは今夜の夜会でウェルペシア公爵が護衛に任命していた者たちだ。
しかし、これはまた厄介な男と襲撃現場を共にしてしまったものだ。
きっと曖昧なはぐらかしも彼には通用しないだろうし、もうこの際喋ってしまって、後で彼が油断した隙に先ほどの男たちと同様に忘却魔法をかけてしまえばいいのでは、とレイアは思う。
レイアの言葉をニコニコと笑いながら待っている男に向かって彼女は口を開いた。
「今夜の夜会で私が王太子殿下に婚約破棄されたことはご存知ですか?」
「えぇ、その場にいましたから」
「それならお分かりになるのでは?」
「分かる、とは?」
少しだけ首を傾げて苦笑するように聞き返したクロエに、一層深い笑みを向けながらレイアは言葉を続ける。
「私の父、ウェルペシア公爵はどこまでも公爵家の利益と威厳を追求する人間。王家との婚約を『婚約破棄される』だなんて形で台無しにした私はもう用済みということです」
「……実の娘にそこまで冷酷な判断を?」
「たとえ娘といえど、ウェルペシアの人間である以上失敗は許されない。ただそれだけのことですよ」
どこまでも淡々と述べるレイアにクロエは少し戸惑うような表情を見せる。
レイアがレジーナではないことなんて彼に教える気はこれっぽっちもない。教えれば彼にとっても危険だし、彼にはレイアのことを公爵の実の娘であるレジーナだと思わせておくほうが何かと好都合だ。
そもそも病気で余命少ない娘に向かって、『お前が息絶えた後の身代わりとして姪を育てる』と言い放ったあの男に、たとえ自分の娘だったとしても愛情なんて存在するわけがない。
どこまでも冷酷なあの男からレイアが生き残るために残された道は一つ。彼ですら手の届かない国へと逃げること。
そんなことを考えながら流れる車窓を眺めていたレイアにクロエが問いかける。
「……それで、だから貴方は逃げていたのですか?」
「えぇ、そうです。何もせずに殺されるなんてたまったものじゃありませんから」
「はぁ……そうですか」
レイアの返答を聞きながらもどこか納得できてないのか、それとも父親に命を狙われているという状況を理解しきれないのか、曖昧に頷くクロエに視線を移しながら彼女は再び口を開いた。
「各国を飛び回るクロエ外交官様なら、この状況でどこへ逃げますか?」
「難しい質問をなさいますね」
どうせなら有識者の意見でも聞いておこうと思ったレイアの問いに、クロエはあれこれと考え込むように押し黙る。
しばらくした後に彼が紡いだ言葉は耳を疑うものだった。
「こんな事を言うのは忍びないですが……おそらくどこへ逃げても無駄かと」
「……え?」
一瞬にしてレイアの背筋が凍る。
レイアが今暮らしているアナシア王国は長く続く王朝ではあるが、他国との関係はあまり広く持てていない。だからこそ目の前にいるクロエの存在が貴重なわけであるのだが、他国との関係が薄いことはウェルペシア公爵家の影響力が他国に通じないということにもつながる。
国交が樹立していないどころか国交断絶状態にある国へと亡命すれば流石にあの男でも手は出せないだろう、とレイアは踏んでいたわけだ。
もともと国から国への移動が多い傭兵の仕事を行っていたレイアは、その辺の手続きには詳しい。
しかしそんな計画もたった今彼女の目の前で発されたあまりにも無情な言葉で、泡となって弾けそうになっていた。
「無駄、とは?」
「7ヶ月前でしょうか。ウェルペシア公爵が我が国と他国との国境に密入国を取り締まる施設を増やす法案を議会に提出しました」
「それは知っています」
焦るようにレイアはクロエの言葉に噛みつく。
「結局その法案は国ではなく貴族が増えた分の施設を管理することで承認され、表向きはアイトネ侯爵家が他家からの支援を受けてそれらを管理することになっています」
「……」
息を潜めてクロエの話に耳を傾けるレイアをちらりと見たクロエは話を続けた。
「しかしアイトネ侯爵家を支援をしている貴族たちの支援額のうち、ウェルペシア公爵家の支援額が占める割合は8割以上。何度か仕事の際にそれらの施設の近くを通ってますが、どこもウェルペシア公爵家の紋章が入った騎士が大勢常駐していました」
「……そんな、そんな情報はどこにも……」
うろたえるように呟くレイアにクロエは何も言わないで黙って見つめている。
衝撃の事実にレイアの頭が追いついていないようで、どこか冷静な部分が冷徹に分析を始める。
(7ヶ月前……あの王太子が婚約破棄のきっかけになった伯爵令嬢と親しくなりだしたのもその頃……まさかあの男はその時からそのつもりで……?)
今夜の婚約破棄騒動が阿呆な王太子による突発的なものではなく、ウェルペシア公爵が一枚噛んでいるとしたら、先ほどの襲撃のあと王宮を抜け出してから今の今まで何事もなく進めていることにも説明がつく。いや、ついてしまう。
どうせ国境付近で捕まえられるから、わざわざ人員を割く理由がないのだ。先ほどの二人はその事実を隠すためのカモフラージュか、そこで捕まえればそれはそれでいいと思っていたのか。
レイアの目の前が真っ暗になる。
どうにかしてレイアが掴み取ろうとしていた自由への道は、あの男によって徹底的に潰されたいたというのか?
婚約破棄からの数分間で頭をフル回転させてレイアが弾き出した選択は、あの男に簡単に読まれていたというのか?
どんどん青ざめていくレイアを見つめていた碧い瞳の男が言葉を紡いだ。
「私が助けてさしあげましょうか?」
「……助ける?」
クロエの言葉にはっとするように顔を上げたレイアは、すがるように、それでいて警戒するように彼を見つめる。
「ちょうど私の秘書が先日退職しまして、代わりの者を探しているのですが、全く見つからない。その点レジーナ嬢は語学も堪能、王太子妃共育で他国の文化に対する造詣も深い。後任の秘書が見つかるまで私の秘書として仕事についてきてくださるのであれば、後任が見つかった際は貴方の亡命に尽力します。ウェルペシア公爵は国境付近を固めていますが、一度国を出てしまえばそれに警戒することもない。外交官の秘書という仕事柄、他国へ堂々と渡れますよ」
彼の提案はどこまでも甘美で、レイアに都合がいいことばかりなうえ、彼女にとって真っ暗な世界に差した一筋の光と言ってもいい。
けれどその提案に飛びつけるほどレイアは純粋ではないし、無垢でもない。
貧民街で育ったレイアにとって甘美な提案ほど後々苦しい目に遭うなんてことは常識だったし、傭兵時代のレイアの師匠も『自分に少しでも都合のいい提案は一度持ち帰れ』と口酸っぱく言っていた。
まるで警戒する猫のようにクロエを睨みながらレイアは口を開く。
「なぜ、なんの関係もない貴方が私を匿う危険を冒してまでそんなことを?」
レイアの言葉に碧い瞳をパチクリとさせたクロエは少しだけ目を伏せて笑う。
その笑みがどこか寂しげに見えて、思わずレイアは小さく息を呑んだ。
「昔、君に助けられたことがある。君は幼かったから覚えていないだろうけど」
今までの声より少し低い声色で、砕けた口調で目を伏せたままクロエは言う。おそらく、これが彼の素の姿なのだろう。
「……そう、だったんですね」
息を吐くようにレイアは呟く。
彼の言う『君』はおそらくレイアではない。一般的な『幼い』が指す年頃のとき、レイアは貧民街でその日暮らしを送っていた。
彼を助けたのはきっと、いや確実に本当のレジーナだ。
「……その恩返しをさせてほしい。きっと君がいなければ俺は今ここにいないから」
それまでの人当たりの良さそうな笑みではなく、ふわりと柔らかい笑みを浮かべてクロエがレイアに向かって言った。いや、きっと彼が見てるのはレイアではない。
そんな彼の優しげな碧い瞳に映る赤い瞳の自分から目を逸らしながら、レイアは心の中で自分に言い聞かせる。
(……彼を利用すればいいの。自分の命より大切なものなんて、ないでしょう?)
レイアはふーっと深呼吸をしてからクロエに向き直った。
「貴方の秘書にならせていただきます」
レイアの言葉にクロエはほっとしたように目尻を緩める。
「あぁ、よろしく」
それまでの堅苦しい敬語ではない柔らかい響きを持った彼の言葉に、レイアは無理やり笑みを浮かべる。
自分の命を優先して突き通した嘘が後々自分を苦しめて追い詰めるだなんて、このときのレイアは思いもしなかったのだ。
お読みいただき、ありがとうございました。




