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2.逃亡


 豪勢な夜会が行われているきらびやかな王宮の廊下をドレス姿でレイアは全力疾走する。

 一刻でも早く、ここから逃げなければならない。


 足にまとわりつくマーメードラインのドレスにレイアは舌打ちをする。

 彼女が広大な敷地の王宮をこうして走っているのも全てあの王太子のせいだ。


 10分ほど前のこと。

 王太子の婚約者だったレイアは、国内の全貴族が揃う夜会の最中に彼から婚約破棄を告げられた。それはもう、盛大に目立ちながら。


 異議を唱えようかと思ったけれど、彼の腕にしがみついている没落した伯爵家のご令嬢だとかいう少女が、レイアに怯えるフリをしながら涙ぐむ姿を見た瞬間すぐに気づいた。

 これは見事にハメられた、と。

 突然の婚約破棄に頭が追いついていないレイアを『悪女』やら『性悪』やら糾弾する王太子に何か言ったところでおそらく恋で盲目になっている彼の怒りに油を注ぐだけ。

 加えてここで婚約破棄を撤回させたとしても国内の全貴族の前で、婚約破棄されそうになったという醜態を晒したレイアをあの男が許すはずがない。


 婚約破棄を撤回させるのを早々に諦めたレイアは婚約破棄に頷くことにした。

 結局、彼はレイアが伯爵令嬢を虐めたという証拠は持ち合わせていなかったらしい。こんな阿呆が未来の国王とは国の行く末が危ぶまれるが、それよりも今はレイアの未来のほうが危ない。


 レイアが素直に婚約破棄に応じたことで、ぽかんとする王太子たちにさっさと挨拶したレイアは夜会会場から退場した瞬間に全力で走り始めた。


 レイアがハイヒールを履いたままここまで全力疾走するのは久しぶりだ。コツコツとヒールが大理石と当たる音をものすごい速さで鳴らしながら彼女が廊下の角を左に曲がったその時__



「うわっ!」

「……!」



 曲がり角から現れた男が大きな声を出す一方で、レイアはかろうじて声を押し殺した。

 ぶつかりそうにはなったものの、どうにかして急ブレーキをかけることに成功した自分を内心褒め称えながら、にっこりと男に微笑みかける。



「申し訳ありません。それではごきげんよう」

「あ、君……!」



 男がはっとしたように発した言葉に心の中で舌打ちをする。

 目の前にいる彼は、どうやらレイアが『王太子に婚約破棄された悪女』だと気づいたらしい。

 人に見られることなく王宮を抜け出したかったのに、それは失敗に終わったということだ。



(いいえ、まだ……)



 心の中で呟いたレイアはピクッと右手を動かして彼に向けようとして、やはりその手を下げる。奥の手というものはそう簡単に使うものではない。



「すみませんが、先を急いでますので」 



 それだけ言って彼の隣を通り過ぎようとするが、パシッと小さな音がして左手首を掴まれた。


 後ろを振り返ってみると、案の定彼がレイアの左手首を握っていた。


 もしかするとあまり腕っぷしが強そうには見えない彼が、あの男がレイアに差し向けた者なのかもしれない。そんな予想が頭をよぎり、警戒するように彼を睨む。

 けれど彼はレイアの臨戦態勢に気づいていないのか、少し軟派な笑みを浮かべながら口を開いた。



「お引き止めしてすみません。ですが少し、貴方とお話したいことがありまして……レジーナ・ウェルペシア嬢」



 恭しく言う彼の様子を見て、レイアはようやく彼の名前を思い出す。

 黒髪に碧い瞳、長身。甘いルックスと柔らかい物腰で社交界の令嬢たちからの人気が上昇している男。



「……後日ではいけませんか? クロエ外交官様」

「私のことをご存知でしたか。光栄です」



 レイアの言葉に少し目を見開いた後、柔らかく笑う彼は人の話なんて聞いちゃいないようだ。

 一刻を争う事態なのでいっそのこと、彼を気絶させて逃亡しようかとレイアが思った次の瞬間。



「いたぞ!」



 廊下の先から野太い男の声が響いてレイアは弾かれるようにそちらを見た。

 長い長い廊下の奥の方からこちらへと駆けてくる男が二人。彼らの手には黒く光る拳銃が握られている。


 二人のうちの一人がレイアに銃口をレイアに向けたことに気づいたレイアはすぐさま隣に立つクロエの胸ぐらをむんずと掴んで、さきほど走ってきた曲がり角の先へ彼と自身の身体を投げ込む。

 そのすぐ後、大きな発砲音が辺りに響き渡り、レイアの行動にあっけにとられていたクロエも顔色を変えた。


 銃弾を外したことで苛立たしげに「くそっ!」と言いながら廊下を駆けてくる男たちは、正真正銘あの男__ウェルペシア公爵がレイアに差し向けた者だろう。

 彼らがクロエとレイアが潜む曲がり角に辿り着くのも時間の問題だが、彼らから逃げようにもこの廊下は真っすぐ伸びていて遮蔽物もない。背後から銃で狙われるのがオチだ。


 瞬時にそう判断したレイアはドレスの裾を掴み、ビリビリと破っていく。



「レジーナ嬢!?」



 突然のレイアの行動にクロエは目を剥きながら言った。

 彼が大きな声を出すものだから、レイアは彼の口を手で抑えながら口を開く。



「静かにして。このままだと私も貴方も殺されるわよ」



 さきほどまでの女性らしい柔らかさを持った声音とはかけ離れた固く厳しい発言にクロエが息を呑む。


 押し黙ったクロエの口元から手を放したレイアは破いたドレスをたくし上げて腰の少し下あたりで結ぶ。いつもは貞淑なドレスの下に隠されている白い太ももをさらけ出しながら、紫色の瞳に鋭さをのせて彼女は耳をすませた。


 隠す気もない足音が近づいてくる。

 あと10歩、6歩、3、2、1__



(今っ!)

「ぐあっ!」



 もう一人の男よりも前に出ていた男の足に向かって自身の足を伸ばしたレイアは即座にその足をはらう。

 うめき声をあげながら倒れてくる男の下敷きにならないように素早く足を戻したレイアは、突然の奇襲に身を固めているもう一人の男に向かって飛び出した。レイアの動きに反射的に腕を突き出してレイアを捉えようとした男を嘲笑うように身体を低くしたレイアは相手の懐に潜り込み、勢いよく右足を突き上げた。


 風を切るように突き上げられた彼女の右足は男の顎下に直撃し、その勢いと先の鋭いヒールであったことも相まって、男は痛みに喘ぎながら後ろによろける。

 レイアはその一瞬の隙を逃さず回し蹴りを男の首元にくらわせ、男は気を失ってバタリと倒れた。



「このクソ女っ!」

「!」



 最初にレイアが足をかけて転ばせた男が、いつの間にか身体を起こして悪態をつきながら彼女に銃口を向ける。

 しまった、これは避けられるかわからない。

 レイアがそう思った次の瞬間、男が小さくうめき声を上げてバタリと前に倒れた。


 レイアは赤く輝く瞳を見開きながら倒れた男のすぐ後ろにいるクロエを見つめる。

 どうやら彼が男の首に手刀をくらわせたらしい。

 さきほどまで柔和な笑みを浮かべていたクロエは、鋭い面差しでレイアを見つめ返しながら口を開く。



「……なんとも物騒な事態になってしまったようですね」

「……」



 真剣な色が乗ったクロエの言葉に、レイアは沈黙を返す。

 クロエもその反応を予想していたのか、それ以上追求することはしなかった。彼は立ち上がりながら言葉を続ける。



「とりあえずここに留まっていてはいけなさそうですね……王宮を出ましょう」

「……貴方は関係ないのでは? 一人で行けます」

「その格好で、ですか?」



 クロエの言葉にレイアは押し黙る。

 反撃するためにドレスを破ったのはいいものの、確かにこんな格好では目立つことこの上ない。

 クロエは小さくため息をつきながら羽織っていた上着を脱ぐ。



「これを巻いておいてください。幾分かマシでしょうから」

「……ありがとうございます」



 差し出された上着を手に取り、レイアはそれを腰に巻く。



「では、行きましょうか」

「あ……少しお待ち下さい」



 レイアはクロエの言葉にそう返して床でのびている男たちに向き直る。

 結局奥の手を使うことになってしまった、と嘆きながら男たちに向かって静かにレイアは右手をかざし、緩やかに目を伏せて小さく唇を動かした。

 するとレイアの艷やかな銀髪がふわりと舞ってキラキラと光の粒が男たちに降り注ぐ。


 クロエが目を見開きながら惚けるようにそれを見つめていると、レイアが右手を下ろして彼の方へと振り返った。

 はっと我に返ったクロエは少し慌てたように口を開く。



「驚いた……魔法が使えるのですね」

「えぇ、まあ少しだけ……」



 クロエの言葉にレイアは濁すように言った。



「行きましょう」

「……はい」



 クロエはレイアが男たちにかけた魔法のことが気になるようだったが、レイアがそれを断ち切るように先に進んだので言葉を飲み込んで彼女に続く。


 そうして二人は足早に王宮から立ち去るのだった。


お読みいただき、ありがとうございました。

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