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【完結・百合】家庭環境最悪な僕っ娘(14)が、マンションの上階に住む人妻(28)にズルズルに依存する話  作者: Ru
第七章 横たわる絶望は灰色をしている

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第24話

「……この前は、ごめんなさい」

「え?」

「二日前。私が、あなたを、ベッドに引き込んだ日のことよ」

「……えっと」


 どうして、美千花さんが謝るんだろう。意味がわからない。だって、謝るべきは僕だ。美千花さんは僕になにかを望んでいたのに、僕はそれをうまく読み取ることができなかった。彼女の期待を裏切った。悪いのは、どう考えたって僕だろう。


 本当にわからなくて、だから素直に尋ねた。


「なんで美千花さんが謝るの?」

「……それも、わからないのね」

「え? うん……ごめん……」


 僕は謝罪を口にする。美千花さんはぴくり、と肩を跳ねさせて、長く、押し殺した溜め息をこぼした。「違うの」と、とても小さな声がする。


「違う。あなたは、なにも悪くない。悪いのは、ずっと悪かったのは──私たちよ」

「私──たち?」


 どういうことだろう。いつもと違う美千花さんの、理解できない言葉に、僕はただ戸惑うしかできない。美千花さんは下を向いたまま、低く、掠れた声で言った。


「あのとき、私があなたをベッドに引きずり込んだのは……私が愚かだったからよ。たまたま寂しかったときに、苛立ったときに、誰でもいいから八つ当たりしたかったときに──あなたが、たまたまそこにいた」

「っ……」


 ずき、と胸が痛む。とっくに知っていたけれど、改めて誰でもよかったと口にされると、心臓が引き絞られるような気持ちになった。


 美千花さんは続ける。


「あなたはまだ子供だってわかってたけど、そんなこと、どうだってよかったの」

「ちがう、僕は子供じゃ──」

「あのとき、無理やりセックスをしなかったのは」


 感情的な僕の反論を強引に遮って、下を向いた美千花さんが、まるで懺悔のようにつぶやく。


「単に、あのときのあなたじゃ、私の役に立たなかったから。それだけよ」

「──ッ……」


 ぐさりと、全身が突き刺されたようだった。役に立たないことも、僕じゃ駄目なことも、知っていた。だけど、知っているからって、言われて平気だということにはならない。


 ぐっ、と感情をこらえる僕を、美千花さんはちらりと横目で見た。端正な、陰のある顔立ちが、僕の知らないなにかで翳っていく。静かな声が吐き出される。


「……ほんっと、最低よね……」


 絞り出すようなその語尾は、涙じみて掠れていた。見たことのない美千花さんの様子に、戸惑いと焦りがこみ上げる。僕はぎし、とシーソーを鳴らして、美千花さんの方に身を乗り出した。


「大丈夫……? もしかして、旦那さんになにかされたの? だったら僕が──」

「やめて」


 びくり、と思わず身が跳ねる。聞いたことのない、はっきりした、強い口調の拒絶だった。


 呆然とする僕に、美千花さんがゆっくりと顔を巡らせる。こちらを向いた白い顔が、見たことのない、意志を宿した眼差しが、まっすぐに僕を見つめていた。美千花さんは言う。


「私は大人よ。自分のことは、自分でなんとかする」

「っでも、だって、美千花さんには、僕がいないと──」

「本当にそう思うの?」

「ッ……!」


 きっぱりと問いかけられ、思わず息が詰まった。ひぐ、と喉が鳴る。美千花さんはかすかに眉を寄せると、ひとつ静かに息を吐いた。ゆっくりと、黒いコートの姿がシーソーから立ち上がる。僕の座面がするすると落ちていって、爪先がとん、と地面にぶつかった。


 下りきったシーソーに座り込む僕の前に、美千花さんがやってくる。僕を見下ろす美千花さんの表情は、白い後光とグレーの逆光に塗りつぶされて、ちっともうまく見えなかった。


「み……美千花さん?」

「あなた、本当は、気付いているんでしょう」

「なに、に──」

「すべてに、よ」


 シルエットだけになった人影から、はっきりと、託宣のような声がする。僕は自分の底から、得体の知れない怯えがこみ上げるのを感じた。ぶるっ、と全身が震える。寒さだけのせいじゃなかった。


 美千花さんが、小さく、ためらいのように息を吐く。そして、意を決したように言った。


「あなたは、〝私〟が好きなわけじゃないのよ」

「そんな、こと……」

「あなた、以前うちに、本を忘れていったわね」


 そう言って読み上げられたタイトルは、図書館でおじさんからもらった本だった。実話をもとにしたサスペンス小説。「有名なエピソードよね」と美千花さんは静かに言った。


「どうしようもない現実に耐えるため、恋や愛を心の中に作り出す、人間の生理的反応」

「それが……なに……」

「あなたはそれに慣れていた。そうすることが当たり前だった。あなたには、自分を傷付ける人を愛さずにはいられない習性があった」

「ちが、」

「今回もそうしたんでしょう? つらくて、苦しくて、逃げ出したくて、でもできないから。薄々見えていた現実を、直視したら壊れてしまうから。だから、その時いちばん自分を傷付けてくれる人を愛した」

「っ──」

「あなたは、私じゃなくてもよかったの。傷付けて、愛させてくれるなら、現実を忘れさせてもらえるなら、誰でも」

「ち──違うッ‼」


 気が付けば、声のかぎりに叫んでいた。ばさばさと木立の中から鳥が飛ぶ。美千花さんは遠ざかるそれを視線だけで追うと、とても静かな目で僕を見た。


(なに、な、……なんで?)


「どうして、そんなこと、いうの……ぼくが役に立たないのが、そんなに、怒って……」


 支離滅裂な僕の言葉にも、美千花さんは表情ひとつ揺らさない。ただ静かに、淡々と、なにかを堪えるような目をして、逆光の中で僕を見つめているだけだ。


 美しいくちびるが、僕の名前を静かに呼ぶ。


「渚さん」

「わかんない、わかんないよ……ぼく、しらない、なにも、わからない……」

「誰でもよかったのよ。あなたも、私も。みんな寂しい人間なの。それだけよ」

「ちがう……僕は、ちがう、僕だけは、そうじゃない……」


 呆然とつぶやく僕に、美千花さんはまるで痛ましいものを見るような顔をした。


(やめ、……やめてよ……)


 そんな目をしないでほしい。僕は違う。そうじゃない。寂しいのは美千花さんだ。お母さんだ。僕以外のすべてだ。僕だけは違う。僕は寂しいひとなんかじゃない。


「ぼ、僕は、寂しくない……」


 ふるふると、逃げるように首を振った。美千花さんはただ静かに僕を見下ろしている。シーソーはとっくに下りきっていて、そこにしゃがみこむ僕は、ほとんど地面にへたり込んでいるのと同じだった。


 頭上から、残酷な託宣のように声が降ってくる。


「あなたは、現状を〝正しく〟認識している」

「なんの、こと……」

「そのことから目を逸らして、必死に自分を保ってきた」

「しらない──」

「目の前の現実があまりに残酷で、耐えられないから。でもそれは──仕方のないことだわ」

「っ、ちがう……」


 呆然と目を見開いて、僕はただ首を振るしかできない。震えながら、違う、を繰り返すしかできない。


 目の前に立っているのは、本当に美千花さんなんだろうか。あの、儚く仄暗い、寂しい目をした人なのだろうか。僕の身体に長く影がさしかかる。すぐ目の前にいる女性が、まるで恐ろしい託宣をくだす女神のように感じられた。


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