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【完結・百合】家庭環境最悪な僕っ娘(14)が、マンションの上階に住む人妻(28)にズルズルに依存する話  作者: Ru
第七章 横たわる絶望は灰色をしている

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第23話

 ──まぶしい。


 まぶたを透かす白い光で、僕はふっと目を覚ました。まだもう少し眠っていたくて、もぞもぞと身じろぎをする。なぜだろう、全身に心地いい違和感。


(あれ……あったかい……?)


 いつもなら、朝はもっと寒いはずなのに。んん、とうめいて目をこすった。まぶたを開く。見える天井の景色は、いつもと違っていた。照明の形からして、LDKのソファで眠ってしまったようだ。


「うわ、美千花さんとの約束……! やっちゃった……」


 もそりと身を起こす。すると、重みのある布が、ずるり、と膝の上にずり落ちてきた。


「……毛布?」


 見たことのない、チャコールグレーの分厚い毛布だった。毛足が長くふかふかで、表面を撫でるとすべすべしている。ものすごく手触りがいい。


(うわあ……猫の毛皮みたいだ……!)


 とろりとした毛足の気持ちよさに目を輝かせ、つい夢中で撫で回してしまった。けれどいつまでもそうしているわけにもいかない。


 僕はソファから起き上がると、んん、と思い切り伸びをした。なんだか頭がすっきりしている。きっとたくさん寝たからだろう。


 ふーっ、と息をつくと、散らかったLDKを横切ってキッチンに入った。脛にぶつかる謎のごちゃごちゃを適当に足で蹴り除けて、手で水道から水を汲む。


 こくこくと水を飲み、ついでに顔をばしゃばしゃ洗う。ぐいと袖で顔を拭ったころには、冷えた水を扱った指先は氷のように冷え切っていた。いつものことだ。


 ちょいちょい、と指を振って水気を飛ばす。水を飲んだおかげで、とりあえず人心地ついた。なぜだろう、今朝はやたらと喉が乾いていたのだ。


「んー……今日はどうしよ」


 軽く腕のにおいを嗅ぐ。少しだけ迷って、今日はちゃんと着替えよう、と思った。冬だから変なにおいはしないけど、なんとなく全身が汗っぽい気がしたからだ。


(うーん。あの毛布のせいかな)


 あんなに防寒して寝たことなんて一度もない。そりゃあ汗もかくだろう。でも、あんな毛布、一体どこから出してきたんだろう。思い出せない。


「……あれ?」


 そうして記憶を辿ってみれば、僕は昨夜のことをほとんど覚えていないことに気が付いた。


 たしか、本を読んでいたら急に寒気がしてきて、図書館から帰ろうとしたあたりまでは覚えている。たぶん、家に着いたはいいけれど、体調不良でソファで寝落ちしてしまったとか、そんなところだろうか。


 体調を崩した原因は明らかだ。一昨日、美千花さんの家から逃げ帰った直後に浴びた水シャワー。十二月のこんな時期に、あんな無茶な真似をしたら、具合が悪くなるに決まってる。本当、僕はバカだった。


(そうだ……美千花さん、元気かな……)


 グレーのシーツに横たわる、傷まみれの裸体を思い出した。わずかに気持ちが重くなる。


 あのひとは今日、元気だろうか。寂しくはないだろうか。泣いていないだろうか、怪我なんてしていないだろうか、今日もたしかに──生きていて、くれるのだろうか。


 そういえば、昨夜のことはまるで覚えていないけど、なんとなく、夢を見たような記憶があった。たしか、美千花さんが出てきたような。わかるのはそれくらいで、あとはただ、すごく幸せな夢だった、というぼんやりした思い出の手触りしかない。それでも、曖昧な夢の中の美千花さんを思い出すだけで、僕の胸はほわりと暖かくなった。


「……うん。あとで、ちゃんと謝らなきゃ」


 一昨日、ベッドの上で、美千花さんはなにかを期待する目で僕に乗りかかってきた。だけど僕は彼女の希望がわからずに、応えることに失敗した。


 あのとき、うまく期待に応えられなくてごめん。なにを誘われたのかわからなくてごめん。きみの寂しさを上手に拭ってあげられなくて、本当にごめんなさい。


 美千花さんに謝って、ちゃんとまっすぐ話をして、今度こそ彼女を笑顔にしてあげたかった。僕なりにきちんと考えて、色々しっかり準備をして、あの寂しいひとを、まっとうに逃がしてあげたかった。


 ちら、と壁にかかった時計を見る。美千花さんといつも約束している時間まで、まだ半日以上はある。とりあえず図書館でこのあたりの地図を見て、美千花さんを逃がすために必要な知識や手続きのことを調べようか。


 そう決めた僕は、着替えを済ませて、ポケットに鍵を突っ込むと、散らかったLDKを後にした。転がったお母さんのヒールをまたいで、玄関を出る。


 階段を使って、そっと一階まで下りた。昔から、マンションの人に顔を覚えられないように、エレベーターを使ってはいけないと言い含められている。だから普段から階段を使っていた。


 いつものように階段でエントランスに出て、人がいないことを確認する。僕は足早に玄関ホールを駆け抜けた。


 無事に外へと辿り着き、ほっ、と胸を撫で下ろした、そのとき。


「──おはよう、渚さん」


(えっ……?)


 美千花さんの声がした。


 ぱちぱちと目をしばたたかせる。当たり前のように僕の名前を呼んだ美千花さんは、エントランスから伸びる道、その中央に、まるで僕の行き先を塞ぐように立っていた。


「ええと……おはよう?」


 首を傾げて、返事をする。美千花さんは静かな佇まいで、まっすぐに背を伸ばして立っていた。いつもの、儚げで消えてしまいそうな雰囲気は、すっかりどこかに消えていた。


 どうしたの、と僕が問いかけるより先に、美千花さんが口を開く。


「ちょっといいかしら」

「な……なに?」

「お話したいことがあるの。ついてきて」

「み、美千花さん……?」


 美千花さんは見たことのない表情をしていた。聞いたことのない喋り方だった。妙にシンとした、それでいて張り詰めたような、真冬の湖みたいな雰囲気。なんとなく──逆らってはいけないような気がする。


 僕の返事を待つことなく、美千花さんがくるりと踵を返した。黒いコートの後ろ姿が歩き出す。慌てて追いかけた。コツコツという規則的なヒールの音。その残響に、小走りな僕の足音が重なった。


 連れて行かれたのは、マンションの近くにある児童公園だった。少し広めの、遊具がいくつもある公園だ。


(……小さいころ、憧れてた場所だ)


 僕はもちろん禁止されていたので、自由に遊べる他の子が羨ましかった。遊びたいと駄々をこねて、お母さんに叱られたこともあったっけ。


 なんとなく後ろめたさを感じて、入り口の前で躊躇する。ためらいなく境界を越えた美千花さんは、僕がついてきていないことに気付いて振り返った。


 深いダークグレーの眼差しが、どうしたの、と無言で問うている。僕は少し迷って、正直に答えた。


「ここ、僕、入っちゃだめって……」


 美千花さんが、ぴくっ、と眉を動かす。引き結ばれたくちびるから、そう、とかすかに震えた声がした。


「いいの。あなたは──どこに入っても、いいのよ」

「でも……」

「お母さんには、私から説明するから。ね?」

「……うん」


 美千花さんが、そこまで言うなら。


 僕はおずおずとスニーカーの足を持ち上げると、そっと公園の境界をまたいだ。なんだか妙にどきどきした。


 美千花さんは少しだけほっとしたような目をすると、また歩き出した。追いかける。黒い背中はいつもと同じはずなのに、歩き方や雰囲気が、いつもとどこか違う気がした。


 美千花さんが辺りを見回して、ちら、とひとつの遊具を見る。たしかシーソーというものだ。迷いなくそちらに歩み寄った美千花さんは、手で僕に座るように促した。


「えっと……」


 言われるがまま、長い板の端に腰を下ろす。どう座ればいいかわからなかったので、とりあえずベンチと同じように、板の横から腰掛けてみた。美千花さんがかすかに眉を寄せる。間違っていたのかもしれない。


 座ったとたん、キイ、と板が傾いて、僕の身体はあっさりと下がっていった。けれど板が床につく前に、板の反対側に美千花さんが腰を下ろした。僕と同じ、ベンチみたいな座り方。少し内側に座った美千花さんの重みで、僕の座った板が持ち上がる。


(……こういう遊び方なのかな)


 お互いの体重を考えて、適切な位置に座って、ぐらぐらする板を水平にする。そんな遊具らしい。テレビではもうちょっと違う遊び方をしていた気もするけど、美千花さんがするのなら、きっとこれが正しいのだろう。


 長い板はやや美千花さんのほうに傾いて、僕の足は地面から浮いてしまっていた。僕がもう少し端のほうに寄るべきだろうか。あるいは美千花さんが中央に寄るか。


「ねえ、もうちょっと──」

「渚さん」


 呼びかけを打ち切って、美千花さんの硬い声が僕を呼ぶ。僕は喋りかけて半開きになった口のまま、かすかに首をかしげた。


「えっと……なに?」

「……私、……」


 なにかを言いかけて、けれど美千花さんは口をつぐむ。下を向いた彼女の肩はかすかに震えていて、あきらかに、いつもと様子が違っていた。


「だ、大丈夫……?」

「……」


 美千花さんは返事をしない。ただ耐えるように下を向いて、膝の上でぎゅうっと手を握りしめている。僕は不安になって、彼女を慰める言葉を必死になって探した。


 けれど僕がなにかを思いつく前に、美千花さんはすっと顔を持ち上げる。整った横顔の稜線が朝の光に照らされて、うっすらと白く光って見えた。きれいだった。


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