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【完結・百合】家庭環境最悪な僕っ娘(14)が、マンションの上階に住む人妻(28)にズルズルに依存する話  作者: Ru
第五章 十二月のおそいくちづけ

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第17話

 戸惑い、困惑して、ぱちぱちと何度もまばたきを繰り返す。僕はぽかんとしたまま、全裸で僕に乗り上げている美千花さんをただ見つめ続けた。


 美千花さんは、じっと僕を見つめている。不思議な微笑みを浮かべ、かすかに首を傾げて、ささやき声で僕に問いかけた。


「ねえ……どうしたい?」

「どうしたい、って……」


 考える。美千花さんは怪我をしている。今は十二月で、寝室はまだ暖房が入っていなくて、裸では寒そうだった。


 とりあえず、服をもっと暖かいものに変えて、あとは傷の手当てだろうか。でも、僕が処置するより美千花さんがしたほうが絶対に手際がいい。それに服だって、ここは美千花さんの自宅なのだ、自分で出してきたほうがいいに決まってる。


 じゃあ、僕はどうすればいいだろうか。どうしたいとか、なにをやりたいとか、いくら考えてもうまく思いつくことができなくて、僕は顔を顰めてうんうん唸るしかできなかった。


 美千花さんはなにか誘うような目でずっと僕を見ていたけれど、僕がいつまでも要領を得ないせいだろう。唐突に、ふっ、とすべての表情を消してしまった。そのまま、ぼすっ、と僕の隣に倒れ込む。


「えっ……美千花さん?」


 美千花さんは枕に顔を伏せて、肩をかすかに震わせていた。僕はぎょっとして、ねえ、と呼びかける。


「だ、大丈夫⁉ ごめん、僕……」

「……ふ、っ……」


 うつぶせだった美千花さんが、ゆっくりと寝返りを打った。横たわる僕と向かい合う形になる。


「ふふ、ふふふ……」

「美千花さん……?」


 美千花さんは、肩を揺らして、目を細めて、くすくすと笑っていた。声だけ聞けば楽しそうなくらいなのに、実際のそれはどこか虚ろで、ひどく自嘲気味な笑顔だった。


(ど、どうしたんだろう……)


 僕の狼狽など気にもせず、美千花さんは僕の手を掴まえる。手のひらを肌に押し当てて、するりと下腹部まで誘導した。手のひらに伝わるのは、他とあきらかに違う傷跡の、引きつれて大きな、いびつに盛り上がった独特の感触。


「これ……」

「手術の跡よ」


 美千花さんはあっさりと言った。妙に軽い口調だった。


 ──手術。お腹を切ったのか。それも、こんなに大きく。


 なんだかとても悲しい気持ちになって、僕は眉を下げて美千花さんに問いかけた。


「……痛かった?」


 僕の拙い質問に、美千花さんがふっ、と笑う。


「覚えてないわ」


 さらりとした、端的な答えだった。握った僕の手を動かして、美千花さんはゆるゆると手術痕を撫でている。眼差しがどこか遠くをぼんやりと眺めて、美千花さんは言った。


「私ね。子供ができない身体なの」

「……こども……」

「結婚当初、夫が子供を熱望してて。だから、頑張ったんだけど……」

「……っ」


 頑張った、という言葉に、うまく説明できない嫌悪感を覚えて顔をしかめる。美千花さんは僕のことなど見もしないまま、薄く笑った。


「どうしても、うまくいかなったの。それで調べてもらったら、……病気が見つかって」


 するすると、僕の手を使って美千花さんは傷を撫で続ける。ひんやりした肌の温度が、なんだかやけに切なかった。


「……いろいろやってみたけど、結局、子宮全摘」

「じゃあ、この傷は……」


 美千花さんがうなずく。くすりと笑う声がした。


「空っぽなの、この中。取っちゃったから」

「……」


 黙り込む僕に、美千花さんがふっと微笑む。消え入りそうな声が言った。


「それからかしらね。今の……暮らしは」


(……今の、暮らし。それはたぶん──)


 身体中に散らばった、痣と傷が目に飛び込んでくる。思わず目を背けた。端正で真っ白い肌に散らばる暴力の痕跡は、痛ましい汚れのようで、だけどどこか背徳的な美しさがあった。


 ぼんやりした微笑みを浮かべ、美千花さんはどこかよくわからないところを見つめている。それがとても苦しくて、僕は美しいダークグレーを懸命に覗き込んで、なんとか視線を合わせようとした。だけどちっともうまくいかない。複雑な色合いの虹彩は目の間の僕ではなく、もっとずっと遠い場所を眺めている。


 僕のことを見ないまま、美千花さんがぽつりとささやいた。


「ここに来るたび、『女性にいいもの』が出たでしょう」

「うん」

「習慣でね。もう必要なんてないのに、どうしても用意してしまうの」

「……うん」


 美千花さんの家のお茶は丁寧に淹れられていて、おいしかった。お菓子はいつも手作りで、成分をきちんと考慮しているのだと言っていた。どれもこれも、これ以上ないほど手がかかっていた。


「私……ばかみたい」

「美千花さん……」


 なにを言ったらいいかわからない。美千花さんは下腹部を撫でるのに使っていた僕の手を離すと、全身の力をかくんと抜いた。ふっと閉じた目の端から、ひとすじの涙が滑り落ちる。透明な雫はグレーの枕カバーに吸い込まれていった。布の色がじわりと濃さを増した。


 うまい言葉が出ないぶん、せめてその涙を拭ってあげたい。感情にまかせて手を伸ばすと、薄い目元の皮膚に指先が触れる直前、美千花さんがぽそりとささやいた。


「……未来になにかを繋ぐのが、そんなに偉いことかしら」

「……」

「私、ひとりで消えてしまいたい。なにも残さず、なんの生産性もないまま、ひとりで」


 すん、と鼻をすする音。白い肩が、小さく震えている。


「そしたらきっと、すごくすっきりする……」


 涙まじりの語尾はひどく頼りなく、今にも消え入りそうだった。つるり、つるりと、閉じたまぶたの端から涙が滑り落ちていく。泣き声のひとつも上げずに涙する美千花さんの姿は静かで、美しく、痛ましかった。やるせなさが胸の底をしきりに叩いた。


(……この寂しいひとを、慰めてあげたい)


 苦いような切ないような、強烈な感情が込み上げる。僕はぎしり、とベッドを軋ませると、美千花さんの頬を両手でそっと包み込んだ。顔をよせ、涙をこぼし続けるまぶたにキスをする。


「きみ──」


 きみが好きだよ、と言おうとして。だけど出てきたのは、まるで違う言葉だった。


「きみはひとりじゃない……」


 絞り出した言葉に、美千花さんがゆっくりとまぶたを開く。ぼんやりした瞳がようやく僕を見つめて、けれどその頬に浮かんだのは空っぽの微笑みだった。


「……そうね……そうかもね……」


 芒洋とした、なんの手応えもない返答に、胸が苦しくなる。たまらなくなって、僕はぎゅうっと美千花さんを抱きしめた。なめらかな素肌の感触はひんやりしていて、僕の体温なんてぜんぶあげるから、今すぐこの肌が暖まればいいのにと思った。


 肩口に顔をうずめて、祈る気持ちでささやく。


「僕がいるよ。美千花さんが寂しいなら、僕が守ってあげる」

「……そう」

「きみを寂しくなんてさせない、きっと笑っていられるよう頑張る。だから──」

「そう……」


 曖昧な相槌以外の言葉を、美千花さんはいっさい口にしなかった。ただぐったりと、僕の腕の中で脱力して横たわるだけだった。


 どうしようもなく切なくて、ますますきつく抱きしめようとしたとき。真っ白い手が、やんわりと僕の胸元を押し返した。拒むような仕草だった。


「美千花さん……?」


 美千花さんは僕を見ないまま、ただぼうっとした目つきで、虚ろにどこかを見つめている。僕は頬にかかった髪をそっと払ってあげると、空虚な瞳を覗き込んだ。


「きみが好きだよ」

「そう……」

「どうして信じてくれないの?」

「そうね……」

「美千花さん……」


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