表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結・百合】家庭環境最悪な僕っ娘(14)が、マンションの上階に住む人妻(28)にズルズルに依存する話  作者: Ru
第五章 十二月のおそいくちづけ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/29

第16話

 ──がつん、と頭を殴られたようだった。


 子供の勘違い。投げつけられた言葉と、美千花さんのしょうがないものを見るような目が、僕の中身をぐちゃぐちゃにする。


(こども、子供、って──)


 のぼせ上がって舞い上がって、そのくせ何もできなかった自分。僕の幼稚を笑う美千花さん。このひとは当たり前のように、おまえは子供だと言った。まるでなんの疑いもない、それが自明の真実であるように。


 ちかちかと、感情がフラッシュバックのように一気にまたたいてくる。


 恥辱。怒り。無力感。悔しさ、悲しみ、失望、不安。言いようのない深い恐怖。幾何学模様のティーカップ。焦躁、嫌悪、諦念、ストックホルム症候群。七つの子という子守唄。海風の冷えたにおい、帰るわの言葉、僕には何もできない、図書館の本と忘却、いつまでも玄関に転がったヒール、右側の寝室のドア、僕には何もできない、電気の消えたLDK、ペットボトルのゴミ、見れなくなった預金通帳、子供、無力な、ただ終焉を待つだけの、僕には何もできない、僕には何もできない、僕には何もできない、ぼく、僕は──


(違う、ちがう、違うちがう違う──)



「僕は──子供じゃない……ッ‼」



 ばしっ、という音と同時に、きゃッ、と小さな悲鳴。僕が美千花さんの腕を、思い切り振り払った音だった。驚いたように目を見開く美千花さん、その瞳を、ぎっ、と強く睨みつける。


 僕はポケットから口紅を乱暴に取り出すと、キャップを外して床に放り捨てた。カツン、と背後で小さな音。ピンクベージュを繰り出して、潰れた先端を見つめる。

 自分でも、なにをしているのか、なにをしたいのか、わからなかった。ただ感情のすべてが砕け散ったようになって、まるで自分の制御がきかない。


(違う、僕は子供じゃない、無力じゃない、)


 僕は大人で、騎士様で、か弱い女の子とは違う。なんだってできる、どこへだって行ける、僕は無力なんかじゃない。寂しくなんかない。悲しくなんかない。怖いことなんてなにも、なにひとつ起こっていない。


 もうどうしようもない、なんてことは、

(絶対に──ない‼)


 はあっ、はあっ、はあっ、と息が乱れた。感情がぐちゃぐちゃで、わけがわからない。僕は衝動のまま、口紅を自分の口にぐりぐりと塗り付けて、美千花さんの肩を強引に引き寄せて、


「──っ……!」

「ッ……⁉」


 色のないくちびるに、無理やりキスをした。


 がつっ、と歯がぶつかって、口の中にじわりと鉄の味。テレビで見たキスの真似をしようと思ったのに、ちっともうまくできなかった。押し当てた感触はひどく冷たくて、それ以上どうしたらいいかわからない。


 数秒間、ただじっとして、やっぱりどうすればいいかわからなかったから、触れ合った粘膜を離した。は、と小さく息を吐き、美千花さんから身を離す。


 くちびるを僕の血で染めた美千花さんは、口を半開きにして、驚いたように目を丸くしていた。ぴくりともしなかった。僕は僕で、ここからなにをしたらいいかわからなくて、動けないまま静止している。


 そうして、たっぷり十秒ほど経ったとき。美千花さんの喉の奥から、掠れるような吐息が、はっ、と吐き出された。


 ダークグレーの瞳が一度だけまばたきをして、その表情が静かに歪んでいく。見たことのない、ひどくいびつな表情が、ゆっくりと現れる。


 美千花さんは──笑っていた。僕の知らない顔だった。


 くくく、と喉の奥で潰れたような、低く掠れた笑い声。


「……そんなに、大人の真似事がしたいの」

「え──」


 聞いたことのない声音に、呆然とする。


 美千花さんが唐突に立ち上がった。スプリングが反動で跳ね上がって、うわっ、と大きくバランスを崩す。けれど僕が倒れ込む前に手を掴まれて、ぐいっ、と引きずり上げられた。


「み、美千花さん……⁉ わ、わわっ‼」


 美千花さんは、信じられないほど強い力で僕を引っ張っていった。ずるずると引きずられるみたいにして、ソファを離れ、写真立ての前を通り過ぎ、LDKのドアを通り抜ける。ばたん、と背後でドアが閉まる。


「みち──美千花さんっ……!」

「……」


 無言のまま、美千花さんは廊下をずんずん進んでいった。転びそうになりながら、僕はただ細く白い手に引きずられる。がちゃっ、とドアが開く音がして、急にぐんっ、と身体が左に引っ張られた。


「うわっ」


 派手に体勢を崩し、室内に連れ込まれる。つんのめりかけた僕の腕が強引に引っ張り上げれ、ずるずると身体が持ち上がる。つま先がとうとう床から浮きそうになったとき、どんっ、と背を突き飛ばされた。


「んぶ──ッ‼」


 顔面から、ぼふっ、となにかやわらかい場所に倒れ込む。反射的に閉じた目を開けば、視界いっぱいにグレーのシーツが広がっていた。


(ベッドルーム……)


 身をよじって、うつぶせから身体を回転させる。起き上がらなきゃ、と思った僕の耳に、ぎしっ、ベッドが軋む音が響いた。美千花さんだった。


「みちか、さん……?」


 ベッドに乗り上げた美千花さんが、僕の上にまたがってくる。情けなくシーツに転がったまま、僕は呆然と美千花さんを見上げた。


 美千花さんの、うっすらとした笑みが僕を見下ろしている。ダークグレーの瞳が、三日月のようにすうっと細くなった。


「大人のすること、……教えてあげるわ」


 吐息混じりの、押し殺したような声。その語尾は僕の知らない独特の掠れ方をしていて、ただ戸惑う。


 腹の前でクロスした美千花さんの腕が、ゆっくりと黒いニットをまくりあげていった。艶めいた黒の裾から、真っ白い腹が晒されていく。そのまま頭を抜くと、深いグレーの髪がさらり、と大きく広がった。


 脱いだニットをぱさりと投げ捨てて、美千花さんは下着姿になる。黒いレースのブラジャーはやけに華美で、装飾過多で、美千花さんの儚げな雰囲気にはまるで似合わなかった。


(な……なに……?)


 呆然としている僕をよそに、美千花さんは黒いスカートの横、腰のファスナーを下ろしていく。そのままスカートも脱いだ。白い指先が見せつけるようにスカートをつまんで、はらり、とニットの上に落とす。


 桜色の爪が並ぶ指が、黒く透けるストッキングをずらしていって、するするとなめらかに脱ぎ去って。そうして最後に、美千花さんはゆっくりと、上下の下着を取り払った。


 なにひとつまとわない、完全な裸になった美千花さんが、目をすうっと細めて薄く笑う。見たことのない笑い方だった。どこか破滅的で、退廃的で、だけど、蠱惑的な。


 膝立ちになった美千花さんが、僕の身体を大きくまたいだ。ぎしっ、とベッドが音を立てる。


「みちか、さん……?」


 見上げた裸体、その肌は蝋のようになめらかだ。けれど真っ白い身体には、どす黒い痣や引き痙れた傷がそこらじゅうに散らばっていた。まるで汚れのようだ、と思って、ひとつひとつの傷を見つめる。


 下腹部にひとつだけ、あきらかに他とは違う傷があった。臍の下から陰部まで、肌色の古い傷が縦にまっすぐ走っている。なんとなく気が引かれて、僕はぱちぱちとまばたきを繰り返した。


 つうっ、と頬を撫でられる。僕ははっとして美千花さんを見上げた。


 間接照明のやわらかな明かりに照らされて、知らない笑みを浮かべた美千花さんが、僕をじっと見下ろしている。僕はただぽかんと目を丸くして、傷まみれの、なまの、美しい姿を見ていることしかできなかった。


 頬を撫でていた美千花さんの手が、つるりと動いて僕のくちびるに触れる。ひやりとした指先が、くちびるの粘膜を軽く押し込んだ。弄ぶように何度かふにふにと押したあと、すうっと指先が左右に動く。少しだけくすぐったい。


 同じ動作を何度か繰り返して、ふっと美千花さんの指先が離れた。持ち上がっていく指を視線で追うと、白い指の腹にピンクベージュがついている。それで、さっきのは塗りすぎた口紅を拭い取ったのだとわかった。


 持ち上げた指先を、見せつけるみたいに一度だけひらめかせて、美千花さんはピンクベージュの指先で、自分のくちびるをゆっくりと撫でる。血色のなかった粘膜に、ほのかに赤い色が差した。


「美千花さん……どうしたの……?」

「……ふふ」


 美千花さんは何も言わない。ただ無言で微笑んでいる。なにかの意図を含んだ眼差しがじっと僕を見つめていて、だけど、僕は自分がなにを要求されているのか、まるでわからなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ